第4話 「襲来」

 私はめぐみを慰めたその夜、また指令通りにめぐみのストーカーを行った。合鍵を使って(もちろん、めぐみに了承を取って公式に取得した合鍵だ)部屋に入り、盗聴器の探りをいれた。盗聴器を仕掛けた犬の置物は、押入れにしまわれ、部屋の物音が正確に拾えない状況にあった。私は犬の置物から盗聴器を取り出し、部屋の中心にあるテーブルの裏にセロハンテープで固定した。これで物音を感知することが出来るだろう。こうした行動も、以前までは気が進まなかったが、快感を得るようになってからは、セロハンテープをびり、と必要な分だけ切り分けるという小さな行為にも喜びを感じるようになった。このセロハンテープが、まためぐみを縛り、支配するのだ。粘着し、めぐみを離さないのだ。

 そして、部屋のアイテムの配置を少しずつ変えておいた。机の上に置いてあるノートパソコンや、敷いてある絨毯を少しずらしたり、しめてあるタンスや机の引き出しを少し開けておいたり、何気ない痕跡を部屋に残し、私は部屋を去った。

 めぐみはもちろん、アパートの他の住人に見られないように注意しながら迅速に退却する。張りつめていた緊張の糸が切れ、ふう、と肩に入った力が抜ける。

 仕事を終え、家に帰るまでの徒歩の時間は、複雑な気持ちに襲われた。

 私の中にめぐみに対する完全な支配の悦びが充満すると同時に、違う感情もふつふつと湧きあがってくる。

 それは、ストーカー依頼者への嫉妬だ。

 私のストーカー行為は、やはり単独犯ではない。私は実行犯ではあるものの、あくまで代理人なのだ。私がしたストーカー行為は、全て私主体で行われているのではない。私は操り人形であり、めぐみを直接支配しているわけではないのだ。そのことに対して、私は猛烈な嫉妬を感じた。

 私が今日した行動は、全て依頼主のための行動だ。盗聴器が受信している音声を、私は聴くことが出来ない。全ては依頼主の受信機に送られ、依頼主はその音声を聴いて悦に浸っているに違いない。しかし、悦に浸ることが出来る資格を持つのは他でもない私なのだ。盗聴器を仕掛けたのは私だ。そう自分では思っていても、受信機を持たない私にはどうすることも出来ない。

「私が、私こそが」

 私の言葉が、私の気持ちを的確に表しているのに、非常に空虚だ。空虚な夜空に空虚な言葉がすう、と溶け行く。先ほどまで快感に包まれ熱されていた私の身体は嫉妬の念と夜の寂しげな空気によって冷やされていくのがわかる。

 部屋のアイテムの位置をずらしてくるという行為は依頼者への少しもの抵抗だった。

 私の行ったストーカー行為は依頼者の手から離れたものだ。依頼者の支配から離れた行動。独立。私のアイデンティティ。確固たる私の意志。

でも、それも空虚なものだ。

 私が撮った写真は私のためにあるものではない。

 私が送信させているめぐみの音はわたしのためのものではない。

 めぐみが真に恐れているのは私ではない。

 私が、めぐみを支配しているのに。

 私が、めぐみの全てを握っているのに。

 私は、めぐみの将来を左右する権利を有している。

 めぐみの生活は私によって平穏に、かつ危険に送らされている。

 めぐみの命は私によって脅かされ、私によって守られている。

 めぐみの幸せは私が奪い、私が与えている。

 あいつじゃない。あいつにそんな権利はない。

 めぐみを支配していいのはあいつではない。

 あいつはせこせこと自分が本来背負わなければならない罪悪感から逃げて私に寄生し、自分勝手な幸福感で私腹を肥やしているだけだ。横領となんら変わらない。

こんな依頼主は正統なストーカーではない。正統な支配者ではない。

 私だけなのだ。

 私だけが。

 私だけが、めぐみを。


          *


 めぐみに「一緒に帰ってくれませんか?」と言われたのは盗聴器を直した翌日だ。

 六限の授業が終わり、教室を出たところでめぐみが立っていた。

 無気力な顔の大学生の群れの中にいるめぐみは、異彩を放っていた。小さい身体ながらも存在感がある。立っているだけで、ぱっとその場だけ明るくなる。私に気が付くと、めぐみはぱたぱたと駆け寄ってきて、その言葉を私に投げかけた。

