第2話 手塚治虫登場

 この年の九月二十六日、アメリカ軍第六軍が大阪に進駐した。

 焼け残ったビルのほとんどが進駐軍によって接収され、大阪の街はアメリカに占領された。

 かくして大阪に『戦後』の風景が広がる。サングラスをかけたGIが我が物顔でうろつき回り、パンパンと呼ばれる娼婦達や、飢えた顔の子ども達がアメリカ様に群がりまくった。ギブミー・チョコレート。――お恵みを!

 食糧事情は未だ改善せず、闇市は相変わらず盛んで、配給はなお雀の涙である。

 そんな世相であったが、酒井七馬はなかなかどうして、仕事が忙しく、懐周りもそれなりに豊かであった。

 理由がある。

 娯楽に飢えていたのは、日本人だけではなかった。日本にやって来ていた進駐軍、すなわちアメリカ人も娯楽に飢えていたのである。見渡す限り、廃墟と焼け野原になっている日本で生活する彼らは、暇を持て余していた。

 そこで七馬の出番である。アメリカ軍関係の仕事をやっていた知人が、七馬に話をもちかけてきた。

「どうやろう、ヤノサン。アメリカ人の似顔絵を描きに行かんか」

「行く」

 七馬はその提案を受けた。いまは仕事があるだけでありがたい。

 そしてアメリカ軍が駐留しているビルに赴き、軍人の似顔絵を描きまくった。

「サカイという日本人の画家は、なかなか絵がうまい」

 と、アメリカ軍人の間でも評判になり、やがて七馬はひっぱりだこになった。東洋の画家に自分の似顔絵を描いてもらうのが、アメリカ人にはユニークな娯楽のように思われたのである。

 こうして七馬はアメリカ人の似顔絵描きという仕事にありついた。

 報酬は、現金よりも食料やタバコで支払われることが多かったが、これはヘビースモーカーの七馬にはありがたかった。

「配給のタバコなんぞ、あっという間に消えてしまう。文字通りのケムリや」

 そう言いながらタバコを吹かしつつ、七馬はアメリカ人の似顔絵を描いたものである。

(当座の生活はなんとかなりそうやな)

 タバコを吹かし、またチョコレートをかじりながら、七馬はそう思った。

(しかし、大望は忘れとらん)

 必ず、子ども達を笑わせる作品を描いてみせる。

 それは、根っからの漫画家である七馬の信念だ。

(そろそろ動くべきときかもしれん)

 七馬の志が、燃えていた。


 そんな頃であった。

 七馬の家に、一人の青年が訪ねてきた。

 居候している家の二階でタバコを吸っていると、家の人間から「酒井さん、お客さんですわ」と声をかけられたのである。

 七馬が返事をする間もなく、彼は二階に上がってきて、ヌッと顔を出した。

「酒井先生、お久しぶりです」

 日に焼けて真っ黒になった、痩せた感じの男だ。非常に背が高く、キリッとした雰囲気の青年だった。

 七馬は少し首をかしげた。見覚えのある顔ではない。

「さて……すまんけど、どちらさんやろか?」

「あっははは、先生。あまりに真っ黒になったから分からんのでしょう。僕ですわ、僕」

「……?」

「江上ですわ!」

「――おお!」

 七馬は素っ頓狂な声をあげて驚いた。さもあろう。七馬が知っている彼は、色白でもう少し太っていたからだ。

 江上喜行、ペンネームは大坂ときを。

 戦前、十八歳のときに漫画家デビューを果たした彼は、そのとき尊敬していた七馬に手紙を出した。「漫画家としてデビューしたので、尊敬する酒井先生にいろいろと話を聞きたいのですが」――

 親切な七馬は、その手紙に「会ってやろう」と返事を出した。それから二人の付き合いは始まった。

 大坂ときをは七馬を崇拝しており、何度も「先生はよせや」と言ったが言葉遣いを改めなかった。

 七馬のことを常に先生、先生と呼んで慕っていたが、太平洋戦争が始まると徴兵され、戦地に行っていたのである。

「江上君、心配しとったぞ。いつ復員(兵役を解かれること)したんや」

「つい先日ですわ。内地に戻ったら、まずは先生のところにご挨拶に伺わなあかん思いまして」

「そら殊勝なことやな。しかし、わしがこの家に住んどることがよう分かったの」

「何を言うてはりますのや。アメリカ軍の間では評判でっせ。玉出のサカイはなかなかうまい画家や言うて――それでこの家もつきとめることができましてん。アメリカさんの間でも評判になってはる先生を、僕は誇りに思います。自分のことのように嬉しかったですわ」

