第2話 雨の森の戦い
雨で滑る森の道を、ロゼルは臆することなく駆けていた。
(・・・何故だ・・・っ?)
疑問と焦りが頭を廻る。
まっすぐ走っているはずなのに、木々の向こうから響く戦いの音に一向に近づけない。
スリサズが唱える呪文。
魔物の雄叫び。
スリサズの魔法を受け、雨水が氷の槍となって降り注ぐ音。
氷の槍がたやすく弾き返される音。
スリサズの悲鳴。
そしてまた、スリサズがめげずに呪文を唱える声。
それらが幾度となく繰り返されている。
(・・・なのに何故たどり着けない・・・!?)
もう随分な距離を走っているのに。
(・・・この森はおかしい・・・ッ!!)
何かに気づき、ロゼルは足を止めた。
(・・・なるほど、そういうことか・・・)
戦いの音は、ロゼルの周りをグルグルと回っていた。
北から西へ、西から南へ、南から東、そして北。
アンコクマイマイの移動速度は未知数だが、少なくともスリサズの足で走り回れる速さではない。
(・・・ならば・・・!)
ロゼルは腰に下げた剣を抜き、自分の足元の地面に突き立てた。
「ハッ!!」
ロゼルの両手から、魔力の炎が噴き出す。
その炎は剣を伝い、土の中に潜り込む。
ボウッ!!
土の下で爆発が起こった。
「ピキョオオオ!!」
土砂が舞い上がり、大地を裂いて炎が溢れ出し、魔物の叫び声が響く。
背筋も凍るような声……
山火事となりかねぬ勢いの炎は、雨に打たれてほどなく鎮火する。
煙が風に流された後には、びしょ濡れのスリサズが、杖にしがみついてうずくまっていた。
周囲の木々は、ところどころがスリサズの魔法の余波で凍りついている。
だが、魔物が暴れた痕跡はない。
「な、何よ何よ……ヒクッ……全部、幻だったってわけェ? ……ヒクッ。カタツムリのくせに生意気な真似を……ヒック!……」
スリサズがよろよろと立ち上がる。
「・・・泣くな・・・」
「っ! 泣いてない! これは……鼻水よ!!」
「・・・雨水でじゅうぶんだと思うが」
そしてロゼルは、ふいっと横を向いた。
その視線のすぐ先では、随分前に出たはずの宿が、昼間とはいえ分厚い雨雲のせいで暗い空の下、窓に煌々と明かりを灯してたたずんでいた。
「ううっ。早く着替えよっ」
「・・・待て」
宿へと歩き出すスリサズの襟首を、ロゼルが掴んで引き留める。
「ちょっ! 何よッ?」
「・・・君は、都の酒場でアンコクマイマイの話を仕入れてから、まっすぐあの宿に向かったのだな」
「だから何?」
「・・・俺は、知り合いの風使いのところに寄って、風壺を作ってもらってから来た」
「壺に風の魔法を封じ込めるアレ? 蓋を開けると風が吹き出すっていう」
「・・・時間が来ると自動で蓋が外れる仕掛けにしてもらった」
「ふーん。で?」
「・・・そろそろ発動する頃だ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、宿の二階が爆発した。
「なっ!? ロゼル!? あんたいったい何を!?」
「・・・風壺を利用して、宿の内部に塩を撒いた」
「塩ォ!?」
「・・・カタツムリもナメクジと似たようなものだからな。・・・見ろ」
宿を形作っていた幻が解け……
「ななな!?」
スリサズが、驚いた弾みでスッ転ぶ。
三角屋根と灰色の石壁が、似たシルエットの、しかし全く別のモノへと変化していく。
それは……
家屋のように巨大な、カタツムリの殻だった。
「アンコクマイマイ!」
「・・・さっき戦っていた幻影と同じ姿か?」
「ええ! 大きさも同じ!」
「・・・あんなのとやりあってたのか・・・」
アンコクマイマイは、殻の色は普通のカタツムリと変わらなかった。
しかし、その殻からズルリズルリと這い出した、殻に違わぬ巨大な“身”は、その名通りに不気味に艶めく漆黒だった。
そして……
宿の主とその孫娘が、アンコクマイマイの身の中に下半身をめり込ませ、両腕をバタつかせて必死にもがいていた。
「・・・マズイな。・・・塩の量が足りなかったか」
「あああ大変! 二人を助けなきゃ!!」
スリサズは慌てて立ち上がり、慌てすぎてまた滑る。
そのスリサズの襟首を、ロゼルがもう一度、捕まえる。
「・・・落ち着け」
「放して!」
樫の杖で足元を払われ、今度はロゼルが転ぶ番だった。
その隙にスリサズは、まっすぐアンコクマイマイへ駆けていく。
「氷の剣!」
樫の杖にまとわりついた雨水が、杖を軸に固まって、鋭い氷の刃と化す。
スリサズはその魔力の結晶を、アンコクマイマイの身の、老人と孫娘のちょうど間の部分に突き立てた。
「ギュオオオオ!」
魔力の刃の冷たさに、アンコクマイマイが身震いする。
「さあ! 今のうちに……え?……」
スリサズの両腕を、老人と孫娘が、左右それぞれガッシリと掴んだ。
「ちょっ、待っ、二人同時には……」
