laughter
ああ、また嫌な時期が来た。それは、靴の中に、今日雪溶けの水が入り込む不快さと、ぐちゃぐちゃになった路面が足に与えてくる重さから来るだけではない。
「ハル、えらいよね。結局ナマ足のままだったもんね」
ひざより少し短いスカートに学校用の紺色のジャージを履いたユミがそう話しかけてくる。別にえらいとかそういうのじゃなくて、寒さに弱くないからジャージとか毎日履いていくの面倒くさいし、別に制服もズボンにでもしてくれれば楽なんだけど、適当に話を合わせるように「まあね」としておいた。始業のチャイムが鳴り、先生が入ってくると、いつものように教室中が立ち上がり、礼をする。いつものように、週五日繰り返される行為。まるで私たちはこの瞬間だけ、どっかが作った人型ロボットになったみたいだった。椅子を引いたり戻したりした音の余韻がまだ残る中、担任がいつものように左手で軽く髪と眼鏡を整えるように抑えてから挨拶を始める。
「さて今日が何の日かはわかっていますね」
ああ、来た。私はその言葉を聞くと、寝ていると注意されない程度に顔を下げた。この時期はいつものことだ。
「もう6年前になるんですね。3月11日、東日本大震災があった日です」
私は右手で自分の口を抑えた。決してあの頃を思い出して神妙な気持ちになっているなんてことはない。口元の緩みを見せないためだ。
「私は、あの日も授業をしていましたが、いつにもなく長い揺れだったことと、授業が終わった後に戻った職員室で、他の先生がテレビを見ながら大騒ぎしていたのを覚えています」
ダメだ。きっともう表情にも出ている。私は必死に目が笑っているように見えないよう細めながら周囲に目をやる。クラスメイトは退屈そうに自分の手を見ていたり、机の下にスマホをそっと隠している人もそれなりにいるが、普段のホームルームとは比べ物にならないほど真剣に話を聞いていた。普段はバイトのむかつく先輩の話しかしないようなアズミも、口を真一文字にして妙に神妙な面持ちで担任の方を見ていた。これ以上見ていたら。私はそう思って目を閉じ、できるだけ話を聞かないようにした。他のクラスでも同じような話をしているのだろう。静かすぎる教室に何人かの担任の声が響き、それを声と認識しないように必死に抵抗していた。
震災の日、まだ小学6年生で、中学校に進学する準備をしていた私も、さっき担任が言った長い揺れのことは印象深い。札幌市は震度2というのも覚えている。そのあと、そう、当時はスマホなんて持ってなかったからテレビで見た津波や、増えていく死者の数に怯え眠れなくて、同じように眠れなかったのであろう両親と居間にいたことを覚えている。そういえばあのころ住んでいた家は、まだテレビが小さくて正方形だった。確かデジアナ変換とかいうことをしてテレビを見ているとか言っていた。当時はちゃんとはわかっていなかったけれども、原発が事故を起こして、逃げなければいけない人がいたり、北海道にも原発があるけどどうしよう、東北の食べ物って食べていいのかしらみたいなことを、それまで世の中のことなんて殆ど話すことのなかった両親が話し合っているのを何度か見るようにもなった。とはいえそれも2、3ヶ月だけで、それ以降は普段通りに戻っていたと思う。
震災が起きてからちょうど一年経った3月。それまで普通に過ごしていた同級生や、たまに地震や原発事故のことを思い出したように流していた程度だったテレビが、思い出したかのように震災の話を始めた。学校の募金箱には100円玉や50円玉が増え、テレビではたまに見ているバラエティ番組が中止になって、被災地の様子をずっと写す特別番組が各局で流れていた。小学校の頃からアニメの話と馬鹿なことしか言ってなかったユリエが「一年経ったけど被災者ってまだ仮設住宅から出られてないんだって。政府の怠慢だよね」と言い出してきた時、ユリエが一年経っても相変わらず制服が似合っていないことと、いかにもニュースでやっていたことをそのまま言ってきたとしか思えない言葉に思わず吹き出してしまった。
「ちょっと、何笑ってるのよ。被災者がかわいそうじゃないの」
私はその言葉に、今自分が世の中的によしとされるはずもないことをしたことに気づき、口を抑え、
「ちょっと違うこと思い出しちゃって」
