アンコクマイマイと炎の剣士

第1話 雨の宿

「・・・本当に、やまないのだな」

 人気のない宿の一階に設えられた、薄暗い食堂の古ぼけたテーブルに肘をつき、雨水の伝う窓を眺めながら、赤毛の青年がつぶやく。


 長旅にすすけた衣服と、頑丈なブーツ。

 二十歳になるかならないかとは思えぬほどに落ち着いた目付き。

 荷物は二階の部屋に置いてあるが、剣だけは手元に携えている。


 空になったコーンスープの皿を下げながら、宿屋の娘が静かにうなずく。

「やんだこと、一度もありませんから」

「ちょうどその子が生まれた年に降り始めたんじゃから、もう十七年になるかのう」

 カウンターの奥の老人が、何がおかしいのか、カカカッと笑う。


「十八よ、おじいちゃん」

「おお、そうじゃった。カッカッカ。わしも遂に脳みそにカビが生えてしもうたかのう」

「もう、おじいちゃんったら」


 そのやりとりは、微笑ましいのか、切ないのか。

 赤毛の青年はどちらとも感じていない様子で、外の景色ばかりを見やる。



 深い森を切り裂いて、港から都へと伸びる街道。

 その森の、もっとも深い場所に作られた宿場町。

 しかし急激な発展が、何かを狂わせたのかもしれない。


 もともと雨の多い土地ではあった。

 何日も降り続けることも珍しくはなかった。

 だからこの雨が降り出した時も、やまない雨があるなどとは、誰も考えていなかった。



 雨……


 雨……


 雨……



 自然と旅人の足は遠退き、土砂崩れによる死者も相次いだために、街道は閉鎖され……

 やがて新しい街道ができて、古い道は忘れられ、取り残された宿場町もまた、忘却の彼方へ置き去りにされてしまった。



「わしが拓いた町だったんじゃ。わしが最初で最後の町長じゃ」

 ため息混じりに老人がぼやく。

「みぃんな居なくなってしもうた。畑は沼になったし、家もみぃんな流されて、町にはもう、この宿ぐらいしか残っておらん。住んでおるのも、わしと孫だけじゃ。逃げられる奴はみぃんな逃げおった。それ以外は、病で倒れたモンも大勢居たし、増水した川に落ちたモンも少のうない。息子夫婦もそうじゃった。自分の家の地下室で溺れたモンもおったな。それに自ら首をくくったモンも。……何の因果でこうなったのやら。わしが森を荒らしたことが、森の神の怒りでも買ってしもうたんかのう」


 老人はため息を繰り返す。

「お客人。ロゼル殿じゃったかの? お前さんはこの雨に興味をお持ちのようじゃが、調べたところで無駄じゃと思うぞ。昔……雨が降り出して半年目ぐらいの頃に、国の偉い方がやってきて、それはそれは熱心に調査なさっておったが、結局は何もわからず仕舞いじゃったからな。ああ。答えが見つからなかったことが、偉い方の名誉とやらを傷つけたのか、そのまま国にも見捨てられてしもうた。こんな腐れた町を顧みるモンなど、もはや居ろうはずもない。この町は、まるでこのわしそのものじゃ」


