風、虫、そして、泥
木島別弥(旧:へげぞぞ)
第1話
かつて、イザナギとイザナミは海の水で泥をこね、それが島になったという。これは、その島の物語である。
ぼくが聞くところによると、海に落ちた泥は島になり、空に飛んだ泥は雲になったそうだ。島と雲は本来、イザナギとイザナミを祖とする一体のものであり、これが世界の東の果てにあり、太陽が東から昇ることから、日の本と呼ばれた。
それで、ぼくはいつものように葉の上にノートパソコンを置いて、叙事詩の創作にとりくんでいたのだけれど、これがなかなかどうしてうまくいかない。そもそも、文筆で生業を立てると誓った時から、ぼくは無職の自由人一直線だったのだけれど、非常に貧しく、本当にこの時代に餓死するのではないかというほど困窮しており、こんなに貧乏では文筆稼業の修行も満足にできないのではないか、これは人生の選択を誤ったと考えていたのだ。
しかし、寝る場所は確保できていたし、食事も、政府という謎の機関から提供されていたので、死ぬことはなかった。ただ、困るのは、みんながぼくを見て、
「ああ、なんてダメなやつなんだろう」
とため息をつくことだった。
ぼくはそんなにダメなのだろうか。それはよくわからないが、ぼくは、行き詰っていた。もう生きるのが辛くて、死にたかった。命を絶ちたかった。自殺すると、今までぼくをバカにしていたやつらが「わはははは」と喜び嘲笑うだろうけど、それが悔しくて、ぼくは見どころのまったくない文筆業の修行に精を出していたのだ。
「おまえには才能がない。文章はまるで小学生の作文のようだし、凡庸でありきたりの独りよがりだ」
と審査員はいう。ぼくは、そんなことはないはずだと頑なにそのことばを受け入れず、自分の思うがままに書いてきた。
しかし、ついに根気が限界に来て、ぼくは錯乱したように街へ飛び出した。街とは、つまり、大きな葉っぱの集まりにある定期市場のようなものだったが、ぼくはそこに行き、ひたすら、女の子を探した。
ぼくは、恋愛小説が書けない。ぼくの小説には恋愛描写がない。そんな小説が売れるわけがない。
そよ風のする心地よい小春日和の夜だった。涼風が肌に当たり、心地よい。なんとも、今日はいい日だと思い、ぼくは風に向って、
「おーい」
と叫んだ。おーい、おーい、おーい、と山彦が返る。
ぼくは、周りの目も気にせずに、恥ずかしながら、街の真ん中で大声で叫んだ。
「助けてくれえ」
助けてくれえ、助けてくれえ、助けてくれえ、と山彦が返った。葉の束に声が反響しているのだ。
だけど、誰も助けてくれる者はおらず、ぼくはボロ布をまとって、街をふらつきまわった。なんでだ。文筆業を目指すことは悪いことなのか。そんなわけがない。ぼくはあんなにたくさんの面白い小説を読んできたぞ。『非Aの世界』『イシャーの武器店』『宇宙船ビーグル号』『ファウンデーション』『永遠の終わり』『エンダーのゲーム』『タイタンの妖女』『母なる夜』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』『チャンピオンたちの朝食』。傑作揃いだ。
そこで、ぼくは缶ビールを買い、飲みながらふらつき歩き、空を見た。雲が流れて動いていた。あの雲のどこかに、神々の住んでいる高天が原があるんだろうなあ、と夢想し、いつか高天が原にも行ってみたいなあと思うのだった。高天が原には天照がいるのだから、太陽のある雲が高天が原だ。そんな雲は見たことがないが、おそらくぼくに見えないだけで、それは実在するのだろう。
ああ、缶ビールを五本、六本と飲んでいくと、だんだん酒が不味くなってきた。げえ、気持ち悪い。なんでこんなものを飲むんだろうなどと思っていたが、酔った酩酊感はそれなりに気持ちよいものであり、真っ直ぐ歩くのも覚束なくなり、自宅に帰ろうかと帰路についた。
なんだか、風がぼくに優しい。今日の風はいちだんと気持ち良い。暖かな風が程よく吹いてくる。
帰り道で、ぼくは女の子に会ったのだ。青い浴衣を着ている女の子だった。黒髪が肩より長く、ウェーブしている。誰だろう。可愛い女の子だなあと思って通りすぎたら、女の子がぼくの後ろからついてきた。
なんだ、怪しいやつだ。と思ったぼくは、あっちへてくてく、こっちへてくてくとわざと曲がり曲がりに歩き、女の子がぼくの後をつけて曲がり曲がりに歩くのを確認して、女の子がぼくの後をつけていることを確認したのである。
「なんで、ぼくの後をつけてくるんだ。殺し屋か?」
