第5話 第三次世界大戦を防ぐには
バラードは、短編『終着の浜辺』の中で、現在をプレサードと呼んだ。それを訳者は、第三次世界大戦前と訳している。
ぼくらの分析では、おそらく、訳者がバラード本人に単語の意味を問い合わせて訳したのだろう、ということになっている。
ぼくのネット活動における政治的立場は、アメリカの世界征服を防ぐ、という一点が最も特徴的である。
「アメリカは同盟国ですよ」
という意見もある。だが、そんなものは信用できない。アメリカはいざ世界征服を始めれば、必要になれば、同盟を破棄するだろう。
「アメリカはかつて植民地でしたよ」
この主張が、ぼくにはいちばんこたえる。ぼくの世界運営の方針は、欧米の植民地支配による先入観を排し、発展途上国でも、幸せに生きることができるようになることである。だから、アメリカは、かつての植民地なのである。アメリカは独立戦争に勝利し、旧支配国家イギリスを破っているのである。そして、アメリカは多民族国家であり、自由と移民の国だったのである。
なら、ぼくが目指している理想は、アメリカが体現したことになる。そのアメリカが世界を征服するのがなぜ悪いのか。
理由は、ぼくが十代、二十代の時にニュースで見ていたアメリカのやり方にある。アメリカはあまり誠実ではない。アメリカは情報操作する。アメリカは不平等な訴訟をする。
日本のマスコミがアメリカの情報統制下にあるのはまちがいなく、ぼくは、イラク戦争でのイラク人の死者の数をずっと探していたけど、ウィキリークスが暴露するまで、その数を十年以上知らなかった。アメリカの敵国の死者の数が報道されない。そして、公開されてみれば、民間人を四万人殺している。イラク戦争におけるイラク人の死者は十万人だ。アメリカが殺した。
アメリカはそれを隠した。それが許せない。アメリカは、ぼくたちを世界の主権たる民主主義の当事者としては認めていない。アメリカの民主主義は、廃れつつある。
ぼくは、若い頃、世界は平等で、どんな性格の人も平等に扱われ、公正な試験と公正な社会待遇を与えられると信じていた。だけど、そんなのは嘘っぱちだった。ごり押して勝っていったやつの死ぬまでの逃げきりゲームだ。お人よしが損をする。
だまされるよりだます方がいい。こんな結論がやってくる。その果ては、弱肉強食のボス猿寡占勝ち社会だ。
だけど、ネットで誰かが書き込んでいたんだ。
「俺はなれることなら優しい人間になりたい
それで人から軽んじられたり、モテなくてもかまわない
単純に弱っている人がいるなら助けたい」
てね。ぼくも同意する。ぼくは無職で親に生活費を負担してもらいながら、ネットに向かい、世界を幸せにする方法を考える。
それで、人から軽んじられたり、モテなくてもかまわない。
ぼくは、本気で世界を幸せにしたい。
でね。ぼくが考えているのは、アメリカの一人勝ちを防ぐために、中国、ロシアの二国の力を増して、軍事的均衡を保つのがいいと思っているんだ。
こんなことを主張する政治論客は、まず、いないよ。日本では、アメリカ様の手下となって、中国と戦うんだ、という主張ばかりだ。
ぼくは、ネットで孤立して、一人、掲示板の隅で奇声を発している。
「アメリカを勝たせるな。中国、ロシアを応援しろ」
と。
そういう人は、ネットの評価によると、売国奴であるらしい。ブサヨともいわれている。不細工な左翼の略で、ブサヨである。
ぼくは、世間の評価によると、売国奴でブサヨである。
ぼく自身の自己評価は当てにならない。なぜなら、統合失調症であるぼくの自己分析は妄想だとされているからだ。
くり返すが、ぼくの自己分析では、ぼくは「元世界の支配者」である。
ぼくは、世界の支配権を失っても、まだ生きているのであり、生きている限りは、元世界の支配者として、世界を幸せにするように、微力ながらがんばる決意である。
だから、ぼくは、発展途上国の国民総生産を調べている。発展途上国は、今、ほとんどの国が十年で三倍になるくらいの経済成長を遂げており、涙が出るほどに嬉しい。このまま、何ごとも事件が起こらずに世界経済が進行すれば、発展途上国は、近代化する。
近代化することが幸せなのかはわからない。狩猟採集の生活をしていれば、一日二時間の労働で暮らしていくことができる。一日十時間以上、働きつづけるサーヴィス残業の地獄である日本が幸せなのかはわからない。
だが、ジャスミン革命が起きた。アフリカの住民は、狩猟採集生活より近代化を選んだともう受けとってしまう。よろしい。ならば、アフリカを含めて、世界全部を近代化する。
というわけで、ぼくは、ネット掲示板に意見を書き込むことにより、第三次世界大戦を防ぐように気配りしているのである。
これに気付くネット閲覧者はまずいないだろう。
ぼくの書き込みを見て、
「ああ、こいつ、アメリカの世界支配を防ぐつもりだ」
とか思う人はたぶんいないはずである。
すると、また、ネット掲示板の知人が、
「おまえのしていることは妄想だ」
といってくる。
ぼくは、本気で現実に世界を幸せにするためにネット掲示板に戦略的に政治意見を書きこんでいるし、それは妄想だからじゃなく、ぼくが世界を幸せにしたいからである。
ぼくは七十億人の一人なのだ。七十億分の一の力で、世界を幸せにする研究を続ける。
そのわずかな力で、世界の動きを変える効果はある。世界をかつて支配したおれにはわかっている。支配者は、高官の意見ばかりを聞いているわけではないと。支配者は、適所適材な人物に、どんな身分の低い者であろうと優れた意見を聞きに会いに行く。
ぼくはそれを知っている。だから、ぼくは、世界を幸せにする方法を分析して、ネットに書き込みつづける。
奇声をあげつづける。絶対に、どんなことがあっても、負けることなく、へこたれることなく、罵倒には屈せず、奇声をあげる。
奇声をあげるのがぼくの仕事だ。
もちろん、世間で一般的に評価すれば、ぼくは無職の病人である。何の役にも立っていない。
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