第2話 嘆きに揺らぐ町
少し前にスリサズは、とある商隊に雇われた。
てっきり護衛の仕事だと思っていたのに、実際に任されたのは商品の鮮度管理で、魚臭い荷馬車の中に閉じこもって一定の時間置きに氷の呪文を延々と唱え続けるだけというものだった。
昼も夜も、他の人が寝ている時も、でこぼこ道で馬車が揺れまくっている時も休みなく……
だけど何より腹に据えかねたのは、商隊が山賊に襲われて護衛が戦っている時に、スリサズ一人だけお姫様扱いされて、馬車から出してさえもらえなかったことだった。
護衛班のリーダーは、スリサズにとって絶対に負けたくない炎魔法の使い手だったのに、彼に一方的に守られてしまった。
(あたしだって戦えるし、悪い奴をやっつけられるっ)
だからスリサズは商隊とは契約の延長をせず、かといって次の仕事のあてがあるわけでもなく、いわゆる冒険者の酒場でミルクを飲んだくれていたところ、店のマスターに、他言無用の仕事があると、ビレオを紹介されたのである。
足に新しい重りをつけて、海底を目指して沈んでいく。
見下ろす町に並ぶ家々は、巨大な巻き貝にドアと窓を取りつけて作られ、幻想的な独自の景色を描き上げている。
これが住人達の目には今、地上と同じ木や石の家にしか見えていないというのは、スリサズには何とも勿体なく思えた。
(そういえばさっき、町のちびっこ達に、騎士様に間違えられたのよね)
ふと、そんなことを思い出し、何だか誇らしいような気持ちがスリサズの中に湧いてきた。
(この町は、あたしが守る!)
揺れる海藻の街路樹の陰に隠れて、水底に降り立つ。
不意に気配を感じて振り返ると、おとなしそうな顔の人魚の少年が、海底に直立し、目を丸くしてスリサズを見ていた。
「天使さま……天空の騎士さま……?」
少年人魚の目には、スリサズが空から舞い降りてきたように見えたのだ。
(しまった!)
戸惑うスリサズに、少年人魚がすがりつく。
「天使さま、助けてください! ぼく、何だか……この町がヘンに思えて仕方ないんです! 何がおかしいのかわからないけど、何もかもがおかしくて……自分が自分じゃないみたいで……」
ヘルメットに仕込んだ集音の魔石が、変声期前の少年の声を拾い上げる。
海中でも、少年が泣いているのはわかった。
「キミ、もしかして……」
拡声の魔石がヘルメット内のスリサズの声を海中に送り出す。
泡がブクブクいうのが邪魔だが、呼吸の魔石は買えなかったので仕方ない。
「天使さま! ぼくは頭がヘンになってしまったのでしょうか? 毎日妙に息苦しいんです! ぼくは病気なのでしょうか!?」
「ううん、そんなことないわよ!」
スリサズは少年の両肩を掴んだ。
人魚と人間では年の取り方が異なるので、実際の年齢はスリサズよりも上かもしれないが、その顔は人間でいえば十歳ぐらいの子供に見える。
スリサズは、お姉さんとして、この子を落ち着かせてあげたいと思った。
「キミ、名前は?」
「ロッコです」
「ロッコ、聴いて。キミは本当は人魚なの」
「え……?」
「キミは人魚なの。それにここは海の中なのよ」
ゴボ………ッ!!
突然、ロッコが苦しみ出した。
「ロッコ! エラで呼吸して! キミは人魚なの!」
ゴボゴボガボ……
「ロッコ!!」
人魚は肺とエラの両方で呼吸できる。
ついさっきまでロッコは無意識でエラ呼吸をしていた。
しかし幻術が中途半端に解けた今、少年人魚は肺だけで呼吸をしようとしている。
「クッ!!」
スリサズは潜水服の重りを外し、ロッコを抱き抱えた。
すぐにでも海上に出て呼吸をさせてやりたいところだけれど、急な上昇による急激な水圧の変化は体に減圧症をもたらし、脳や内臓にダメージを与え、後遺症も残りうる。
スリサズは焦る気持ちをグッと抑えてヘルメットからホースを外し、ロッコの口元に持っていって酸素を吸わせようとしたが……
バシッ!
