防人の慟哭 その5
信号ラッパの君が代の演奏が終わり、「かかれ!」と放送が流れ、課業が始まっている海上自衛隊・横須賀地方総監部。
横須賀地方隊直轄艦『砕氷艦 しらせ』、艦内の1室のベッドには、上半身を起こそうとする白瀬の姿があった。
「3人とも、昨日は・・・申し訳なかったねぇ。」
頭を下げる白瀬に、目を丸くするしか出来ないでいる橋立と
八重潮はベッド脇に立ち、白瀬に話しかける。
「礼には及びませんよ、白瀬さん。ですが・・・1つ、確認をさせていただけるでしょうか?」
白瀬を見下ろす八重潮の目に、警戒とも、不安ともとれるような色が広がっている。
「何かねぇ?八重潮君、改まって?」
首を少し傾げ、八重潮に軽く笑顔を見せる白瀬。
「あなたは白瀬1尉で・・・間違いは・・・ありませんね?」
橋立と
白瀬はそんな2人を無視するように、黙って人差し指を真上に向けたあと、そのまま真っ直ぐ八重潮に向ける。
「間違いがある・・・と、言ったら、どうするのかねぇ?八重潮君?」
時間が止まったように黙って動かなくなる2人を尻目に、試すような視線を八重潮に向ける白瀬。
「白瀬1等海尉に、代わっていただくまで・・・と、申しておきます。」
2人の間に広がる剣呑な雰囲気は、橋立達をも飲み込んでいる。
しかしそんな雰囲気も、ため息と共に白瀬の側からは消え去る。
そして人差し指を下ろし、「気絶なのかねぇ?まぁ大したことは無いだろうけど、今すぐには代われないねぇ。」と、やや楽観的に言う白瀬。
それを聞いて目をつぶった後、小声で「やはりですか・・・」とつぶやく八重潮。
「あの白瀬1尉?これはどういう冗談ですの?それに八重潮2佐、『やはり』とはどういう意味ですの?何をご存知ですの?教えていただけますか?」
事態を把握出来ず、混乱しておろおろする橋立。
「残念ながら、橋立君?これは至って、真面目な話なんだよねぇ。」
それを聞いて橋立は、表情を悲痛な面もちに変え、助けを求めるように八重潮を見る。
「さてと、3人には自己紹介しなければいけないねぇ。僕は文部科学省・国立極地研究所の『南極観測船 しらせ』の艦魂、白瀬だよ。改めてよろしくねぇ。」
そう言いながら、深々と頭を下げる白瀬に対して、困惑が3人に追い討ちをかけるように広がる。
「も、文部科学省ですか!?聞いた事は無くはないですが・・・」
「『南極観測船』!?『砕氷艦』ではありませんの!?昨日まで砕氷艦を名乗られていたじゃありませんか!?」
「えっ?えっ!?あの国立極地研究所って、どういう事ですか?横須賀地方隊の直轄じゃあ・・・」
国立極地研究所(略称:極地研)は、大学共同利用機関として1973年に設立された、文部科学省所管の研究機関である。
南極に昭和、みずほ、あすか、ドームふじ各基地の他、北極にニーオルスン基地もある。
文部科学省が予算請求し、17AGB(平成17年度の砕氷艦)計画として建造され、海上自衛隊横須賀地方隊の直轄艦として運用されるという、一般人から見れば極めて特異な艦だと言うことが出来るように思う。
「僕は白瀬であって、白瀬1尉ではないんだよ。まるで禅問答のようだけど、そう言うことなんだよねぇ。」
にっこりと笑顔を橋立に向ける白瀬。
驚きに満ちた顔の3人。特に、事情をわかっているつもりだった、八重潮の驚きは大きいように見える表情だ。
「白瀬1尉の言う『声の人』の正体が、もう1人の白瀬さんだったと言うことです、橋立さん。ただ私は・・・単に人格が別れた、“二重人格”になってしまったと思っていましたが・・・。まさか、海自の『白瀬1尉』の艦魂と、文科省の『白瀬』さんの艦魂が存在しているとは、想像もしていませんでした。」
言い終わると、ベッド脇に座る橋立の左側に座る八重潮。
「白瀬1尉は2人だったんですか!?」
