第3話
ぼくらは、幹の中を通って、地面の下の世界に行った。地面の下は、幹はまた枝状に分かれており、その枝は根っこといわれる。ここが根の国だ。初めて来た。
ぼくも風音も根の国に来たのは初めてだったのだ。
風音がちょっと不安がっていた。根の国では風の声を聞きづらいらしい。
根の国にも、虫がいて、ぼくらの案内をしてくれる。蟻とか、うんざりするほどたくさんいる。
ぼくらが根の国を降りていくと、街の人々は急速に姿を消し、無人の街になった。ちょっと怖かった。
ぼくは寝る前に、小説の執筆にとりかかって、一行も進まない作業にうんうんうなっていたから、風音が時々、様子を聞いてくる。
「どうなったの。まだ、アダムがイヴを強姦する話を書いているの?」
「そうだよ」
「日本で最初の人って誰になるのかな?」
「ひるこだといわれてる気がしたけど」
「うん。そういう説もあるね。ひるこについて、うんざりするほどの文献を読んだことがあるよ。わけわかんなかった」
「でも、日本神話において、神と人の区別はあいまいなもので、最初の男女は、イザナギ、イザナミでいいんじゃないかな?」
「うん、そうだね」
と、そこで話を終わらせればよかった。だが、
「なるほど、そうかあ」
などとぼくがうなっていたから、風音に、
「まさか、イザナギがイザナミを強姦する話でも考えているんじゃないでしょうね」
といわれてしまった。かなり気まずい。
そんなことはない。と断言しておいたが、どれだけ誤解が解けたか、疑わしいものだ。また、ぼくの心象は最悪なものへと変わっていくのだろう。これも、文学に魂を捧げた報いなのだとぼくはあきらめるより他なかった。
そんなわけで、根の国で、探していた人物が見つかったのである。虫愛ずると共に、日の本の存亡をかけて戦ったという兵隊さんである。
兵隊さんはいった。
「日の本の八州やしまを滅ぼす怪物が現れようとしている。もうすぐ、日の本の終わりが来る。神州不滅の神話は崩れ去ろうとしている。なんとしても、この国家衰亡の時を乗り越えなければならない」
ぼくらは驚いた。
いったい、どんな怪物が日の本を滅ぼすというのか。
「やつはまだ海の底で眠っている。しかし、目覚めた時、神々の黄昏が始まるであろう」
「神々の黄昏とは?」
「日本沈没じゃ」
はあ。日本沈没は、神話になるくらい普遍性をもった単語なんだなあ。すごいなあ、日本沈没。日本沈没って名前に勝てる日本の危機を表す単語が浮かばねえ。
「その海の底で眠っている怪物とは?」
「やまたのなまずじゃ」
ごくり。その恐ろしさにぼくと風音は唾を飲み込む。
「すごく大きななまずなんでしょうね」
ぼくが恐る恐る問いかけると、兵隊さんは答えた。
「そうじゃ。本州より大きななまずじゃ。尻尾が八本に分かれているといわれている」
「それじゃあ、日本は滅んでしまうのですか」
「残念ながら、やまたのなまずと戦って勝ち目はない。数多の戦船に兵隊が乗り込んで、攻め込むであろうが、やまたのなまずに返り討ちにあうのが関の山じゃろう。残念ながらな」
ぼくは話が衝撃的すぎて、つま先立ちになってしまった。風音も青ざめた顔をしている。ぼくは、風を、そして、虫を探した。
虫は、風音の肩の上にいた。
「それじゃあ、ぼくらはみんな死んでしまうのですか?」
ぼくが聞くと、兵隊さんはいぶかしがって答えた。
「何をいっておる。根の国に来たということは、おまえさんたちはすでに死んでいるんじゃ」
目の前が真っ白になった。
よく意味がわからない。ここは死の国だったのか。
「生き返る方法はあるんですか?」
「そんなものあるわけないじゃろ」
兵隊さんは平然としてそういった。
二度と地上には帰れないのか。
ぼくが床に手をついて落胆していると、風音が空に向かってしゃべった。
「こうなることを知っていたのね、虫愛ずる?」
――はい。知っていました。
「あたしたちを殺して、情報を得るつもりだったの?」
――はい。そうです。わたしは日の本を救わなければなりません。
「方法はあるの?」
――いいえ。ありません。
風音は声を張り上げた。根の国の部屋に風が吹いた。
「方法はあたしが知っているから。だから、あたしたちを生き返らせて」
――方法とは。あなたは何を知っているのですか。
「風よ。風に聞いたの」
――風は虫より、優れておりましょう?
「そうね。高天が原まで届くくらいよ」
――まあ。それならば、お聞きしましょう。
「あたしたちを生き返らせてくれる?」
――はい。なんとかいたしましょう。
「なら、いうよ。なまずが地震で日本を沈没させるなら、新しい島を作るしかないわ」
――新しい島など、どうすれば作れましょうか。
「この樹のどこかに、神代の頃、イザナギとイザナミがこねた泥が残っているはずよ。その泥を使えば、また島はできるはずだよ」
――はい。面白い発想でございます。できるか、どうか、急いで確認をとります。
「泥が見つかったら、あたしたちを生き返らせて」
――はい。蘇りの秘宝がございますから。二人くらいならなんとかなるのでございます。ご安心してください。ただ、わたしが死んでは使えなかったものですから。このように利用してしまい申し訳ありません。
「いいわ。あなたも大変そうだしね」
――はい。ありがとうございます。それでは、明日になれば、あなたたちは生き返っております。すぐにでも、根の国から地上へお帰りください。
「わかった」
そして、ぼくたちは生き返ることになった。
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