第5話 塔の内部

 スリサズとロゼルは、吹き抜けの塔の壁に沿って取りつけられた螺旋階段を見上げた。

 踏み板は木製だが、古い割りに傷んでいないのは、やはり魔法によるものだろう。

 明かり取りの小窓の外をチノリアゲハが飛び回っているが、蝶達は中を気にしつつも入ってはこない。


「ロゼル! 見て!」

「・・・!」


 天井の暗がりから塔の中心を突っ切って舞い降りる何かを、小窓から射す光が照らす。

 それは一輪の……

「紫のチューリップ?」

 スリサズが手を伸ばす。

「・・・花言葉は“不滅の愛”」

 背の高いロゼルが、スリサズよりも先に花の茎を掴む。


“不滅の愛”


 その言葉が呪文であったかのように、紫のチューリップが光を放った。

「・・・!?」

 光がロゼルを包み込む。


「ロゼル!?」

 光が消える。

「ロゼル! ちょっと、大丈夫?」

 返事がない。

 赤毛の剣士は何かに取りつかれたように立ち尽くし、ただ天井を見上げている。


「ロゼルーっ?」

 目の前でスリサズが手をひらひらさせても反応がない。


   スッ……


 突然、ロゼルが歩き出した。

 階段に足をかけ、最初の数歩はまるで暗闇で確かめるようにおぼつかなく、その後は無意識のように歩くでも走るでもない速度で。


「ちょ! ロゼル!?」

 一心不乱に塔を登ってゆくロゼルの動きは、いつも慎重な彼にはありえないものだった。


「ロゼルぅ! おいてかないでよー!」

 慌てたせいで余計にモタモタとなるスリサズを目がけて、明かり取りの小窓から、チノリアゲハが飛び込んできた。


「!」

 チノリアゲハはスリサズだけを狙い、その間にロゼルはどんどん上へ行ってしまう。


「氷の矢!」

 唱えた呪文は“矢”だったが、スリサズの掌から飛び出したのは、針のような小さなツララでしかなかった。


 しかしその針はチノリアゲハの羽を確実に捕らえ、蝶を壁に縫い止める。

 氷の壁を張る魔法も、杖の補助なしでは効果は期待できないが……


「アイス・バリア!!」

 小窓にガラスのように嵌め込んで、蝶達の更なる侵入を防ぐ。

 わずかな時間稼ぎにしかならないのはわかっているが、その隙にスリサズは一気に塔を駆け登る。


 ロゼルに追いつき、肩を掴もうとするけれど……

「っ!!」

 チノリアゲハに阻まれる。

 赤と黒の羽の向こうに、ロゼルの背中が遠ざかる。


「吹雪!」

 スリサズが唱えても、粉雪程度にしかならない。


「だったら、いっそ……ぼたん雪!」

 水っぽい雪の粒が蝶達にベチャリと張りつき、撃ち落とす。



 たどり着いた螺旋階段の終着点。

 大きな扉が独りでに開いてロゼルを飲み込み、追いかけてスリサズも飛び込んでゆく。


 広い部屋の中央に立つ、棺のようなガラスケース。

 白ずくめの王女を守るように周囲を舞っていたチノリアゲハ達が、ロゼルのために道を開ける。


 もう疑う余地はない。

 剣士は王子の身代わりとして、姫のもとに招かれたのだ。



「ロ……ッ!!」

 名前を呼ぼうとして、やめる。

 スリサズの目に、床に転がる無数の屍が映ったからだ。


 屍達の服装や風化の具合から、死んだ時代が異なるのがわかる。

 近くの村の猟師がこの塔を発見した時よりも前にも後にも、この塔を登った者はいたのだ。

 一番新しい骸骨は、頭部に赤い髪が残っていた。


(この人達は、どうして死んだの? もしかして、ロゼルが待ち人の王子様じゃないってバレたらマズイんじゃ……)

 人の気も知らず、ロゼルがガラスケースに歩み寄る。


(お姫様の目的は何!? ロゼルをどうするつもりなの!?)

 少なくとも待ち人と結ばれてめでたしめでたしというオチではないのだけは確かだ。


「そのケースから出てきなさいよ人食い姫! ぶちのめしてあげるから!!」


『姫を侮辱するなアアアア!!』


 室内に不気味な声が響き渡った。

 若い男の……しかしロゼルの声よりも明らかに高くてキンキンしている。

 他にここに居る可能性のある男といえば……


「まさか、闇の魔法使い!?」


 小国の人々が光と闇に祈った際に、唯一応えた闇の主。

 何百年も前の人物とはいえ、魔法の力でこの世に留まり続ける方法ならばいくらでもある。

 そこの姫君のように封印されてしまうのも一つの手だ。

 謎なのは……


「あんた、ただ雇われただけの魔法使いでしょ!? 何で用が済んだのにここに居んのよ!?」

『オオオオオッ!!』

「どこに居るの!? 出てきなさい!!」

『ウオオオオオオッ!!』


 声は姫が居る方向から聞こえてくる。

 それはロゼルが進んでゆく方向で、姫とロゼルの二人の他には、チノリアゲハが舞うばかり。


(魔法使いが人間の格好をしてるとは限らない。置物か何かに化けているのか、それともチノリアゲハに紛れてるのか……)


 紫のチューリップを携えて、ロゼルがガラスケースに手を伸ばす。

 ロゼルの手の中で、チューリップの色が赤に変わる。

 花言葉は“愛の告白”……


 ケースの中の姫君が身を乗り出して、両の掌をガラスに張りつける。

 ガラス越しに二人の掌が……


「ダメえええ!!」


 二人の掌が重なる直前にスリサズが飛びついた。

 ロゼルの背中にしがみつき、そのままの勢いでガラスケースを蹴り飛ばし、ロゼルの体を引き倒す。


   ビシッ!!


 ガラスケースにひびが入り……そのひびから、赤い液体が染み出してきた。

「血!? まさか!!」

 ガラスの破片が姫に当たったというのではない。

 ガラスケースそのものが、傷口から血を流しているのだ。


『オオオオオオオッ!!』


 ケースが悲痛な叫びを上げる。

 スリサズは身を起こしたが、ロゼルは床にしりもちをついたまま茫然としている。

「借りるわよ!」

 スリサズがロゼルの鞘から剣を引き抜いた。


(重っ……!)

 見よう見まねだが見慣れた構えを取り……

「たァッ!!」

 渾身の突きを繰り出す。

 剣がガラスを突き破り、闇の魔法使いの断末魔が響いた。


 魔法が、解けた。


 割れたガラスケースの中で、一瞬前まで輝くように美しかった姫君は、ドレスは古びて黄ばみ、体は干からびた骸骨に成り果てていた。

「お姫様……本当は、国が滅びた時に死んでいたのね……」

 周囲ではチノリアゲハが溶けるように消えていく。

 全ては幻だったのだ。

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