艦艇公開

艦艇公開 その1

今回も安定のフィクションです。

さらに、医療行為に近い描写もありますが、医師法・薬事法に準拠した描写ではない可能性があり、法律に触れる可能性もありますので、読者様におかれましては、「フィクションである」事にご留意の上で、以下よりお読み下さいませ。



 横須賀地方隊の建屋そばにある逸見へみ桟橋。

 ここには現在沖の方から戻って来る、第1護衛隊所属の”彼女”のために、防舷物や担当の曳船等が準備を整えて姿が見えるのを待っている。

 近くの公園では平日にもかかわらず、夏休みだからか、沢山の人で賑わっている。

 ベンチに座ってお茶を飲んで休んでいたり、横須賀駅から子供連れの集団が潜水艦達を横目に、横須賀地方隊と反対方向の複合商業施設に向かう姿もある。

 そして、その商業施設の方向から、港めぐりの船が丁度出航のため、桟橋から離れるのが見える。

 沢山の港巡りの客を乗せ、ゆっくりとした速度で進んでいく。

 途中、案内の音声に反応した客が船の右側を見て、歓声を上げているのが聞こえる。

 “おやしお”型と“そうりゅう”型の違いの説明や、その先の米海軍所有のイージス艦、今は出航中の空母等の説明も船の方から聞こえてくる。

 そんな喧騒の最中さなか、横須賀駅すぐ側の踏切を、荷物を抱えて歩いてくる、メガネをかけた女性の姿が見える。

 その女性は渡りきると、左側に見えた駅舎の方に歩みを進め、駅正面で一度足を止めると全体を見渡す。


「これでしばらくの間、横須賀ともお別れかなぁ・・・希望はずっとしてたから覚悟はしてたけど、いざ話が来ると、緊張しちゃうなぁ。」


 そうつぶやくと、右側に見える駅のコンビニに入っていき、少し混んでいるパンの売場へとそのまま向かう。

 いくつかのパンをとろうとしては首をひねって、手を引っ込める。


(えっと、どうしよう?やっぱり、いつものサンドイッチにして、飲み物は・・・カウンターのアイスコーヒーかな?それから、お菓子どうしよう?)


 ようやく決まったようで、冷蔵ケースの方を向くと、レタスとハムのサンドイッチを手にとり、ワッフルやドーナツ等が売っている真後ろを少し振り向いて見た後、軽く手を腹にあてて撫でる。


(あっちの食堂のってカロリー高いって聞いたからなぁ・・・うぅ~・・・食べたいけどぉ・・・我慢しよ!)


 心の中でそう呟くと、会計の為にレジ列の最後尾へと向かう。

 会計を終わらせてコンビニから左に出ると、横断歩道を渡って階段を降りると”ヴェルニー公園”と書かれた石碑の前を通って、座れるベンチを探す。

 一番と二番目に近いベンチは、座られていて空いていなかったが、三番目は幸い空いていた。

 そこに腰掛けると、荷物を右側に置き、コンビニの袋からサンドイッチと、フタ付きでストローの刺さったカップを取り出す。

 サンドイッチを包装から取り出すと一口かじってコーヒーを少し飲む。


(潜水艦かぁ。私には縁が無いなぁ。乗員さんには悪いけど・・・ちょっと・・・怖いような・・・でも、頼もしいような・・・)


 正面の潜水艦を見ながら、心の中で呟く。

 そしておもむろに左側の桟橋に目を向けると、オレンジと白の目立つ船体が目に飛び込んでくる。


(そう言えば少し前に知り合った、ナミちゃんって高校生、”しらせ”に乗りたいって熱く語ってくれてたっけ。大変みたいだけど頑張ってほしいなぁ。確か今年受験だったかな?)

