第2話 「罪」

 私は、いつものように撮影してきためぐみの写真をプリントアウトする。

 昔だったらインスタントカメラをカメラ屋に提出し、現像してもらわなければならなかった。そうなれば、店員が出来上がった写真を見てストーカーを疑う可能性は大きい。しかし、今だったらデジタルカメラとコピー機さえあれば印刷をすることなど容易だ。技術革新はストーカーに優しい世界を使ってしまったなんて、全く皮肉なことだ。

 ういん、ういん、ういん、と鳴き声を発しながらコピー機はめぐみが映った写真を吐きだす。この写真がどんなことに使われるかもわからないで、呑気なものだ。コピー機にも怪しい写真を検知し、自動的に警察に通報が出来るようなシステムが組み込まれれば、私だってこんな苦々しい経験を続けずに済むのに、とくだらない思考が頭を巡る。

 私は、一枚写真を手に取って、めぐみの風貌を観察してみる。

 夜の写真ということで、はっきりした表情は伺えない。しかし、その写真からはめぐみの持つ可憐さや優しさが伝わってきた。低い身長を必死に伸ばして洗濯物を取り込む姿は健気の一言に尽きる。

 今まではストーカーという人種の行動原理がよくわからなかった。

 異性、または同性を執拗に付け狙うことの何がおもしろいのだろう。陰でこそこそと観察するのなら、直に対面して話をした方がよっぽど楽しく、おもしろいに決まっているではないか、私はそう思っていた。

 しかし、この数カ月の間で少しだけ、ストーカーの心理がわかってきたような気がする。

 直に話している時の姿は、公の姿に過ぎない。公の場では、人は他者に対していくつもの障壁を張る。どれだけ親密な人間に対しても、人は演技をし、防御をする。または、攻撃をする。所詮それは、人間の仮の姿に過ぎない。人間の本性は、褻の場、つまりプライベートの場において現れるのではないか。そして、その本来人々の見ることの出来ない姿をストーカーはじっくりと堪能する。それも、自分一人だけで。そのようにして、自分の立場に酔うのかもしれない。

 そんなストーカー論を考えるようになってしまった私には、もう普通の生活は戻ってこないのかもしれない。四六時中橋本めぐみの行動パターンについて予測を張り巡らせ、次はどこで張り込めばいいのか、を考え、どうすればバレずに尾行をするためにイメージトレーニングをしている。こんなこと、尋常な人間だったら考えもしないことだ。そんなことを、私は普通に、尋常に、当たり前のように考えている。最初はそんな自分に度々気が付いて、やめろ、やめろ、本当の私はストーカーじゃないんだからそんなことを考えるな、と止めていたのだが、それすらもしなくなっていた。

 印刷された写真をまとめて、封筒に入れる。そして、依頼主から教えられた住所を封筒に書いて、切手を貼る。指定された宛て先は、とある私書箱だ。私書箱に封筒を送り、依頼主はそこから封筒を引き取っているのだろう。まったく、便利な世の中だ。自らの手を一切汚す事なくストーカーが出来るなんて。

 作業が終わった瞬間を見計らったように、パソコンにメールが届いた。もちろん、依頼主から。

 


   先日依頼した写真、確かに受け取った。報酬は明日届くように郵送する。

   これは依頼ではないが、盗聴の音声が最近途切れ気味だ。彼女の家に行って

  発信状況を確認してほしい。どこか荷物の中に埋もれているのかもしれない。

   依頼は、彼女の家に無言電話をかけること。

   一時間に一度。足がつかないように、もちろん公衆電話からかけるように。

   日時は明後日の深夜十一時から午前四時。電話線を抜かれていたとしても、

  かけ続けるように。



 めぐみのストーカーを始めてから三ヶ月が経つが、最近私に要求される行動が段々とエスカレートしている気がする。最初はこそこそと写真を撮るくらいのことだったが、無言電話をかけさせられたり、撮った写真をめぐみの家のポストに投函しろ、などの間接的にではあるが、めぐみに触れる距離にまで私を到達させる。しかし、私はもう引き下がることは出来ない。行動がエスカレートしていくのに比例して、報酬も上がっていく。一度味を占めたら最後、こんな良いアルバイトから身を引こうなどとは思えないし、引こうと思っても、もはや法律違反にどっぷりとつかっている私は、依頼者に首根っこを掴まれた状態だ。実行犯は私のみであり、依頼者が「怪しい人物が徘徊している」などと通報すれば、

私はすぐに刑務所に送り込まれることだろう。もう、従うしかないのだ。

 もはや、私の中に罪悪感はほとんどない。

 三ヶ月という時間を経て、身も心もストーカーになってしまっているのかもしれない。ストーカーの心理に寄り添うことが出来るのも、自分が本当にストーカーになってしまったからかもしれない。

 人は慣れる生物だ。いや、全ての生物はおそらく慣れるという特技を持っている。

 罪の意識も、慣れによって消失してしまうものなのだろうか。悪臭のように、痛覚のように、時間をかければ消えてなくなってしまうのだろうか。そんなものなのだろうか。

 

          *


 依頼主から受け取った最初の指令は、盗聴器を仕掛けた置物をめぐみに贈ることだった。

 めぐみに関する情報を網羅している依頼主は、めぐみの誕生日に合わせて私に指令を送ってきた。用意周到、準備万端な依頼主に私は辟易する前に感服してしまった。

 サークルで仲のいい男二人と私でめぐみの誕生会をささやかながら行い、そこでプレゼントとして依頼主から送られてきた犬の置物をめぐみに贈った。

「えーいいんですかぁ? ありがとうございますー」

 めぐみはきゃらきゃらと笑いながら私からの、悪意の詰まったプレゼントを快く受け取った。

「わぁ! わんちゃんの置物! こういうの欲しかったんですよー」

 満面の笑みをふわりと咲かせ、めぐみは私に感謝の言葉を返した。私は必死に笑顔を作ってめぐみの言葉に応える。

 この時襲ってきた罪悪感は凄まじかった。

 これから、めぐみの一挙手一投足は、この盗聴器から依頼主に筒抜けになってしまうのだ。テレビを観ながら発する独り言、電話の声、何気ない鼻歌、もしかしたら、性的欲求を発散しているところだって、と考えると無性に涙が出そうになった。ごめん、ごめんめぐみ。めぐみの感謝の言葉と同じ量の懺悔の言葉を心の中で繰り返した。ごめん。ごめん。ごめん。

 めぐみは良い後輩だ。

 抜けているところがあったり、物腰は柔らかい割にずけずけと物を言ってくる場面もあったりして、めぐみをとっつきにくいと評する人間もいるが、私はそんなめぐみを良く思っていた。サークルだけではなく、学業もアルバイトもおろそかにすることはない。

 私を慕ってくれるだけでなく、時にはサークルの運営に関して意見をしてくれたり、私の気が付かないところにまで目を配ってくれるときもある。私も私で、めぐみの欠点を埋めることもあったり、切磋琢磨しながら楽しくサークル生活を共に送っていた。

 そんなめぐみに、私はとんでもないことをしている、とこの時は思った。人間というものは、金銭が絡むとそれまでの関係性なんてどうでもよくなってしまうものなのか、と切なかったり、悔しかったり、嘆いたりもした。

「ありがとうございます、先輩」

 めぐみは、私に笑顔で何度も何度もそう言った。そう言う度に、私の心には一本ずつ包丁が刺さっていった。深く、深く、包丁は突き刺さり、心を抉った。

まだ、その時は。

気がつけば、その包丁はどこかに消え去ってしまった。

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