「2人で1人なのか・・・1人で2人なのか・・・。非常に哲学的だねぇ・・・。
そう言うと、少しだけ面白がるような雰囲気を出す白瀬に、からかいが含まれているように感じた橋立は、すかさず話題を修正しようとする。
「白瀬・・・さん、あの申し訳ありませんが、哲学でしたら別の時間でお願いできませんかしら?そもそも先代の白瀬さんは、こんな事ありませんでしたわ?ご説明いただけますの?」
少し前のめりになって、白瀬に詰め寄る橋立。八重潮は橋立の肩を軽く抑え、下げさせる。
「そうだねぇ・・・先代の白瀬君は、上手く融合と言うのかな?統率を取れていたと、僕に話してくれていたんだよねぇ。ただその時の話を、1尉は知らないんだよ。夜中に先代に起こされたんだけどねぇ、何故か理由は不明なんだけど、僕が応対したんだよ。1尉は気絶していた訳でもなかったんだけどねぇ?不思議だよ。それにどうしてか、この事だけは1尉には伝えられなかったんだよねぇ。誰かに仕組まれた・・・のだとしても、じゃあいったい誰なのか?って言う話になるんだよねぇ。」
言いながら、腕組みをして目をつぶっている白瀬。心当たりがないか考えているようであるが、結論としては無いようである。
少しの沈黙の後、八重潮はちらりと
「白瀬さん、あの・・・白瀬1尉の“容態”は具体的にはいかがなのでしょうか?」
その言葉に、
「それなんだけどねぇ・・・八重潮君、ちょっと良いかねぇ?」
八重潮を手招きして呼び寄せると、なにやら耳打ちをする白瀬。
小さくうなずくと、八重潮は椅子に座りなおす。その表情は、かなり険しくなっている。
それを見ていた
「白瀬さん・・・。なぜ、今、わざわざ耳打ちでペンギンの話を?ふざけていらっしゃるのですか!?」
八重潮の言葉に目を丸くする橋立と
「良いじゃないかねぇ?八重潮君ならわかってもらえると、思ったんだけどねぇ?」
悪びれる事無く、おどけたような態度の白瀬に、さらにムッとした表情の八重潮は、橋立と
「さて・・・どうしたものやらねぇ・・・。」
1人取り残された白瀬は、その場で伸びをするとベッドから抜け出し、手前の椅子を左側の机に押していって座る。
少し目を細めると立ち上がり、棚から黒縁で少し細めのメガネを取り出してかけると、もう1度座る。
そして、箸を持ち両手を合わせ、「いただきます」と小さくつぶやいて、焼き鮭を一口分に箸で切り分けて口に入れる。
「なかなか美味しいねぇ。ただ、冷めているから
誰に言うでもなく、食事の感想を言いながら食べ進める。
そんな食事も終わる頃、艦内通路に人の気配がし、足音も聞こえる。
その気配が白瀬の自室の前まで来ると、歩く音が止まり、気配も動かなくなる。
「ノックはいらないよ。どうぞ、ご自由に。」
特に扉を見るでもなく、箸を持って両手を合わせ「ごちそうさまでした」と言うのと同時に、部屋に八重潮が入ってくる。
「お食事中でしたか?出直したほうが・・・。」
「いやいや、今丁度食べ終わったから、気にしないで大丈夫だよ。さっ、かけたまえ八重潮君。」
先程やり合ったような雰囲気は無く、八重潮も落ち着いている。
「
「それだったら、一緒に謝りに行こうじゃないか。八重潮君だけが、悪いのではないからねぇ。僕も共犯者だよ。
白瀬は、少し待ってて欲しいと付け加え、食器を片づけに行くと、コーヒーとクッキーを持って戻ってきた。
「お待たせしたねぇ。ミルクと砂糖は持ってきたけど、入れるかねぇ?」
八重潮は手を軽く振ると「今日はブラックの気分なので。」と断った。
「そうかい?珍しいねぇ?」と八重潮にカップを渡し、椅子に座る白瀬。
一旦視線を落としてから、向かい合う八重潮を見やる。
「さて、八重潮君の知りたがっている、白瀬1尉の容態なんだけどねぇ。」
区切るとコーヒーを一口飲み、一息つける。メガネが湯気で曇るが、すぐに消える。
