はさチンマンの最後

自分の仕事にはいいところが三つある。


一つ目は日程が自由なところ。

二つ目はどこにいても仕事ができること。

三つ目はクチャラプップでポッチョロリーンだ。


 髪の水分を吸ってもらっていたバスタオルを顔まで伸ばしたあと、そんなことしなくてもここなら別に問題ないことを思い出す。カプセルホテルで他人の顔を気にする人などいない。出張で使う人間も、観光の予算を節約したいやつも、帰りたくない人も、家出人も、みんな他人のことなど気にしないし、気にされないという前提でここにいる。小さなはしごを登り、白く清潔なカプセルに入る。下の段にいる男だったと思われる姿が見えたが顔など全く覚えていない。まあ、ここには女性専用の別館があるから男なのは間違いないだろう。右手首のリストバンドをかざして小さな金庫を開ける。中から閉まっておいた小さいPCを出してコードにつなぎ、電源をつけ、ログインを待つ間に途中自販機で買ってきた新発売の緑茶を開ける。本当は風呂あがりにはビールかチューハイが飲みたいけど、酒に酔ってから仕事するとうまくいかないのは知っているので仕方ない。冷たさと少しの苦味が喉を通る間にPCのログインが終わり、机に乗っているWi-FiのIDとパスワードを入力し、いつもの編集ソフトとブラウザを開き、備え付けのテレビをつける。すぐに作業に入ればいいのだけれど、いつもの癖でブラウザをチェックしてしまう。

 「大丈夫?」「今どこにいる」などのメッセージが届いているので、「大丈夫ありがとう」と返す。自分のこのアカウントの文章がバラされたことはないから、彼らが安全なのはわかっている。しかしそのまま、SNSを開いて検索を始めてしまう。自分への怒りや、なんで作者はとっとと捕まらないんだとか、逆に評価する声や、他にもいるんだからちゃんと捜査しろとか、もうはさチンマンの話はどうでもいいとか、議論も自分のあずかり知らないところでだいぶ煮詰まっているようだ。法律上逮捕されるということはないんだけれども、そんなことを知ってる人の方が少ないし、そもそもこうやって「はさチンマン」で検索すればまるでみんなが自分のことで大騒ぎしているようだが、実際にはほとんどの人はなんとなく知っているぐらいが関の山で、そもそも見てない人も少なくないはずだ。さすがにSNSの投稿も減っている。現に、今やってるテレビのニュースでも3日前はそこそこの時間をかけていたが今日はもうやっていない。それぐらいのことだ。編集ソフトに切り替えてファイルを開く。誰かが通路で缶を落としたらしくゴン、と音が鳴って、それに過剰なまでに早く反応してしまう。カプセルベッドのカーテンを閉め忘れていたことに気づき、むやみに力を込めて閉めてからPCの画面を見直す。昨日泊まったカプセルホテルで作った表紙が映っている。


はさチンマンの最後


 そのタイトルを改めて見直し、その上に描いたはさみの柄のような仮面を顔にはめ、右手に学校で使うようなはさみを持った三頭身の男の姿を見てデザインが狂っていないことを確認する。毎回Tシャツに書くメッセージは何にしようか、「終わり」「ありがとう」「ごめんなさい」「テレビに映りました」色んな候補があるがどれもしっくりこない。そんなことを考えているうちに、恐怖が少しずつ胸の奥にしまいこまれて、いつものようにマンガを描く時の自分へと入りつつあることに気がついた。


 あれは確か15年前だったと思う。まだその時マンガなんて描いてなかったけれど、そのいきさつは勉強したしネットにもいくらでも載っているからだいたいのことは知っているはずだ。設立の機運が高まる何年も前から準備や活動をしていた人たちはいたらしいが、「悪い子仮面」を真似した集団万引き事件と、トランスジェンダーの中学生がいじめで自殺した事件で、加害者の同級生たちが読んでいたマンガに出ていた「カマボコル」というキャラクターが問題視されたのが直接の原因だと言われている。大手出版社と取次、実店舗及びネット販売両方の大手書店グループ、そして作家クラブとあと何個かの団体、たしかこの中には政府の外郭団体もあったはずだが、それらが合同で、「児童図書倫理審査協会」が設立された。名前の通り、加入する出版社が発行するあらゆる児童向け図書を子どもに読ませる書として適しているかどうかを審査し、審査を通ったものに「推薦児童書」認可をするという組織だ。審査される項目は多岐に渡るが、要は