 1年ほど前に呉基地近くの港で行われた、砕氷艦“しらせ”の艦艇公開への応援へ行った時に偶然知り合った高校生を思い出し、心の中でエールを送ると、サンドイッチをまたかじる。

 咀嚼しながら“しらせ”を眺めていると、近くにいた高校生らしき集団が「あれ、”いずも”じゃね?」などと騒ぎ始めた。少し離れたところには、一眼レフのカメラを沖に向けてシャッターを切っている何人かの姿も見受けられる。

 つられて同じ方向を見ると、灰色の巨艦が入港せんと、いつもの定位置である逸見へみ桟橋へ、ゆっくりとした速度で曳船を従えながら進んでくる。

 艦首に白色で際立って見える“183”と塗装された数字を、食い入るように見る女性。 


(ヘリコプター搭載護衛艦で・・・DDHの183・・・”いずも”・・・。久し振りに見たけど、相変わらず大きいなぁ。”しらせ”も始めて見た時は大きく感じたけど、こうして比べて見ると”いずも”って、別なんだなぁ。)


 そんな感想を思いながら、小さくなったサンドイッチを口に入れて咀嚼し、コーヒーと共に流し込む。

 二つ目のサンドイッチを手にとって口に近づけた時、違和感を覚えてサンドイッチを見る。


(ん?・・・あっ・・・大丈夫かなぁ、こんなんで。まさか、震えだすとは思わなかったなぁ。)


 よく見ると右手に持ったサンドイッチの頂点が、微かに不自然に震えているように見える。

 左手に持つコーヒーの水面も、小刻みに揺れている。


(困ったなぁ・・・今からこれじゃあ・・・。大丈夫、大丈夫だって。みんな優しいって言ってたじゃない。それに慣れれば揺れも大したこと無いって、先輩も言ってた。・・・大丈夫。)


 自分に言い聞かせるように心の中で呟くと残りを食べ進める。

 食べ終わるビニール袋にサンドイッチの包装とカップを入れ、立ち上がると、“いずも”を数秒見つめてからコンビニに戻り、ゴミ入れに丁寧に入れると、また公園方面に戻る。

 横断歩道を渡ると、今度は公園に入らずに手前の歩道を左に歩いていく。

 その先にある右側の青い看板には、「海上自衛隊 横須賀地方総監部」と大きく横書きで書かれており、その下には「JMSDF Headquarters Yokosuka District」と英語表記されている。

 そのまま門をくぐると、構内道路左側の歩道をそのまま歩いていく。

 その歩道の横には、艦対空ミサイルを護衛艦として初めて搭載した“DDG-163 あまつかぜ”右舷のスクリュープロペラがモニュメントのように置かれている。

 それをちらりと見やりながら歩いていき、守衛のいる所まで近付くと一旦立ち止まり、上着の右ポケットに入れていた、二つ折りの身分証入れを取り出して向かおうとする。

 すると後ろから車の気配がし、思わず振り向くと、黒い重厚感ある高級車が入構して向かって来ている。

 速度を落としながら守衛の所に近付いて来るのが目に入ったのだが、同時に助手席側のダッシュボードには、青の台地で横に並んだ2つのシルバーの桜のエンブレムも目に入った。

 彼女は直ぐに不動の姿勢をとり、10度の敬礼をする。

 車両はそのまま彼女の前を過ぎると、白いヘルメットを被り、青迷彩の陸上戦闘服2型を着た警衛隊員のそばで停止する。

 それを受けて警衛隊員は、タイヤのついた柵を動かし進路を開けると、「おはようございます!!」と、辺りに響かんばかりの大きな声と共に、挙手敬礼し車両を見送る。

 彼女は改めて隊員の詰所に向かい、側に立っている警備員と警衛隊員それぞれに身分証を見せて中に入っていく。

 その身分証には名前の欄に『黒川冬実』、階級に『3等海曹』と印刷されている。


○横須賀地方総監部逸見桟橋 護衛艦”いずも” 艦内


 入港して少し時間も経過し、一部乗員の上陸も済んでいる中、先ほど見かけた黒川が青い作業服姿で歩いているのが見える。

 よく見るとキョロキョロと、辺りを何か探すように歩いている。


(困ったなぁ・・・やっぱり案内してもらえば良かったよぉ。研修の時に来た事あったのが裏目に出ちゃったなぁ・・・。早く医務室に挨拶いかなきゃなのに・・・。なんでこういう時に、誰も姿が見えないんだろう・・・)


