第3話 河村有希

「……だからやめておいた方がイイって、俺は言ったんだ」


 今更言うな、天野。


「もう遅い」


 俺は頭を抱えながら言った。喫茶店内。目の前にはコーヒーと水と、苺トリプルパフェとか言う巨大な奴、それと紅茶。


「話してくれるわよ、ね?」


 レナの氷のような微笑に、美少女は完全に怯えている。


「あのな、レナ」


「佳月は黙ってて」


 一刀両断。


「……だからやめた方がイイって……」


「遅い!!」


「うるさい!!」


 レナの一喝に俺達は小さくなる。……ああ。


「話すつもりで、着いてきたんだよね?」


 にっこりとレナは笑うが、それは不気味以外の何ものでもなかった。コイツは無表情の方がいい、と初めて知った。

 こんな笑顔で話し掛けられたら、喋れるものも喋れない。改めて、コイツは恐いと思った。

 可哀相に、すっかり怯えている。レナはまるで気付いてないようだ。……自分の笑顔がどれほど恐いか。

 仕方ないから、俺は極上の笑みを浮かべて、


「ごめんね? 手荒な真似して。他意はなかったんだ。怖がらないで」


 女キラーバージョンだ。ナンパ専用。美少女は真っ直ぐこちらを見た。……しめた。


「君に危害を加えるつもりはないんだ。ただ、聞きたいコトがあるだけで……」


 レナの眉間に皺が寄った。不意に、美少女の表情が曇った。


「おい、レナ!!」


 気に障ったように、レナは睨んだ。


「いや、その、話の邪魔は……」


「……私じゃない」


 レナは冷淡に言う。店内に、客が入って来た。さっきの女友達二人と、男四人。美少女は硬直した。


「ちょっと!」


 ポニーテールが睨み付ける。レナが立ち上がる。


「おい!? ……おいっ!!」


 レナは問答無用でポニーテールの顔面を殴り飛ばし、店の入り口付近にあった植木を持ち上げ、男共に投げつけた。


「……バッ……!!」


 止める間などまるでなかった。


「バッカ野郎っ!! お前、何てコトすんだよ!!」


「何にも判ってないのはお前だ!! バ佳月」


「なっ!?」


 レナは美少女の腕を掴んで、店の外へ駆け出す。仕方ないから慌ててそれを追い掛ける。

 店の主人の罵声。器物破損と無銭飲食。立派な犯罪だ。……やめて欲しい。慌てて追い掛ける。

 背後からボブ・カットや男共──ガラ悪そうな連中だ──がやって来る。


「いったい何なんだよ!!」


「まだ判らないか!! 察しの悪い男だな!!」


 レナは怒鳴る。ビビる。初めてだ。


「……何を……」


「最初から、彼女は怯えてただろ!! お前や私にでなくて、あいつらに、だ!! 救いようのないバカだな!!」


「……っ」


 美少女を見る。走りながら、こくん、と頷く。……何で。思わずレナの顔を見る。


「判らない方がバカだ」


 冷淡にレナは言い放つ。


「……すまん」


 謝る。レナは笑った。ぎくりとした。

 ぞっとする笑みだが……これは……別に俺をビビらせるつもりの笑みではないんだろうな……たぶん。こっそり溜息をついた。


「でも、いきなり殴ったりするのはまずいだろう」


「私は喋るのは苦手だ」


「…………」


「どうせ、同じコトだ。判りやすい方がイイ」


「……ちょっと乱暴すぎだ」


 レナは眉根を寄せる。


「佳月に言われるとは思わなかった」


「あのなっ!!」


 ……しかし……一体どういう風の吹き回しだ? こんなレナ、見た事ない。


「天野、彼女連れて隠れてろ!!」


 廃屋。俺とレナは構える。そこへチンピラ連とボブ・カットとポニーテールが来る。


「良くも、女の顔を殴ったわね!!」


 ポニーテールが喚く。するとレナは冷たい声で言う。


「大丈夫、痣は一月で消える。整形しなくちゃならない程じゃない」


 見るからに相手が逆上した。……当たり前だ。溜息をつく。


「もうっ!! 許さない!!」


 ああ、何で俺、こんなコトに巻き込まれてンのかな。くそッ。


「てめーら、ぶっ殺す!!」


 チンピラ連が襲いかかってくる。


「ホントッ!! 何が悲しくてこんなむさ苦しい野郎共ッ!!」


 殴る。思い切り。……随分、久しぶりな気する。……『年少』以来、かな。ッたく。よッ!! 一発で次々伸びる。……だらしねェの。


「……こいつっ……強ぇっ!!」


 ……ッたりめェだろッ!! 年期が違うッてーのッ!! ブランクあり、だけどよッ!! 

「あっ!! コイツ、相模中の各務佳月だ!!」


 ……今頃気付くなッつーのッ!! 


「何ぃっ!?」


「俺の知らねェ間に、随分とまァデビューした坊や達がいるもんだな! てめェらさっさとケツまくってママんトコ帰りなッ!!

 イイ加減にしねェとぶッ殺すぞ!! オラッ!!」


 ガンつけ、捲し立てると、幾人かの腑抜け共が慌てて逃げ出した。


「……ひっ……人殺しっ!!」


 悲鳴上げてく奴までいる。


「……ふうん?お前、殺したんだ」


 レナがくるりと向いて言う。


「……ッ!!」


「いや、別に何も言わないよ。私も殺したコトがある」


「ッ!?」


「……十二年ほど前ね」


 ……十……二年て……。


「……私も一年ダブリ。お揃いだね」


 ……お揃いって……!! そっ……そういう問題かよ!! 