①犯罪や非行を誘発するような表現が含まれていないか

②子どもが真似してしまうような品性に欠ける行為が含まれていないか

③特定の集団・人種・性別等への偏見を与えるような表現が含まれていないか

④児童にふさわしくない性的な表現が含まれていないか

⑤児童の健やかな発達にとって望ましいメッセージが込められているとなおよい


 協会のサイトにまとめられていた要旨によると、だいたいこういうことを守っていれば「推薦児童書」として認められ、「推薦児童書」認定を受けた作品のみで構成された雑誌を「推薦児童誌」として認められるのだ。認められた本には表紙や背表紙に3枚の銀色の葉が重ねられたようなマークをつけることができる。多くの本につけられることを考えてシンプルで邪魔にならないデザインを目指したという。20歳ぐらいの時に自分の本棚を見ると、子供の頃に買ってもらった本やマンガ雑誌のほとんど全てにこのマークがついていたことに改めて気付かされた。ついていないのは制度が始まる前のものばかりだった。


 そんなことを思い出しながらも、未だに表紙のメッセージを何にするか決められずにいた。カプセルの中は予想以上に静かで、つけていないヘッドホンから漏れるテレビの音声が聴き取れるほどだ。


 「推薦」という言葉からもわかるように、「推薦児童書」制度はあくまで推薦であり、推薦でないから子どもに売ることができないというものではない、という触れ込みでスタートした。再販の際に有名な少年マンガの多くが推薦を得られなかった時に、協会からリリースされた文書でもこの文面は強調されていたという。しかし、考えれば当然のことなのだが、推薦されている本があるということは、葉っぱのマークがついていない児童書は「推薦されていない」ことを意味する。好き好んで子どもに推薦されていない児童書を買い与える親などどれくらいいるだろうか。そもそも協会の設立に関わっていた大手出版社はもちろんのこと、当初は推薦を受けないような内容をあえて出すと息巻いていた中小の出版社も、時期を減るごとに非推薦の児童書の売れ行きが急速に落ちていくと児童書から撤退していったと聞く。図書館も非推薦の児童書を廃棄はしないものの閉架にすることが相次いだ。強い抗議があったというより、実際には抗議は小さいのが何件があっただけらしいのだが、図書館側がそれが大きな抗議に発展することを恐れて、ということらしい。協会に関わっている大手書店にはやはり推薦されていない児童書は気がつけば置かれなくなったし、中小の個人経営の書店なんてものそれ自体が今となってはほとんどない。小さい書店に見えても実は大手のグループ店舗で、大手の方針や基準に従っているところがほとんどだ。ネット書店には一応非推薦児童書の在庫はあるが、検索をしてもなかなか出てこない。そんな状況になればますます出版などされなくなっていく。そんな形で、世の中に出回る絵本や少年マンガ、子ども向き小説のほぼ全てが推薦児童書で埋められることになったのだ。


 あまりに台詞が決まらない。ちょっとスマホに視線を移す。ブラウザには過去見たニュースの記事が残っている。


「傷害事件 影響与えた闇児童書の実態とは」

「暴力、性、何でもあり…親も知らないウラ児童書とは」

「問題の「はさチンマン」作者の実像に迫る」


 その見出しを見るとブラウザのタグを反射的に消してしまった。その瞬間背中に見られている感覚を覚え振り向くが、もちろんカプセルベッドを仕切るカーテンがかけられている。息を吐く。ディスプレイを見なおしても、先ほどよりさらに言葉が思いつかなくなっている。


