第6話 働いて汗流して飯くって寝るのがいちばんだといわれた
ネットに正体不明の名無しの書き込みがあった。
「世界を救うなんて無理だよ。無駄な努力だよ」
ぼくは奇声をあげる。
「まだ勝ち目はある」
すぐ、いつもの連中から罵倒が飛んでくる。
「ねーよ、勝ち目なんて」
「その前に働け」
いや、それは正しくない。
「世界は、今、あまり幸せじゃないだろう。ぼくは生きていて、あまり幸せじゃない。欝なんだ。すぐ涙が流れる。無職のぼくが幸せでないのに、他のみんなが幸せとは思えない」
正体不明の名無しがそれに返事を書いた。返事をまともに書いてくれるやつはいいやつだ。ネット掲示板では、真面目な返事はマジレスの嵐として、あまり歓迎されてはいないが、真剣に世界を幸せにする分析をしているぼくには、真面目な答えが本当に嬉しい。
「人類は滅亡する」
「なぜ? どうやって?」
「それは、風が吹くからさ。風が吹いたら、幕が閉じるんだ。風は最終場面なんだよ」
「桶屋が儲かる理論かい?」
「いいや、ちがう。波に呑まれ、炎に焼かれ、土に埋まった最後には、風が吹くんだ」
「終末詩かい? 中の上といった出来だね」
正体不明の名無しは一呼吸置いた。ぼくは珈琲を入れて、砂糖を三杯入れて飲み、書き込みに備える。
このまま、いなくなるかもしれないし、話題が変わるかもしれない。
風が吹けば世界が滅ぶとは、あまり聞かない信仰だ。
「きみの分析によれば、数千年後に人類は滅びるんだろう」
「そうだよ」
「滅ぶ時に、何をすればいいのさ」
「それは考えてある。人類滅亡の時、人類に優先して残しておくべきものは、思い出だよ。人類の思い出を記念碑を作って残しておきたい」
「ふうん。考えてあるんだ」
ちゃんと、人類滅亡の可能性に備えて、するべきことは検討してある。
ぼくは世界を支配していた時、歴史テレビを持っていたので、それを使って、今までに生きた全人類全員のいちばん格好よかった時の写真を撮って、飾る博物館を作っていた。
「そんなものどこにあるんだよ。証拠は?」
証拠はない。
だが、作っていたのだ。それさえ、残っていれば、人類が滅亡しても平気だと思っていた。世界の支配者は忙しいのだ。最悪の事態でも、幸せになれる方法を考えなければならない。
そして、ぼくが支配者だった時に作った思い出装置は、壊れたらしい。それを幻聴で聞いた時、軽く頭に絶望がよぎった。
ぼくの敗北である。
ただ、ひたすら、格好いい写真がなぜ格好いいのかの解説付きで展示されている。その素晴らしさを損なう人物が、この世界のどこかにいたことが驚きである。その人物の思い出も、展示してあるはずなのに。
絶対に誰にも壊されるはずのない博物館なのに。壊される動機がない。
人類滅亡のために備えておく対策の最重要計画が台なしにされては、いけない。あれをつくるためには、現代の技術では不可能で、歴史テレビを心理ソフトで検索して、いちばん格好いいとときめく写真を撮らなければならない。
世界を支配していた時のぼくにはそれができたのだ。公には公開されない機密科学を改良して使っていた。
ボタンが二つ置いてある。
右の青いボタンには、「彼女もできて、遊んで暮らすお金ももらえる」と書いてある。
左の赤いボタンには、「自分が犠牲になって、救えもしない世界を救おうとする妄想にはまる」と書いてある。
ぼくは、平気で、左の赤いボタンを押していく。
「きみは底無しのバカだな。迷惑だってわからないのか」
「ぼくは本気だ」
「無能ががんばるのは、むしろ、迷惑なんだよ。黙ってじっとしていろ。いいから、おまえ、黙れ」
「うるさい。そんな妨害には屈しない」
その他の人の意見を募集したら、
「働いて汗流して飯くって寝るのがいちばんだ」
といわれた。
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