第17話


 呆然と一連の様子を眺めていた温泉亀は、やがて感慨深げにポツリとつぶやいた。「……ほんまにボンクラ息子やったんじゃのぉ」


      ×     ×     × 


「いやあ、はははは」

『赤の湯』の中、効太郎は頭を掻きながら照れ隠しに笑っている。「失敗失敗」

 名前の通り地割れの底の湯は赤味を帯びており、何の成分が含まれているのかはわからないが、いかにも燃えるような勇者の強さが体に染み込んでいきそうな、そんな感じがした。

「それにしても、簡単に落ちていきましたね」

 鐘馬が『青の湯』の時と同じように効太郎のとなりで優しくほほえんでいる。

「落ちたなあ。まっさかさまだったよ」

「驚きましたよ」

「自分でも驚いた」

「でしょうね」

「下にお湯があってよかったよ」

「よかったですね」

「よかったよかった。しかもこの湯がもしも浅かったら頭を打って今頃は別の意味で『赤の湯』になるところだったんだからなあ」

「おっ、ブラックジョークですね」


 ハッハッハッハッハッハッ。


 いっぽう、ふたりから離れた岩陰で千歳はひとりで湯につかっていた。岩の上に衣服とデイパックが置かれてある。ふたりの男は全裸だったが、千歳は裸の上からバスタオルを巻いている。

「ったく、のんきなもんね」

 なかよく湯につかっているふたりを苦々しく陰から見ていた千歳だったが、ふとその表情を緩めたかと思うと、すでに手にしていた赤い温泉玉を見つめた。「……ほんとに神秘的な玉ね」

 しかし癒されていたのはほんの一瞬だけだった。

 何か右肩に違和感があった。

 見ると、いつのまにか一本の矢が突き刺さっていたのだ。

「……あれ? 何、これ」

 そう思ったのもつかのま、すぐに意識が薄れはじめてきた。

「毒……?」

 突き刺さりかたから判断して、どうやら斜め右上から飛んできたらしい。

 ここ『赤の湯』は地割れの底にあるので、見上げるような垂直の絶壁がはるか頭上まで突き立っている。

 千歳がうつろな視線でそちらの方向を見やると、地割れ崖の途中に数名の人影が張りついていて、そのうちのひとりが弓を構えているところだった。

 次の矢を放つつもりだ。

「煉獄……一族……」

 千歳は力尽きたように湯の中に頭を沈めた。

 間一髪、その上を矢が飛んできて、かたわらの湯に突っ込んでいった。

 効太郎と鐘馬はまだ気がついていない。お湯をかけ合いながら遊んでいる。

「効太郎さん、ふざけるのはやめてください」

 鐘馬が笑いながら自分もバシャバシャと効太郎にお湯をかけている。

「あっ」

 どこからか何かがすごいスピードで飛んできて、効太郎が思わずそれを掴んでいた。

 矢だ。

「効太郎さん……」

「……」

 効太郎はわれながら信じられないといった表情で、目をまん丸に剥きながら自分の掴んだ矢を見つめている。

 見ると、煉獄一味がいつのまにか千歳のいた岩陰まで降りてきていた。半身を湯に浸しながらこっちを見ている。

 五、六人はいる。土くれのような色の装束だ。

 ひとりが千歳のデイパックと赤い温泉玉を手にしており、別のひとりがすぐ間近から弓を構えている。

「危ないっ」

 ふたりは踊るように両手を大きく振り回しながら別々の方向に湯の中に潜っていった。 放たれた矢は空を切り、湯の縁の岩に当たってそのまま刺さり込んだ。

「……?」

 煉獄一味がキョロキョロと周囲を見回す。

 彼らの背後からザバッと飛び出してきた効太郎と鐘馬が全裸のまま敵に襲いかかった。

 鐘馬は弓を持った男をはがいじめにし、効太郎は千歳の鞄を取り返そうとして引っぱった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る