 部屋までは舷門当直に呼んでもらった女性で、第4分隊給養員の2曹に部屋まで案内してもらった。

 以前研修で乗ったこともあり、医務室までは覚えているつもりであったので、2曹に迷惑かけまいと案内を断ったのだが、いざ1人で移動しようと歩き始めて直ぐ、研修時は艦尾側の部屋で今回は艦首側というのを思い出した。

 さらに悪いことは重なり、主な隊員は上陸していて、人員が少ない時なため見かけておらず、迷子になって今に至るのである。


(艦内放送かかっちゃうかなぁ?急ぎたいのに、どうしよう・・・)


 焦る気持ちと裏腹に、おろおろするしかない自分に段々と情けない気持ちが募る。

 すると、少し前の方にあるラッタルから、カンカンとゆっくりとした足取りで誰かが登ってくる音が聞こえてくる。


(よ、良かったぁ!!どなたか分からないけど、これで医務室まで行けるよ!)


 思わぬ救助船の気配に、安堵した黒川は当該ラッタルまで思わず走っていく。

 ラッタルまで後少しと近付いた時、相手の帽子と乙階級章がちらりと見えたのだが、帽子のつばと階級を確認した瞬間その場で足を無理矢理止めて不動の姿勢をとって挙手敬礼をする。


(“いずも”は階級の高い方が多いの知ってたけど、迷ってすぐに1佐の方に出会うって、どう言うことなの!?これじゃあ聞けないよぉ!私なんでこんなに運がないんだろう・・・とほほ・・・。あれ?女性の1佐さん?)


 上がって来た1佐は女性で、第3種夏服にスラックス、それに“いずも”のスコードロンキャップ(部隊識別帽)をかぶっているのだが、護衛艦“いずも”においての1佐は、艦長や隊司令クラスであり、他の護衛艦では2佐の女性艦長もいる。だが、“いずも”は男性で1佐の艦長であるのは、黒川は既に確認済みである。

 疑問に思っていると1佐は登り切っていて、驚いたような顔で答礼してくる。

 答礼をすぐに終えたのでそのまま行くのかと黒川は動かないでいると、1佐は少し近付いて来て歩みを止める。


「あの、白瀬さん?先ほど私から伺うと連絡入れましたが、何故こちらに?それにどうして、”いずも私の所”のスコドロをかぶってらっしゃるのですか?」


 スコドロはスコードロンキャップの略である。

 “いずも”乗員である黒川が着用していても何ら問題も無いので、説明しようとしたのだが、いきなり人違いで話し掛けられ、訂正しようとアワアワとして、声が出せずにいる。

 その様子に訝しんだのか、1佐はさらに続ける。


「あの?白瀬さん?どうしまし・・・あっ!失礼しました、人違いだったようですね。」


 1佐が顔をのぞき込もうとして、左胸の布の名札に目がいき、慌てて謝罪する。


「も、申し訳ありません!私は1佐の仰る白瀬さんではなく、本日付けで病院より転属になりました、黒川冬実3等海曹です!よろしくお願いします!」


 ようやくの思いで大声を発すると、もう1度挙手敬礼する黒川。

 驚いて固まったままだった1佐も、黒川の大きな声に我を取り戻したのか、戸惑いを隠せぬままに質問する。


「病院と言うと、田浦の横須賀病院ですよね?それにしても白瀬さんにあまりにもそっくりなので驚きました。こちらこそ、人違い申し訳ありません。それと、あの、黒川・・・3曹、のですか?」


