第3話 「芽生え」
私は写真の入った封筒を郵便ポストに投函し、大学に向かった。
ストーカーを始めた途端にサークルに顔を出さなくなるのも不自然なので、きちんと集まりには出席するように心がけている。ストーカーを始める前は、憩いの場所であり、朝鮮の場所であったはずなのに、懺悔の場所に変化し、今ではもうビジネスの場でしかない。
めぐみの行動を監視し、ストーキングにつなげる。全ては、金を稼ぐための場なのだ。
サークルの部屋を開けると、そこにはヒロユキと由伸が座っていた。
「おはよう」
二人は口々に入ってきた私に言った。ヒロユキは私と仲の良い、良かった同級生の一人だ。めぐみの誕生日を一緒に祝った二人でもある。由伸は私の一つ下の学年でめぐみの同級生。体育会系でいかつい身体の持ち主。しかし、そんな巨体から想像も出来ないようなきめ細やかさを持つという一面もある。頼りがいもあり、安心できる人物だ。ヒロユキは私の同級生で、茶色かかった髪がさらりと流れ、活発過ぎず、卑屈過ぎず、話しやすい人間としてサークルの中で慕われている男だ。
「おはよう」
私はぎこちない笑顔で二人の言葉に応える。
「あれ、なんかあった?」
ヒロユキは私の顔を覗き込む。
「え、なんで?」
「いや、なんだか表情が曇ってる気がしたから」
ヒロユキはこういう鋭さがあるから怖い。
「ちょっと寝不足でさ。作業が遅くまでかかっちゃって」
「ふうん。気をつけなよ。お前だってもう若くはないんだから」
「余計なお世話よ」
「そうですよ。今のご時世言葉尻取られて訴訟起こされてもおかしくないですからね。あんまり先輩を怒らせない方がいいですよ」
由伸は言いながらにやにやと笑う。
「そんなに心が狭い女じゃありませんよ。ヒロユキの言葉なんて真に受けてないから平気」
「さすが先輩。オトナですねぇ」
こんなありふれたやりとりが、犯罪行為に疲れた私を癒してくれる。と同時に、やはりやりきれない思いが癒しを追って私に到達する。
「表情が曇ってると言えばさ」
ヒロユキが僅かに表情を曇らせる。
「え?」
「なんだか最近、めぐみの様子もおかしいんだよ」
「めぐみの?」
私はどうにか平静を装う。
「うん。表情がなんだか暗いんだよ。あのめぐみがだよ? 箸が転がるだけで笑うめぐみがさ。おかしいと思わない?」
「そうなんだ、気が付かなかったよ」
嘘だ。めぐみの動向は誰よりも私が知っている。
「どうせめぐみのことだから、飼ってるペットが元気ないとかそんなことじゃないですか?」
由伸が茶化したように言う。
「悩みのない人種ですからね。めぐみって」
「そうだけどさ、それにしても、なんだか沈んでるような感じがするんだよ。僕の気のせいかもしれないんだけど」
「ヒロユキ先輩の考え過ぎじゃないですか? 放っておいたらすぐにケロっと元気出てますって」
ヒロユキは由伸の言葉を聴いても、その疑問を払拭する気はないらしい。原因の中核にいる私には、それが手に取るようにわかる。
「だからさ、とりあえず話聞いてやってくれよ。僕じゃあめぐみも話にくいだろうしさ」
「私が…?」
「他に誰がいるよ。めぐみのことは、やっぱりかおりが聞くのがベストだろ。相棒みたいなもんだからさ」
「相棒」という言葉に、鈍くなった心が疼く。
「わかった。聞いてみるよ」
私は仕方なく、そう言った。全く気は進まない。
「じゃあ、今行ってきなよ。確か図書館にいるって言ってたから呼んでみるよ」
そういってヒロユキは携帯電話を取り出して、操作を始めた。すると、すぐにヒロユキは顔をあげて、「広場に今から行くってさ。行ってやってくれよ」と言う。
もう、逃げ場はないみたいだ。
「わかった。行ってみるね。ありがとう」
「あぁ。めぐみをよろしくな」
ヒロユキの快活な笑顔を恨めしく思いながら、私は部屋を出た。
めぐみの元に進む足が重い。
どうすればいいのだろうか。めぐみが抱えている悩みなんて、一つしか思い浮かばない。
写真を撮るだけならめぐみにはバレなかったかもしれないが、無言電話までかけてしまっては、やはり身の危険を感じてしまうのだろう。
もちろん、ストーカーに対するめぐみの意見を聞いたことがなかった。めぐみは、今の状況に対してどんな考えを持っているのだろうか。どんな心境で毎日を過ごしているのだろうか。
そんなことを思いながら歩くと、広場に到着し、ベンチにちょこんとめぐみが座っていた。
めぐみは私の姿を視界に入れると、ぱぁ、と表情を明るくして、立ち上がった。そして手を振る。こんな子供じみた仕草も、めぐみならばなぜか許せてしまう。私も小さく手を振ってめぐみに応える。
