第6話 伝説は始まった
手塚が『新宝島』を描きあげたのは、一九四六(昭和二十一)年の十二月上旬であった。二ヶ月でおよそ百九十ページの漫画を描きあげたことになる。
一週間で二十五ページ前後の漫画を描きあげたその執筆速度は凄まじい。しかも、二十一世紀のこんにちと違い、アシスタントなどはいないのだ。手塚の筆の早さはのちに伝説となる。あとの世代ではトキワ荘の石ノ森章太郎が手塚を超える執筆速度を誇るものの、他は誰も彼に追いつけなかった。
「手塚君、よう頑張ったな」
七馬はニッコリ笑って手塚を賞賛した。
七馬の家である。手塚は疲れた顔色で、しかしニコニコしながら原稿を届けに来たのだ。
「この経験はきっと、君の財産になるで」
「ありがとうございます」
本来描くべきだった二百五十ページを描けなかったのは、手塚にとってさぞかし悔しかっただろう。だがそれも含めて、手塚には大きな経験になったに違いない。
「よっしゃ、それじゃ、原稿はわしが預かっておこう。育英出版の近藤さんに預けておくさかいな」
「はい」
「あとはわしに任せておけ。問題がある場所があったら、適当に修正しておくから」
「はい、お願いします」
「うむ」
こうして、七馬は原稿を受け取った。
「ところで酒井さん。原稿には表紙が無いのですが、それは描かなくていいのですか? 僕は描くつもりで、今日、道具も持ってきたのですが」
「ああ、それは大丈夫や。表紙はわしが描く」
「酒井さんが?」
「おいおい、不安そうな顔をするなや。大丈夫や、任せておけ。子ども達が見たら思わず読みたくなるような、立派な表紙を描いたるからな」
七馬がニッコリ笑ったので、手塚も笑って「お願いします」と言った。
(わしもやったるで)
手塚が帰ると、七馬は『新宝島』の表紙を描き始めた。
――きらびやかに輝く財宝。
――その財宝を覗き込む、主人公の少年と、犬。
――そんな一人と一匹を物陰から狙う、怪しげな海賊達。
七馬は丁寧に、木版画のタッチでそれらのキャラを描き始めた。
やがて、キャラクター達が完成した。
(あとはタイトルロゴや)
七馬はここで洒落っ気を出してみた。単に『新宝島』と書くだけではつまらない。
――SHINTAKARAJIMA 冒険漫画物語 新宝島
「できた!」
キャラクター達に、ローマ字のタイトルロゴ。
さらにそこを綺麗に四色刷りの色を塗って、出来上がりだ。
「これが表紙や!」
七馬は自分の描いた表紙に満足した。
客観的に見ても、良いできだと思った。モダンで、カラフルで、作品の内容を表紙一枚でうまく表現できている。これならば、子ども達も思わず手に取ってしまうだろう。
「『新宝島』や!」
七馬は完成した喜びのあまり、おたけびをあげた。
年が明けて一九四七(昭和二十二)年の一月三十日、『新宝島』は発行された。
クレジットは、原作・構成が酒井七馬、作画が手塚治虫になっている。
七馬は大まかなあらすじを手塚に教えただけで、全体としては、ほとんど手塚の作品と言ってよいのだが、それでもあらすじを考えたのは確かに七馬なので、このクレジットは間違ってはいない。
とにかく、こうして『新宝島』は世に飛び出したのだ。
そして、衝撃が走った!
それは、衝撃としか言いようがない。
日本中の少年少女達が、その漫画を見て、度肝を抜かれたという。
それは当時の子ども達にとって、新宝島ショックと表現しても過言ではないほどの、大きな衝撃だった。
大げさではなく、歴史を変える衝撃だったのだ。
富山県に二人の中学生がいた。藤本と安孫子と言う名前の彼らは小学校からの友達で、共に漫画が大好きだった。
しかしこの時代、漫画はあくまで子どものものであり、小学校を卒業すれば、漫画の世界からは離れていくのが普通とされていた。
藤本と安孫子もまさにそうだった。小学生のときは漫画が大好きだった二人だが、もう中学校に入ったことだし、ぼちぼち漫画の世界からは卒業しなければならない――そう考えていたときだった。
二人は、『新宝島』と出会った!