「一緒に?」

「はい。だめですか…?」

 めぐみは上目遣いで私を見る。凝視する。

 一人暮らしをしているめぐみの家は大学から歩いて一五分ほどの場所にある。明るいうちは他の大学生が大学に向かうために少しは活気を帯びているのだが、夜になるとめっきり人気がなくなってしまう。田舎のせいか街頭も少なく、道は深い闇に包まれてしまう。確かに、ストーカー被害におびえるめぐみにとっては、一人で帰るのは怖いのかもしれない。いや、怖いだろう。

「いいよ。一緒に帰ろう」

「やった! ありがとうございます!」

 めぐみの顔にぱぁ、と笑顔が咲いた。

 めぐみは私の少し後ろをついて歩き出す。

 今日は、私はめぐみを守る。めぐみは、私によって守られる。

 大学を離れ、暗い夜道を歩く。

「最近、先輩サークルに顔出しませんね。忙しいんですか?」

 めぐみは何気なく言う。

「ちょっと課題のレポートがきつくてさ。分量は多いし、分析しなきゃいけないデータもたくさんあるし。だからサークルに行く時間がなかなかなくて」

「さびしいですよー。もっと先輩とお話したいのにー」

 めぐみは拗ねたような口調で言う。

「ごめんね。レポート終わったら、また顔出すからさ」

 そんな時は訪れるのだろうか。なんの隔たりもなく私がサークルに参加出来る時が、本当に来るのだろうか。もう後戻り出来ないところまで来ている私に。

「先輩がいないと、私死んじゃいますよー」

 めぐみは、ぽろ、とそう呟いた。

「え…」

 私は言葉を失う。

「冗談ですよぉー。真に受けないでくださいっ」

 きゃらきゃらとめぐみは笑ってみせる。私も、その笑顔につられて薄く笑った。

「めぐみが死ぬなんて、そんなこと有り得ない。私がそんなことさせないから」

 私は、言う。

「やだぁー。だから冗談だって言ってるじゃないですかー。先輩は真面目なんだから」

 めぐみはやはり笑って見せる。こんな底抜けに可憐な彼女に、不幸の涙は似合わない。

 太陽はどこか最果ての海に収納され、空はすっかり暗くなった。

 外灯の少ない夜道はやはり暗く、数メートル先は闇にすっぽりと覆われていた。

 めぐみは私との距離を少しだけ縮め、私の袖をきゅっ、と柔らかく握る。私の心臓は一つ特別な鼓動をとん、と打った。

 周りは田舎の平穏によって静けさに包まれている。

 どこか鋭い、隙のない静寂。

 私のパンプスがたてる甲高い音と、めぐみのブーツの鈍い音が静寂を切り裂く。

 その中に、一つ異分子が紛れているのに、私は気が付く。

 パンプスとブーツの音の中に、違う足音が紛れ込んでいる。

 それは、めぐみのブーツの音よりも鈍く、低い。あからさまに足音を隠そうとしている意志が感じられる足音。もっと普通に歩けばいいのに、と私は思う。

 間違いない、と私は確信する。

 黒幕だ。

 ついに、実力行使に出てきたのだろうか。ストーカーがこうしてめぐみに直接的に働きかけてきたのは私が知る限りでは初めてだ。いや、私が知らないところでこうして尾行をしているのかもしれない。そのようにして、めぐみの行動パターンを探っていたのかもしれない。 

 どこまでも虫が好かない奴だ。

 めぐみの顔をちら、と観察する。

 めぐみの顔には明らかに恐怖が張り付いていた。案外鋭いめぐみだ。下手な尾行にはもちろん気が付いているのだろう。

「めぐみ」

 私は、めぐみに声をかける。めぐみはぴく、と身体を反応させ、涙が少し溜まった瞳で私を見た。

「大丈夫。私がついてる」

 私はめぐみに笑顔を向けた。出来るだけ、柔和な笑顔を。めぐみは、私の笑顔に応えるようにこくん、と頷いた。

 私は後ろをさりげなく振り返る。私たちの後ろには、やはり闇しかなく、足音の主を目視することは叶わない。しかし、着実に足音は私たちを追ってきている。

「ちょっと早く歩くよ」

 私は袖を掴んでいためぐみの手を取って足早に歩いた。

 それを察したのか、追ってくる足音も早くなる。

 私はめぐみの手を握る力を強める。

 額からは汗がにじみ出ていた。

 次第に、私の心に恐怖が顔をのぞかせるようになる。

 私は、一体何を怖れているのだろうか。

 私はストーカーに怖れているのか? 

