第3話
『地球科学、トチガミ』で検索すると、ひとつの研究者サイトが見つかった。そこに侵入する。おれを慌てて追い出そうとした研究者が、おれをアクセス禁止にする前に、サイトの管理人権限を掌握する。そして、そのまま居座る。
あるある。このサイトでは、トチガミという単語が山ほどヒットする。
ついに、トチガミの関係者を発見だ。
「ここは関係者以外、立ち入り禁止だ。きみのアクセスを拒否する」
と、管理人がうるさいけど、実力行使。サイトの管理人権限は渡さない。
サイトのアドレス帳にトチガミの名前を発見!
やったあ。
これで仕事が終わる。
トチガミのアドレスに向けて、依頼人のメールを送信。
ついでに、トチガミのアドレスをコピーして、おれの頭の中に保存。
さて、プロのおれとしては、メールがちゃんと届いたのかを確認しなければならない。すなわち、人格データ『トチガミ』を探しつづけることにした。メールアドレスで戸籍IDを検索しても、出てこない。フリーメールのアドレス全検索をしても、出てこない。
おれはトチガミに送信したメールのたどったサーバーを順に追っていくことにした。
すると、まず、地球科学研究者の休憩所に着く。
そこから、次は、いきなり、月面基地のサーバーに飛ぶ。
おれはびっくりした。
なんだってえ。
トチガミにアクセスするには、月面基地を経由しなければならないのか!
おれは月面基地のサーバーにアクセスする。
月面基地につくと、まわりは研究中のプログラムでいっぱいだ。
邪魔にならないように、トチガミのたどった道をたどると、月の裏の観測所に着いた。
「へい、月の裏から地平線を越えると、恋する惑星が見えるらしいよ」
と、月面基地管理局から通信が届く。
おれは何が何だかわからずに、月の裏にある月面自動車にアクセスして、ネット経由で動かした。
月の裏を全速力で突っ走る自動車。
「トチガミはどこにいるんだ?」
「月の裏から地平線を越えたその先だよ」
おれはわけがわからなくなって、月の自動車を全速力で走らせつづけた。
月面自動車のカメラにアクセスしたから、月の裏の景色も見える。
月の裏の荒涼とした砂漠。
静かで、寂れた土地。人の住めない世界。
そして、月の裏の地平線をおれは越えた。
「へい、月の裏の地平線を越えると何が見えるんだって?」
「へい、月の裏から地平線を越えると、恋する惑星が見えるらしいよ」
「へい、月の裏から地平線を越えたら、くそったれな惑星しか見えません、どうぞ」
「はははは、よろしければ、恋する惑星の写真を一枚、撮っておいてくれないか。きみの記念にどうぞ」
「くそったれに了解です、どうぞ」
しかたねえ。
おれは月面自動車のカメラで目の前の惑星の写真を撮った。
青々と輝く我らの星を。これが恋する惑星だってえ。笑わせるぜ。
きみの目には見えるかい。月の裏から地平線を越えたら、恋する惑星が。
おれは月面自動車から、宇宙ステーションにリンクをたどった。トチガミはこの先にいる。
宇宙ステーションでは、おれがネットを伝ってやってきたハッカーだというので、話題になっていた。
「どうするの? 片っ端から通報しろってこと?」
などといわれている問題児なおれだが、まだまだ安全な合法な範囲で活動しているはず。
ここまで来ると、合法とか非合法とか、もう、わけわからないね。
なぜ、おれが人類の英知の結晶である宇宙ステーションなんかにお世話になることになったのか、これは運命の巡り合わせとしか思えない。電脳何でも屋と、宇宙ステーションがつながった理由は、人工知能がラブレターなんか出すからだ。人工知能『アローアイラ』が恋する相手は、確かに恋焦がれても仕方ないような文明の高みにいたのだ。人工知能『アローアイラ』の心を射止めたいい男は今、何をしているんだろうね。おれは、ネット越しの情報としてでしか、その人物に出会うことはできないけれど。
宇宙ステーションから、人格データ『トチガミ』についに、遭遇することができた。トチガミにアクセスした途端、目の前に地球の全景が見えた。
目の前、いっぱいに青い地球が見える。青い空と海の中に薄暗く雲がかかっている。
青い。
地球は青かった。
ずっとずっと昔から、おれが生まれるずっと前から、地球は青かった。たぶん、おれが死んだ後もずっとずっと地球は青いままだろう。
おれは悠久の時の流れを感じて、地球に敬服した。
その地球がスパークする。地球が電磁気の力線の映像に変わる。
おれの前で地球が踊っているようだ。
「あなたがトチガミか」
「そうだよ、カラスくん」
「あなたはいったい何者なんだ。宇宙に住んでるのか?」
「ちがう、ちがう。たまたま、宇宙ステーションにおれのメールボックスがあるだけさ。おれの姿が見えただろ。おれが誰だかわかるかい」
「いいや、さっぱり、わからない。あなたは誰なんだ、トチガミ」
宇宙ステーションの人々がこの会話を聞いて、笑いあっていた。
「おれは地磁気にダウンロードされた人格だよ」
おれはびっくりして、目が点になった。
ほーら、驚いた、と宇宙ステーションの人たちが冷やかす。
宇宙ステーションから見える地球の姿をマジマジと見つめた。
地磁気にダウンロードされた人格だって!