 世の中が「推薦児童書」でほぼ埋められたあたりから、個人的に昔の児童向け作品を再現したかのような電子書籍を作り公開する人間が出てきた。もともとは青年向けマンガという体で掲載していた「美シっと解決変身マコちゃん」というお色気要素込みの一話完結ヒロインものが「青年誌という扱いにして、推薦されえない子ども向けマンガを電子書籍の検索上位にあげようとしているのでないか」という批判がSNSや、出版業界内部からさえも吹き出したため出版社が公開停止にした後、作者が個人のサイトで続きを公開したのが最初だと言われている。こうした個人による昔の児童書を再現した作品、そのほとんどがマンガらしいが、それらは到底推薦マークなどつくはずもない下品なギャグや露出度の多いキャラクター、デフォルメされてはいるがそれでも血がピューっと吹き出すような暴力などが含まれていて、もちろん大手サイトなどには載せられないので、個人で創作を公開するためのサイトやネットのファイルアップローダーにファイルを置いて、SNSや口コミで宣伝をするのだ。自分の作品を見てもらうために無料でやる人間もいるし、有料で収入を得る人間もいて、後者のうちの一人が自分だ。

 いわゆるヤミ児童書とか裏少年マンガとか言われているような自主制作を始めたのは、なかなかプロのマンガ家になるきっかけがつかめない自分が、偶然親戚の家にあったヤミ児童書に出会ったのがきっかけだ。そう多くはないが、ヤミ児童書の中には自主的に製本して、通販やSNSで報告したゲリラ即売会で売りさばいているものがあるのだ。そこで読んだ本は「レッドゾーン!」というアクションマンガで、主人公の少年の目が赤くなると一気に強くなるという、とてもありがちな設定を覚えている。何より印象的だったのは主人公が「死ねや」とか「クソ野郎」のような汚い言葉を使うことと、大きな胸を強調した女性格闘家が敵の組織の幹部として出てくることだ。こういう作品は青年向けマンガでも今は珍しいのに、こんな子ども向けの画風で書かれることなど考えられなかったので、親戚にこれどうしたのと聞くと、「ああ、それは本屋とかじゃなくて、ネットで販売場所教えてもらって買うんだ。昔っぽくていいだろ」と教えてくれた。彼は自分より年上だったので推薦児童書ができる前の時代にも親しんでいたのだろう。「お前マンガ家目指してるんだろ。参考になるなら借りてっていいよ」と言われて、自主制作だけではなく過去のマンガも何冊か借りて、それが今の自分の仕事の礎になった。何より参考になったのは、そういう形でマンガを描いている人の存在だった。


 ちょっと外に出ることにした。アイデアが出ない時は外を歩くのが一番だ。鞄から濃紺のズボンとシャツ、それに上着と帽子を取り出しバスローブから着替える。フロントに声をかけてから自動ドアの前へ向かうと、開いた先からムワッと、夏が最後の力をこの夜に遺していったかのような蒸し暑さが襲ってきた。その空気で自分がこれから外へ出るのだと改めて実感し、帽子を深くかぶり直す。同時に、その蒸し暑さに顔をしかめるような人々の姿を見て少し安心した。みんな気候ばかりに気を取られて、ちょっと前にニュースを沸かせてネットに顔を晒されたやつの顔なんて見てもわからないだろう、と思うことができた。とりあえずコンビニにでも行こうと思い、携帯を手に取ろうとしたところでロッカーにパソコンごと閉まってしまったことに気づく。まあ、仕方ないか。この通りは大きいし、どっちかにまっすぐ進んでいけばそのうちコンビニは出てくるだろう。昔より街のネオンが減ったような気がする。災害の度に言われる節電ムードの影響を受けているのか、はたまたこのへんも寂れだしたのか、そんなことを考えながら歩いて行く。もともと少し早足な自分が何人かを追い抜きながら進むと、道端で止まったり歩いたりしながら携帯を眺める人を何人も見る。その中に自分の作品を見ている人もいるんだろうか。そんな普段通りの思考をしている自分に気づく。