「すいません。めぐみ先輩には迷惑かけたくなかったんですけど…」
めぐみの表情は、確かに暗みを帯びていた。
「いいのよ。どうしたの? なにかあった?」
どこまで白々しい人間なんだろう、と私は自分を強く非難する。
めぐみは、顔を俯かせて、その顔面から笑顔を消した。めぐみの笑顔以外の表情を観るのは久しぶりのことだった。
「実は、あたしストーカーにあってるっぽいんです」
私は、あえて言葉を発さなかった。感嘆詞でも声をあげてしまえば嘘臭さがどうして現れてしまう。沈黙は金だ。
「なんか、夜中に無言電話が何度もかかってくるし、私が映ってる写真がポストに投函されてたり…これって、ストーカーっていうんですよね」
私は、めぐみの顔をみないように用心した。自分が今どんな表情をしているかどうかわからないからだ。もし、おかしな表情をしていて、それがめぐみに見つかったら、どんな疑いをかけられるかわかったものではない。
「私、もう何もかもが怖くて…。他人が全員ストーカーに見えて、ポストもろくに開けられないし、電話がなっても受話器を取りたくないし…。怖いんです。怖いんです、あたし…」
全員ストーカーに見える、という言葉に皮肉を感じずにはいられなかった。隣にいるのよ、そのストーカーが。ここでそれが口にできれば、どれだけ楽なのだろうか。
「怖いです…先輩…」
横目で見ためぐみの眼からはぽろぽろと涙が落ちていた。大粒の涙。私が流させている涙だ。
私に出来ることはめぐみの頭を撫でてあげることくらいだった。もちろん、警察に行くように勧めたり、大学に相談してみたり、ということをアドバイスするのが正しい。正しいのは分かっている。重々わかっている。しかし、間違っている私には、正しいことをすることなんてできない。
どうしようもなく、めぐみの頭を撫でていると、急にめぐみが私の身体にしがみついてきた。しがみつく、などという生半可なものではなく、抱きしめた。すがる、という表現が一番しっくりくるだろうか。めぐみの華奢な二の腕は私の腰にまわり、涙で濡れた頬を私の胸にうずめる。私は、どうしていいかわからずに、頭を撫でつづけた。
「私には、先輩しか、いないんです…」
涙混じりの声で、めぐみは私に訴える。
めぐみは、顔をあげて、上目遣いで私を観る。
「あたしを、守ってください…」
その言葉を聞いた途端に、私の中で何かが弾けた。
忘れていたと思っていた罪悪感が再び膨張し、限界が来て、破裂したのだろうか。
私の中には今までとは全く違う構造が生まれていた。
めぐみは、私に付け狙われ、その身の安全を脅かされている。精神的に苦しみ、いつか自分の身に何かが降りかかってくるのではないか、という不安に苛まれている。
しかし、その裏で(表の方が正確だろうか)、めぐみは、私によって守られるのだ。
私によって脅かされ、私によって守られようとしている。
この支配構造はなんだろう。
滅多に自分が加害者と庇護者を両立することは出来ないだろう。
めぐみの運命は全て私が握っていると言っても過言ではない。もちろん、私は依頼者と金銭によって動かされている。しかし、実行犯が私であることは変わりない。そのストーカーの実行犯が、めぐみを守るのだ。
めぐみの全てを、私が握っている。
背筋にぞくぞくと悪寒に似た感覚が湧き上がる。一種の快感なのだろうか。人をここまで完膚なきまでに支配することが出来ると、人間はここまで悦ぶことが出来るのだろうか。私は驚愕とともに、歓喜した。
その時には、すでに罪悪感は完全に消え去っていた。慣れによる消失ではなく、罪悪感もろとも、快楽に変わった瞬間であった。
びりびりと手足が痺れ、感覚がなくなる。
しかし、その快感を表に出すわけにはいかない。私は必死に悦びを隠し、淡々とめぐみの頭を撫でた。
「大丈夫。大丈夫だよ、めぐみ。私がついてる」
私は、出来るだけ優しく、ゆったりと言った。くしゃくしゃになっためぐみの顔が、少しだけ晴れやかになる。めぐみの表情から、明るさを奪った人間が、また晴れやかさを与えた。そんな奇妙な構造が、私の支配欲求をくすぐる。
「ありがとうございます、先輩」
めぐみは私を抱きしめる力を強くする。ぎゅう、とめぐみの腕が私の身体に食い込み、服越しに体温を共有する。同時に、めぐみが発する、柔らかく優しい匂いが私の鼻を捉え、私を甘い気持ちにさせる。
私はそんなめぐみの身体を堪能しつつ、新たに形成された支配関係を、私はじっくりと味わっていた。
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