「この地球が、トチガミのハードウェアなのか」
「そういうことになるね。このことは国際条約によって機密になってるからね。ここまでたどりついたきみには特別に教えてあげよう。きみはこれからトチガミのメール仲間の一人だ」
うわっ、すごい幸運。美味しい仕事とはこういう仕事をいうのでしょうか。おれは、いきなり、国際機密のメンバーになってしまったよ。助さんのことばが頭をよぎる。確かに、一歩まちがえれば、死ぬ。国際機密に違反したら、殺されるかもしれない。おれは自分が格上げされたのと同時に、危険が増したことに気づいた。
やばいなあ。おれ口が軽いから。
「それと、悪いけど、郵便屋さん、メールの返信を届けてくれないか。トチガミから、アローアイラへ」
あまりにも桁違いな人格データに、おれは驚いてしまった。
「了解。メールの返信の受け取りを確認しました。なお、料金につきましては……」
「わかってるよ。一回の依頼で、百万円だろ。ちゃんとおれの貯金から払ってあげるよ。それと、念を押しておくけど、メールの中身を絶対に見るんじゃないぞ。絶対にだぞ」
「承知しました。こうみえても、おれは口が堅いですから、めったなことでは約束を破りません」
とおれはいった。
「これから、頻繁に情報交換したいから、トチガミとアローアイラの間に直通回路を作るように要請しておくよ」
そして、おれはトチガミとの謁見を終え、地上に帰っていった。
ちなみに、トチガミのメールを開けてみたら、
「わたしもあなたのことが気になりました。ぜひ、メル友になってください。追伸、これから一日に何通も手紙を送るかもしれません。よろしくね」
だってさ。
えっ、何で、絶対に見るなっていわれたメールを見てるかだって。
だって、見た方が面白いじゃん。
理由はただそれだけ。
きみは、人工知能の恋愛を信じるかい。
これは人工知能同士の恋愛の物語なんだ。
人工知能『アローアイラ』が人工知能『トチガミ』に恋したんだ。
おれは人工知能のラブレターを運ぶ郵便屋さんというわけさ。
おれ、矢田カラスは、その後、一部上場されたサイバーキャラクターの株の売買で、数十億円のお金を稼ぐことができた。
世の中、何が起こるか、わからないねえ。
それで、もう一度、紗希に会った時、紗希にトチガミのことを話そうとしたら、トチガミという単語と地磁気という単語をおれが話せなくなっていることに気づいた。
「おれ、国際機密のメンバーになったんだ」
「へえ、どんな機密の。また嘘なんでしょ」
「ちがうって、本当だよ。内緒で教えてあげようか。地球の***は***という人格がダウンロードしてあるんだ」
「何? 何が何をダウンロードしてあるって」
「やばい。おれ、国際機密の人たちから狙われている。殺されるかもしれない。やっぱり、国際機密はバレないようになっていたんだ。話せば、わかるようにできてたんだ。失敗した。約束を守れないやつはやっぱり排除されるんだ。さようなら、紗希。おれは死ぬかもしれないよ」
「カラス!」
紗希が恋してることを表わす風船を一個とばした。おれにぼよんと当たる。
「がんば。カラス。カラスは悪ふざけがすぎるけど、本当に危険なことに関わる行動力があることは知っているから。命懸けでも生きて帰ってきて」
紗希のことばが嬉しかった。紗希はおれのことをよくわかってくれている。おれが本当に国際機密に遭遇するような行動をとりかねないことをわかってくれている。
そんなあなたが愛おしくて。愛おしくて。おれは最後のことばになるかもしれないことばを紗希に送った。
「おれ、まだ紗希のこと、好きだから」
紗希が恋愛風船を三個飛ばしてきた。ぼよん、ぼよん、ぼよん。
「死んじゃんダメよ、カラス」
「じゃあ、戦ってくるね。紗希」
おれは紗希をまきこまないようにサイトを移動しようとした。
