第7話 女神の目覚め

 縦穴の入り口にロープがきちんと束ねられて置かれている。

 これは事故ではない。


 スリサズは、魔法で降りるのとどちらが早いかとっさに考え、ロープを掴んでいったん洞窟の外に出て、ロープの端を手頃な木の幹に縛りつけ、そのロープを伝って洞窟の底へと降りた。


 床には一面に透明な砂利が敷き詰められている。

 古くなって力を失った、炎の魔石の残骸だ。


 スリサズは自分の服の中から魔石を取り出した。

 こちらはまだ新しく、石の中心が燃えるようにオレンジ色に光っている。

 それをハロルドの服の中、太い血管の集まる腋の下と股の間に押し込む。


「ハロルド、しっかりして! ハロルド!」


 背負い袋から取り出したカップに、壁を流れる湧き水を溜め、湯沸し用の、豆粒のように小さいが濃い赤色をした魔石を放り込む。

 一瞬で湯気が上がる。

 しかし意識のない状態で飲ますのは危険なので何度も呼びかける。


 ハロルドがスリサズの手を握った。

「……ポーラ……」

「スリサズよ。覚えてる? 六年前に花畑村で一緒に遊んだの」


 手袋越しでもハロルドの手が冷え切っているのが感じられる。

 早く暖めてやりたいが、ここで急にマッサージなどすれば、体の末端の冷えた血液が心臓に一気に流れることになり、ショックで心臓が止まる恐れがある。


 軽度の低体温症でガタガタ震えているのであれば、どんな方法でもとにかく早く暖めれば良い。

 寒さで体が震えるのは、その動きで自ら熱を作り出すため。


 ハロルドはそんな力もないほどの深刻な状態。

 もどかしいが時間をかけて、体の中心からゆっくりと温まるのを待つしかない。



 ともあれようやくハロルドの意識が戻ってきたので、ハロルドの背中を抱いて上半身を起こさせ、カップを口もとに持っていってお湯を飲ませる。

 どうやら大丈夫そうだが、発見がもう少し遅ければ危なかった。


「ねえハロルド、何があったの? 怪我はしていないみたいだし、上からただ落っこちたってわけじゃないのよね?」

「……山道を歩いていたら……突然、変な男に襲われて……ナイフを突きつけられて……洞窟に連れ込まれて、ロープを下りろって……」


「男?」

「……たぶん……女の人にしては背が高かったから……」


「顔は?」

「……わからない……仮面をつけてた……それに声もまったく出さなかった……何が目的なのか……さっぱり……」


「どんな仮面?」

「……南方風の……儀式で使うような……」


(民芸品ね)

 スリサズは心の中でつぶやいた。


 男物のコート。

 背が高く見えるブーツ。

 謎の仮面。

 その全て、熊に食われた少女の遺品にあった。


「……そいつが……僕をここに閉じ込めて……そいつ、最初のうちは毎日ここに来ていた……穴の上から覗いて……僕の様子を見て……食べ物も……でも、ある日パタリと来なくなった……」


 穴の上でコロンが吠えた。


「……そうだ……コロン……コロンが助けてくれたんだ……あの男が来なくなってから、コロンが食べ物を運んでくれた……」


 スリサズの六年前の記憶では、コロンはポーラに良く懐いていた。

 おそらくコロンはポーラが洞窟に食料を運ぶのを見ていたのだろう。

 ポーラの真似をしていれば、ポーラにまた逢えると思っていたのかもしれない。




「……スリサズ……僕の鞄を見なかった……?」

「上にあった。持ってきたわ」

「……見せて……」

 ハロルドが鞄に手を伸ばしたが、手が震えてフタを開けられず、スリサズが代わりに開く。


「笛は無事よ」

「……他にも……大事なものが……」


 スリサズが鞄のポケットを調べると、魔力を帯びて光り輝く、不思議な封筒が出てきた。


「これ?」

「……違う……」


 鞄をひっくり返す。

 今度は小さな箱が出てきた。

 開けると指輪が入っていた。

 ハロルドが微笑んだ。


「これって、いったい誰に?」

「……去年の春の終わりに、ポーラに好きだって言われたんだ……本当は僕の方から言わなくちゃいけなかったのに……だから今度こそ僕から……」


 ポーラがハロルドに何をしたのか、そしてどうなったのか。

 スリサズの口から伝えることはできなかった。

 青年は指輪を抱きしめて目を閉じた。


「ハロルド!! 寝ちゃ駄目!! 寝ると体温が下がる!!」

「……笛……笛を……」


 スリサズが先ほどの笛を手に取ってハロルドの唇にあてがい、ハロルドの手袋を脱がせてその指を笛に添える。

 整わぬ息。

 押さえきれぬ音孔トーンホール

 弱々しいメロディーが流れる。


(ここから吹いても女神に届くの?)

 スリサズはハロルドの体を支えつつ、ポケットから父のレンズを引っ張り出して覗き込んだ。


 洞窟の隅、壁と床の境目ぐらいの辺りから、ニョキッとタケノコのように、人間の頭部のようなものが生えてきた。


「わひゃ!?」

 スリサズは思わず悲鳴を上げてしまって、そんな態度を取ってよい相手ではないと思い出し、取り繕うように慌てて頭を下げた。


 その存在は、肩、胸、腰と、徐々に上がって、やがて全身を現した。

 まるで墓から這い出すゾンビのような登場の仕方だが、しかしその全身は聖なる光に包まれ輝いている。


 山の女神は、寝過ぎで頭痛がするとでも言いたげな……

 不機嫌さの中にノンキさがただよう顔でスリサズとハロルドを交互に見やり……

 やがて鞄の横に出しっぱなしになっていた封筒に気がついて、嬉しそうに手に取った。


 女神の顔に笑みが広がるに連れて、洞窟の中が暖かくなってゆく。

 ハロルドが目を閉じて静かな寝息を立て始めたが、この温度なら大丈夫だろう。


 女神は軽く首を傾けてハロルドを気遣う様子を見せつつも、女神としての仕事の遅れに気がついたのか、フワリと宙に浮き上がり、洞窟の天井をすり抜けて外へ出て行った。


 どこからかチャポチャポと雪解け水が流れる音が華やかに響き始めた。

 花畑村に春が来たのだ。


 壁沿いの湧き水が、かさを増してしぶきを上げる。

 スリサズはハロルドの体が濡れないように、湧き水を魔法で凍らせてせき止めて、そのまま氷の形をいじって、外に出るための螺旋階段を作った。

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