二人は、アンコクマイマイの身から引き抜かれようとしているのでは、ない。
逆だ。
二人はスリサズを引き込もうとしていた。
この時になってようやくスリサズは気づいた。
孫娘の服が黒く焼け焦げていることと、老人の髭に白い霜が張りついていることに……
グギュグギュグギュ……
嫌な音が響く。
老人と少女、人の姿の幻が、にじみ、消える。
その正体は……アンコクマイマイの触角だった。
森の中でスリサズに幻と戦わせていた時に氷の魔法の攻撃を受け、ロゼルに幻を破られた際に炎の魔法に焼かれた、魔物の触角。
そしてスリサズは、その触角が自分の両腕に絡みつき、自分が捕らえられていることに今更に気がついた。
都の酒場でスリサズは、ちゃんと聴いていたはずだ。
この町の町長の一家が、十八年前に行方不明になった話を。
それ以前に書物で読んでいたはずだ。
人を喰らい、人の記憶を取り込んで、人に成り済ます魔物の伝説を。
「キャアア!!」
「・・・!」
駆けつけたロゼルが、皮の水筒を触角に目がけて投げつける。
水筒から粘りけのある透明な液体が飛び散り、アンコクマイマイが怯む。
その隙にロゼルはスリサズを助け出した。
「走れ!」
「ロゼル! 今のあれは何の薬?」
「・・・食堂で出されたコーンスープだ」
「へ?」
「・・・こんな天気が二十年近く続いているのに、トウモロコシが育つわけがない。・・・だから飲んだフリをして手をつけなかった」
「あ」
「・・・穀物だけなら、保存も利くし、他所から運んできた可能性も考えられるが、君が頼んだチキンソテーを見て確信した」
「うげげっ! オエエエエッ!」
「・・・後にしろ。・・・来るぞ!!」
アンコクマイマイの巨体が、カタツムリとは思えないスピードで、まるで暴れ牛のようにロゼル達目掛けて突進してくる。
ロゼルは剣を構え、その刀身に魔力の炎をまとわせる。
雨の中、魔力だけで炎を燃やし続けられる時間は短いが、剣だけで戦うよりかは威力が出せる。
しかし……
ガッ!!
アンコクマイマイの身に斬り込むはずの刃は、とっさに伏せられた殻に阻まれ、あっけなく折れ飛んでしまった。
「・・・くっ!」
アンコクマイマイが大口を開け、武器無き剣士を丸飲みにせんと襲いかかる。
「氷の蔦!」
スリサズの煌めき透き通った魔力が、ロゼルの脇を抜けて飛び、アンコクマイマイに絡みつく。
それは一瞬だけ魔物の動きを留まらせ……
パキン。
簡単にへし折られた。
スリサズの魔力は樫の杖による支えなしでは悲しいほどか細く、その杖は魔物の眉間に刺さったまま。
しかしスリサズはそんなことではくじけない。
「氷の蔦、氷の蔦、氷の蔦ぁ!」
生えては解けるその魔力を、解けきるより早く重ねがけして、幾重にも編み上げ、氷の籠に巨大カタツムリを閉じ込めてゆく。
それは力や技ではなく、根性。
「ッ!!」
突然、ロゼルがスリサズを突き飛ばした。
「きゃッ!!」
スリサズは泥水の中にしりもちをつき、魔法が途切れ、アンコクマイマイの巨大な口がニヤリと笑う。
先ほどまでスリサズが居た場所……今はロゼルが居る場所を……雷の槍が貫いた。
「ウソ……カタツムリのくせに、こんな魔法まで使えるなんて……ロゼル!? ロゼルッ!!」
スリサズが呼びかけても、剣士は倒れたまま動かない。
「ロゼルーッ!!」
肩を揺する。
返事がない。
しかし息はしている。
ただの剣士なら即死もありえたが、魔法剣士が備え持つ魔力が、魔の雷を和らげたのだ。
「しっかりして! ロゼル!」
アンコクマイマイが殻を左右に大きく揺らし、氷の籠が弾け飛ぶ。
「ロゼル!」
「・・・ス・・・逃げ・・・」
「あたしの杖を燃やして!」
「・・・」
「早くッ!!」
アンコクマイマイが大口を開けて二人に迫る。
その眉間で、杖に小さな……
ろうそく程度の炎が点った。
「ブーストッ!!」
スリサズの求めに応じ、杖が、秘めた力の全てを一気に解放する。
一見するとただ、樫の木の枝を削って、持ちやすいよう形を整えただけとも取れる棒切れ。
しかしその一削り一削りは、さる高名な魔道士によって、膨大な魔力を注がれながら刻まれたのだ。
その封じられた魔力が爆発し、杖から広がったオレンジ色の爆炎が、一瞬でアンコクマイマイを包み込む。
「ピギグギョゲギギョオオオオオッ!!」
アンコクマイマイが悶え、暴れ、転げ回る。
「きゃあっ!」
撒き散らされた泥しぶきを頭から浴びて、スリサズが吹っ飛ばされた。
降り続く雨は、炎に触れる前に蒸発し、湯気で周囲が真っ白になる。
香ばしい匂い……
魔物相手にこんな表現はふさわしくないが……
肉の焼けるニオイが辺りに漂い、今までで一番大きな絶叫の後、アンコクマイマイの巨体は、遂にピクリとも動かなくなった。
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