「ひゃい!あっ!は、はい!」


 変な質問だと思いつつも、答えられる質問であったため、変な声になりつつ返答する。

 その答えに1佐は考え込むような表情になり右手を拳にして、そのまま人差し指を口に当てる。


「幕長の言っていた事は・・・私にも当てはまると?・・・」


 微かに聞こえた1佐のつぶやきに何か良くない事に巻き込まれた予感がして、黒川は早くその場を逃げ出したい気分になってきている。

 ふと何気なく1佐の手の甲を見ると、疑問が湧いてきて首元や目元なども気付かれないように観察する。


(20代前半に見える、この1佐さん。少し・・・ううん、かなり若すぎるような?手の甲、目元、首元、綺麗に手入れしてるってレベルじゃないような?あれ?20代で1佐?)


 通常、どんなに若くても40歳代よりも若い1佐は九割九分おらず、また女性で1佐になれば、今の所、色々な場面で取り上げられる事にもなるので、知らないと言うのも疑問が残る。

 もちろん、昇進した全員が取り上げられるわけでもないので、分からない者がいても不思議でもない。

 それでも目の前の1佐は、得体がしれないと言っても過言ではない。


(ちょっと待って!?3尉か2尉さんだよね、私と一緒だとしたら!?何階級特進してる事になるの!?変だよ、絶対!まさか、なりすまし!!?って年齢でなりすましになってないよね!?そんな事より、誰かに連絡した方が・・・って、なんで誰も通りかからないの!?)


 目の前の人物に疑問から疑念に変わり、疑惑が広がり始めたタイミングで、1佐から声がかかる。


「黒川3曹、忙しい所を呼び止めてごめんなさい。所で、訓練でもないのに艦首側へ衛生の人が来るのは珍しい気がするのですが、何か用事でも?」


 1佐に話しかけられ、慌てて取り繕うように返答する。


「あっ!あ、あの、医務室に行こうと思って迷ってしまったんです!あっ、でもお忙しそうですから、自力で行きますので・・・」


 早くこの場から逃れたいと慌てすぎたのか、両手を無意味に振りながら説明している黒川。


「また迷ってしまいますよ?それに医務室でしたら、ここからだと艦長室行くついでですから一緒に行きましょう。」


 そうに言うと1佐は黒川の右手側へすれ違い、慌てて黒川も追いかける。


「あの!1佐に質問があるのですが、よろしいでしょうか?」


 すぐ側の防水隔壁をくぐったタイミングで、黒川は後ろから声をかける。


「お答えできる範囲でしたら。」


 歩く速度を落とし、前を向いたまま返答する1佐に、握った拳と背中に冷汗をかくのを感じながら、質問する黒川。


「あの、1佐は・・・」


 と、言ったところで、1佐が足を止め振り向く。一瞬だけ睨まれたように感じた黒川は、その雰囲気に足をすくめてしまう。

 ところが、1佐は笑顔になっており、見間違えたのかと少しだけ安堵する。


「自己紹介していませんでしたね?私は出雲と言います。よろしくお願いしますね、黒川3曹。」


 聞いた名前を、心の中で復唱しながら思い出そうとする黒川だが、書類等でも見たことも聞いたこともないその名前に、思い切って聞いてみることにした。


「出雲1佐ですね?あの、失礼ですが、所属はどちらでしょうか?今日配属されたばかりなもので、存じ上げず、申し訳ありません!」


 出雲はそれを受け、軽く2~3回手を振って黒川の問いに答える。


「いえいえ、気にしないで下さい。私は、1護群1護隊に所属してますよ。」


 『1護群1護隊』は『第1護衛隊群・第1護衛隊』の略であるのだが、聞くは一時の恥、と思いきって聞いた黒川はその返答に困惑する。

 それを知ってか知らずか「行きましょうか?」とまた歩き始める。


(1護隊?私も大きい括りなら、今は1護隊だけど、そうじゃないよね?艦長も隊司令も男性だし、出雲1佐って何者?怪しすぎる・・・)


