氷の魔女、宿場町で天使に逢う
鳥かごの天使
コメティア王国からフルール王国へ。
多少割高でも乗合馬車を使えば途中の宿場町は素通りできるはずだった。
けれど彗星の接近による混乱で――真冬の夜に外に出て星を見ていて風邪を引く人が大量発生したせいで――雪道の整備が遅れ、結局、プリュメの町で一泊せざるを得なくなった。
(……よりによってプリュメか……)
先に降りた乗客に踏み固められた雪を踏み、スリサズはマントの前をしっかりと合わせた。
故郷に程近いこの町には、過去にも何度か訪れている。
一度目は、幼い頃。
父に連れられて、父の友人に会いに。
その人は中年のシスターで、教会の孤児院を一人で切り盛りしていた。
教会の庭ではスリサズと年の近い子供達が走り回って遊んでいた。
一番年上のアンジェラは、みんなから離れた場所にぽつんと座って絵を描いていた。
アンジェラの背中には真っ白な翼がついていて、みんなはアンジェラを“天使ごっこばかりしている変わり者”と呼んでいた。
アンジェラは自分を本当の天使だと言い張って、シスター・ジルはその遊びに根気良く付き合ってあげている……ように見えた。
父との旅を何年も続け、近くを通る度にこの教会に立ち寄っているうちに、スリサズは、シスター・ジルのほうこそが夢見る乙女のように天使の存在を信じ切っていて、アンジェラはシスター・ジルに付き合っているだけだと気づいた。
(……変な子……としか、あの頃は思えなかった……)
それでもスリサズはアンジェラが気になって仕方がなくて、どうして飛べもしない羽をつけているのかと、しつこく訊いては逃げられていた。
この町の教会に最後に立ち寄ったのは、スリサズの父、ソーンの死の直後。
仇討ちのため、力をつけるために、魔法学校へ向かう途中だった。
シスター・ジルに、ソーンは天使になったのだと言われて、スリサズは無性に腹が立った。
同じ言葉を今聞けば、愛想笑いぐらいはできる。
だけどあの時は無理だった。
内側に棘の生えた布団を被っている時に、布団の上からどんなに優しく撫でられても、余計に棘が刺さるだけ。
撫でている人は棘の存在を感じていないのだと、思い知らされてしまうだけ。
そんなこんなでスリサズには、いつも通りに翼を担いだアンジェラの姿が不謹慎なものに見えて、ひどい言葉を浴びせてしまった。
魔法学校での生活にも慣れて、気持ちがいくぶん落ち着いてきた頃。
スリサズはアンジェラがあのタイミングであの姿を見せたのは彼女なりの気遣いだったのではないかと思いつき、手紙を書いたが返事はなかった。
それからさらに数年経って、授業で鳥人という種族の存在を知って堪らなく恥ずかしくなった。
アンジェラが飛ばなかったのは、まだ子供で、羽が生えそろっていなかったから。
鳥人の中のとある部族では、羽が白いと迫害されて、集落を追われることすらあるらしい。
だけどそれだけではスリサズの足はここまで重くはならない。
風のうわさ。
魔法学校を飛び出して冒険者家業を始めてからは、さまざまなうわさを耳にする。
いわゆる冒険者の酒場で、同業者の酒の肴のうわさ話を、スリサズはミルク片手にいくつも聞いた。
いわく、宿場町プリュメで美しい天使が檻に入れられて見世物にされている。
いわく、それは資金難の教会を救うためなので責められない。
いわく、たまたまそれを見た冒険者は、天使がニセモノであるとすぐに気づいたが、野暮だと思って黙っていた。
……数年後、話はエスカレートした。
いわく、シスターは法衣を何着も新調したのに、天使は穴だらけの服を着せられている。
いわく、自分が見た天使は裸同然の奇妙な格好をさせられていた。
いわく、実は天使の服は、天使が呪いを込めて自分の羽で織った布で作られている。
……スリサズの記憶の中のシスター・ジルは、そんな悪い人ではなかった。
……だけどあれから時は流れた。
……最近聞いたうわさはこうだ。
いわく、天使は醜い化け物に姿を変えて、自分を虐げたシスターを喰い殺した。
いわく、それでも天使は檻から出られず、教会の孤児達によってショーは引き継がれている。
いわく、そのショーは今夜も行われる……
呼び込みの声が聞こえる。
「さぁさ、みなさん、お立会い! 檻の中身は天使か悪魔か!」
雪の中でも町の広場には人だかりができていた。
スリサズがここに足を運ぶのには、それなりの決意が必要だった。
孤児院の子供達なのだろう、ある少年が笛を吹き、別の少年が檻にかけられた布を取り払った。
広場に歓声と悲鳴があふれた。
歌声が響く。
スリサズは、一度目を閉じ、また開けた。
記憶の中のアンジェラは、天使と見まごうほど美しい、鳥人の少女だった。
鳥かごのような形の檻。
その中に居たのは天使ではなかった。
美しくないと言ってしまうのは気が引けたが、醜いとうわさされるのは認めるしかなかった。
鳥人ではなかった。
少女でもなかった。
そもそもアンジェラではなかった。
衣服は、道化師がウェディング・ケーキに頭から突っ込んだかのようにゴテゴテしていて、ところどころにハート型の穴が開いて肌が露出している。
化粧は、南国の蝶のよう。
檻の中で自信満々で聖歌を歌い上げているのは、スリサズの記憶よりもいくぶん太った中年女性、シスター・ジルだった。
スリサズはポカンと口を開けた。
ショーが終わってから教会へ行くと、シスター・ジルは申し分のない法衣姿で迎えてくれた。
「アンジェラは去年、出ていったの。
教会のためにずいぶんがんばってくれたけれど、もう孤児院に居るような年ではないし、自分のために生きるべきですからね」
祭壇に手を合わすシスター・ジルは、服と体型の他は、昔と何も変わらなかった。
「都会でファッション・デザイナーをしているのよ。
さっきのステージ衣装はアンジェラの作品なの。
あの子は自分がショーに出ていた時も、自分で作った衣装を着ていたのよ。
面白いわよね、お化けの格好なんて」
「あ……はい……」
そういえばアンジェラは昔から奇抜な衣服の絵をたくさん描いていた。
「でもねぇ、なかなか世の中に認めてもらえなくて大変みたい。
私のショーが少しでもあの子の服の宣伝になるといいんだけどねぇ」
「そーですね」
言った後でスリサズは、服の宣伝になることと世の中に認められないことのどちらに対して相槌を打ったのか、自分でもわからなくなった。
お茶を入れながらシスターは言う。
「最近ね、教会にいらっしゃるかたが増えたのよ。
ほら、彗星? ソーンさんが研究していらしたわよね?
地上に落ちてくるんじゃないかって、みなさん怖がっちゃって。
大丈夫よね? 神様がお守りくださるし、ソーンさんも大丈夫だっておっしゃってましたものね」
「ええ。大丈夫よ」
スリサズは、今度は力強くうなずいた。
「そうならないためにあたしのパパは、しっかり準備をしてたんだから」
窓の外の彗星は、今宵もまた輝きを増していた。
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