今日もあの雲の下で

 名前を呼ばれたことに驚いて振り向くと、見知らぬ男がいた。その男は丸い眼鏡と短めの黒髪をしていて、人の良さそうな人物には見えるが正直誰だか全くわからない。今日は久しぶりに地元に帰ってきているし、昔の同級生かと思い頭の中で卒業アルバムに映るクラスメイトを思い出そうとしていると、


「あ、私のことは知らなくて当然ですよ」


と男が返事する。私はその言葉に声もあげられずにいると、


「カフェモカでお待ちのお客様」


と言う女性店員の声が聞こえた。学生時代の頃にはなかったこのエキナカのカフェには客が自分以外にはこの見知らぬ男しかいない。立ち上がりそれを取りに行こうとすると、


「あ、いいですよ」


と言いながら男は私を制し、私が頼んだカフェモカをカウンターへ取りに行く。とても異常な状況だが、私はこの全く理解ができない状況に何もできず、男の安物のスーツをまとった背中を見ていた。男は店員からカフェモカを受け取ると、


「あ、砂糖とかミルクとかどうしますかね」


とまるでそうするのが当たり前であるかのように聞いてくる、私はそこでやっと


「あ、いいです」


と口を開くことができた。しかしどう考えても今言うことはそんなことではないと、抗議の言葉を言い直そうとしているうちに男は私のカフェモカを持ってきた。私はやっとそこで、


「てか、何なんですか」


と男に問いかけることができた。その質問は男にとっては予想通りのものだったのだろう、特に意に介すことなく私と向かい合わせに座り、少しネクタイを触りながら言葉を続けた。


「ああ、すいません。今日はビジネスなんです」


その言葉を聞いて、私はすぐに、


「あ、そういうのいいです」


と言って右手でそれ以上の言葉を遮ろうとした。カフェとかで詐欺商法の売り込みする人って本当にいるのかと思いと、男はその思いを察したように薄笑いを浮かべた。


「ああ、違うんですよ。あなたから何かお金をまきあげてやろうってことじゃないんです。これはすでに行われているビジネスで、そのことについてあなたにお礼を言いに来たのです」


 もちろんその言葉は全く理解できなかった。全く知らない人からビジネスのお礼と言われても、自分は普通の学生だし、特に何か自分を使ってビジネスができるとは思えない。と同時に私も好奇心のある方なので、いったいそれがどういうことか知りたくなった。とりあえずカフェモカを一口飲む。男はそれを見て安心した表情を浮かべた。


「いきなり困りますよね、最初から説明させてもらいますね」


 店には相変わらず客は二人しかない。女性店員がちょっとだけこちらを見ていた。話の内容が気になっているのか、あるいは向かいの男が何も頼んでいないのを訝しんでいるのかもしれない。


「えっと、クラウドファウンディングというものはご存知ですか?」


男は突然そう切り出してきた。


「あ、ええ、聞いたことはあります。一般人からお金集めてなんかするみたいなやつですよね」

「そうですそうです。それで収益があれば出資金が帰ってくるみたいなシステムですね。最近ではそれで作られた映画がヒットして話題になりましたね」

 その話には覚えがあった。きっとネットのニュースか何かで読んだのだろう。私はもう一口カフェモカに口をつけた。


「で、それがなんだっていうのですか」

「それです、実が私がこうやってあなたに会えたのもクラウドファウンディングなんですよ」

「え、それはつまりどうい」


 そう言おうとしたところまでだった。私は急激に眠気に襲われた。それを見て男は予想外の表情をしているように見えた。話の続きを聞こうとする私の意志とは裏腹に意識は断片的となり、カフェの明かりと内装の色、そして男の安物のスーツの黒が渾然一体となり、多分私はそこで話を続けようと何かを言ったはずなのだがもはやそれが何かさえ認識することもできなかった。




 男は眠りこける相手を見て、すぐにカウンターの方を見る。


「なんだ、あなたもですか。そういえばおかしいですものね。こんな時間にガラガラなんて」


 その言葉に、女性店員はいたずらっぽく入り口の方を指差すと、そこには看板があった。おそらくは「CLOSED」とでも出ているのだろう。


「どうしましょう。こういう場合、折半なんですかね」

「あとで規約見てみるけどそうじゃないかしら。今日は暫く私以外の店員は来ないし、とりあえず彼はバックヤードにでも置いて、それから考えましょう」

「ええ、しかし彼もかわいそうに、と言っても殺すのは私達なんですが」


 二人がそれを見たのは、本当に偶然というしかない。クラウドファウンディングを募集するサイトというのは世界中にあるが、こんなものは当然表立って公開されているわけではない。


「○○○○を殺すための賞金をクラウドファウンディングで募集し、目標額に達成いたしました。つきましてはこの賞金と引き換えに○○○○を殺してくれる人を募集しています」


 男は当然最初はジョークか詐欺だろうと思ったが、面白半分で責任者にアクセスをしてみると、その男が過去にしたいじめのことを切々と語りだし、これは本気だろうと感じ、自分も金銭的に辛かったことからやることにしたのだった。そう連絡すると予算の中から50万円が送られた。もちろんこれを持って逃げることも考えたが、前払いだけでこれだけもらえるということは実際にはもっと高額な賞金が送られるのだろうと思い、これで彼の居場所を探し、殺害のためのナイフやシアン化合物を手に入れ、今日に至ったのである。


「まここまでされるってことは、よっぽどひどいことしたんでしょうね、この人」

「なんでその人は自分で直接手を下さないんでしょう」

「ああ、なんか家族の関係で外国に住んでるみたいよ。だから海外のサーバーとか使ってうまくセキュリティ守ってるとか言ってたけど、まあ定かじゃないわね」

「そうですか、で、そちらは眠らせた後どうしようと思ってたんです」

「ほら、規約にあったじゃない。殺す様子を動画に取ってくださいって。その動画をどこかで売ってその収益でうまくいけば出資者に返せるかもしれないって」

「ああ、ありましたね、そんなことありえないだろうって思ってましたが」

「だって、殺して欲しいっていうのにこんだけ出資する人がいて、実際にこうやって二人も実際にやろうとしているのよ、殺人ビデオ買ってキャッキャ言う人がいてもおかしくないじゃない」

「それもそうですね。それにしても一体どんな人が出資してたんでしょうね」

「もしかしたら他にも結構いじめてたのかもしれないけど、きっと多いのは関係ない人よ。自分がされた他のいじめを思い出してこれに感情移入した人とか、あとは、そうね、なんとなく、自分のちょっとした行為で人の運命を操れるのが面白そうって思ったんじゃない」

「人一人殺せるのがですか」

「それだけじゃないじゃない。これから殺されるこの人だけじゃなくて、この依頼主の人生だって絶対おかしくなるし、出資した人だって、本当に殺されたって知ったら何人かはおかしくなっちゃうでしょ。何より、私達はこれから殺人者になるんだから。あ、そうだ」

彼女は急に気づいたように、笑顔を見せた。

「何か、飲む?大丈夫よ、薬なんていれないから。私だって一人で殺すより二人で殺すほうがいいわ。動画取るのも楽そうだし、色々できそうじゃない」

 彼女がそういうと、男はさっき運ぶときにおいしそうだったカフェモカを頼んだ。自分が思った以上に落ち着いていることに、男はその時初めて驚いた。

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