「今は、重篤な状態でねぇ・・・。いつかは復活出来ると思うけど、それがいつになるかは・・・見通しがたたないねぇ・・・。なにせ、例えて言うなら昏睡状態に近い状態みたいなんだけど、僕には1尉を外から見た様子しかわからないんだよねぇ」
伏し目がちに説明すると、手に持った、『2代目しらせ』の部隊識別帽と同じデザインが描かれた白いマグカップに視線を落とす。
「そんなに悪い状態とは・・・」
重苦しい空気が横たわり、沈黙する2人
「それでねぇ、八重潮君?話は変わって、お願いしようと思ってる事なんだけどねぇ。」
顔を上げ八重潮の顔をのぞき込むと、口を真一文字に結ぶ。その様子に八重潮は固唾を呑んで次の言葉を待つ。
「橋立君は、私服を持っているか知っているかねぇ?」
思いもかけない白瀬の言葉に、反応が遅れる八重潮。
「し、私服ですか?橋立さんに聞かないとわかりませんね。着物やドレスは持っているのは知っていますが、白瀬さんには必要・・・なのでしょうか?」
元々、艦艇や基地から出ることのない彼女達は、常装冬服や夏服に作業服位しか持っていない。また私服を着る必要性も感じていない。唯一の例外は、着物やドレスを所有している橋立であろうが、それも『接遇に必要だから』という、但し書きがつくと思われるような服装である。
「必要と言うよりも、僕は『民間人』・・・いや、『一般職』だから、『特別職国家公務員』の君達と同じ服は、まずいんじゃないかねぇ?」
腕を組み目をつぶったまま、困ったような表情で八重潮に話すと、八重潮も同じ様な表情をする。
「しかし、『砕氷艦しらせ』は横地隊(横須賀地方隊)の所属ですよ?着ていても、なんら問題はないと思うのですが?」
しばし下を向き沈黙すると、意を決したように顔を上げる白瀬は、複雑な顔をしながら話を切り出した。
「そうかもしれないねぇ。でも残念ながら、1尉が錯乱した遠因でもある幹部の着る服、例えば濃紺の作業服。これを着ていることは1尉が目覚めた時、また思い出す原因になる可能性がある。それに艦艇徽章や階級章は隠しておけるんだけど、甲階級章は常装冬服についているからねぇ・・・。出来れば、1尉が目覚めて落ち着くまでは、避けておきたい。それが、僕の本音でもあるんだよねぇ。」
所謂『フラッシュバック』を怖れての処置と言うことらしいのだが・・・
「そうですか・・・。ただ、おそらくですが、横須賀で私服を持っている者は、橋立さんだけでしょうし、着物など普段着には無理のある物だったと思います。それでしたら、曹士の作業服で過ごされては?今は着ない青の作業服があるので、すぐに用意出来ますよ。」
顎に手を当て、考えている白瀬だったが、すぐに、「それが、すぐに出来る案・・・かねぇ・・・?」とつぶやく。
「では、直ぐにお持ちします。」と腰を浮かしかけた時、白瀬は待ったをかける。
「いやいや、八重潮君の気持ちは嬉しいんだけどねぇ。その・・・身長は君の方が高いから・・・ねぇ。」
八重潮は、180cmはなさそうであるがそれでも高い方である。
一方の白瀬は160cm程であり、着ることは出来ない訳ではないが、ややみっともない格好になりそうである。
「あ、失礼しました。では、後で橋立さんに話をしておきます。」
ややバツの悪そうな顔で、取り繕うように言う八重潮。
一息ついたところでコーヒーを飲むと、八重潮におかわりをするか訪ねる白瀬。
その問いに「もうこれで。」とカップを返すと、立ち上がる。
「もう少し時間を置いてから、橋立さんに作業服の話をします。それから、そろそろ着替えられた方が良さそうですね。シャツもスラックスもよれよれです。
昨夜の騒ぎからそのままの状態の為、シャツはボタンが首元から3つ外れており、黒のスラックスもシャツ同様にシワだらけになっていて、かなりだらしない格好になっている。