「そうか、そうか」

 気恥ずかしくなってきた七馬は、強引にこの話題を終わらせようとした。

「しかし江上君、内地はまだまだ厳しいで。わしなんかは運良く、好きな絵を描きながら生活ができとるが、他は悲惨なもんや」

 漫画家に仕事がある時代ではない。普通の人にさえ仕事がほとんど無いのに――と七馬は言った。

 大坂ときをは何度もうなずき、厳しい顔つきで七馬の話に聞き入っている。

 が、やがて、

「先生、それやからこそ、チャンスや思いませんか」

 と言い出した。

 七馬は怪訝そうな顔を見せる。

「と、言うと――」

「確かにいまの日本は漫画どころではありませんが、だからこそ、いまはライバルがおらん時代や言うことです。こんな時代だからこそ、攻めの姿勢で漫画を出していけば、きっとパイオニアになれると思うんですわ」

「――ふうむ」

「東京のほうでは、既に映画が復活しとります。この調子で行けば、漫画の復活もそう遠くないですわ」

「何、映画が……」

 事実であった。佐々木康監督による映画『そよかぜ』がGHQの検閲を通り、この年の十月十日に公開されている。玉音放送から二ヶ月も経たない時期だが、既に東京では復興の第一歩が刻まれ始めているのだ。なお、この『そよかぜ』の挿入歌が、かの有名な『リンゴの唄』である。

「先生、漫画を描きましょう。東京の次は大阪です。娯楽の復活は近いですわ」

「いや、江上君。それについてはわしも思っとった。落ち込んでいる日本人を、思い切り笑わせたり、明るくさせる漫画をわしも描きたい。……しかし」

「しかし?」

「載せてくれるところが無い。わしや君が漫画を描きまくったとしても、まだ雑誌や新聞は復活しとらん。どうすることもできん」

「先生、それは」

「まあ、待て。せやからわしは考えた。載せてくれる雑誌や新聞が無いんやったら、自分達で作ってしまえばええと」

 自分の雑誌を作る。それが七馬の結論だった。そうすれば、誰に命令されることもなく、自分の思うがまま、漫画を描くことができる。

 七馬がそう言うと、大坂ときをは愉快そうに膝を叩いた。

「さすが先生! 実は、僕も同じことを考えとりました」

「何、江上君も……」

「ええ」

 大坂ときをは白い歯を見せて笑った。

「僕達が出す、僕達だけの漫画雑誌です。誰にも邪魔をされず、誰にも口出しをされず、自由で面白く、若くて熱い。そんな雑誌を作り、そして全国に販売するんです!」

「うむ!」

 七馬は大きくうなずいた。大坂ときをの語る夢は、七馬のそれと同じものだ。

「そもそも既存の雑誌が復活したところで、何ができますやら。戦時中はお上の顔を窺って、おべんちゃらを使っていたような連中ですやろ」

「その通りや」

 七馬は同意しつつ苦笑した。七馬自身が戦時中、本意ならずともそんなおべんちゃら作品を描いていたからだ。

 それに気が付いたのか、大坂ときをは、

「まあ、過去のことはともかく」

 と話題を変えた。

 話題は新雑誌についてだ。

「紙はありますわ」

 戦時中に知り合った人間が、いまは闇市で紙を取り扱っているが、そこから紙を流してもらう約束をしているとのことだ。

「まずは、百部。ガリ版で子ども向けの漫画本を作ってみようと思っとります」

「百部か」

 売れるといいが、と七馬は思った。先日、パフォーマンスを駆使して、やっとメンコを売りさばいたときの記憶が甦ってくる。

 あのとき知り合った松葉健は、たまに七馬の部屋に遊びに来て、漫画を描いていく。まだまだ未熟だが光るものがあり、七馬は彼が漫画を描きあげるたびに「原稿料や」と言ってチョコレートやガムを渡していた。