「凄い!」
「な、なんや、この漫画は!」
彼らは衝撃をもろに受け、作品の世界観に魅了された。
そして手塚治虫に恋焦がれ、自分達もこんな漫画を描きたいと志し、ついにその夢を叶え、漫画家になってしまうのだ。
その中学生二人こそ、藤本弘と安孫子素雄――のちの藤子不二雄である。
言うまでも無く『ドラえもん』を、『怪物くん』を、そして『オバケのQ太郎』を生み出した二人だが、彼ら二人は『新宝島』が無ければ絶対に漫画家になっていなかったと公言している。
藤子不二雄だけではない。
――手塚治虫が『新宝島』という単行本を大阪の出版社から出しました。ハッとするほど新鮮なものでした。
とのちに語るのは、当時九歳だった宮城県の小野寺章太郎という少年で、のちの石ノ森章太郎だ。
また、藤子、石ノ森らとのちにトキワ荘で青春時代を共にする赤塚不二夫も、この時期から手塚治虫に傾倒していく。
他にも、松本零士が、楳図かずおが、永島慎二が、望月三起也が、和田誠が、筒井康隆が――
とにかく名前をあげていくとキリがないほど、数多くの子ども達が、『新宝島』を読み、その世界観に引き込まれた。夢中になった。そして彼らの多くは漫画家を目指すようになり、戦後の漫画史を築き上げていくことになる。
『新宝島』は最終的に、四十万部と言う空前絶後の売り上げを記録した。
当時の日本人が八千万人だから、実に二百人に一人の人間が『新宝島』を買ったことになる。
ベストセラーとしか言いようがない。
この数字はさすがに大げさで、実際はもっと少なかったと言う説もあるが、仮に話半分の二十万部としても十二分に大ヒットと言っていい。
七馬と手塚は、『新宝島』で特大ホームランを放ったのだ。
「いやあ、ヤノサン。やったな、すごいわ。ほんまにすごいわ!」
松葉健がコーラを飲みながら何度も何度も七馬を誉めた。
七馬の家である。
『新宝島』の成功を祝して、七馬と松葉健、そして大坂ときをの三人で祝杯をあげていたのだ。
もちろん、手塚も誘った。他に予定があって少し遅れているが、やがてやって来るだろう。
「とにかくめでたい!」
既に酒が入っている大坂ときをは、顔を真っ赤にして笑った。
「これほどの大成功になるとは、さすが酒井先生。僕が見込んだお人や!」
「おいおい、そんなに誉めるなや、江上君。照れるやないか」
「そんなことを言って、ヤノサンも実はまんざらではないやろ?」
「まあな!」
松葉健の言葉に、満足げにうなずく七馬に、松葉健と大坂ときをはまた笑った。
これほどの大ヒットは、戦前から漫画を描き続けている七馬でさえ、これまでになかったことだ。
まさかこれほど『新宝島』が売れるとは、育英出版は考えていなかった。
だからだろう、育英出版は『新宝島』の初版が終わると、再版についてはまったく考えておらず、『新宝島』の刷版を潰してしまった。刷版を潰すと、もうその本は再版することができなくなる。
「ところがあまりに『新宝島』が売れたもんやから、出版社は慌てて、また刷版を作り直すことにしたそうや」
七馬は笑って言った。
事実であった。刷版を再び作ることになったせいで、『新宝島』は一月三十日初版の本が出た後、もう一度、四月一日初版の本が出ることになった。これが原因で、後世の漫画マニア達はおおいに混乱することになる。
「初版本が二回も出ることになるとは、ややこしいですね」
「そうや、ややこしいんや」
大坂ときをと七馬は、日ごろめったに飲まない酒を飲んでいるせいか、二人とも顔が真っ赤である。
「それにしても、どうしてここまで売れたんやろうな?」
松葉健が首をひねった。
すると大坂ときをが、
「そら、酒井先生のお力や。先生の提案した、映画的手法が見事に的を射たんや」
と七馬を誉めた。
七馬は何も言わず、ただニコニコ笑っている。
――どうしてここまで売れたのか?
そのことについては、七馬も考えた。手塚の描いた漫画が素晴らしかったこともあるだろう。だがそれだけでは、四十万部も売れるとは思えないのだ。
七馬はかつて雑誌編集の仕事をしたことがある。漫画やアニメの仕事もいろいろ経験してきた。
だから、ヒットする作品の条件を、少しは知っているつもりだ。
(時代の流れに乗ることや……)
これである。
その時代のニーズに乗った作品は、売れるのだ。
もちろん、作品としての質が高いことは求められる。だが、それだけではないはずだ。作品としてまったく申し分の無いものが、まったく売れなかった、と言う話を、七馬は実際に何度も聞いてきたし、目の当たりにしたこともある。
(では、『新宝島』の何が時代の流れに沿っていたのか?)
七馬は何度も考えた。
ときには実際に『新宝島』を読んだ子ども達に話を聞いてみたりもした。
すると子ども達は誰もが「こんな漫画、読んだことが無い!」「新しい漫画や!」と答えた。
そのセリフを聞いたとき、七馬は愕然とした。
(いまの子ども達は昔の漫画を知らんのや!)