 出雲の正体不明さに、疑念がますます募り一刻も早く逃げ出したい気分にもなっている。

 しかし、ここから逃げようにも艦内が良く分からず、それに、そうするだけの危険が今迫っているとも思えず、さらに出雲自ら艦長室に向かうとも言っている。

 逆に自分がここで逃げれば、この正体不明の出雲なる1佐を逃がしてしまうかもしれないし、万が一にも本物の幹部であったら、折角巡ってきた艦艇勤務が2度と出来なくなるリスクもある。


(事に臨んでは危険を顧みず・・・。どうなるか分からないけど、万が一の時は体を張ってでも・・・なんとかしなくちゃ!)


 前を行く出雲の一挙手一投足に気を配り、もし少しでも怪しい素振りを見せたなら、すぐにでも動けるようにと気持ちを整える。

 そこからは無言で艦内通路を進む2人は、幾度かラッタルを登ったり降りたりしながら医務室までたどり着くと、出雲は扉の前で立ち止まる。


(この辺りは少し覚えてるけど、なんであそこでラッタルを登り降りしたんだろう?誰かを避けてる?ってどこに誰がいるかなんて分かる訳ないし・・・。本当に出雲1佐は、良く分からない人だなあ・・・)


 出雲は開いている扉をノックすると、少し奥にいて書類整理をしているらしき女性に声をかける。


「失礼します、1護隊の出雲1佐です。衛生士にお話があって参りました。」


 出雲は衛生士を知っていたのか、迷いもなく声をかける


 (野原衛生士、知ってるんだ。)


 少しズレた感想を漏らすがすぐに別のことにも気付く。


 (あれ?艦長に用事があるついでじゃあ?)。


「ん?出雲?・・・1佐!?しっ失礼しました!」


 ノックに反応していた3等海尉・野原みやび衛生士は顔だけ向けると、一瞬遅れながら慌てて勢いよく立ち上がり、不動の姿勢をとる

 野原の様子に驚きながらも、出雲に続いて入室の挨拶をしながら入っていく黒川。


「黒川、ずいぶん遅かったじゃない?迷ったの?」


 野原は出雲の後ろから来た黒川を見やると、安堵した顔を見せる。


「申し訳ありません!迷ってしまい、こちらの出雲1佐に案内していただきました!」


 出雲の斜め後ろに立ち、不動の姿勢から頭を下げる黒川。


「黒川、謝罪と補給長への挨拶は後にして、急いで私と一緒に艦長の所に事情説明よ。出雲1佐も、艦長から通達が出ているので、一緒によろしいですね?」


 頭を上げ不動の姿勢に戻った黒川に、やや早口で艦長室へ出頭を命じ、出雲にも同意を求める。

 黒川が野原の言う事情説明の意味が分からず呆けていると、「黒川!返事は!?」と強い口調で問われてしまう。

 慌てて「はい!」と大声で返す黒川。

 野原はそれを聞いて出雲に正対し、「片付けますので少々お待ちを」と言うと、ノートパソコンを閉じたり、書類を簡単にまとめた後、艦長室に連絡をとった。


「出雲1佐参りましょう。黒川も行くよ!」


「お願いします、野原衛生士。」


「了解しました!」


 野原の言葉に、それぞれ返事して、医務室から出て行く。


○護衛艦“いずも” 艦長室


 3人は到着すると、艦長から黒川の着隊の挨拶が先となり、すぐに出雲の方に話が向く事となった。


「SF(自衛艦隊司令部)経由で海幕からの話は聞いてはいたが、本当にいるとは・・・」


 出雲の自己紹介も終わり、艦長は応接用のソファーに座って正面の出雲を見ながら、肘掛けに手を置いている。


「私も黒川さんに見つかるまでは、幕長の話を鵜呑みにしていませんでしたが、流石にはっきりした以上、ご挨拶をと思いまして訪問させていただきました。」


 艦長と出雲の話が進んでいる中、黒川だけは全く事情が掴めず、かといって質問できる雰囲気でもないので、聞くことに徹している。


(困ったなぁ・・・。私、何でこんな事に巻き込まれちゃったんだろう・・・。艦長も、野原衛生士も知ってるみたいだし・・・1人蚊帳の外かぁ・・・。)