と言葉を濁した。それから、毎年3月になると急に震災のことを話しだす人を見るたび、面白くなって笑いそうになってしまうのだ。突然おつりを募金する同級生、数カ月後にはどうせなくなる水の備蓄を買う親、どう考えても普段語ってない政治の話を急にしだす地下鉄のサラリーマン、命の大切さを語りだすお笑い芸人、この時期になると現れる光景。それが、どうしても本気で考えているようには見えなくて、クリスマスやハロウィンのように、あるいは台本通りのセリフを言っている、この時期に合わせた芝居、あるいは人型ロボットにそういうプログラムが組み込まれたかのように見えてしまって、どうしても面白くなってしまう。もちろん、人がたくさん死んでいることだし、この時期はみんなどこかでテンションが高くなっているから、そんなことで笑うというのは不謹慎だと言われ責められるだろう。だから雪まつりが終わって、少し溶け始めた雪と、卒業式とか受験の話がニュースを賑わすようになると、ああ、また必死で笑いを我慢する日々がやってくるのかと憂鬱になっていた。
今日もそんな日だった。一時間目の生物の先生は特に脈絡もなく避難者いじめの話をして、放射能を恐れる必要はないという話を始め、次の古文の先生は原発なんていらないのにと一言もらした。アキエが両方の言葉に大きくうなづいているのに耐えられなくなり、一度トイレへ逃げた。三時間目、体育で普段他人のことなんて何も心配していなさそうな柔道部の顧問が「震災で亡くなった子供だっていっぱいいるんだから、生きてるお前たちは一生懸命やらなきゃダメだろ」と言うのに三人ぐらいが大きな声で「はい!」と答えたところで限界が来て、体調が悪いと嘘をついて保健室へ行き、早退させてもらった。保健室の先生に「ちょっと」というと、勝手に生理だとでも思ったのだろう、簡単に早退の許可を出してもらった。
外へ出ると、陽気で朝以上に増した雪解け水を避けるように歩道の端を歩きながら学校の前のバス停へ行くとスマホを開く。これが失敗だった。タイムラインには「この投稿をシェアした人一人につき100円が寄付されます」とか「あの日のことを忘れてはいけない、今日は必ず黙祷を」などの言葉が、去年ほどではないもののまだまだ飛んでいて、慌てて画面から目を離す。まるで突然はやりの一発ギャグを見せられた気分だし、そんなに大切なことなら毎日とは言わなくてももう少し頻繁に考えなきゃいけないんじゃないの、とも思えてくる。昨日のテレビの言葉が頭によぎった。なかなかかっこいいアナウンサーが「死者15894人、行方不明者2562人、しかし、これはただの数字ではありません。一人一人の人生に、命に、しっかり向き合うことで、本当の意味での追悼ができるのではないでしょうか」と、まっすぐカメラを見て語りかけてくるのに、吹き出しそうになったのだ。私は、もう一度スマホを開き、さっき黙祷を訴えていた人の過去の投稿を読んでみる。
「歩きタバコのやつとか死ねばいいのに」
「いじめやってるやつ、やってたやつなんてどうなってもいいよ。それまで被害者にしてきたこと考えたら当然のことだろ」
震災で死んだ人の中にも、歩きタバコしていた人も、いじめをしていた人もいるだろう。きっと、みんなが「死ね」と思うような人があの震災でいっぱい死んでいるはずだ。一人一人に向き合ったら、きっと「こいつの冥福は祈りたくない」「こいつはむしろ死んでよかった」って思うような人間が、残念だけど結構いるはずだ。死んだ人も、死を悲しむ人もみんな人間なのだから。ただの数字になったからこそ、きっとみんながみんなに冥福を祈れるんだろうと思う。きっとこんなことを友人に言ったら「最低」とか言われるんだろう。
当たり前のように15分遅れで来たバスに乗り、家の前の停留所で降りる。バスの中は殆ど人がいなかったのと、イヤホンでどうでもいいyoutubeの動画を流していたので震災の話など全く聞こえなかったのが救いだった。私はエレベーターで家のある3階ではなくて最上階である6階へ向かうと、住人がいないのを確認してから非常階段の方へと出た。さっきまで吹いていなかった風が吹き始めたようで、寒さが得意とはいえさすがに少し脚が寒い。家でズボンに履き替えてくればよかったかなと思いつつ、屋上へ向かう階段の柵を開ける。この階段は影になっているのにすでにほとんど雪が溶けていて、足跡が残らないことに安心して階段を登っていく。
