あなたの遺伝子

 テレビのニュースが、DNA検査で子どもの父親が自分かどうかを調べる夫が増えているという特集を流している。前に見たネットの記事によれば、あらゆる生物は自らの遺伝子を残そうとプログラムされているというから、確かにその子どもが自分のDNAを継いでいるかどうかというのは、本能に根付いた重要事項のは間違いないのだろう。かく言う俺も、自分の遺伝子を残している。今も、フォトフレームに入った自分のDNAを継いだ子どもの写真を見ているのだ。最近なら、こういう写真をSNSにあげて、友人のいいねをもらうこともあるだろうが、俺はそんなことはしない。それが約束だからだ。子どもはもう2歳だ。やはりこう見ると、心なしか俺に似ているように感じる。ただし、この子どもにはほとんど会ったことがない。戸籍上も、この子は俺の親ではない。ただ、俺の遺伝子を継いでいるというだけだ。それでも、この子どもは確かにいて、俺という人間が、確かにこの世界に存在したことの証である遺伝子を未来へとつなげてくれる。そう思うだけで、心の一部、長い人生で埋まらなかった寂しさに、まるで生まれてすぐに、母の腕に抱かれた時と同じ温もりが流れ込んでくるような、そんな嬉しい気持ちになれるのだ。 

 世の中には色々な考えの人間がいる。俺のように遺伝子さえつながっていることがわかればそれだけで嬉しい人間もいれば、遺伝子はどうでもいいから、子どもを育てる喜びを感じたいと考える人間もいる。とはいえどちらにしても多くの場合は結婚なりなんなりをして子どもを授かることでその願いを叶えるのだが、中には子どもを授かることが身体的な理由や、経済的な理由から難しいこともある。そもそも俺のように結婚相手も恋人も見つけられない人間も珍しくない。不妊治療というのも相当なお金がかかる。そこで、俺のように自分の遺伝子を残したい人と、写真の中でこの子どもを抱いている中年夫婦のように子どもをとにかく授かりたい人をマッチングし、俺の精子と誰か知らないが同じように遺伝子を残したい女性の卵子を受精させた子どもを、他の夫婦に育ててもらうという新しいサービスの実験が始まったのだ。俺はこの試験運用の3例目ということらしい。

 俺と誰だか知らない女性は遺伝子を残せる。

 長く不妊治療をしていたこの中年夫婦はこの子の両親となることで子育ての喜びを感じられるのだ。

 もちろんこれだけでは中年夫婦の負担が大きすぎるので、俺と女性はこの子が16歳になるまで月1万5000円、育児費用としてこの男女に振り込むことになっている。そのかわり彼らからは日々の様子と写真やちょっとした文書での報告、ときには動画のついたメールが送られてくる。もちろん月1万5000円というのは軽くない負担だが、実際に子どもを育てることを考えれば、受け入れられる負担ではある。俺は35歳だが正直給料も少なく、相手を見つけることもできないので子どもを作るのはほぼ諦めていた。職場の同僚にこの始まったばかりだというサービスをSNSで見たと教えてもらい、これくらいの負担なら何とかなるだろうと思ったのだ。指定された小さい医院で精子を提供し、約11月後に産まれて一月になる子どもの写真が送られてきた。「未熟児だったため病院でのケアに時間がかかり、連絡が遅れてしまいました」

という詫び状がついていた。実際に精子を提供してからその写真が届くまで、俺はずっと落ち着かない日々を過ごしていた。サービスを教えてもらった同僚はあくまで教えてくれただけで利用してはいないので周りに先例もいないし、病院で説明を受けた際に、「これはまだ試験段階なので、他の人に言わないでください。場合によっては契約違反となる場合があります」と言われたので、家族や他の友人にも伝えることができなかった。なので、

