著者より:今回はいい話を書いたよ!
私は、ずっとこの表情が見たかった。
彼の少し口角を上げた、決して満面の笑みではないけれども私がこれまで見たこともない彼の笑顔に、私心は、清らかな湧き水によって浄化されていくような、そんな感覚を覚えたのである。もちろん、彼の笑顔を私が見たことがないのも、私の心、そして何より彼の心にどうしようもない傷がついてしまったのも、全ては私の責任なのだ。今考えてみれば、なんであんなことをしてしまったかはわからない。受験のストレスとか、あの頃兄と喧嘩ばかりしていたとか、集団の恐ろしさとか、思春期特有の行動など言い訳はいくらでもできるが、そんなことで僕の罪が許されるはずもない。
始めは、同級生との会話だった。「あいつ暗くてむかつくよな」ってなって、次の日一緒に話していた一人が彼を無視して、それに戸惑っている彼の顔が面白かったことからみんな続いていった。もともと友達の中でリーダーみたいな立場だった僕が自然と次は彼に何をするかを主導的に考えるようになっていった。最初は靴を隠したり、教科書やノートに「キモい」とか「ネクラ」とか「ようご」とか書き込んだりしていた。今考えると何が楽しかったかわからないが、当時はその最低な言葉をみんなで書きなぐっていくのが本当に面白くて、部活の合間にもその映像を思い出してはクスッとなり、顧問に「急に笑ってるんじゃねぇ」とどやされたのを覚えている。そんなことが三週間ぐらいだったか、一ヶ月以上経っていたかもしれないが、彼がノートを仲間の一人の机に叩きつけ、指を指しながら
「これやったのお前だろふざけるな」
と声を荒らげた、その声と、思いっきり足音を鳴らしながら迫ってくる動きを少しオーバーに私が
「こでやったもおまーだろうざけーるなー」
と真似したら、周囲のクラスメイトが大笑いして、
「やべぇ、それガイジだわ」
「ようごの動きようごの動き」
「うーざけーるなー」
などと皆ではやしたてるようになった。それにさらに怒った彼が私の襟につかみかかると私は瞬時に
「おいうざけるなー」
と言いながら右手で彼の頬を思いっきりひっぱたき、たじろいだ彼のお腹に前蹴りを入れた。その日以来、私たちは彼を「うーざけるーなー」と言いながら殴ったり、蹴ったりするようになった。彼の嗚咽と、涙を流しながらうずくまる姿が、あの頃は本当に面白かった。
彼が学校に来なくなったのは、その二週間後だった。最初は彼がいなくても、例のモノマネなどをして楽しんでいたのだが、それも3日ほどで終わり、誰も、まるで彼など存在しなかったように誰も話題に出さなくなった。他のクラスメイトがどう考えていたかはわからないが、その頃から私は急に罪悪感を覚えていた。この前まであんなに面白がっていた彼の表情が、急に痛々しく、悲惨なものに思えた。いじめという集団の中にいて、きっと自分の感覚は麻痺していたのだろう。私は彼に謝ろうと思ったが、正直勇気がでなかったし、中体連も近づいていて、これが発覚しては最後の大会にチームのクリーンナップである私が出られなくなるのではないかという思いがあり、できなかった。そうしているうちに卒業の時期が来て、ついに彼に謝ることはなかった。
そんな彼が、今私の目の前にいて、あの頃の姿のまま、私を許してくれる。
客観的に見て、私は本来許されるべきではないだろう。噂で彼は家で暴れて入院したとか聞いたこともある。私は彼の人生を壊してしまったのだ。しかし、私の人生も、正直あれからおかしくなってしまった。心のどこかにわだかまりを持ったままでは何にも身が入らず、部活は一年生でベンチ入りできるほど期待されていたというのに全く打てなくなり、結果やめることになってしまった。それ以降もどうしていいかわからず、結局、大したことのない大学に入り、適当な生活を送ってしまっている。それでも、彼の苦しみに比べればもちろん大したことはない、そうなのだが。
そんなことを考えている間も、彼は同じような柔らかな笑顔で私を見つめている。そうだ、この表情が全てだ。謝罪の言葉は、なぜか口から出ない。しかし、もうそんなことは問題ではなかった。私の悔恨と、彼の赦しは、すでにもう伝わり合っている。よかった、もう大丈夫だ。彼が右手を伸ばす。私は、きっとあの時と全く違う笑顔を浮かべ、右手を伸ばした。
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「あー、あそこから落ちたのか、そりゃ死ぬわ」
「学生用マンションの5階ですものね、両親に連絡するの辛いなぁ」
「自殺かな、事故かな」
「わかんないですね」
「すいません、部屋を調べたんですが、薬と酒が」
「また危険ドラッグとかか」
「いや、普通の処方薬と日本酒なんですけど、これです」
「あ、これ知ってます、この組み合わせで飲むとラリれるとか話題になってるやつ」
「お前なんで知ってるんだよ、まさかやってねえだろうな」
「やめてくださいよ、ちゃんと調べてるんですよ色々」
「まあいっか、無茶はするなよ」
「だからやってませんって、それにしても」
「どうした」
「この仏さん、なんか笑ってる気がしません」
「お前、いつの間にか死体の顔見慣れたんだな」
「まあ、それはいいでしょう」
「あれだよ、どっちにせよラリってるうちに落ちたんだろ、きっと楽しい幻覚見てたんだろうよ。こう、今までの嫌なことが吹っ飛んじゃうような、な」
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