と女の子に怒鳴りつけると、女の子は目を点にして驚いていた。
「なんでよ。あなたが助けてくれって呼んだから来たんじゃない」
女の子は平然と答える。なんだか、ぼくは頭が混乱してきたぞ。
いいか、こんなことはあるわけがないんだ。助けてくれと男の子が叫んだからといって、可愛い女の子が助けに来ることなんてないんだ。現実にはありえないんだ。
「だから、きみは現実ではありえないんだ」
ぼくにそういわれた彼女は、
「じゃあ、あたしは虚構の存在ってことにしておこう。それで話をつづけて」
といった。
「むむむむむむ」
「何、あたしが虚構の存在じゃ、話が進まないの?」
「そういうわけではないけど」
ぼくは困ってしまった。
「ぼくからすれば、きみから情報を引き出せれば充分なんだ。ぼくが欲しいのはきみの情報だ」
「情報って何?」
「例えば、どんな男が好きだとか、どんな男とどんな経験をしただとかそういう体験談を聞きたいんだ」
びくっと体を引いて、女の子はシラケていた。もちろん、ぼくのいってることが下種な話題だというのは重々承知しているのだけど、ぼくが助けてほしいのは、はっきりいえばそういうことなのだから、そういうことを教えてほしかったのだ。
女の子は素直にぼくの要求にのらなかった。当然だ。こんなこと聞かれて、ぺらぺら喋るやつはいない。
「まずはあなたから教えてよ」
そう来たか。
恐れていた解答だ。なぜなら、ぼくは今まで女性と付き合ったことが一度もないからだ。ぼくは見るからに朴念仁だし、世間の流行を無視したダサい男なのだ。
「ぼくは恋をしたことがないんだ」
生まれて初めて、赤裸々に告白した。それは、それをいってもかまわないぐらい女の子がかわいかったからでもあるし、その日の風が心地よかったからだ。
「人が人を好きになるということがわからない。子供が恋をするなんていうのは、あんなのは大人の教える嘘だ。人は恋なんてしない。恋愛なんて存在しないんだ」
ぼくがこの恥ずかしい告白をし終えると、女の子はにこっと笑ってぼくの背中を小突いた。
「それならそれでいいじゃん。恋なんて、いつ巡り会うかわからないものなんだから。あなたがまだ恋をしたことがないなら、きっとあなたはそういう性格の人なんだよ。何も恥ずかしいことじゃないよ。大丈夫。きっとそのうちいい相手が見つかるよ」
そよ風がぼくの顔をなでる。生まれてから何回目なのかもわからない数えるほど少ない女子との肌の接触にぼくはとてもどきどきしてしまった。いわば、ときめいたわけだ。
ぼくの頭は急速度で回転を始め、今、いうべきことばを弾き出していた。
「ねえ、もし、よければ、これからも毎日、ぼくの恋の相談にのってくれない?」
女の子の連絡先を聞ければ。ぼくはそう思った。
「ええ、別にいいけど。さすがに毎日ってわけにはいかないけど、これからたまに遊びに来てもいいかな」
ぼくは心の中で歓喜した。
「いいよ。良ければ、きみの連絡先を教えてよ」
「それはダメ。あなたの連絡先を教えて。あたしから連絡するから」
ぼくはしかたがなく連絡先を紙に書いて渡した。
女の子は無造作に受け取った。なんか、ぞんざいだ。これは目は薄い。などと早々とあきらめかけていたが。
「で、あなた、何やってるの?」
と聞かれたので、素直に答えた。
「ぼくは、素人小説家だ。恋をしたことのないぼくには恋愛描写ができないから、それで参考になる意見をきみに聞きたかったんだ」
「いえ、あたし、別にそんなこと答えないですけど」
そうなのか。
「で、どんな話を書いているの?」
女の子が興味深々に聞いてきた。ぼくは、これで嫌われたら自殺しようという決意のもとで、素直に告白することにした。
「ぼくは、アダムがイヴを強姦する話を書いているんだ」
女の子は顔をしかめた。
「なんで、アダムがイヴを強姦するの?」
質問が飛んでくる。当然の疑問だ。これに答えるために、ぼくは小説を書いているのだから。
「それは、愛など、この世に存在しないからだ。人類の始めに愛など存在しなかった。愛とは支配者が作りだした人類を統治すための洗脳だ」
これを告白するのはかなり恥ずかしかったのだけれど、女の子の反応はそれほど悪くもなかった。
「ふうん。あなたについては、もうちょっと研究する必要がありそうね」
こうして、ぼくらは出会った。
彼女の名前は、風音かざねといい、ぼくの名前は影斗ら(かげとら)という。
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