 松葉健の技量が一人前に達したら、大坂ときをに紹介してもええな、と七馬は思った。

 その大坂ときをはニコニコ笑って、

「先生、まずは僕が偵察ですわ」

「ふむ」

「とにかく、どれくらい本が売れるかが分からんと、どうしようもないですから。僕の漫画が売れるようやと分かったら、次は先生の出番です。先生の作品をメインにして、本格的な雑誌を作りましょう」

 実はそのために来たんです、と彼は言った。

 いまはまだ原稿料も何も用意できないから依頼できませんが、将来は必ず、札束を持って先生に漫画を依頼します――そう言った大坂ときをの双眸は希望に満ちていた。

 まだ最初の一冊も出していないうちから、商売がうまくいったらうちで漫画を描いてくれと依頼するのは、取らぬ狸の皮算用もいいところだが、しかしこれもまた若さなのだろう。破壊し尽された日本を復活に導くのは、大人の分別や思慮よりも、あるいはこういうガムシャラさなのではないか。

「江上君、君の漫画はきっと売れる。そんな予感がする」

 七馬は笑って大坂ときをの肩を叩いた。すると、彼の顔がぱっと明るくなる。師匠と仰ぐ七馬に「売れる」と言われたことで、自信がついたのだろう。

 人間は自信をもって生きるべきである。胸を張って堂々と生きている人間には貧乏神もとりつかない。これは七馬の自論であった。

「江上君、頑張れや。商売がうまくいくのを祈っとるで。うまくいったら、そのときは」

「はい、新雑誌を作りましょう」

 大坂ときをは笑った。

 やがて彼が七馬の部屋から出て行くと、入れ替わりに松葉健がやってきた。

 ちょうど入り口のところですれ違ったらしく、

「ヤノサン、さっきの兄ちゃんは誰や?」

 と聞いてきた。

 七馬はタバコを吹かしながら答えた。

「戦友や」

 後輩という言葉より、そう表現するほうが、七馬には正しいように思われた。


 その後、大坂ときをが自分で描き、製本した漫画単行本『ナカヨシ漫画』は百部が刷られ、知り合いの本屋の店頭に並べられたが、すぐに売り切れた。

 大坂ときをは確信した。漫画は売れる。大衆は娯楽に飢えている!

 そこで彼は一気に勝負に出た。

 自分で描いた作品『マンガ 狸とABC』『子どもマンガブック 魚釣日記』を、それぞれ活版印刷で一万部も刷り、大々的に販売したのである。

 彼はもちろん借金をした。そして、戦前に築いていた人脈をすべて活かして、これらの本を出版にこぎつけたのである。

 この時期、娯楽として漫画を売り出し始めたのは、大坂ときをだけではない。漫画が売れると分かった零細出版社が次々と漫画を出し始めたのだ。

 そのほとんどが、見るに耐えない駄作であったり、あるいは現在ならば確実に盗作として糾弾されそうなものばかりであったが、しかし娯楽に飢えていた人々はそんな漫画にさえ飛びついた。

 一種のブームである。漫画の復活、娯楽の復興もそう遠いことではないと見た大坂ときをの眼力は確かだった。

 この時期、大阪を中心に大量に発行された漫画本を、一般的に『赤本』と呼ぶ。

 『赤本』は売れに売れた。

 大坂ときをの商売は成功した。

「先生、うまくいきましたわ」

「江上君、わしの言った通りやったろ」

 満面の笑みを浮かべる大坂ときをを前にして、七馬も目を細めて喜んだものだ。

「いやそれにしても、ここまでうまくいくとは思っていませんでした」

「儲かっとるようで何よりや」

 七馬はそう言ってタバコを吹かした。彼が吸っているのは日本製ではなく、アメリカ軍から貰ったもので外国製である。いわゆる洋モクだ。

 大坂ときをは、七馬から洋モクを一本頂戴して、付き合うように吸いながら話を続けた。

「僕の金儲けはあくまで、本当にやるべきことの準備に過ぎません」

「ふむ」

 やるべきこととは、もちろん新雑誌のことだ。

「それで江上君。新雑誌の資金は、もう貯まったんか」

「いえ、あともう一息、ちゅうところですわ」

(ふむ)