ロッコが暴れ、それがあることに本人が気づいてさえいない尾びれによって、ホースが弾き飛ばされてしまった。
「!」
砂が舞い上がり、ホースから溢れ出る泡が掻き回されて、上も下もわからなくなる。
(落ち着けあたし! ここでパニックになったら二人とも死ぬ! ホースはどこ!?)
バシッ!
ロッコのひれが、今度はスリサズの腹に入り、スリサズは意識を失った。
気がつくとスリサズは筏の上で寝かされて、その顔をビレオが覗き込んでいた。
「ロッコは?」
スリサズの問いにビレオは静かに首を横に振り、スリサズの目から涙がこぼれた。
こんなつもりではなかった。
スリサズはただ、本当のことをロッコに伝えただけだ。
自分の軽率さを呪った。
「これ以上の犠牲は出せん。脅迫者に従おう……」
苦々しくうめくビレオに、スリサズは黙ってうなずくしかできなかった。
もっと強い魔法使いを探して連れてこられれば、脅迫者の幻術を安全に破れるのかもしれないが、それでは脅迫者が指定した取り引きの時刻に間に合わない。
流れ者の何でも屋であるスリサズにこの仕事が回ってきたのは、ビレオが出先で脅迫状を受け取った時、たまたま同じ町に居たから。
(もともとあたしの手に負えるような事件じゃなかったんだ……)
スリサズは筏の隅に横たえられたロッコの亡骸を見つめた。
「スリサズ殿、わしの家へ行って、金庫の中の宝珠を取ってきておくれ」
「あたしが……ですか?」
「わしの姿を妻に見られたくないのでな」
ロッコと同じことになるかもしれない。
「わかりました。では、金庫の鍵は?」
「お前さんの魔法で壊してくれ」
「それじゃ宝珠も割れちゃうんじゃ……」
「宝珠は丈夫じゃ。心配いらん。派手にやってくれ」
「でも……」
「頼む。全て終わって家に帰った時に、きれいな金庫を見たくないんじゃ」
嘘だな、と、スリサズは感じた。
ビレオはスリサズに気を遣って言っているのだ。
ここでスリサズに何か魔法使いらしい仕事をさせないと、スリサズがこの場所にきて出た結果が、ロッコを死なせたことだけになってしまうから。
スリサズは重い気持ちを抱え、三度海底に潜っていった。
ビレオ町長の屋敷は、他の巻き貝の家々よりも良く育った貝で作られている。
それは確かに立派ではあるが、同じ種類の貝が成長できる範囲内なので、人間の権力者の屋敷のように貧富の差を露骨に見せつけることはせず、けれど厳かな力強さをたたえていた。
玄関のドアの前で、スリサズはサザエの殻の呼び鈴に伸ばしかけた手を止めた。
(奥さんに何て言ったら入れてもらえるかな? こっそり忍び込んだ方がいいかも)
そのため息をかき消すように、屋敷の中から悲鳴が響いた。
「フィーナさん!?」
スリサズは慌ててカキの殻のドアノブに飛びついた。
鍵はかかっていなかった。
飛び込んだリビングで、フィーナ夫人が床にへたり込んで震えている。
夫人が指差す先にあるのは、巨大な巻き貝の内側の、緩くカーブした真っ白な壁。
模様替えをしようとしていたのだろうか、壁かけの鏡が揺らめく海水の中をゆっくりと倒れていく。
スリサズは鏡に泳ぎ寄って、鏡が倒れ切る前に支え、そして、鏡面に映るモノを見た。
フィーナ夫人が再び叫んだ。
「どうしてこんな、ありもしないものが映るの!? 居もしない魚が映るだけでは足りないの!? この町の鏡は全て呪われている!! それでもこれは酷すぎるわ!! ああ、あなた!! あなた……ッ!!」
スリサズは歯噛みした。
「やられたわ。強がりすぎたせいかしら。このあたしが幻を見るなんて」
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