「おじいちゃん!」

 孫娘が祖父に駆け寄り、両手を握り、しかしその先に紡げる言葉もなくて、ただうつむく。



「んっんーっ!」

 湿気た空気を嫌うように、食堂の隅……

 ロゼルから最大限に距離を取った隅っこの席に、チョコンと座った銀髪の少女が、わざとらしく咳払いをした。


「おお、これは失敬したのう、お嬢さん。聞いて楽しい話ではなかったのう。ところで……」

 と、老人は、手元の形ばかりの宿帳をチラリと確認し……

「スリサズ殿は、本当にロゼル殿のお連れではないんですかのう? 客そのものが滅多に来んのに、同じ日にいらした二人が無関係というのはどうにも……」


「・・・同業者だ」

「商売敵よッ!!」

 二人同時に答えた。



 スリサズ……

 古の言葉で氷の巨人を意味する名を持つ十四歳の少女の声は、本来ならば高く透き通っているのだが、今は口いっぱいに頬張ったチキンソテーのためにモゴモゴしていた。


 年の割には低い背丈に、いかにも柔らかそうな頬……

 だが、旅慣れた衣服を飾る魔術の紋と、ロゼルの剣のごとく携えた樫の杖が、彼女がただの子供ではないことを強調していた。



 ロゼル、スリサズ、元町長と、その孫娘。

 この四人の他には、宿にも町にも人は居ない。


 スリサズがチキンソテーを飲み下す。

「この雨は、森に住み着いた魔物の仕業よ。天候を操る力を持つ、その名もアンコクマイマイ! そいつを倒せば雨はやむわ。でもただのお役人なんかじゃ相手を見つけることさえできないだろうし、仮に出逢っても返り討ちでしょうね。魔法を使える人が行かないとダメ。それも、あたしみたいな飛びっきりの魔道師でないと!」


「なんと! それではまさかお前さんが……」

「ええ、ちょちょいっと退治してあげるわ」

 目を輝かす老人と、その横で不安げにする孫娘に向け、スリサズは得意気に胸を張る。

「だからおかわり。サービスでね!」

「おおっ、もちろんじゃもちろんじゃ」


 その様子に、ロゼルはわずかに顔をしかめた。

 ロゼルもスリサズも魔物狩りを生業にしてはいるが、正義の味方なんてわけでは決してない。

 単なる冒険者でありハンターだ。

 アンコクマイマイを狙っているのは、その殻が、高値で売れるからに過ぎない。


 遠く離れた都の酒場で、かつて国の調査官を勤めていたという、今はすっかり落ちぶれた男が語った、やまない雨の目撃談……

 それを聞き、魔物の仕業を疑う者は多くとも、その魔物がアンコクマイマイだと言い当てられ、更にそのアンコクマイマイの殻が武具や魔法薬の材料として限られた市場ではあるが高い価値を持つと知る者は少ない。

 その割には金のために危険な魔物に挑む者は跡を絶たないが、実際に魔物と戦って生きて帰れる者となると、ほんの一握りに過ぎない……


「あの……ロゼル様……」

 宿屋の娘が震える声で問いかける。

「ロゼル様も、その……アンコクマイマイを……」

 剣士がうなずくと、娘の目はたちまち涙で潤んでいった。

「あ、あの……あまり危険なことは……いえ、その……ご、ごめんなさいっ……わたし……」


「ちょっとー! おかわりー! チキンソテー! 早くー!!」

「す、すみません、スリサズ様っ」

 娘は慌ててキッチンへ引っ込む。

 その後ろ姿に、老人はまたカカカッと笑った。




「ごちそうさま! そんじゃ行ってきますわ!」

 二皿目のチキンソテーもぺろりとたいらげて、スリサズは宿屋のドアを開け、降り注ぐ雨の中に杖の先端を突き出した。

「エイヤッ! ……と……」

 杖に触れた雨水が凍りつき、みるみるうちに一枚の板になって、傘の形を作り上げる。


「ロゼルー! あんたは来ない方がいいわよ! この雨の中じゃ、あんたの魔法は効果ないでしょ? 剣だけでどうにかなるような相手じゃないし、あたしが戻るまであんたはそこで……そちらのお嬢さんとイチャついてなさいッ!!」

 そしてスリサズはやけに乱暴にドアを閉めた。


(・・・やれやれ)

 胸中でつぶやき、ロゼルもそろそろとブーツの紐を締め直す。


 冒険者達の溜まり場の酒場にふらりと現れた元調査官の話を、ロゼルは右隣でコーヒーをすすり、スリサズは左隣でミルクを煽りながら聴いていた。

(・・・歩く速度は俺の方が断然早いのに、同じ日に同じ宿に着いたのを、あいつは不思議に思わないのか?)

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