 2人の会話を聞きながら、意識が別の方向に向いた時、野原が2人の会話が途切れたタイミングで割り込む。


「艦長、お話中大変申し訳ありません。黒川に、海幕からの通達の件を説明する必要が発生しています。お時間がかかるようでしたら、説明のため、一度退室してもよろしいでしょうか?」


 野原の言葉に、黒川はやっと解放されると内心でホッとする。


「こっちは一段落したから、私から説明するよ。」


 艦長の言葉に安堵から一転、全身に緊張が走る。

 艦長は「少し失礼するよ」と出雲に断りを入れて黒川の方を向く。


「黒川衛生員、ここに居る出雲1佐なんだが、存在自体を極秘とする通達が出ている。」


 『存在自体を極秘とする』


 その言葉に、体が強ばるのを感じる黒川は同時に、目の前がくらくらし始める。


「艦内では普通にしていてもらって構わないが、守秘義務が発生する事は覚えておいてくれ。これは海自を辞めても守ってもらう物になるからそのつもりで。出雲1佐が現れた以上、全員に守秘義務が発生する。野原衛生士、黒川衛生員、書類は後で分隊長から全員に渡すことになるから、そのつもりでいてくれ。何か質問は?」


「私はありません、艦長。」


「あっ・・・あの・・・いえ、ありません。」


 出雲1佐は何者なのか


 喉まで出かかるが、無理やり飲み込むと表情をやや暗くしながらも答える。

その後、艦長からの事情聴取を受け野原と黒川は解放される。


○護衛艦“いずも” 医務室


「黒川さん、表情良くないけど、大丈夫?調子悪いならすぐ言いなさいよ?もしかして?」


 退室前の仕事に戻るべく、パソコンを開き書類を広げながら、グッタリしているようにも見える黒川に声をかける。


「違います。大丈夫ですよ。その、ちょっとびっくりしただけですから。」


 黒川は野原の判断で、手近の席に座って他の衛生員が来るのを待つよう命じられている。

 野原は、カタカタとキーボードを叩きながら、時折外付けのマウスを操作している。


「気になるの?出雲1佐の事。」


 画面から目を離さず、黒川に声をかける。

 その言葉に黒川は、一瞬躊躇するも意を決して出雲の疑問点を上げる。


「はい、私の所見ですが、出雲1佐は推定20代中頃と思われ、その年齢での1佐昇任はあり得ないと思います。逆に年齢が通常の1佐である40代前半とすると、加齢による皮膚の変化等が認められませんでした。日焼けもしていないようですが、そちらは艦内での作業が主であれば、それは不自然ではないと思いますが、それでも完全に日焼けしていないのは気になります。」


 黒川の説明が一通り終わると、野原は笑いながらいすを回転させて、黒川の方を向く。


「良い線いってるし、ほぼ私の所見と一緒だけど、年齢は残念!ハズレ~!実年齢聞いたらビビるよ?私も聞いてから会ったんだけどビビったくらいなんだけど、それでも聞く?」


 その言葉に生唾を飲む黒川だったが、表情を引き締め「はい」と短く答える。

 野原は黒川のその様子に、いたずらを思いついた子供のような表情をし、手招きで机の側に来るように促す。

 黒川は立ち上がって向かっていると、野原が引出から、水色の書類を取り出すのが見える。

 すぐ側まで来ると「出雲1佐の資料よ」と水色の書類を手渡す。

 書類の左上にヤマタノオロチと天叢雲剣アメノムラクモノツルギがデザインされたスコードロンマーク、その右上にDDH-183と印刷され、そしてその書類中央には、黒川が今乗艦中の護衛艦”いずも”、航海時の写真が印刷されている。


