キャンペーン

 「え、すいません、もう一回言ってください」

 「だから、脱出ルートを少し遠回りしてくれ」


 消火器から吹き出した二酸化炭素が彼らの脱出用宇宙船までのルートを切り開きつつある中、地球からの音声に宇宙飛行士たちは耳を疑った。


 「でも、もうここを直進すれば脱出船モジュールですよ」

 「そこを右折して、実験棟を通ってくれ」

 「何かを回収した方がいいんですか」

 「いや、通り過ぎるだけでいい」


 アメリカがスペースシャトルを終了させてから数十年、宇宙開発は国家から民間が主導する時代に移行していた。国家という縛りから開放されることにより、より自由で実益にかなう開発が期待されたが、すぐに多大すぎるコストという問題が出てきた。当初は官民共同のファンドが主に支援したり、小型宇宙船での宇宙旅行ビジネスで賄っていたが、それでも足りない場合、民間からスポンサーを募って補うという手法が開発されることになった。宇宙船の外壁や、宇宙ステーションの内部にスポンサー企業のバナーを貼ったり、ディスプレイに企業広告を流したりするのだ。最後のフロンティアとして世界的に注目が集まり続けている宇宙開発の分野は中継の視聴者も多く、発射の時に大写しになる外壁は宣伝効果が抜群であった。また、宇宙飛行士というのは毎日のようにネットやテレビの放送局に向けて会見や実験の中継を行う。その際に中継の背景に企業の広告を入れたりすることで安定する収入を得ることができるようになった。企業の方も、宇宙開発はビジネスであると共に社会貢献の意味合いがあるために、企業イメージを向上させるためにスポンサー参加する企業は多かったし、企業の幹部に宇宙が大好きな人間がいて、そういう人々の強い意向でスポンサーになる場合もあるという。


「それって、まさか、広告の前を通れとかじゃないですよね」

「いや、その通りだ。スポンサーがそれをしてくれれば、今後映像が使われた回数に応じてスポンサー料を積み増してくれるそうだ。もちろんこれは公にできる契約ではないが」

「何言ってるんですか」

「炎出てるんですよ」

「早く逃げないと」

「そうですよ、直進します」

「だめだ。管制塔の方で火災の広がりはシミュレーションができている。実験棟の方を少し遠回りしても問題なく脱出できる。曲がってくれ」

「でも、何かトラブルが起きたら危ないですよ」

「君たちはプロだ。対応してほしい」

「少しのスポンサー代と引き換えに危険を冒せと」

「少しなどと、簡単に言わないでくれ」

司令塔から、怒号混じりの声が届く。そんな間にも、彼らはその曲がり角へと迫っていた。

「この火災で我々が受ける損害は10億ドル単位では済まない。それを取り戻すには、少しでもスポンサー料が必要なんだ」

「まったく、いつも金、金、一番実験しやすい第二実験棟がスポンサーの広告が暗くてみづらいってことで、よりによって難易度が高くて注目を集めるものに限って第一実験棟使わさせられることばかり」

「民間企業である以上、それは避けられないんだ。夢を」

「実現するには現実が必要、でしょ」

「そうだ。さあ、時間がない、頼むよ」

「わかりました」

「私もそうするけど、今後のことは考えさせてもらいますね」

「すまない」

彼らはそこを右折し、全速力で第一実験棟を通った。そこにあるカメラが、彼らの脱出の様子と、それに重なる、彼らのメインスポンサーであるインスタント麺のリーディングカンパニーの新商品である「サムライの一杯 なでしこの一杯」のロゴを地球の至るところへと配信し続けていた。地球からの司令部の予測通りに彼らは間に合い、宇宙船で脱出した。脱出線の窓越しに、自分たちが過ごした宇宙ステーションが燃え上がり、剥がれた外壁や太陽電池パネルがスペースデブリとなっていく姿を見て、一人残らず涙を流したという。

 地球に帰った時の反響は絶大であった。彼らはまるで映画の主人公であるかのように英雄視された。宇宙飛行士たちの中で最も若かった24歳の女性が「もう一度宇宙に行きたい」と目をうるませながら言った映像は、彼女の容姿もあって何度も何度も各所のニュースで流され、それによって市民からも宇宙開発にさらなる公的な予算を出すべきだという声が強まり、この事故を検証し、本当に民間の宇宙開発にこれ以上公的な予算を出していいのか、少なくとも民間企業の宇宙開発を管理する機関を再編してから次の宇宙開発の許可を出すべきではという声は各国で押しつぶされた。

 スポンサーの動きも速かった。女性歌手の荘厳な歌が流れる中、火災を起こす前の宇宙ステーションの映像をバックに「dream again together」というテロップと、社名のロゴだけが流れる件のカップ麺会社のCMは反響を集め、脱出の映像に写っていた新製品「サムライの一杯 なでしこの一杯」も、売上の一部を宇宙開発企業に寄付するというキャンペーンもあって大人気となった。新聞社が、研究棟の主任研究者の妻が地球で泣いて帰りを待っているという記事の見出しに「サムライの脱出 なでしこの涙」とつけたのが一面に載っていたのも大きかっただろう。そうして、この企業は宇宙開発に貢献するというイメージと、大きな利益を手に入れたのです…そう、このように、この企業は宇宙開発という美名を隠れ蓑に、多大な暴利を貪っているのです。しかも、弱い立場である宇宙飛行士たちに危険を冒させてまで、自分たちの新製品の宣伝をさせようとしたのです。民間宇宙ステーションの内部情報は社外秘として隠されているため、このような遠回りが行われたことに誰も気づくことがなかったのです。これは、司令部やスポンサーであるあの企業への不満から退社を選択した、当時その宇宙ステーションに乗っていた宇宙飛行士の一人が勇気を出して私たちに告発してくれました。我が社は、この件を公にしなければなりません。これは、一社だけの問題ではありません。もはや世界全体、そして何よりインスタント麺業界全体の問題となっているのです。もしこれを放置してしまっては、いつかこの業界は、拝金主義に毒され、崩壊してしまう。その前に我が社が先頭に立って、膿を取り除かなければならないのです。それが、この業界の雄を自負する我が社の責任でもあります。我が社は世界第二位のインスタント麺の企業として、決して浮ついたことをせず地に足のついた業務を行っています。その思想が結集したのがこの世界同時発売となる新商品「new classic」になります。これは新時代のスタンダードとなるべく、麺、スープ、具、全てを見直し…。

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