第2話 河童の住む川②
気が付くと、後頭部がひんやりぷにぷにした何かに支えられていた。
暗い川底で固い岩を枕にくたばったわけではなさそうだ。
ようやくふわふわとした意識がはっきりと戻ってきている感じがある。お帰り俺。そして生きていてよかった。
……どうやら俺は誰かに助けられたようだ。それも女の子に。何故それに気付いたかは言うまでもない。この格好、俺は今膝枕をされているようだ。そして、俺の頭上にあるこの真ん丸。──乳だ。
しかもこの布の質感、俺は知っている──スク水だ。
俺の頭上にある太陽以外の真ん丸が、二つ。そこから額に水滴が滴り落ちた。
当の本人の顔が俺の目線からは隠れて見えないサイズ。そうとう立派なモノをお持ちの方のようだ。
命の恩人? に対してそんなゲスい予想を繰り広げていたとき、ぼそぼそ戸惑ったような声が聞こえてきた。
「ええっと……こういうときは人工呼吸かな? あ、でも呼吸は止まってないんだよね……どうしようかな……?」
俺は再び目を閉じた。
さあ、こい。
別にいいんだぜ。人工呼吸は別に呼吸が止まっていなくてもしていいんだぜ。その場合人工呼吸ではなくキスと呼ぶんだぜ。
だが待った、これで顔が見えないがとんでもないドブスだったらどうしよう。俺のファーストのチッスが汚されてしまうことになる……いや、しかし仮にも命の恩人だしなあ……まあ、この声の感じからきっと100点満点中40点以下はないだろう。
キスだけなら40点でも全然俺はウェルカムだ。だけど、せめて心の準備というか顔を一瞬拝むだけでも……
そのとき、彼女の独り言が止んで、辺りを見回したのか体をひねり、横顔が伺えた。
柔和な輪郭に、主張しすぎない形の良い鼻がのぞかせる。ちょっと切れ長の目には影が落ちそうなくらいの長いまつ毛とうるんだ瞳。真っ白な頬は暑さのせいか濃い目に朱が差していて、つややかな肌には水滴が輝いている。胸の真ん中あたりまである長さで、必要以上につややかな黒髪が首筋に流れるように張り付いている。
100点満点中100億点。
俺は再び目を閉じた。
さあ、こい。
むしろ人工呼吸してくれるまで目を開かんぞ、俺は。
「誰も見てない、よね。ええと……し、失礼します」
彼女は覚悟を決めたらしい。俺の頭が少し浮かされた。正面に向けていた体の向きを変えて、人工呼吸をしやすいように横向けに座りなおしたようだ。
閉じた瞳の中が一層暗くなるのを感じた。俺の顔を覗き込んで陽光が遮断されたのであろう。
長い髪が俺の頬に張り付いた。ちょっとくすぐったくて一瞬鼻の穴が膨れてしまうが、全力で我慢する。
彼女の息遣いが近づいてくる。
もう、あと数センチもないだろう。
──そして
──唇が
────触れた。
おお、これが女子の唇の感触。
思ったよりひんやりしていている。だが、俺の想像通り柔らかかった。
こういうときってどうやって息すればいいんだろう。とりあえず普通に鼻呼吸でいいんだよね?
ちょっと生臭い気がした。でも、なんだか生き物の匂いって感じがして逆に生々しくていいかもしれない。
そのとき、閉じていた瞼越しに明るさが戻るのを感じた。彼女が顔を離したのだろう。
だが、唇に感じている感触はまだそこにあった。
あれ? これどうなってんの? すんごい唇が伸びたままとか?
いやいや、そんな妖怪みたいなことあるかい!
恐る恐る、ばれないようにまた薄ら目を開ける。
彼女はなんだか、いたずらが成功した子供のようにニヤニヤとこちらを見ていた。別に唇はすんごい伸びていなかった。
あ、やっぱりかわいい。
だけど、その表情に不安を覚え、いまだ女の子の唇(らしきもの)の感触が続く自身の唇へと、視線を、下す。
かわいらしい、蛙と目が合った。
「うわああああ!!!!」
とっさに飛び起きて、顔を左右に激しく振った。
女の子の唇だったものはそれに驚いて、雑木林の方へと跳ねて逃げていった。
「あはははは! 蘇生成功!」
「なにすんじゃ!」
「えー、なんだか意識が戻らないみたいだからちょっとショック療法を駆使して起こしてあげようかと……」
いまだにおかしそうに腹を押さえてるスク水の女を睨みつけ、唇を何度もこする
クソが、俺は試されていたというのか。
「っていうかキミ、薄目開けてるのバレバレだったから」
「んなっ! い、い、いや俺は今の今まで気絶してたし! むしろ昇天寸前だったし! 助けてくれてありがとうございましたあ!」
怒ってたつもりが、嘘を隠すためとっさに感謝してしまった。
まあ、溺れていたのを助けてくれたのは本当なんだし、イタズラでチャラにならないくらい感謝しているのは本当だ。
でもやっぱむかつく。
「ああ笑った笑った。でも、突然雑木林の中からほぼ全裸の男の子が雄たけび上げながら飛び出してくるんだもん。フツーに襲われるかとおもってびっくりしたよ」
「す、すみません」
「まあ、そのあと大いに笑かせてもらったからいいよ」
ちょっと不機嫌そうに顔を背けてやった。助けられたのにこの釈然としない感じなんなんだろう。
「ところで、キミ、見かけない顔だね。この辺の人じゃなかったりする?」
「ああ、この前こっちにある祖父母の家にきた」
「ふーん」
俺はこのとき違和感を感じた。
俺が引っ越してきたときは、そこら辺を歩いてるだけで、ジジババがこぞって「あら~もしかし蔵内さんちのお孫さん? 都会の方から出てきたんだけ? この辺はなーんもないけどいいところだから、ぜーんぜん心配するこたあないのよ? 高校生だっけ? おべんきょ、頑張ってね~」なんて声を掛けられた。
学校でも、入学当初全く知らない別のクラスのヤツから「おう、お前が新人か!」とか、話してもないのに「都会から引っ越してきたんだってね」とか、「蔵内さんちの孫だよね」とか、俺の個人情報がすっぱぬかれてるんじゃないかと感じるくらい皆俺のことを知っていたのに。
見た所こいつも俺と同年代くらいかな? 話しぶりから感じるにこいつもこの辺の人なんだろう。そして、同年代のこの辺の人なら、だいたいは俺が通う北澄高校のはず。
つっても北澄は全校生徒約100人。その中でこんな美人見かけたら顔くらい覚えるはずだが、ここ1か月で見たことも、すれ違ったこともなさそうな顔だった。
まあ、街から出て私立に通ってるというのも考えられなくはない。
だが、高校生なら俺みたいな不良は除いて、平日のこの時間には学校にいるはずだ。
「なあ、あんたも北澄高校の生徒だったりする?」
「……」
さっきまでけたけたと子供のように笑っていたのに突然、黙ってそっぽを向いてしまった。
「あ、なんか悪いこと聞いちまったかな……?」
「……違うよ」
「えっ?」
「あたしは、河童なの」
突然何を言い出すんだと思った。
そして、これが俺とスク水を着た河童との出会いだった。
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