『新宝島』は、アニメや映画のように描かれた漫画だ。
だが、それ自体は特別に新しいわけではない。戦前にもそんな漫画はいくつもあった。
それなのに、子ども達は新しいと受け取る。
なぜか?
(戦争によって漫画の歴史が断絶したからや……)
一九三八(昭和十三)年、内務省警保局が発した「児童読物改善ニ関スル指示要綱」によって、漫画の内容に制限が加えられた。「卑猥俗悪ナル漫画及ビ用語」は廃すべしと国家が決め、編集上においては「漫画ノ量ヲ減ズルコト」「特ニ長篇漫画ヲ減ズルコト」と決められた。これにより、長編漫画はその命を絶たれる。
さらに一九四一(昭和十六)年、太平洋戦争に突入した日本は、戦局が悪化するにつれ、世相を殺伐とさせていった。
すると漫画やアニメは、戦争や軍隊をひたすら礼賛するお上御用達のものになっていく。
七馬自身もそういった漫画やアニメを生産していた。せざるを得なかった時代でもあった。
そうして、漫画やアニメはつまらないものばかりになっていく。斬新な漫画、娯楽としての漫画は消滅し、古臭く説教的なものばかりが増えていく。
そんな時代に育った子ども達――つまり、いま小学生くらいの世代の者達が、昔の漫画を知らないのは当たり前なのだ。だからこそ『新宝島』がとても新しい、斬新な漫画に見えたのだ。
『新宝島』のヒットは、戦争による文化の断絶の結果だ!
戦争無くして、『新宝島』のヒットは、つまり酒井七馬と手塚治虫の栄光はありえなかった!
(なんちゅうことや……)
戦争が、七馬の栄光につながっている。
そう思うと、七馬はぐっとやりきれない気持ちになった。
(喜んどってええんか……)
そう思った。
だが、七馬は気持ちを切り替えた。
(戦前の漫画を知らん子ども達が増えたんやったら、それを継承して伝えていくのが、戦前からの生き残り漫画家であるわしの務めや)
もっと、子ども達に夢を与えたい。
もっと、子ども達を笑わせないといけない。
だから、まずはわしが笑う。
笑って、笑わせて――それが漫画家の務めや。
そう考えたのである。
だからこそ、こうして、松葉健や大坂ときをが祝ってくれているのを、七馬は何も言わずニコニコ笑って聞いている。
(もっともっと、頑張らなあかんなあ……)
口元に微笑を浮かべながら、七馬はゆっくりと酒を飲んだ。
そのときだ。
がちゃん、と激しい音を立てて、ドアが勢い良く開き、手塚が入ってきた。
「おっ、手塚君やないか」
「手塚さん、遅いで!」
大坂ときをと、既に手塚と顔見知りになった松葉健が笑顔で話しかける。
しかし二人は、すぐに怪訝な顔付きになった。
手塚は、眉間にしわを寄せ、鋭い目付きで七馬を睨んでいるのだ。
「……?」
手塚が自分を睨みつけていることに気付き、七馬は不思議そうに彼を見つめる。
「どうした、手塚君……」
「酒井さん!」
手塚は靴を脱ぎ、家の中に入ってくると、『新宝島』を七馬に突きつけ、
「どういうことですか! これは……これは……」
唾を撒き散らしながら叫んだ。
「これではもう、僕の作品ではない!」
手塚は目をむいて主張した。
「キャラクターのセリフや、描き文字があちこち修正されている!」
そう言って、手塚は『新宝島』の本を開き、
「まずここが!」
と言って次は、
「ここも!」
さらに、
「ここも! ここも! そしてここも! 僕が描いた『新宝島』は、こんな効果音はなかったし、こんなセリフも無かった!」
手塚はひとつひとつ、指摘していった。
その指摘に間違いはない。手塚の言う通り、彼が描きあげた原稿に、七馬が手を加えた箇所である。
手塚は自分が描いた漫画を、ほぼ完全に暗記する頭脳を持っていた。
はるか後年、アメリカから日本のアシスタント達に電話をして、「二ページ目四コマ目の背景は『ブラック・ジャック』三話前の何ページ何コマ目の校門を入れて」「三ページの三コマ目には『三つ目がとおる』二話前の十ページ目の住宅街を前面に入れて」などと、メモも持たずに指示をしたと言うエピソードが残っている。
とにかく手塚は、自分の原稿に手を加えられたところを、ひとつ残らず指摘した。
さらに、
「バロンの絵については、完全に酒井さんの絵になっているじゃないですか!」
と、さらに声を荒げて主張した。
事実であった。
『新宝島』に出てくるキャラクターの一人、野生の青年バロンは、手塚が描いたバロンではなかった。正確に言えば、肉体の部分は手塚の描いたバロンなのだが、顔は完全に七馬の絵になっていたのである。