この屋上に登って一人で過ごすのが好きだ。考えてみれば初めて登ったのは4年前の3月11日だった。初めて登った日、何もない屋上になぜか椅子がひとつだけ置いてあって、雪をはらって、ハンカチをそこに乗せて座って過ごしたのを覚えている。今日もハンカチと、紅茶とお菓子を持っているので、しばらく、できれば3時ぐらいまでここで過ごそうかななんて考えていると、屋上に人の姿が見えた。それはベージュのダッフルコートに黒いズボンを履いた女性で、帽子からはみ出て肩にかかる黒髪が風が柔らかく揺らぐ姿が美しく、一見して自分より大人だとわかった。彼女から目が離せず足を止めていると、
「あれ?ここの人?」
と、少し低めだが美しく通る声が聞こえた。
「は、はい」
と返すと、
「そっか、あなたが使ってたんだ、これ」
と彼女は笑った。その表情には同級生のような無邪気さが感じられた。
「あなたも、ここの人なんですか」
「昔ね、住んでたんだ。大学の頃まで」
「あ、そうなんですか」
「ほらほら、そんなとこにいないで」
彼女のその言葉に私はまだ自分が登り階段の途中にいることに気づき、慌てて小走りで階段を登ろうとして、残り一段で軽く足を滑らせて、なんとか踏ん張った。彼女はそれを見るとまた笑って、
「やっぱり元気ね、女子高生って。私もそんな感じだったかな」
「その椅子は、あなたが置いたんですか」
私は恥ずかしい気持ちを振り切るように小走りで階段を登り切りつつ彼女に問うた。彼女は立ち上がり、話しかけてくる。
「うん、そう、ちょうどあなたぐらいの時ね。なんか一人になりたくてさ」
「わかります。私もそんな感じで」
「私は親と喧嘩した時が最初だったかな」
「私は」
とまで言って、言葉を止めた。屋上は風が少し強くて、その音が二人の間を抜けていった。
「なんか色々あったのね」
「あ、いや、その、嫌だったんです」
「なにが」
「その、震災が、っていうか震災の日に震災の話をするみんなが」
と口を突いた瞬間、はっとして口を閉じた。まずい。こんなこと言ったらおかしいと思われる。しかし彼女はゆっくりうなづいた。そこで初めて、彼女のきれいな二重瞼で見開かれた瞳の美しさに気がついた。
「ああ、そうか、今日ね」
「変に、感じませんか」
「いや、素直に言うと、どういうことかわからないんだよね」
「あ、すいません」
「ううん、でも、きっと、それって言いづらいんじゃない」
「あ、え、はい、そうです」
「だろうね、やっぱ、震災の日って、なんか特殊だもんね」
「そ、そうなんです」
その一言で堰をきったように、私は二歩ほど彼女に近づいて、今日一日考えていたことを吐露していた。多分つばが飛んでいたと思うし、もしかしたら涙が滲んていたかもしれない。その間、彼女は真顔と笑顔を交えながら何度もうなづいてくれた。気がつくと、喉がカラカラになっていて、古文の先生の話をもう三回していることに気づいた。
「あ、す、すいません」
「ううん、いいよ、全然」
彼女はそう言いながら蓋つきの缶コーヒーをかばんから取り出した。私もそれを見て紅茶を取り出し、半分ぐらい一気に飲む。
「私、変ですよね」
「うーん」
彼女は少し大げさに悩みながら下を向き、そして笑顔に戻る。
「ま、いいんじゃない」
「え、そうですか」
「色々な考えがあるっていいじゃない。私は、そういう日だけでも震災のことを思うって悪いことだとは思わないけど、なんか、思わなきゃいけない感に追われてるっていうか、私もちょっと息苦しいぐらいに思うことはあるし」
「あ、よかった」
その言葉を聞くと私はすっかり安心し、へたりこんだ。臀部に冷たさを感じたことでそのことに気づき、慌てて腰を浮かす。彼女はそれを見て、目配せをする。私はおじぎして椅子にハンカチを敷いて、腰掛ける。
「話したら、ちょっとは楽になったかな」
「あ、ありがとうございます」
「よかったよかった、こういう、知らない人にだからこそ、言えることもあるしね」
「は、はい」
「でも、」
彼女はそうすると先ほどと同じ無邪気な笑顔をまた見せた。
「友達とか家族には、言わないほうがいいかもね。あとネットとか絶対ダメ」
「やっぱ、そうですよね」
「うん、あ、そういえば」
彼女は、腕時計を確認する。
「そろそろ時間だね」
その言葉に私もスマホの時計を見ると、2時45分、あと1分で震災になった時間だ。
「きっと、さっきの体育の先生だっけ、黙祷の準備でもしてるんじゃないかな」
「あ、そうですね。なんか整列とかさせてそう。てか去年させてました」
そんなやりとりをしながら、私は笑った。
「笑顔かわいいね」
彼女の言葉に少し照れながら、また笑った。我慢しないでこんなに笑ったのは、久しぶりだった。
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