 自分の裏少年マンガ家としてのキャリアは意外とうまくいった。最初に描いたのは「聖剣とおんなのこ」というタイトルの、少女を主人公にしたファンタジーだった。今見るとストーリーも演出も、というかそもそもタイトル自体が陳腐だったけれど、自分は人物を描くことだけは自信があって、主人公や仲間の少女をとにかく魅力的に描き、デフォルメされた身体ではあったものの、到底推薦を受けられそうにない露出度の高い服装あたりがウリになって、ちょっと売れた。個人出版サイトから口座に初めて振り込まれた時の驚きと嬉しさは覚えている。そこまでにサイトやSNSについていた感想も嬉しかったけれど、自分の描いた作品にお金を払ってくれた人がいるということ、それはつまり、サイトに登録し、クレジットカードか電子マネーを登録、あるいはプリペイドを買うなり振込手続きをするなどの手間と金銭を自分のために割いてくれた人がいるということだ。その事実がとても嬉しかった。次の作品も、その次の作品も、子ども向けマンガの絵でお色気シーンが多かったり、暴力が含まれている内容の作品を発表した。少しずつ読者と手に入る金額が増えていった。そのあたりになって、研究も必要だなと読者の傾向を調べてみると、自分より年上の読者が思った以上に多いことに気づいた。最初はきっとちょっとエッチなものを読みたいという若年層が多いんだろうと思っていたが、考えてみればエロいものを見たいならネットにつながっている段階でもっといくらでもやりようはあるわけで、自分が子どもの頃に見ていたマンガのことを懐かしく思い出せる世代が、その雰囲気を味わうために買ってくれているのだろうと理解した。

 それに気づいてから、読者の望むものを描きたいと思い、古本屋やネットオークションで昔の子ども向けマンガを探し、それを研究するようになった。ある程度の時間とお金がかかるものではあったが、もちろん自分もマンガ好きなので、今まで読んだことのない作品に出会えることはそれ自体が単純に楽しいものであった。それから2作ほど過去の作品を参考にしながら描いて、そのあとで取り掛かったのが「はさチンマン」だった。


 時間としてはそんなに経っていないはずなのに、蒸し暑さが少し引いて、夜にふさわしい冷たさが肌にまとわりついてきた。コンビニはまだない。コンビニとかATMとか、そういうものは普段はすぐ目に入ってくるのにいざ探そうとするとなかなか見つからない。相変わらず人を避けたり抜けたりしながら進んでいくと小さな本屋が出てきた。看板についているロゴからして大手のスーパーチェーンがこの前買収した本屋チェーンだ。冷たさにも誘われて、なんとなく入ってみることにした。店員が一瞬こっちを見てから小さく「いらっしゃいませ」と言った。気づいてはいないようだった。暖色の明かりと白い壁がいい雰囲気の店だった。昔はこういう店に自分のマンガが平積みにされていることを想像しつつ、推薦マンガのガイドラインを見ながら持ち込みのための原稿を書いていたこともあったなと、そんなことを思い出していた。


 「はさチンマン」は、自分にとっての7作目で、一番長く続ける作品になった。昔のマンガを読んでいて、自分が気にいったのはギャグマンガだった。ものすごく下世話で、ナンセンスで、月一回、あるいは週一回の締め切りに合わせて必死に時事ネタやお決まりのギャグを取り入れてなんとか形にして、うんことかちんちんでむやみに喜ぶような、そんなどうしようもない内容の単行本が妙に気に入って、何冊も読んでいた。はさチンマンのTシャツに言葉を描くというのも、その時読んだヒーロー物をパロディにしたマンガで使っていた手法を使わせてもらったものだ。自分はこんな内容の少年マンガを読んでいたわけでもないのに、面白さ以上に、まるで、実家に畳などないというのになぜか畳に寝転んでこういうマンガで笑っていた頃を思い出すかのような、そんな懐かしさを感じていた。小学校の頃に食べていたおやつや、当時遊んでいた同級生の顔も思い起こされた。そのうちの一人が詐欺で捕まったニュースまで同時に思い出して渋い気持ちにもなったが。実家の居間にあった、木目調のテーブルが思い出された時は、次の日の夕方に数年ぶりに実家に電話をしてしまったほどだった。そして、自分でもこういう作品を描いてみたいと思った。もちろん、自分の読者もきっと同じように、いやおそらくはそれ以上に郷愁を感じてくれるのではないかという思いもあったが、それ以上に自分もこういう作品を描いてみたい、やりたいという思いが強かったのを覚えている。それが結果としてよかったのかもしれない。「はさチンマン」は自分の中で最大のヒット作になった。

