申告書
ダンボールに入った紙の束が、2台の台車に載って倉庫に運ばれていく。大量のダンボールを今日一日運んでいたが、この作業もこれが最後だ。台車からたまにギィギィ音がして、すっかり古くなった役所の建物と悲しげに調和していた。
「こんな無意味な紙刷る金があったら、役所の修繕の足しにでもしてくれりゃあな」
二人の職員は軽口を叩きながら台車を押し、元は小会議室だった新倉庫のドアを開け、適当なところにダンボールを置く。この書類は二度とこの部屋を出ることはないだろう。
2024年度 生存理由申告書
(26498枚)
ダンボールにはそうラベルが貼られていた。
2019年度から、一年に一度、年度末の2月1日から3月30日までの間(31日は事務作業の関係で受け取ることができないということにしてある)に生存理由申告書を住民票のある自治体に提出することになっている。生存理由申告書は一般の書類と大差ない風体で、上部には記入日と氏名、そして国民識別番号(外国人の場合は入国者総合管理番号)を記入し、印を押す欄がある。下部に大きな記入欄があって、そこに自分が来年一年間生きる理由を書くのだ。字数は200字程度とされているが、厳密に制限があるわけでもない。この申告書は全住民に書いてもらうのだが、実際には内容はチェックされない。ただ名前の欄をチェックして提出のみを確認し、ダンボールに入れて、倉庫にしまいこむ。提出していない人がいれば一度だけ提出のお願いを送るが、それ以上何かをするということもない。6年間、ただそれが繰り返されてきた。そもそも、人々に年に一度自分の生きる理由を考えてもらうことで人生をより豊かにしてもらおうというのが法の趣旨であり、役所が確認すればプライバシーの侵害や検閲になると判断され、法律が提出される段階から職員による閲覧は禁ずるとされた。また、その時期に電子データの流出が続いたことから電子化もなされなかった。
「毎年毎年家族を理由に書くやつ多いな」
「まあ無難ですからね。みんないい子なんですよ」
「おい、お前はなんて書いたんだよ」
「何言ってるんですか、そんなの秘密ですよ」
「お前は他のやつの読んでるじゃないか」
「役得ってやつです、役得」
二人の職員はダンボールを開き申告書の束を片手で掴めるだけ掴むと、元は会議に使われていたがたつくパイプ椅子に腰掛け、パラパラと生存理由を読み始めた。本来は禁止されていることだが誰も咎めはしない。他の職員もあとで感想や、面白い理由がなかったかなどを聞きにくるのが現状だ。
「うわー、こいつ好きなアイドルがドームでライブやるまで死ねないとか書いてるよ。キモくないですか。それしかないのかよ、やったら死ぬのかよ。だったらやってくれよ」
「まあ、そう言うなよ。この『なんとなく』って書き続けて200字埋めてるよりましだろ」
「何人かいるんよすね、見ないって言われてるから好き放題書くやつ。去年なんて「私の彼を奪った女を殺すから殺すまで死ねません」なんて書いてる女いて焦りましたよ。確か、殺したい相手の実名も書いてあったんですよね。僕らが書類見てたのばれたらまずいから警察とかには言えませんでしたけど」
「で、殺したのか」
「いやー、ニュースにはならなかったし、警察にいる友人からもそういう話聞かないからやってないんだと思いますけど…」
「人騒がせだよな」
「読んでる僕たちが言うことじゃないですけどね」
「確かに」
「ハハハ、ちょっと見てください。これどうですか。」
「うわあ、『一度だけステーキ食べたいから』かよ。どんだけ貧しいんだよ。働けバカが」
彼らは悪びれたそぶりを見せながらさらに申告書をめくり続ける。もうすぐ昼休みだからそれまでにできるだけ読んでおいて、昼食時に同僚と話すネタにしようとしていた。昼食が終われば提出していない住民を確認し、お願いの手紙作成をしなければならない。こんな役に立たないもののために、本来の福祉課の仕事が遅れるのは嫌だが、まあ楽しいし、いいか。そんなことを考えながら、倉庫で二人は申告書に目を通し続けていた。
「こんなもの書けない書けない書けないだって、だって、私、だって、あ、わ、あああああ、ああ!ああ!書けない!ああ!!!」
2週間前、2階建てアパートの8号室、一人暮らしの女性が急に叫び暴れ、隣室の住人の通報を聞き駆けつけた警官により取り押さえられ精神病院に入院することになった。彼女の机には理由のところが黒い鉛筆でぐちゃぐちゃに塗りつぶされた生存理由申告書があったという。例年、申告書を記入する時期、精神病院へ緊急入院する人は急増する。
それから数日後、このアパートの2号室では、暖房も焚けず冷え切った居間で一人の高齢男性が首を吊っていた。彼はもう4年も家族と連絡が取れず、毎年減らされる年金を必死にやりくりしながら生きていた。居間のテーブルには理由記入欄に「ごめんなさい、もうありません」と弱弱しい字で書かれている報告書が置かれていた。
無意味というわけでも、ないのかもしれない。
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