 七馬は考えた。自分達で作ろうという新雑誌だ。大坂ときをにばかり苦労させては、男がすたる。

「江上君、どうや。わしにもひとつ、漫画を描かせてはくれんか」

「えっ。それは」

「君が最初に出した『ナカヨシ漫画』やったか。ああいう単行本みたいなものを描く」

「子ども向けですか」

「うん。実はな、前々から温めていたアイデアもあるんや」

「お聞かせください」

「『タコの行水』と言うんや」

「ほう」

「お笑いの漫画やけどな。面白いで」

「そらあ、酒井先生の漫画ですさかいな」

 根からの七馬信者である大坂ときをは、鼻息を荒くしてうなずいた。

「やっぱりこういう時代やからこそ、お笑いは強いで。人間、笑うているときは、嫌な現実も忘れられるさかいな」

「ごもっともですわ」

「どうや、江上君。描かせてくれるか」

「そらあ」

 大坂ときをとしては、異論があるはずもない。もともと大ファンだった漫画家が、自分のために描いてくれると言うのである。断る理由は無い。

「こちらから頭を下げたいくらいですわ。お願いします」

 七馬は満足げにうなずいた。

「よっしゃ、ほな漫画を描かせてもらうわ。出来上がったら、君の家に持っていくさかいな」

 こうして七馬が取りかかった『タコの行水』は、二十ページの作品で、定価は二円五十銭であった。

 売れた。

 実に二万部を売り切ったのである。

 終戦直後に、二万部もの漫画を売り切った。七馬の実力のほどが窺える。

「この儲けも、新雑誌のほうに回せますわ」

 と、大坂ときをもホクホクだった。


 ――二万部も売れるとは、さすがわしの漫画やな。

 七馬は得意満面であった。

 既に年は明け、一九四六(昭和二十一)年になっている。焼け野原だった大阪の街にはポツポツと家や店が立ち並び始めていた。

 その日、七馬は松葉健と共に、出版社の漫画書院に向かっていた。――漫画書院、と書くとなんだかずいぶんと立派な出版社に聞こえるが、なんのことはない。これは大坂ときをの会社である。また会社といっても、大坂ときをが一人だけで運営している会社であった。自営業と言っていい。

「ヤノサン、いよいよ新雑誌やな」

 この数ヶ月でさらに背が伸び、めっきり声も低くなった松葉健が言った。

「なあ、ヤノサン。俺も新雑誌に漫画を描かせてえや」

「あかんあかん、まだ君では実力不足や」

「ちぇっ」

「まあでも、雑誌編集の手伝いくらいはできるやろ。それをやるのも、後々の良い経験になる。しっかり手伝えや」

「そらそうやな。で、手伝いの給料はなんぼや?」

「アホ抜かすな」

 七馬が殴るふりをすると、松葉健はへへへと笑って逃げ出した。

 そうこうしているうちに、二人は漫画書院に――つまり大坂ときをの自宅に着いた。

 八畳と六畳、二間の汚い部屋に、積み重なったたくさんの本や紙。窓から射し込む光のせいか、机の上にある紙はひどく焼けていた。

 大坂ときをが出したコーヒーを飲みながら、七馬は新雑誌について話し出す。

「腹案があるんや」

「ほう」

 伺いましょう、と大坂ときを。

「うん。まず新雑誌の名前は『まんがマン』。雑誌の顔である表紙はわしが描く。発行の名義は、関西マンガマンクラブとしておくんや」

「関西マンガマンクラブ、ですか」

 七馬はうなずいた。

「読者の中には漫画家志望の者もおるやろ。そういった者に呼びかけるんや。――我こそは、と思う者は漫画を描いて、関西マンガマンクラブに送られたし! 良い作品は雑誌に掲載し、クラブの一員とする! 共に漫画を学び、研究し、描いていこう!」

「……」

「こうすれば、漫画家志望の者は『まんがマン』の固定読者になってくれるやろ。それに応募してきた作品の中から、良いものを掲載することで、良い描き手も見つけることができる。一石二鳥や」

「なるほどなあ、さすがヤノサン、考えたわ」

 松葉健が、七馬の傍らでウンウンとうなずく。少年の同意を得て、七馬はいっそう得意になり、鼻の穴を大きくした。

 大坂ときをは、得意気に話す七馬を見て、ただニコニコ笑っていた。


 七馬と松葉健が帰ったあと、大坂ときをは、しかめっ面で腕を組んでいた。

 顔には出さなかったが、心中、七馬の案はどうかと思っていた。

 雑誌名、『まんがマン』は良い。

 表紙を七馬が描くのも良い。

 しかし、関西マンガマンクラブ、はどうだろう?