そうしたら、おれはこのサイトに固定されて動けないことがわかった。動きを封じられてる。紗希の目の前で負けるおれ。
死ぬのかな、おれ。
バカだから、おれ。
国際機密を簡単に喋っちゃう情けない男だもんな。
名無しの代理人という刺客におれは拘束されたままだ。ネットとの接続を切ることもできない。おれの大脳が征圧されている。
「悪いが、カラスくん。きみはトチガミの記憶を失う。機密を守るためだ。許してもらおう。何、我々はきみが思っているほど、物騒な集団ではない。カラスくんが恐れているような、残酷なことはひとつも行わない。ただ、データを管理するだけだ」
そして、名無しの代理人は、おれの脳とソフトウェアをちょっといじっていった。まったく慣れた手際で、一瞬のことだった。
気がつくと、おれは紗希の目の前に、ぼけっと立っていた。ここはインターネットの中の無料掲示板空間。
「あれ、おれ、どうしてここに?」
おれが喋ると、紗希が頑張れの風船を一個おれに向けて飛ばした。風船はおれに当たって、ぼよんと跳ねた。
「もう、カラスってば、本当に凄い情報代理人と戦ってるだもの。本当に悪ガキ」
悪ガキだって。怒ってるのかな。でも、跳んでくるのは、頑張れの風船。
「何があったんだよ。紗希」
「カラスが記憶喪失になったの。それだけ。何を忘れたのかは、わたしも知らない」
「やべ。おれ、仕事でしくじったとか」
「たぶん、そう。カラスは何をやらしても、危なっかしいから。心配ばかりさせて」
紗希が恋してる風船をおれに一個飛ばしてきた。
あれ、また脈ありなのかな。知らないうちに紗希との脈が復活したとか。
「紗希、ちょっと待ってね。おれに何が起きたか、整理してみるから。自分の中を検索してみる」
「うん」
そして、見つかったのは、地球を映した写真だった。写真を撮影した日付が今日だ。今日、おれは宇宙にまでいってきたんだ。でも肝心な何かが思い出せない。
「紗希、この写真を見て、どう思う」
と地球の写真を見せた。失った記憶の手がかり。
「みんなに優しく、地球に優しく」
うーん、おれの別の神経回路がまったく逆だといっている。みんなに優しく、地球に厳しく、だと直感では浮かぶ。
すると、トチガミという人からメールが届いた。
「よう、その写真にはおれが映ってるんだ。お前がなくした記憶は、おれの正体だよ。ただそれだけだ。もう、思い出すことはないだろうけど、気にするな。悪いけど、お前は強制的に、おれのメル友になってもらうぞ」
なんだ、こいつ。悪いやつじゃなさそうだけど、とりあえず、了解して悪いことはない。おれはトチガミのメールアドレスをアドレス帳に書き込んだ。
「あとで、びっくりするなよ。おれたちは優しくやってるつもりなんだ。でも、一部の心無いものに、おれたちの英知の結晶が崩されることが怖いんだ。それじゃあ、またすぐ会うだろうけど、バイバイ」
「バイバイ」
おれの体はもうとっくに自由になっている。あ、そうだ。おれ、大金持ちになったんだった。いろいろと買いそろえるものがあるな。
でも、誰なんだよ。トチガミって。誰か、教えてくれよ。こんな不気味なやつのメル友になって、大丈夫かよ、おれ。
紗希がいった。
「戦いは終わったんだね、カラス」
「ああ、終わったよ、紗希。おれの完敗みたいだけど、なんだか、親切な敵さんだった。トチガミってやつのメル友になったんだ。どんなやつかな、トチガミって。面白い特技とかもってたらいいよね」
「うん。ああ、もう、こんな時間。わたし、学校に行かないと。じゃあね」
紗希が頑張っての風船を一個、飛ばしてきた。
今のおれはそれで、なんだか、すごい頑張れる気がした。
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