第2話

 朝、目覚めると、ものすごい突風が吹いた。風音の浴衣の長い振袖がぱたぱたと揺れる。

「おはよう」

 ぼくはそうするのが当然のようい挨拶をしたのだが、風音はちょっと戸惑っていた。まずい。挨拶なんて、普通はするものじゃないのだろうか。

「おはよお」

 元気よく、風音の返事がした。ぼくはひとまず安心し、ほっと胸をなでおろす。

「すごい風だね」

「うん。ねえ、あなた、風の声が聞こえる?」

「えっ? 聞こえないよ」

「そう」

 ぼくは不思議に思った。風音は、風の声が聞こえるんじゃないのか?

「天の声を知るには、風のうわさか、虫の知らせを聞くしかないそうだね」

 ぼくはもっている不思議話のいちばんの中枢を話してみた。いきなり話してはいけない。こういうのは、少しづつ時間をかけて焦らしながら明かすのが面白いのだ。いきなり答えをいってしまうのは、ぼくの悪いくせだ。だから、女の子にモテない。

「天というのは、中国の思想だから、あまり使うのはよくないんだよ。日の本で使うなら、天ではなく、雲ね」

「雲? 高天が原かい? 太陽のある雲」

「そう」

「そんな雲、見たことないよ」

「でも、そこに神さまたちが住んでいるんだよ」

「そうなのかあ」

「風はね、雲まで届いているの」

 ぼくは緊張した。これを聞いたら、秘密を守るために、風音はぼくを拒絶するだろうか。あたふたといつもどおり戸惑ったのだが、結局、思い切って聞いてみることにした。

「風音は、風のうわさが聞こえるのかい?」

 そしたら、あははははって風音が笑った。

「内緒。だって、島も雲も全部、風に包まれているんだもの」

 内緒か。

 それなら、それでいい。高天が原で神さまたちがどんなことを話しているのかすごく気になったけど、問い詰めても答えないだろう。

 風音は、神さまたちの秘密を知っている子なのか。ひょっとして、すごい天才児なんじゃないだろうか。ぼくはそんな夢想に胸をときめかせながら、風音と朝の気楽な会話を楽しんだ。

「風がわかるなら、次は虫を探さないといけないね」

 ぼくがいうと、

「まあ」

 と、なんだか、劇団の俳優のように大げさに風音が答えた。

「素晴らしい思いつき。影斗らは天才だね。うーん、ひらめいた。きっと、それがあたしがするべき運命なんだね」

 かなり好評だ。とりあえず、ぼくは風音のきれいな顔を見ることができればそれで幸せなのだけれど。

 そして、ぼくらは虫を探した。てんとう虫や蝶、蛾、バッタとか。ぼくがバッタに

「おい、虫の知らせはまだか」

 とか話しかけていると、風がびゅうっと竜巻をつくった。風が騒いでいる。

 風音は大丈夫か?

 ぼくが慌てて風音のもとに駆けつけると、風音は一匹のカマキリと話をしていた。

「ずっと気付かなかった。風を読んでいるあたしがいるのに、虫を読んでいるあなたがいることに」

 カマキリが何かぎりぎり音を立てている。風音には意味がわかるのだろうか。

「なんていってるの?」

 ぼくが聞くと、風音は答えた。

「わたしも風を聞いている人の存在は考えたこともなかったって」

 それから、風音はまたカマキリに向かって話かけた。

「怖がらないでよ。怖いのはあたしだって一緒だよ」

 カマキリがぎりぎり音を鳴らす。

「あなたもこの樹に住んでるのね。会いに行くよ」

 カマキリがぎりぎり音を鳴らす。

「それは、ちょっと難しいかもね」

「なんだって?」

「虫の子は動けないから、あたしたちに根の国に行ってほしいんだって」

「根の国? 幹を降りて、地面の下まで行くのかい?」

「うん。そこに、日の本の危機を知っている人がいるはずだって。なんか、戦いがあって、その人は負けて死んじゃったから、そこにいるんだって」

「ふうん。面白そうじゃん。行こうよ。行こう」

 そして、ぼくらは葉の街から枝を伝い、根の国へ旅に出ることにした。

 旅に持っていくものを何にするのか非常に迷ったが、ぼくはノートパソコンを持っていくのはあきらめて、今までに書いた分を印刷して、あとは続きを書くためのノートを一冊持っていくことにした。