(新雑誌は全国に向けて販売するものや。それが、関西、ではスケールが小さいように思える。ローカル出版物のようやないか……)

 それに、発行人の名義をクラブにし、応募してくる作品を採用するというパターンも、確かに固定読者の確保と良い描き手を見つけるという面においては良いが、ひとつ間違うとアマチュアの同人誌のようになってしまうのではないか。

 しかし、七馬は既にそのアイデアで行くのが決まりだとばかりにはしゃいでいた。そんな七馬に、大坂ときをは何も言い出せない。

(まあ……悪いアイデアではないし、雑誌を出していくうちに修正してもええやろ……)

 大坂ときをはそう思った。

 せめて、関西の部分を全日本に変えて『全日本マンガマンクラブ』にしたほうが……とも思ったが、これも七馬のしたり顔を思うと、言い出せることではない。

(……ま、なんとかなるやろ)

 見切り発車で決断した大坂ときをは、やはり漫画家であって、商売人ではなかったのかもしれない。


 その後、話し合いは進み、実務的な部分は大坂ときをが受け持ち、アイデアは酒井七馬が受け持った。

 そして一九四六(昭和二十一)年五月十五日、ついに『まんがマン』は発刊された。

 酒井七馬、大坂ときをの他、河井恒雄、南部正太郎、廣瀬かに平、瓜草平ら当時の人気漫画家を描き手として揃え、ついに発刊されたのだ。

 そして『まんがマン』は売れた。大坂ときをの懸念をよそに、売り上げ数を伸ばし、関西マンガマンクラブへの入会申し込みや、応募原稿が後を絶たない。

(僕の心配は杞憂やったな)

 この反響の大きさに、大坂ときをはホッとした、と同時に七馬からアイデアを貰って、本当に良かったと思った。

 『まんがマン』創刊号の発刊から一ヶ月ほどが経過しても、送られてくる原稿は増えるいっぽうで、大坂ときをはてんてこまいだった。嬉しい悲鳴というやつだ。

 彼は送られてきた漫画を丁寧にチェックしながら、それにしても色んなアマチュア漫画家がいるものだと感心した。

 もちろん、ほとんどの作品は使いようがない駄作なのだが、しかしその中のいくつかに、光るような原稿が埋まっている。自分よりもうまいのではないかと思う漫画も送られてきていた。

(これはうかうかしていると、僕のほうが追い越されるなあ)

 原稿を読みながら、大坂ときをは苦笑したものである。

 そしてその日も、彼は漫画の原稿を読んでいた。

 やがて昼になった。

 原稿のチェックも一段落し、とりあえず昼飯でも食べようかという頃、一人の青年が大坂ときをの家を訪ねてきたのである。

「……あのう」

 痩せっぽちの身体に、大きなダンゴ鼻、その上に分厚いメガネをのっけた二十歳くらいの青年だった。

「すみません。『まんがマン』を出している出版社は、ここでええんでしょうか?」

 青年は戸惑っていた。さもあろう、関西マンガマンクラブの本部として、『まんがマン』に掲載されている住所を訪ねてみれば、どう見てもただの一戸建てなのだから。

 大坂ときをは、青年をじろじろ見回しながら言った。

「……君は?」

「あっ、どうも、初めまして。僕、『まんがマン』のファンでして。それで是非、僕の描いた漫画を読んでほしいと思ってここまで来たんです」

 青年は緊張しているのか、軍隊のように直立不動の姿勢をとって、名乗りをあげた。

「僕、手塚治てづかおさむといいます。……オサム、のあとに虫の字をくっつけて、治虫おさむしと書いてオサムと読むペンネームを使っています。――手塚治虫です」

 一九四六(昭和二十一)年、六月二十一日のことである。


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