 ならば、私は私自身にも恐怖を感じなければならないのか?

 この恐怖の正体は一体なんなのだろうか。

 しかし、この恐怖に心酔している自分もいる。

 私は一体どこにいるのだろうか。私は一体どこに立っているのだろうか。

 得体の知れない恐怖、存在を規定することが出来ない恐怖と姿の見えない足音に追いつめられる。汗が止まらない。視点が宙を舞う。私はどうすればいいのだろうか。

 とにかく私はめぐみの家まで彼女を無事に連れて行かなければならない。今の私が出来ることはそれだけだ。今の私は騎士だ。めぐみをエスコートしなければならない騎士なのだ。

 ストーカーであり、騎士。それが今の私だ。

 こんなところで、まざまざとその二面性を思い知らされる。 

 恐怖に戦きながらも、恐怖に浸る。

 冷たい海のような恐怖の中に、私はふわふわと漂っている。

 自由に動けるわけではないが、どこかに縛られているわけでもない。

 冷たくも、心地よい。

 鋭くも、快い。

 恐怖が私を抱擁する。 

 めぐみの小さな手から伝わってくる恐怖も私を優しく包む。

 めぐみが恐怖に晒されているのは私のせいでもある。

 私がコントロールする恐怖。

 恐怖の外側からさらに包んでくる夜の闇。

 そして、そのメインディッシュを飾る気味の良い足音。

 私の欲望が凝縮された空間、時間。

 欲望がかきたてられる瞬間。

 二面性、支配欲、使命感、背徳感、罪悪感、恐怖、恐怖、恐怖。

 私の顔は、綻んでいると思う。

 暗闇の中で、私は笑っていると思う。

 そんな私にも、私は恐怖する。

 は、と気が付くと、めぐみの家まではすぐそこだった。次の角を曲がり、二軒目のアパート。めぐみに黙って頻繁に忍び込んでいるアパート。昨日、盗聴器を仕掛け直したアパート。

 めぐみは、鞄の中をまさぐって鍵を探している。一秒でも早く部屋に飛び込みたいのだろう。

 やっとのことで私たちはめぐみのアパートの前にたどり着く。

「行って」

 私は、めぐみの顔をちら、と観て、言葉と視線でめぐみに部屋に行くように促した。めぐみは一瞬だけ潤んだ大きな目をこちらに向け、頭をぺこりと下げて、アパートの中に入っていった。

 暗闇に、私一人が残される。

 めぐみがいなくなることによって、闇の重厚感が増す。

「ねぇ」

 私は、振り返らずに言う。

「聞こえてるんでしょ? 別に返事しなくてもいいから」

 私は、見えない「支配者」に対して、言葉を投げかける。

「いい気にならない方がいいわよ。私が実行犯ならバレることはないだろうって思ってるのかもしれないけど、いつかめぐみが警察に通報するかもしれない。そうしたら、終わりよ。私も、あなたも」

 背後から小さな足音が聞こえる。近づいてくるような雰囲気ではない。物陰に身をひそめたのだろうか。

「直接仕掛けて来るなんて何を考えているのかしら。私がいなかったらめぐみを襲っていたつもり?」

 私の声は震えているかもしれない。

「今後からは気を付けた方がいいわよ。これ以上エスカレートしたら、危ないから」

 ここまで私が言うと、足音が急に私に接近した。走ってくる。

 私は、突然のことで動くことが出来ない。

 どうなるのだろうか。

 足がすくんで動かない。まるで地面に突き刺さってしまっているかのように。

 足音はどんどん私に近づいてくる。

 そして、どん、と私の肩を突き飛ばして道を真っ直ぐ走り去っていった。

 私は踏ん張れずに地面にへたり込む。

 黒いコートを着ていて、人相は確認できなかった。

 しかし、背格好から男であることは間違いない。

 私は、安堵と解放感に包まれながら、地面に落ちている一枚の紙を見つけた。

 ゆっくりと立ち上がり、その紙を拾い上げる。

 紙には殴り書かれたような文字で


「いい気になるな」


 と綴られていた。

 私は、その文字をじっと見ながら、その場に立ち尽くした。

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