 「野原・・・衛生士?これ・・・パンフレット、ですよね?“いずも”の・・・」


 声は先程より少し低くなり、パンフレットを持つ手が震えている。

 野原はそれを黒川から取り上げると、開いて、右側の“いずも”性能要目を指差す。


「起工日と進水日でギリギリ二桁、就役日だと四捨五入で二桁ね。つまり・・・」


 簡単に説明すると起工日は作り始めた日、進水日は初めて海に浮かんだ日、就役日は部隊に配属された日である。


「野原衛生士!出雲1佐はどっからどう見ても20代じゃないですか!!10代な訳ありません!!しかも、名前が似てるからって、よりにもよって護衛艦”いずも”ですか?!冗談にも程があります!!本当の事を教えてください!!」


 今までの緊張と、野原の態度への不満が一気に爆発した黒川。

 野原は立ち上がると黒川をじっと見据え、人差し指を少し強めに黒川の鼻に押し当てる。その勢いでメガネが下に少しずれる。


「黒川の知りたいっていう事実を言ったのよ?私もビビったって言ったでしょ?私の態度が悪かったのもあるからここまでの事は謝る。でも・・・」


 今までにない低い声と威圧感のある野原に、後ずさりしかかる黒川。

 さらに野原は目を細め、威圧感を強める。


「これ以上私に不満があるなら・・・、言わなくても分かるわよね?荷物まとめてもらっても良いし、帽子についてるその杖、返上しても・・・良いのよ?」


 野原の言う杖とは、医療のシンボルである、『アスクレピオスの杖』の事である。

 黒川のスコードロンキャップの左側に名前が刺繍されており、名前の右側に衛生のシンボル、『アスクレピオスの杖と2匹の蛇』がデザインされたピンバッジがついている。

 それを返上とはすなわち『衛生員を辞めろ』と同義語である。

 黒川は言い返すこともできず、鼻に押し当てられた人差し指を外すこともできず、悔しさから歯を食いしばることしか出来ない。

 黒川の目から涙があふれそうになった時、扉の側で体格の良い、まるで柔道選手のような1曹の男性がノックして入ってくる。

 野原は黒川の鼻から指を外して右手を腰に当て扉の方を向く。


「ちょっと、佐伯1曹!覗いてるなんて趣味悪いですよ!仲裁に入ってくれると思ってたら、なかなか入ってこないからエスカレートしちゃったじゃないですか!!」


「何言ってるんですか、野原衛生士!男の私でもあの迫力怖かったんですよ!どうやって止めれば良かったんですか!」


 出かかった涙も引っ込んでしまった黒川はただ呆然と、野原と佐伯のやりとりを見ている。

 一通りやりとりが終わったのか、お互いに黙ると、佐伯は黒川に近付く。

 黒川は慌てて10度の敬礼すると、自己紹介する。

 それを受けて佐伯も自己紹介する。


「初めまして、1曹の佐伯誠一です。以前はヤンキー1にいる”しらせ”に4年程いて、そこから”いずも”に乗艦になってね。南極にも・・・」


(”しらせ”に乗ってらっしゃった?)