 ぼくが持っていきたいものはそれだけなのだけど、あとは財布さえ持っていればなんとでもなると思っていたのだけど、風音は大きなバッグにいろいろ荷物を詰め込んで持ってきた。何が入っているのか聞いてみたが、どうやら、衣類がほとんどのようだった。

 それで、ぼくらは、枝を伝って、幹に向かった。途中で、何匹もの虫がやってきて様子を見ている。

「あ、そうだ。あなたの名前を聞いてなかったよね。あたしは風音かざね。あなたはなんていうの?」

 カマキリがぎりぎり音を鳴らした。

「なんだって?」

 ぼくが聞くと、風音はちょっと驚いた様子で答えた。

「虫愛ずる(むしめずる)っていうんだって」

 虫愛ずるか。堤中納言物語の一遍にある話からとった名前だろう。虫愛ずるは、日の本の樹のそこら中に虫を派遣し、情報を集めているのだろうか。そうだとすれば、凄まじい情報拠点だ。

 いや、風音も、同じくらい凄い情報拠点なのか。

 風音と虫愛ずるか。共に、日の本の最大の情報機関。彼女たちが何を考えているのかぼくにはわからない。ぼくにできることは、ただの荷物運びにすぎないのかもしれない。だが、いざとなったら、彼女たちを守るために命を懸けて戦う覚悟はある。それが日の本のためだろう。

 根の国への旅は長かった。枝から徐々に太い枝に降りていくのだが、途中で道に迷って頭がこんがらがった。もう、面倒くさいったらない。いったい、下につづく枝はどっちだ。

 そんなこんなで、なんとかして枝を伝い、幹にたどりつき、後は大都会である幹の街を降りて行ったのである。

「ねえ、ねえ、すごいね。幹の街」

 と心を躍らせる風音。

「そりゃあ、この島いちばんの大都会だからねえ」

 風音はあっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろ。

「おい、あんまり、うろちょろしていると田舎ものと思われるぞ」

 とぼくは注意したが、風音はまるで気にせずにあっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろしていた。

 幹の街には、心地よい音楽が流れている。それがとても新鮮だったのだけど、ぼくが風音に、

「風音はどんな音楽が好き?」

 と聞いたんだけど、

「影斗らは?」

 というから、

「ロック」

 と答えたら、風音は、

「ボカロ」

 と答えていた。

 風を聴く者として、そんな音楽趣味でいいのかと疑ったが、ボカロはボカロで奥の深いものらしい。いい曲を何曲か教えてもらった。数曲は聞いていて、まさかの落涙をするという失態を演じてしまったほどだ。なるほど、ボカロはいい。

「ロックって革命なんだよ。知ってた?」

 ぼくがいうと、

「音楽秘密結社とか? それはパンクじゃない?」

「いや、そういうわけではないよ。魂としてさ、反体制の精神をもっているんだよ。庶民の魂の叫びなんだ。だから、ロックは革命なんだよ」

 すると、風音は真剣な表情で聞いてきた。

「日の本において、国家とは何だと思う?」

 え。ぼくはすぐには答えられずにどぎまぎしてしまった。日の本における国家とは何か。これは、普通に考えて、答えは決まっている。

「島だよ」

 ぼくの平凡な返答に風音は首をひねって頭を傾げた。

「そうだよね。普通は、島と雲だと思っているよね。ロックが島と雲を揺さぶるようなものかしら。あたしにとって、国家とは、風なの」

「風」

 ぼくは、復唱した。

「そう。風の王国。そういう意味では、確かに、ロックはあたしの風の王国を揺さぶるわね。だけど、あたしの聞く風の音は、ロックよりもっと繊細かつ爆音よ」

 そうなのだろう。風音にとってはそうなのだろう。

 音楽の話をしている間にぼくらは根の国についた。

 風音にとって、国家とは風の王国なら、虫愛ずるにとっての国家は虫の王国なのだろう。

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