「いやぁ、それはおっかないねぇ!?白峰君が横須賀に来る予定でも、入っているのかねぇ?」
少しおどけた様子の白瀬に、やれやれといった表情になる八重潮。
「本当に怖いと思ってらっしゃいますか?白瀬1尉は、本当に怖がっていらっしゃいましたが。」
「あれ、バレちゃったかねぇ?何でだろうかねぇ?」
本当にそう思っているのか、わからないようにおどけ続ける白瀬に、ため息を吐きかけてこらえる八重潮。
すると突然、真面目な顔をして少し下がったメガネを人差し指で上げると、白瀬は立ち上がり八重潮と改めて向かい合う。
「八重潮君、僕は・・・『砕氷艦しらせ』としてやっていけるのか、不安で不安でたまらないんだよ・・・。今までは『白瀬1尉』が頑張ってくれていたから、言い方は悪いけど、楽をさせてもらえたし、不安も小さかった。けど、『白瀬1尉』が倒れてしまった今・・・不安で僕も潰れてしまいそうなんだよねぇ。」
胸中を吐露する白瀬に対して、八重潮は言葉をかけられずにいる。白瀬はそんな八重潮を見て、言葉を続ける。
「僕を・・・君達と所属が違う『南極観測船しらせ』を・・・君達は、受け入れて・・・くれるかねぇ?・・・僕は、自衛艦艇の・・・八重潮君や橋立君を・・・頼っても・・・良いのかねぇ?」
先ほどのおどけた雰囲気は一切無く、自信も無さそうに、縋るような目で八重潮を見る。
「はい、ぜひ頼って下さい。『白瀬1尉』にも言いましたが、誰にでも得手不得手はあります。それを補い合うために、輸送艦や補給艦、迎賓艇に曳船、そして我々潜水艦がいるんです。だから・・・頼って下さい、白瀬さん。」
おもむろに手を後ろに組むと、八重潮に背中を見せ、一度俯くと、天井を向く白瀬。
「八重潮君・・・今、僕の身に不思議な事が起きているよ・・・。」
「その様ですね?もしかして、今日は晴れていますが・・・」
八重潮がそこまで言うと、白瀬は言葉を被せる。
「窓が開いていたようでねぇ・・・。困ったことに、メガネが雨で濡れてしまったよ。いやぁ、困った困った・・・困ったねぇ・・・視界不良で・・・出航不可に・・・なり・・・そう・・・。」
涙声でそこまで言うと、体を震わせながらもう一度俯く。
「八重潮君。僕は・・・僕は・・・臆病者なんだよ!・・・地震の話が来た時、1尉が焦っていてねぇ・・・。早く手伝いたいって・・・。でも日本の情報を聞いて・・・僕は瞬時に・・・怖じ気づいたんだよ!・・・だって・・・だって・・・『全艦艇出航命令』がでたって事は!・・・今までに出たことがない命令が出たって事は!・・・それだけ・・・それだけ・・・多くの・・・命が・・・。怖かった・・・怖かったんだよ!僕は!!白瀬1尉と違って、僕は怖がりなんだ!!逃げたかった!どこかで
そこまで言い切るとその場に、へたり込んで、嗚咽を漏らす。八重潮はゆっくりと近づき、白瀬の左後ろにしゃがむと、落ちたように見える右肩に手を軽くのせる。
「白瀬さん、ありがとうございます。」
涙でくしゃくしゃになった顔を、八重潮に向ける白瀬。
「なぜ・・・『ありがとう』って言うんだい?・・・おかしいじゃないかねぇ?」
白瀬の問いに首を横に振る八重潮。
「おかしい事はありません。白瀬さんは私に、本音を教えて下さいました。ですから、ありがとうございますと。」
「僕は、君達自衛艦艇から見れば、あるまじき事を考えて・・・あるまじき事を実行しようとしたんだ!『ありがとう』は、やっぱりおかしいじゃないかね!!普通なら、僕は君達から責められるべきじゃないのかね!!?どうなんだい!八重潮君!!」
白瀬は上半身を八重潮に向けると、彼女の襟を掴み上げ、睨みつける。
「今までどなたかに、その様に御自分の気持ちをぶつけた事はありましたか?」
「っ!!そ、それは・・・」
言いよどむ白瀬は、掴んでいた襟から手を放す。