「どうしてこんなところまで修正されたのですか!」
「……」
七馬は酒を机の上に置くと、
「まあ、とにかく座れや」
と言った。
手塚は口を開きかけたが、ふーっと大きく息を吐くと、とりあえずその場に座った。
緊張した空気が場に流れる。
松葉健も、大坂ときをも、先ほどまでの笑顔は既にもう無い。
緊迫した面持ちで、七馬と手塚を見比べている。
やがて七馬は、ゆっくりと口を開いた。
「手塚君」
「はい」
「わしは言っといたはずや。問題がある場所があったら、適当に修正しておく……と」
「は……?」
手塚は首をひねった。
「……言われましたか」
漫画については抜群の記憶力がある手塚だが、それ以外のことについてはそうでもない。
「……言われたとしても、セリフや絵をここまで激しく変更されるのであれば、せめて僕に一言、相談をしてくれてもいいでしょう!」
「ふむ」
七馬にも言い分はあった。
そもそも『新宝島』は合作である。最初のアイデアだけ手塚に渡して、その後、七馬はすべてノータッチだったから、ほとんど手塚の作品と言っていいのだが、それでも合作は合作だ。最終的に七馬が修正したとしても、悪いことではない。
バロンの絵にしてもそうだ。七馬は手塚の原稿を、素晴らしいものだと思っていたが、それでもバロンだけは満足がいかなかった。漫画的すぎるし、ごぼうのように痩せこけたバロンに見えたからだ。だから七馬は修正した。手塚の描いたバロンの顔の上に紙を貼り、改めてバロンの顔を描いたのだ。
七馬はそのことを、ひとつひとつ丁寧に主張していった。
すると手塚は、最初こそ息巻いていたものの、次第に落ち着いていった。
十八歳の青年である。父親ほど年が離れた先輩から丁寧に説得されれば、落ち着かざるをえない。
「修正については、分かりました」
ついに手塚はそう言った。
だが、さらに彼は「けれども」と続けて、
「奥付に僕の名前が無いこと。これだけは我慢なりません」
と言いながら、『新宝島』の奥付を開いた。
奥付にはなるほど、
【著者 酒井七馬】
とあり、手塚の名前は影も形も無い。
「せやけど手塚君、表紙にはちゃんと君の名前があるし、ええやないか」
と、大坂ときをは言ったのだが、手塚は首を振った。
「『新宝島』を描いたのは僕です。奥付の著者には僕の名前が載るべきです。酒井さんと一緒に名前が載らなければ納得できるものじゃない……。酒井さん、ここだけは譲れませんよ!」
(なんとまあ……)
七馬は手塚の意外な一面を見た気がした。温和な青年だと思っていたが、なかなかどうして、自己顕示欲が強い男だと認識を改めた。
そもそも普段、七馬は奥付など気にしたこともない。著者の名前は、表紙にあれば十分だと思っていた。奥付に手塚の名前が載っていなかったこともいま知ったのだ。
そもそも奥付については、七馬の関知するところではない。出版社の仕事だ。そして出版社は最初、七馬にだけ仕事を依頼してきた。だから出版社が、奥付に手塚の名前を書かず、七馬の名前だけを記したのは当然の流れなのだ。
七馬は先ほどと同様に、そのことを手塚に伝えた。
そして、
「『新宝島』は再版するそうやから、そこからは手塚君の名前を奥付に載せるから」
と言って、手塚を説得したのである。
そこまで言われて、手塚はやっと笑顔になった。
「そうですか、奥付に僕の名前が……。いや、それならいいんですが」
手塚は急に機嫌が直ったようで、
「すみませんでした。取り乱してしまって……」
そう言って、何度も七馬に頭を下げた。
急に態度を変えた手塚に、七馬も、また松葉健や大坂ときをも面食らったが、とにかく手塚が機嫌を直してくれたと言うことで、改めて祝宴となった。
宴会はおおいに盛り上がった。
四人は飲んで、騒いで、また漫画やアニメについて語り合ったのだ。
そんな中、七馬と手塚はまた合作の話をした。
『新宝島』が売れに売れたのだ、当然の流れだった。次回作もヒットさせようと二人はおおいに意気込んだ。
――次も傑作を作ろうや。
――はい。
――今回みたいな行き違いは、もう無いようにするさかいな。
――はい。僕のほうこそ、すみませんでした。
七馬と手塚は、肩を叩き合い、次も頑張ろうと誓い合ったのである。
ともあれ、こうして『新宝島』は世に生み出され――
手塚治虫の伝説は始まった。
手塚治虫の伝説は。
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