 「はさチンマン」はヒーロー物を元にしたギャグマンガだ。最初は少年が変身するという設定にしようかと思ったが、正直自分が少年だったらこれには変身したくないなと思って、とりあえずよくわからないけどなんかこの姿のやつがいるということにした。顔にはさみの持ち手の部分がマスクのようにつけられていて、角のようにはさみの刃が伸びているのが特徴だ。万引きをしたり、同級生の女の子のスカートをめくりまくったり、巨大な芋を焼くために木造の家を燃やそうとしたり、悪いことをしたやつのところに現れて格闘でそいつを倒し、そいつのちんちんをはさみで切るというのがお決まりのオチという、こうやってあらすじだけ描くと本当にどうしようもないのだが、それでも頑張って当時を再現した絵柄を再現したり、切られたちんちんがチポポポーンという謎の効果音を立てて飛んでいく姿が感想でも「馬鹿らしくていい」と好評で、高年齢層だけでなく、そのうち若い読者からも感想が寄せられるようになった。この作品を買ってくれる人が多かったのと、この時期に作り方を覚えたはさチンマンのポストカードや缶バッジなんかもそれなりに売れたことで収入が増え、日雇いアルバイトの時間を減らすことができて、自分はマンガを描いて食べているとなんとか言えるぐらいにはなったものだ。


 本屋に入るといつものように自然と児童書や少年マンガのコーナーに足が向かう。平積みになっている認可員のついたマンガを何冊か手に取ろうとして、先にそばにあった小さなカゴを取ることにする。本屋に入ると必ず何冊かは推薦児童書を購入することにしている。現在の子どものはやりを研究しておきたいというのもあるが、何より結構面白いのだ。作者の欄には特定の名前ではなく、製作委員会とかチームの名前が入っていることが多くなった。これは聞いた話だが、推薦をもらえるかどうかの基準は年々少しずつ厳しくなっているようで、それをストーリーや絵柄などあらゆる面で満たしながら、マンガとしても面白さを保つには作家と編集者だけでは人数が足りないためチームでの創作体制を作ることが当たり前になってきた。それによって、ストーリー、キャラデザイン、背景、マーケティング、そして何より推薦のガイドラインに精通した人物など、各々の分野のエキスパートが協力して作るのが当たり前になっている。編集者、最近はプロデューサーと言われることも増えてきたようだが、そのプロデューサーが作品のコンセプトを決め、それに応じたストーリーライターやイラストライターにオファーをして、ミーティングを重ねて作品を作っていく。最近は映画やドラマ、ゲームなどから幅広く人材を集めたりもしているという。一つの作品にかける予算や人員が多くなるため、メディアミックスを最初から前提としたり、海外で売ることを視野に最初から翻訳スタッフが入っていることもあるという。最初は新しい制作形式への戸惑いがそのまま現れたような、ストーリーと画風が噛み合っていない作品や、ただただ無難なだけで面白くもなんともない作品も散見されたが、回数を重ね、ノウハウが積み上げられると共に作品の質はどんどん安定して、とりあえずどれかを手に取っておけば必ず楽しめるし、子どもにとっても得るものがあるというのが今の推薦児童書や少年マンガだ。親からしたらありがたい事この上ないだろう。

 


