ウナギの味

「あ、はい、ウナギの味ですね」


 彼女はその一言を皮切りに、読み上げるようにすらすらと言葉を続けた。自分が小学生の時、国語の教科書を一人一段落ずつ読まされる時に、同級生よりすらすらと読むことで誇らしい気分になったことを思い出した。エアコンの風が少し寒いのか、スカートから覗く彼女の膝は閉じているが、思い出したようにほんの少しだけ脚を緩めた。緊張を隠さないままウナギの味について話す彼女の声が、まさに小学生の自分が教科書を読む時のように早くなる。彼女の話を聞いていると、さっぱりとした油と、タレの酸味、炭火風調味料の香りが伝わってくるようで、その今月だけで3回目の表現を耳にしながら、彼女の少し開いた脚に目をやって改めて顔を見る。いかにもうちの関連企業のマナーサイトで2番目に薦められているメイクを一生懸命してきたという感じがとても微笑ましかったし、質問の答えも不採用を決めるには十分だった。ここからはばれない程度に軽く流せばいいだろう。腕時計を見ると終業時間が近い。今日の夕食は、ウナギでいいか。いつも面接をするとウナギが食べたくなる。人材を見抜く役に立つのだから、ウナギ手当でも欲しいものだ。

 ウナギが高くなったのは20年ぐらい前からだったろう。かねてからの資源不足と、いわゆる反社会勢力による国際的な密漁ネットワークが問題となりウナギの取り扱いが厳密な免許制になった。フランチャイズ制の小売店や飲食店はウナギの取扱いが不可能になり、何十年もウナギを捕っている漁師と、養殖が可能な産学連携の施設、伝統あるうなぎ専門店のみがウナギを扱えるようになった。それで当然ウナギの値段が文字通りけた違いに跳ね上がった。「まるでトビウオ、価格が空飛ぶうなぎ」という面白くない新聞の見出しを覚えている。漁獲量は厳しく制限されるようになったし、ウナギを扱う資格を維持するには毎年のように検査を受け、また売上の一部を環境目的税として納税しなければならないので、コストが今までとは段違いになってしまったのだ。また、免許を持つ団体はみんな知り合いみたいなものだから、誰も出し抜いて安くしようなどしないというのもあるのだろう。一言さんお断りや完全予約制のウナギ屋も少なくなく、そうしてウナギは一気に手の届かないものになった。それから何年か経つと、もうウナギの味なんて知らないという人々出てきて、ウナギは多くの人にとって幻の食べ物となっていった。

 「今日はこれで結構です。お疲れさまでした」とこちらが言うと、彼女は足を閉じ、「本日は貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました」と礼をしたあと、一歩だけ後ろに下がり、学校で習った通りのきれいな回れ右をするとドアへすたすたと歩き、さっきよりも深々とお礼をしながらドアをゆっくりと開け、部屋を出たところでもう一度礼をしてゆっくりとドアを閉じた。そのドアが閉じた瞬間、自分は彼女の履歴書を後ろのごみ箱に捨てる。そんなにかわいくないし、脚はそこそこよかったけど、目の保養にも特にならない。ただ腹がすいただけだ。

 ウナギが手の届かないものになると、「本物のウナギを食べたことがある」ということが豊かな生活の証拠となった。あの脂のうまみと、弾力はあるのにホロホロと脂を巻き込みながらほどけていく身の食感、どんなにいい蒲焼のたれを代用品にかけても届かないあの味。思い出すとおなか減ってきた。それを知っているかどうかで、人間を見分けられるのだ。他のものでも変わらないだろうが、共通の話題を持つ相手とは自然と親しくなれるもので、大学時代は官僚の息子とか、母親が海外支社長だとか、叔父が大臣だった同級生とおいしいウナギ屋の話で盛り上がったものだ。あの頃出会った仲間とは今も遊んだり、色んな企業の動き、新しい補助金に採用される方法、値上がりする株とか交通違反をうやむやにできる警察官僚の連絡先の情報を共有してくれたりと、自分の人生にとって大切な存在になっている。豊かさというのは、お金なんかじゃなくこういう仲間のことなのだろう。

 面接でウナギの味を聞くのはそういうわけだ。それで相手の育ちがわかる。わざわざ興信所やSNSを使うまでもない。ウナギを食べたことがないやつは代用のウナギ蒲焼風かまぼこの味をうちの関連企業のアドバイス通りに答えるが、最近はウナギの味を再現することよりも独自のおいしさを求めるようになっているので、タレに酸味があるとかいう愚かなことを言い出すのだ。

 一度伸びをする。気づけばもう終業の時間だ。これからさっきの女を不採用にすることをとりあえずデータベースに入力して、正式な書類は明日書けばいいだろう。この退屈で財布にもよくない面接がまだ続くのは嫌なことだが、結局のところ、気が合わないやつを会社に入れてもうまくいかない。生まれや育ちが自分たちと合う人たちで仕事をしていくのが生産性も高まるというものだ。さっきの女の少し開いた脚を思い出していた。「男性の面接官には少し脚を開いてアピールしたほうが印象に残る」とか関連会社の有料メルマガの冗談を真に受けて頑張っていた。きっと家にもそんなにお金はないんだろう。その努力は認めるが、そんな嘘に騙されるやつとは仕事なんかできるわけない。まあ、俺たちとは違う世界でがんばってくれ、お祈りだけはしておこう。ええと、あいつの名前なんて言ったっけな。まあ、いいか。俺はポケットから電話を取り出し、ウナギ屋へ予約の電話をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る