「いくらでもぶつけて下さい。白瀬さんの気持ちが落ち着くまで、いくらでも・・・。」
数瞬の間をおき、もう一度嗚咽を漏らした白瀬だったが、やがて大きくなっていき、嘆くような、叫ぶような泣き声が部屋に響き渡る。
それから数年が経った横須賀地方総監部。
誰も居ないはずの『しらせ』艦橋には、青い曹士の作業服を着た1人の女性が、窓枠に手をかけ外に目を向けている。
「久し振りに・・・思い出してしまったよ、『声の人』。」
『や、やめて下さい。あ、あの・・・今まで通り、白瀬君って呼んで下さい!』
「冗談だよ!冗談。せっかく少しだけでも出てこられるようになったのに、また『眠り姫』になられたら、起こすのが大変だからねぇ。」
瞑目する白瀬は、数週間ぶりに白瀬1尉と会話している。
「いやぁ、それにしても土佐君との話で、幹部自衛官の宣誓文を思い出すことになるとは・・・思いもしなかったねぇ。それに、幹部の服や艦艇徽章とかを、ファッションやアクセサリー扱いしてしまったよ・・・。僕が一番言ってはいけないことなのにねぇ。」
『そうですね・・・。』
「まだ・・・辛いのかい?」
『違います・・・、とは言い切れないんですけど、それより土佐2尉が心配なんです。』
「大丈夫だよ、僕と違って彼女は強い。見えるかい?彼女の姿が。」
目を開けて、中央より
その先には、『とさ』の左舷が見える。
「土佐君なら、少しの指針さえあれば、自分で航路を見つけることも出来るだろうねぇ。」
『それが“幹部自衛官の宣誓文”、なんですね?』
「そう言うこと、だねぇ。」
『でも、何があるかわかりません。私みたいになってしまったら・・・』
「そうなる前に、僕達が水先案内すればいいんじゃないだろうかねぇ?」
『そうですねって、私が言っても大丈夫なんでしょうか?』
「大丈夫だよ。君も色々自衛艦として、経験をつんでいるんだ。もっと自信を持ちたまえ。あ、人のことは言えなかったねぇ。失敬したよ。」
『そろそろ、行きましょうか?』
「もう、そんな時間かい?それじゃあ、行こうかねぇ?」
日が沈もうとしている横須賀地方総監部。
各艦艇からは信号ラッパの練習する音が聞こえる。時々調子が外れたような音が聞こえたりしており、経験の浅い者が担当する艦艇もあるようだ。
「10秒前!」
飛行甲板に移動した白瀬は、自衛艦旗に不動の姿勢で正対している。
「時間!」
信号ラッパの君が代が吹鳴される中、ゆっくりと降ろされていく自衛艦旗。
それを見る白瀬の胸中に、淋しい風景から呼び起こされた、地震後の日々が去来している。その白瀬の頬には、一筋の涙が流れている。
(これは・・・どっちが流している涙だろうねぇ・・・)
吹鳴も終わり、「かかれ!」の放送が流れる。自衛艦旗は降りきっており、畳まれながら回収されている。そして、自衛官が解散し誰もいなくなった飛行甲板に、しかし、白瀬だけが残っていた。
甲板に吹く横須賀の暖かい風は、白瀬をなでていく。それはまるで母親が子どもに対し、優しく、慈しみをもって接しているような柔らかさがある。
そしてその風に慰めてもらったように感じた白瀬は、ゆっくりとした足取りで艦内に戻っていく。
その風によって運ばれた1枚の桜の花びら
ひらひらと踊っているかのように、優雅に、華麗に『しらせ』の飛行甲板に舞い降りる
自衛隊の階級章や徽章にも描かれる日本の象徴
その自衛隊が活躍することになった東日本大震災
あれから5年以上が経つ
未だ被災地では復興しているとは言えない状況もある
しかしそこでも、桜は力強く咲いている
己の生命力で応援するかのように
※このお話は、あくまでもフィクションです。
東日本大震災がテーマとなっていますが、実在の人物・団体等とは関係がありませんのでご了承下さい。
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