 全てが変わったのは二週間前のことだった。珍しくテレビのニュースなんてものをまどろみながら見ていると、「小学生が同級生の股間をハサミで切りつけ」というテロップが目に入り、あっという間に目が覚めた。小学五年生の男の子三人が同級生のズボンとパンツを脱がせ、そのうちの一人がハサミでその股間に傷をつけたということだった。そのニュースを見ながら、すでに自分はえづいていた。部屋の照明が異様に明るく感じられ、呼吸を深くしないと喉が詰まってくる。頭の中でのっぺらぼうでスーツやエプロンを着た「大人」たちが「だから子どもたちが真似したらどうするって言ったじゃないか」とこちらを向いて冷たい目をしていた。テレビやSNSでよく見た言葉だ。もちろん、そのニュースには自分の作品の話など出てもいなかったし、その犯人が「はさチンマン」を読んでいたとは限らない。そもそも個人出版サイトは12歳以下は使用不可だ。そう考えた瞬間に「そんな年齢制限どうにもできることぐらいわかってるだろ」とさっきの「大人」が言葉を続ける。顔に布団を被りながら自分を落ち着かせようとすると、また「大人」たちが「自分を正当化する前にもっと考えることがあるんじゃないのか。けが人が出てるんだぞ」と言ってくる。それを必死で振り切るように横になった。

 なんとか1時間半ほど眠ることができて、少しだけ落ち着いた自分がネットを見ると、そこには大量にシェアされるさっきのニュース、それのコメントに「なんかマンガの真似したんだって」「市の職員が発表してたね」「なんでこんな本を子どもが読めるの」「あー、あるんだよね。個人が売ってるチェックぬるいやつ」「てかこれ「はさチンマン」じゃんw」「あー、あれか。面白いけどね」などと大量についていた。慌てて自分の作品を公開しているサイトを見ると、「はさチンマン」の異様に伸びた購入数と、大量の星一つの評価がついていた。コメントを見るまでもなく、公開を停止した。

 そこから一週間は、テレビでもネットでも何度となく「はさチンマン」という言葉を見た。マンガ家を目指し始めた頃、自分の作品を誰もが知っていてもらえるということを夢想したことは一度や二度ではないが、こんな形で知られるなんてことは言うまでもなく望んでなどいなかった。週刊誌にも代表的な裏マンガとか闇児童書なんて書かれた。自分の作品なんてランキングではベスト20にたまに入れるかどうかぐらいだったのだが。「この作者は事件がニュースになった日に作品を消してるんですよ。自分でよくわかってるってことなんじゃないですか」とタレントがワイドショーで言っていた時は、失敗したかもなと思った。被害者が軽傷であることを知った時は安堵したものだった。この安堵が被害者を思ってのものなのか、重傷だったらもっと責められるんじゃないかと思ったからなのかは自分でももうわからない。外に出なくなった。ネットスーパーの配達員にも顔を伏せがちにするようになった。テレビで見ているようなマスコミが押し寄せるということはなかったが、警察が「はさチンマン」の作者とサイト管理人の取調べをする意向という噂がネットに出ていたのを見てからは、窓から見える人間が刑事に見え、思わずカーテンを閉めてしまうこともあった。結局取調べはなかったのだが、余計外に出ないようになっていった。SNSのアカウントはリプライの通知がひどいことになり、非公開や停止にすることさえできず、自分のアカウントは見ないことにした。その頃から同業の個人出版主から「大丈夫か」などと連絡が来た。彼らの風当たりも確実にきつくなっているはずだが、それでも優しい言葉をかけてくれるのは嬉しかった。個人出版サイトからは、登録は取り消すがここまでの購入額についてはいつもどおり手数料を引いた分を振り込んでくれるということだった。それに少し安心している時に「家と顔写真が載ってるサイトがあった」という連絡が来た。