 急に考え込む黒川。佐伯は「どうした?」と声をかけてくる。

 野原もその様子に心配そうな顔で黒川を見る。


「あの!出雲1佐が私を見て『白瀬さん』と声をかけてきたんです!人違いだってすぐ分かったんですが、野原衛生士、何かご存じですか!?」


 野原に顔を向けると問いかける黒川に、佐伯は目を丸くして驚く。


「出雲1佐!?白瀬さん!?ちょ、黒川?それ誰!?」


「黒川、落ち着きなさい!佐伯にも出雲1佐を説明するから、そっちも一旦落ち着いて!」


 2人を落ち着かせてから座らせると、「落ち着いて聞いてちょうだい。」と、日本海沖で十数時間前に発生した艦魂の事案などについて説明をする。


「つまり、出雲1佐は“艦魂”または“船霊ふなだま”もしくは“意識体”らしきもの、と言うわけですね?野原衛生士?」


「一応、海幕からは自衛艦籍の艦艇や船に関しては“艦魂”で統一する予定だって艦長は聞いてるそうだけどね?」


 野原と佐伯の会話を聞きながら、白瀬について、推察する黒川。


「つまり、私は”しらせ”艦魂の白瀬さんにそっくり・・・だということでしょうか?」


 思わず野原を見ながら、自分の鼻を指差す黒川。


「かもね。それにその服装で見間違えるってことは、(海)曹長以下って事ね?」


 その言葉に、思わず黒川を見る佐伯。

 野原は何か思い出したように少し顔をしかめると、「そう言えば、明日なんだよなぁ」と呟く。

 それに反応して「あっ!」と、佐伯は頭を抱える。

 黒川は脳内に疑問符を浮かべるが、すぐに野原から冊子を渡される。

 それには『第○○回ヨコスカ・フェスティバル 進行予定表(護衛艦いずも)』と表紙に書かれている。


「艦艇公開、明日なんですか!?」


「一応、基本的な準備は出来てるから大丈夫なんだけど、心配なのは黒川さん、熱中症の患者さん診たことあるよね?」


 心配そうな顔を向ける野原に、黒川は答える。


「はい、応急処置出来ます。」


「後で佐伯1曹に案内させるからついてって、艦内の事、頭に叩き込んで?第1昇降機は見学者用、第2は60Jの展示、武器用各昇降機はスタンション(柵)立てるから使えないの、覚えておいて。担架使う場合は昇降機使えるかもしれないけど、当てにしないでね?」


 そこまで言い終わった時、電話が鳴る。


「はい医務室、野原です。・・・はい・・・えぇ・・・今から、ですか?・・・いえ、私は問題ないのですが、新人の・・・わかりました。すぐ行きます。失礼します。」


 受話器を置くと、「ごめん、会議になっちゃった。佐伯1曹、終わるまでここに居てくれる?」と慌ててノートパソコンをシャットダウンさせると、充電用アダプターのコードをまとめ、立ち上がるとそれらを持ったまま「後はよろしく!」と、走り去る。


「あっ!野原衛生・・・士って、行っちゃった。あの、佐伯1曹?私どうしたら?」


 立ち上がって手を伸ばした黒川だったが、すぐに手を下ろし佐伯に向く。


「そうだね~っと、取りあえず、明日使う衛生バッグ・・・そこの棚にあるんだけど。」


「これですか?」


 棚の目線辺りにあったバッグを、一つ取り上げると佐伯に見せる。


「これ”いずもこっち”のバッグリスト。病院と一緒のはずだけど、念の為確認して、覚えておいて。あっと忘れる所だった。輸液パックは持ち運びで2セット、医務室に4セット準備。翼状針よくじょうしんのゲージと数、確認しておいて。病院よりセット種類少ないから注意。医務室は病院並の種類だから大きいゲージと小児しょうに用の極小は、必要ならすぐ連絡。それから経験あると思うけど、お子さんの静注と点滴のルート確保に注意・・・っと、熱中症だとそんなものかな?多分そこまでの重症者は出ないと思うけど、想定しておいて損は無いから。」


 リストを持って、歩きながら注意事項を伝える佐伯。

 黒川もバッグを持ったまま近付き、「ありがとうございます」と、リストを受け取ってテーブルの上にバッグを置き確認を始める。


「それから、メモって欲しいんだけど・・・良い?言うよ?まずAEDはあっちの棚のバッグ使うから間違えないで。次に輸液パックはそっちだから、準備とか言われたらそこから持ってって。あっと外傷用セットはさっきの輸液の隣の・・・そう、それ。それから・・・」


 こうして黒川にとっては、ほぼぶっつけ本番に近い形で艦艇公開を迎えるのである。

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