第3話 白衣の姫君

 鼻をつく薬草臭の向こうから、美味しそうな匂いも漂ってくる。

 スリサズは寝ぼけ眼を擦りつつ、自分の物ではないテントから這い出した。


 朝日が眩しい。

 手足に巻かれた包帯は、そのきれいな処置の仕方から、スリサズが無意識のうちに自分で巻いたなんてわけでないのは明らかだ。


 森との境。

 花園の端っこ。

 テントの向かいの焚き火の向こうで、長身細身の赤毛の青年が、見覚えのある冷凍ピラフを勝手に温めて食べていた。


「ちょっとロゼル! それ、あたしの!」

「・・・ソニアさんの味つけに似てるな」

 赤毛の青年がスリサズの分の皿を差し出す。

「ママのことが好きだったからって、あたしを子供扱いしていい理由にはなんないわよ!」

「・・・してない。・・・君を尊敬している」

「その言い方がバカにしてるッ!」

「・・・」


 その後は交わす言葉も特になく、二人黙々と朝食を平らげる。

 スリサズは明らかに不機嫌だが、ロゼルはもともと無口なだけだ。


 花園を見渡せば、氷漬けのチューリップのつぼみ達が、朝日を浴びてキラキラと宝石のように輝いている。

 時間とともに気温が上がり、氷が解けると、次第につぼみが開き始めた。


「枯れちゃったかと思ったのに」

「・・・マトモな花じゃないからな」


 咲き乱れるチューリップは、ただの一輪も余さずに、全て同じ色をしていた。

 黄色以外の花は、ない。


「何でこの色ばっかりなんだろ」

「・・・花言葉」

「何か言った?」

「・・・花言葉だ」

「だから花が何か言葉でもしゃべったっての?」

「・・・花に・・・人間が勝手に持たせた意味だ・・・薔薇は愛で百合は純粋さとかいうような」

「あー、あれね、はいはい。チューリップにもあるの?」

「・・・色ごとに違うのがある・・・例えば、赤は“愛の告白”で・・・」

「黄色のだけでいい」

「・・・“叶わぬ願い”・・・」


 可憐に広がる花園を、森から吹く湿った風が揺らした。


「ロゼルってば、やけに詳しいわね。まさかあんたがそんなロマンチックなもんに造詣があったとはねー」

 スリサズが、空気を払うように茶化す。

「・・・今回の仕事のために調べたんだ」

 滅多に感情を表さないロゼルが珍しくムッとなったのを見て、スリサズは何だか少し勝ったような気持ちになった。



 花園を改めて眺めると、昨夜は気がつかなかったが、かつての城の残骸が崩れた石材となってチューリップの合間に見え隠れしていた。

 あの辺は王族と従者の生活場所、この辺は兵舎、あっちは倉庫の跡だろうか。

 そのただ中で一つだけ足元から天辺まで完璧な姿を留める塔は、言い伝えでは礼拝堂だが、人々はそこで神ではないモノにすがったらしい。


「あたしが先に着いたんだから、あんたは引っ込んでなさいよねッ!」

 そう言うとスリサズは、塔の入り口の扉に手をかけた。


「ん」

 開かない。

 普通の鍵やかんぬきではなく、扉全体がまるで糊づけされているかのように少しも動かない。


「えいっ!」

 思い切り蹴っ飛ばしてもビクともしない。


「・・・手伝おうか?」

「ダメ! これはあたしのなの!」


 スリサズは一旦扉から離れると、背負い鞄から新しい杖を取り出した。

 昨夜の杖に似ているが、紋様の刻み方から別の作り手による品とうかがえる。


 杖の先端を塔に向け……はたと考える。

(いきなり扉を壊すのは、ちょっと危ないかもしれないわね)


 スリサズは、数歩下がって、塔を見上げた。

 塔の壁には明かり取りの小さな窓が規則正しく並び、一番上のおそらく部屋がある場所に、大きな窓が開いている。

 ならば……


「連なれ、氷塊! たぁーっくさん!」

 術者に従い無数に作り出された魔力の氷のブロックが、塔の外壁に沿って張りついていく。

 それらは螺旋階段に組み上げられて、最上階の窓を捉える。


「うん、バッチリ!」

 スリサズは得意気にロゼルに向かって胸を張ってみせたが、ロゼルはこちらにちらりと目をやっただけで、別の作業に没頭していた。


 花園の中から何かを拾って集めている。

 白い……骨。

 行方不明の村の若者達の遺骨だ。


(ロゼルってば、相変わらずだな。あれで腕利きの傭兵なんだから、もっと仕事を選んだ方が、いい暮らしができるのに……。ま、そんなのあたしが構うことじゃないんだけどさっ)


 氷なのでどうしても滑りやすくなってしまう階段を慎重に登り、スリサズは大きな窓の中を覗き込んだ。


 それなりに広い、礼拝堂だった頃の装飾を壁や家具に残す部屋。

 その中央に置かれた、棺を立たせたような形のガラスケースの中に、白い人影が収められていた。


 雪のように真っ白な長い髪と、純白のドレス。


 祈るように目を閉じてうつむき……

(人形!? それとも……人の遺体……?)

 白すぎる肌からは、生者の気配は感じられないが……


「ロゼルー! さっき確か、チューリップの花言葉は色によって違うって言ってたわよねー!」

「・・・ああ!」

 距離があるのでお互い大声になる。


「白いチューリップのはーっ?」

「・・・“失恋”・・・!!」


 声に気づいたというよりも、単語に反応したように、伝承の姫君が目を開いた。


「!!」

 スリサズは思わず息を飲んだ。


 大昔の人物が生きて動いて……

 それ自体は魔法の力によるものだろうし、伝承から予想はしていたが……


 彼女の美しさについての語りは、さすがに誇張だと考えていた。

 とんでもなかった。

 長いまつ毛を持ち上げて大きな瞳でまっすぐに見つめ返す姫君は、同性のスリサズが見ても驚いて足を滑らすほどの魅力を放っていた。


「きゃあっ!?」

 集中が乱れたせいで氷の階段の表面が解けて、ますますツルツルと踏み留まれず、そのまましりもちをついてさらに滑って、階段の端から飛び出し、落下する!


「いやあああっ!!」

「・・・っ!」


 恐れたほどの衝撃はなかった。

 スリサズの体は、ロゼルの両腕に受け止められていた。


 小柄な少女とはいえ人一人。

 それなりに体重もあるのだが、ロゼルはたたらを踏んだだけで耐え切る。


「ロゼ……あ……ありが……」

 もごもごと口ごもるスリサズを、ロゼルはポイと脇に下ろして塔を睨み、件の氷の階段をずんずんと登り始めた。


「ムッ!」

 一瞬、スリサズの頭の中に、今すぐ氷を全部解かしてやろうかなんてことがよぎったが……

(むーっ)

 結局、氷を固め直して、滑りにくくしてあげた。


 ロゼルは軽く右手を上げて、先ほどのスリサズと同じように唇をもごもごとさせ、どうやら礼を言ったらしいが、ちゃんとは聞き取れなかった。

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