 カゴの中には三冊の少年マンガを入れた。一番上に載せた本の作者、いやディレクターに目が止まった。ディレクターというのは、最近始まっているAIがマンガを描くというプロジェクトで、複数のAIをまとめる人間のことを言うのだが、その有名ディレクターであるこの表紙に書かれた彼は、もともと昔有名だった個人作成の「闇児童書」作家を別名でやっていた。個人出版業界では有名な話だ。彼も自分のようにギャグマンガを書いていて、「クチャラプップでポッチョロリーン」は彼の作品の中に出てくる言葉だった。全く意味はわからないけれど、シュールで、たまに暴力的なギャグを延々と見た後、最後のコマで主人公が言う決まりになっているこの言葉を見ると、そこまでのめちゃくちゃな話が妙に納得できるというか、「まあ、仕方ないね」と思えるものだった。確か彼はプログラマーをしていた時期があると言っていたのでディレクターには適任だったのかもしれない。どんな気持ちで彼は自分で好きに作品を描くのもやめて、機械が処理するのを手助けする仕事に回ったのだろうか。あんな意味不明な作品を作っていた彼が、今何を考えながら、児童書にふさわしい、わかりやすく、整っていて、面白く、子どもの教育にいい作品をAIが生産していくのを見守っているのだろうか。


まあ、仕方ないね。


 声を聞いたことない彼の言葉と、あの主人公が「クチャラプップでポッチョロリーン」と言う姿が見えた気がした。ああ、そうだ。それだ。こうなってはそれどころではない。会計をして書店を出る。自分でも、自分の歩みが速くなっているのを感じた。相変わらず外は冷えるが、それよりも自分の中で先程までのもやもやが晴れていたのが嬉しかった。そうだ、「仕方ないね」だ。表紙のはさチンマンのTシャツに書かせるべき言葉が見つかったことに、そしてこれでやっと「はさチンマンの最後」を描けるということに、久しぶりに胸が高鳴っていた。この、自分が何を描きたいかが見えてきた時の高揚感は、あのニュースを見た日以来感じたことのないものだった。それと同時に、暴言で埋まっていた、自分の心の中に浮かぶサイトのコメント欄が、昔の評価してくれる声で塗り直されていくような、そんな感覚に囚われた。コンビニも見えてきた。何か温かい飲み物を買おう。正直いっそ飲んで寝ようかとも思ったが、今日はこのまま描きたいからやっぱり酒はやめておこう。もうこれだけ話題になってないなら、きっと家に押しかけてくることもないだろうし、明日からは家に帰ろうか。そうすれば資料も見れる。話の内容とか、公開方法とか、これを描いた後何をしようかはあとで考えればいい。クチャラプップでポッチョロリーンだ。最後ははさチンマンのちんちんがチポポポーンって飛んでくのもいいかもしれない。皮肉にも今回の件でダウンロードの収入がかなり増えるので時間はある。そんなことを考えながら、自分はディレクターにはなれないだろうな、と考えていた。それでも、作品を作るチームの、人物担当か推薦ガイドラインの分析担当ぐらいならできるかもしれない。まあ、それも、マンガとは違う仕事をする選択肢も、とりあえずは日雇いを増やすということでも、そんなことは後で考えればいい。とりあえずは、「はさチンマン」をちゃんと終わらせよう。「はさチンマン」はこれで最後だ。もう、そういうものなのだから。

 コンビニに着くと、前に小学校高学年らしい男の子が二人でアイスを食べていた。親が迎えに来るのを待っているのか、単に遊んでるのかはわからない。前を通ろうとする際に、スマホを見ながらそのうちの一人が、「でも、はさチンマンって、面白いんだぜ」と言っていたのが耳に入った。自分はその言葉に足を止める。二人も足を止めた自分に気づいたようで体を後ろにそらす。ポケットに入れた手には防犯ブザーが入っているのかもしれない。その二人の様子に気にも止めない素振りで、袋からAIが描いたマンガを取り出しはさチンマンのファンである彼の開いていた左手に握らせる。二人がとっさのことに言葉も出せないのを尻目に、聞こえない程度の声で「ありがとう」とつぶやいて、少しだけ口元を緩めながらコンビニへと入っていく。いらっしゃいませの声。コンビニの中は快適で、涼しい。外に出たら、また蒸し暑さが気になるんだろう。

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