「こんなことをしても自分が育てるわけじゃないのに」

「もし万が一今後俺が結婚して子どもができたらその時もお金を払いつづけるのか」

などという疑問や、そもそも、精子を提供するだけで子どもが勝手に生まれるということの現実離れした近未来感も、俺に見えないところで密かに物事が進んでいることに対して漠然と抱いている不安も、誰かと共有することもできないまま、その日を迎えたのである。急いでいたのだろう、その封筒は速達で届いた。厳重にしようと思ったようで、写真は二重にされた茶封筒の中に入っていた。その中に写っている子どもを見たとき、まだその子どもの顔はくしゃくしゃで、正直俺に似ているとか全く思えなかった。それでもその写真を見た瞬間、両親の顔や自らの少年時代が思い出され、この、撮影がうまくいかなかったのだろうか、しかめ面をしている赤ん坊が不思議なことにすごく愛おしく感じられた。それ以来、毎月、振込をし続けている。最初は大変だろうなと思ったが、自分にも子どもがいるんだと思うと、たばこやパチンコに使う金額を多少減らすのは意外と簡単で、ニュースで出てくるような、育児放棄をしたりパチンコ屋の駐車場に子どもを置き去りにする親とはいったいなんなんだと思うほどであった。とはいえ、それは自分が育児をしていないからであり、家庭の場で子どもと直接向き合うというのはそれだけ大変なのだと思うようにもなり、だからこそ俺の遺伝子を継いだ子どもを育ててくれるあの夫妻にはちゃんとお金を振り込もうと心に決めた。そういえば、自分の子どもの写真を見てしばらくすると、「優しくなった」と同僚に言われるようになった気がする。

 二度ほど会わせてもらった。子どもは元気に泣く子でとてもかわいいし、子どもを抱きしめながらやってきたこの中年男女もとても優しくてユーモアもあり、きっとこの人たちなら俺の遺伝子を継いだ子どもを立派に育ててくれるだろうと信じることができた。特に、「あなたの子でもあるのですから」と子どもを抱かせてもらった瞬間、赤ん坊独特のあの匂いがふわっと漂ってきて、その匂いと笑顔が相まって、思わず涙してしまった。夫婦に察されることがないようすっとぬぐいながら、まあ、実際には気づいていたに違いないだろうけれども、写真を見て感じていた温もりが、さらに心全体にじわっと広がっていった。その時「この子を自分で育てたい」と頭によぎったのも確かであるけど、現実的に考えて、この夫婦に育てられた方が子どもにも幸福であるだろうと思い、その気持ちは、涙ごとぬぐうことにした。子どもなんて夢のまた夢だと思っていた俺が、こんな思いを味わえるなんて思っていなかったから、このサービスの試験に入れたことは、今では嬉しさしかない。その時撮った写真を、フォトフレームに入れている。


 ニュースのDNA検査の話は、何人かの男の悲喜こもごもを適当なBGMで演出しながら、「他人事ではないかもしれない」という月並みな結論を出して終わった。ニュースを読む女子アナが、涙ぶくろをぷっくりさせた自分好みの顔とおそらくDカップはあるであろうスタイルをテレビ越しに晒しているのを見ながら、「ああ、俺と遺伝子を交わした女が、こんな感じだったらいいな」などと馬鹿なことを思っていると、「次のニュースです」という女子アナの穏やかだが色気のある声がスピーカーから流れる。

 テレビに写った男女には見覚えがあった。俺はフォトフレームを見直す。そう、俺の子どもを育ててくれている夫婦が、画面に映ったのだ。



「提供された卵子と精子を人工授精させて遺伝子を受け継いだ子どもを育てるサービスのテストをしていると偽り、育児支援金として現金をだまし取っていた夫妻と、それに協力していた医院の院長が逮捕されました。調べによるとこの夫妻は、『人工授精を行いあなたの遺伝子を受け継いだ子どもを育てるサービスの試験を行っている』として、複数の男女に医院で精子と卵子を提供させていました。しかし、実際には人工授精などは行うことはなく、この夫妻自らの子どもを被害者の卵子と精子を人工受精させた子どもだと偽り、その子どもの写真を送ったり実際に会わせるなどして信じさせ、合計12人の人間から育児支援金をだまし取っていたという容疑にかけられています。また、嘘のサービスを信じさせるため医院で卵子と精子の採取を行っているかのように見せかけ、だまし取った現金の一部を受け取っていた院長も逮捕されました。夫妻と院長は「間違いない」と容疑を認め、「似ているはずがないのに、勝手に自分に似ていると思い込んでくれた」などと供述しているということです」

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