第2話 赤と黒の蝶

 足元の花を折らないように気にしつつ、そろりそろりと塔に歩み寄る。

「ッ!?」

 突然、スリサズの腕に鋭い痛みが走り、見るとシャツの袖が切り裂かれて血がにじみ出ていた。


(何なのッ!?)

 振り向くとスリサズの周りを小さな何かが群れをなして飛び回っていた。

(蛾……? いえ……ちょうちょ……?)


 アゲハチョウに似ているが、違う点が二つだけ。

 日が暮れているのに飛んでいることと、アゲハチョウならば黄色いはずの筋の模様が、血のような不気味な赤色をしていること。


(新種のちょうちょ? それともただの魔力の化身?)

 様子を伺うように舞っていた蝶の中の一匹が、スリサズに体当たりを仕かけてきた。


(ッ!?)

 蝶の羽はまるでナイフのように鋭く硬く、スリサズの服や皮膚を切り裂いて、流れ出た血が足もとのチューリップの葉の上に落ち、細長い葉がちょうど皿のように赤い雫を受け止める。

 すると蝶達はその葉に群がり、口吻こうふんを伸ばして葉に溜まった血をすすり始めた。


(魔力の化身の方か。じゃあ標本にしても売れないな。とりあえず、チノリアゲハとでも呼んでおこっかなっ?)

 余裕の笑みを浮かべつつ、スリサズは手に持った杖で、飛び来るチノリアゲハを叩きつけた。


「凍れ!」

 呪文の通り、杖に触れた蝶の体を氷が覆い、飛べなくなった蝶が重い音を立てて地面に落ちる。

 それをブーツで踏み潰すと、蝶は粉々になって砕け散った。


 しかし……

(ちょっと数が多いわね)


 同じ魔法を繰り返して、さらに何匹も蝶を潰すが……

(キリがないッ!)


 笑みが焦りに塗り替えられる。

 潰しても潰しても、よりたくさんの新たなチノリアゲハが花の陰から現れて、次々とスリサズに襲いかかり続ける。


「アイス・バリア!!」

 スリサズの杖から吹き出した冷気が、ドーム状の氷の壁を作ってスリサズを囲み、守る。

 壁にぶつかった蝶達は、羽を広げた形のまま、壁の氷に取り込まれて動かなくなった。


 やれやれと息をつきながら、スリサズは自分の傷の様子を確かめた。

 この程度の怪我は、冒険者ならば珍しくない。

 それよりも、透明な氷の壁にはりつけになった魔の昆虫の姿の不気味さに改めて身震いをした。



   バシッ!


   バシ!!


   バシ……ッ。



 仲間の悲惨な姿を見ても、チノリアゲハは氷の壁への突撃をやめない。

「ちょっと待ってよ……」


 透明な氷が、チノリアゲハの赤と黒で覆われていく。

「ウソでしょ……」


 空の星も、地の花も、夜の闇すら見えないほどに上も下も隙間なくビッチリと。

「何なのよコイツらァ!?」


 月明かりが完全にさえぎられ、氷のドームの内側は不自然な闇に閉ざされて、それでもまだチノリアゲハの衝突音は響き続ける。

 チノリアゲハ達は、氷に磔になった仲間の死骸の上から体当たりを繰り返しているのだ。



   ピシッ!!


   ピシピシピシピシッ!!


   パキーーーーーーンッ!!



 氷のドームが砕け散り、氷の破片と蝶の死骸がスリサズに頭から降り注ぐ。

 この瞬間を待ち兼ねていた蝶達が、一斉にスリサズに襲いかかる。


「ッ!!」

 一匹の蝶の攻撃で開いた傷口に、複数の蝶が直接群がって血をすする。

 蝶達はもはやスリサズに遠慮も警戒も抱いていない。


「アアアッ! たかがチョーチョなんか相手にこんなッ!!」

 スリサズは、自分の全ての体重と全ての力を杖に預けて、杖の先端を地面に突き立てた。


「ブリザード・ボム!!」

 杖を中心に猛烈な吹雪が巻き起こる。


 術を操るスリサズ自身も気を抜けば飛ばされそうな暴風と、意識を保つのもやっとなほどの冷気。


 しばし吹き荒れ、やがて収まる。

 その後は、空に飛ぶ蝶は一匹も居らず、地では氷の刃でズタズタに切り裂かれたチノリアゲハの赤と黒の羽の破片が、つぼみを閉じたまま凍りついたチューリップの周囲にまるで花びらのように散らばっていた。


「たかがチョーチョなんか相手に、こんな大技を使わなくちゃなんないなんて」


 スリサズの杖は、天辺から先端にかけて、真っ二つに割れていた。

(やっぱ、この杖もダメか)

 惜し気もなく投げ捨てて、目当ての塔を見上げ直す。

(思ってたより手ごわそう)

 けれど。

(手ごわければそれだけ中のお宝も期待できるってもんよ!)


 臆することなく、塔に向かって一歩踏み出す。

 そして……

 自分で凍らせた地面に自分で足を滑らせてスッ転び、頭を打って気を失った。

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