第16話


「さよう、『赤の湯』じゃ」温泉亀がいった。

「道理でさっきから」効太郎が鼻をうごめかせた。「温泉鼻がヒクヒクしてると思ったよ」

「ウソつけ!」すかさず千歳が突っ込む。「調子のいいこというな!」

「いや本当本当。また洞窟の時みたいに迷惑かけるといけないから黙ってたんだ。僕はだんだん王族の本来の能力を取り戻しかけているのかもしれない」

「そうじゃ。そうに違いない。それでこそ間違いなく坊ちゃんじゃ」

 感慨深げに温泉亀がいった。

「あんたのお父上である御影山瞬太郎どのは、この秘境にあってどこにいても七つの秘湯の場所を驚異的な嗅覚で正確にいい当てなさったものじゃ。当時はいくつかの湯が土に埋もれて場所がわからんようになってしもうとったもんもあった。それを瞬太郎どのは地に眠る守り神とともによみがえらせてくださったのじゃ。わしら秘湯の守り神一同、瞬太郎どのの能力には舌を巻いたもんじゃ。ああこのお方はふつうの人間やない、聞けば地面の底からやって来られた温泉族の王だと仰せられる。地熱は温泉の母じゃ。以来わしらは瞬太郎どののことを恩人と思い、ここまで秘湯を守ってきたのじゃ。ところでご子息のあんたがどうしてここにやって来たのんじゃ。瞬太郎どのは今どないしておるんかの」

 そこで記憶を失っている効太郎のかわりに、千歳がくわしい説明を温泉亀に語って聞かせた。御影山瞬太郎は地底での覇権争いを避けるためにみずから王位を退いて地上に移ってきたのだと。この秘境で七つの秘湯を発見したのは純粋な温泉愛から来たものであろうと。

 ところが地底で煉獄一族が強権を振るうようになって、とうとう地上にまで勢力範囲を広げるべく侵攻を開始しはじめたのだと。敵を倒すには七つの秘湯につかって向かうところ敵なしの勇者になる必要があるのだと。御影山瞬太郎はその使命を次世代を担うひとり息子の効太郎に託したのだと。

 でもその当の効太郎は温泉旅館のボンクラ息子として何不自由なく育ったものだから、将来的に湯浴一族の長になるためにはますますよけいに勇者になれる七つの秘湯が必要なのだと。だから危険を顧みずこうしてこの秘境くんだりまで息子を遣わしたのだと。敵があとを追ってきているので事は急を要するのだと。

「わかった」温泉亀は力強くうなずいた。「要するに坊ちゃんはボンクラっちゅうことじゃな」

「あ、そこですか」効太郎は頭をかいた。「何せ記憶をなくしてるもので」

「私もなくしています」手を上げて鐘馬も自己を主張した。

「まあええわ。事情はようわかったのじゃ。ほかならん坊ちゃんのためやったらわしも力を貸すにやぶやかではないのんじゃ」

「ありがとう、亀おじいさん」千歳が満面に笑みを浮かべて礼をいった。

「そこのほれ、地割れを降りていったら『赤の湯』があるのんじゃ」

「七つすべてに入らないと効果は表れないんでしたよね」千歳が念のために確認を取る。

「そうじゃ」温泉神がうなずく。

「聞いた?」ふたりの男を千歳は交互に見て「だから急がないといけないってわけよ。さっさとつかって赤の温泉玉を取っちゃいましょう」

 そういってからあわてて温泉亀のほうを向くと、「もちろんあとでちゃんと返しに来るからね」とフォローを入れるのを忘れなかった。

「……でも、底まで降りていけるんですか?」

「湯気で視界がゼロね」

「何いうとる。そうそうお手軽に秘湯に入れると思うなよ。道のりが険しいからこそ秘湯なんじゃ」

「確かに」納得したように効太郎がうなずいた。「じゃ、ここは跡取り王子の僕が率先して降りて行くことにするよ」

「へえ、効太郎にしては珍しいこというわね」千歳が感心したような顔をする。

「効太郎さん、さすがです」

「いやあ」効太郎は照れたように頭を掻いた。「どうやら王子みたいだからね、僕」

「みたいじゃなくて王子なの」

「……うーん、しかし僕が王子か。実感わかないな。早く記憶が戻らないかな」

「ほんとですよね」

「僕は結構偉かったんだね」

「ほんとですよね」

「ぜんぜん実感がないんだけどな、王子なんて」

「いやあ、効太郎さんは王子っぽいですよ」

「そうかな、王子っぽいかな」

「ぽいです」

「いやあ、僕が王子だなんて」

「さっさと行けよ!」

 業を煮やした千歳が怒鳴り出した。「のんびりしてる時間はないっていってっだろ!」

「はいはい行きますよ。……王子ってこんな扱いされるんだっけ?」

「早く行け!」

「……」効太郎は何かいおうとしたが、開いた口から結局言葉は出てこず、あきらめて地割れにそーっと片足を入れた。

 踏み込んだ瞬間にはもう足を踏み外しており、効太郎は声もあげずに地割れの底に吸い込まれていった。かと思うと、やがて湯の中に落ちるボチャンという音が千歳たちまで届いてきた。

「効太郎さん!」鐘馬が湯気だらけの地割れを覗く。

「……バカ」千歳は処置なしといった表情で首を振る。

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