「でも、私は『年少』入らなかった。『正当防衛』だったからね。……知ってる?『正当防衛』ってね、罪にならないんだよ。

 それに、私は『か弱い子供』で『非力な女の子』だったから」


 にやり、とレナは笑った。


「……ッ!!」


 恐い、と思った。本気で恐い、と思った。こいつ……今まで思ってたより、ずっとヤバい奴だ!!

 ぞっとした。男共はあらかた逃げるか気絶するかして、もう、ポニーテールとボブ・カットしかいなかった。


「……佳月、逃がしちゃ駄目だよ?」


 ぞくり、とした。レナはポニーテールの髪を引っ掴んだ。思わず目を背ける。ボブ・カットが逃げ出す。


「佳月、逃がしちゃ駄目だったら!!」


 体がとっさに動かない。だが、その声でボブ・カットは腰が抜けたらしい。その場に座り込んだ。

 ……ガツッと嫌な音がする。レナはボブ・カットに歩み寄る。


「ね、痛い思いしたくないよね?」


 にっこりと、背筋の凍るような笑みを浮かべる。ボブ・カットはガタガタと震える。


「……知ってるよね? 『各務葉月』のコト」


 そう言って、レナはボブ・カットの顎に触れる。


「……『各務葉月』に何をしたの?」


「……ひぃっ……!!」


 嫌な音と気配。思わず目を逸らした。ボブ・カットは恐怖のあまり、漏らしたらしい。

 ポニーテールを見て、ギクリとする。顔にひどい傷があった。……おそらく、整形手術が必要な。

 思わず嘔吐が込み上げる。必死で堪える。……ひどい。あまりにもひどい。確かに俺はかつて、人を殺したコトがある。

 だけどそれは、決して故意ではなかったし、相手に殺意があっての事ではなかった。こいつは違う。

 心底ぞっとした。こんな事して、ただで済むと思っているのだろうか? コレで犯罪じゃないなんて、言えるだろうか?

 レナは氷のような声で尋問を続けている。正視に耐えなかった。……俺も、天野や河村有希のように、陰に隠れていたかった。


「『各務葉月』は、やっぱり殺されたの?」


 ぎくりとする。


「……だって……折角の写真を……」


 思わず振り返る。


「……だから、有希の身柄と交換に、単車レースを……」


「今……何て……!?」


 レナはちらりと俺を見て、もう一度ボブ・カットに目を戻す。


「……要するに、バイクと道路に細工をしたんだな?」


「私じゃない!! 日向が!! あいつ……コワい奴なんだよ!! あいつに逆らったりしたら、大変な事にっ……!!」


「で、その理由が『河村有希』ね。……脅しのネタの写真はどうしたの?」


 レナは氷のような声で問う。


「……まだ、日向が……私達は写真数枚しか……」


「後は燃やされたんだ? 『各務葉月』に」


「……データは日向があいつから取り返したんだ。……それ以上は知らない!!」


 一瞬、頭が真っ白になった。


「で、その『日向』ってのは?」


「……知らない!! 私は知らない!!」


「その顔に、消えない傷を付けてあげようか?そしたらもっと美人になれるよ」


 レナは冷酷な笑みを浮かべる。


「っ!?……あっ!! ……いつもっ……栄一丁目のゲーセンにいる!! それ以上は知らない!! 本当だ!! 本当なんだよ!!」


「……だ、そうだ。どうする? 佳月? こいつ、殴りたくない?」


「…………ッ!!」


「佳月のために残しておいたんだよ? 殴らないの?」


「……ッなの……ッ!! やるわけねぇだろ!!」


「ふぅん。佳月は女殴れないって、良かったね。女に生まれて。でも、私は気にしないけどね」


「ひぃっ!!」


「やめろ!! レナ!! やりすぎだ!!」


「何で? 自分に危害加えようとしたんだよ? そういう奴には反撃して良いんだ」


「バカ言うな!! そいつはもう、戦意喪失してる!! これ以上追い詰めてどうする!!」


「佳月はバカだな。もっと話の判る奴だと思ってた」


「お前がそんな奴とは知らなかったよ!!」


「それはこっちの台詞。お前は『被害者』になったコトがないんだな?『加害者』ってのはいつだって残酷なものさ。

 『被害者』のコトなんてどうだって良い。反撃しなければ殺されても仕方ない。

 泣いてりゃ誰かが助けてくれるだなんて、そんなの唯の『甘え』なんだよ。『現実』にそんな御伽話のようなコトない」


「……お前……」


「お前、『加害者』のくせに『偽善者』ぶってきたんだろう?」


「何だと!?」


「ま、今はそういうコト口論してる場合じゃない。行こう。面倒になる」


「…………」


 レナは恐い。……俺が今まで思っていた、以上にもっと。なのに……ひどく綺麗で。恐いくらい綺麗で。……ぞっとする。


「……行くぞ、移動だ。早く」


 レナの内面は、俺が想像するより遙かに深くて底知れない。恐いけど……逃げられなかった。

 冷たい、俺の心の奥底まで突き刺すような瞳。レナが何を考えてるか判らない。

 だが、今までのアイツからは想像つかないくらい、積極的で行動的で、協力的だ。

 何がアイツを動かしているかなんて、知らない。だけど、アイツは俺が頼んだのとは別の次元で、自分の意識で行動している。

 アイツは河村有希の中に何を見たのだろう。これから何をしようとしているのだろう。

 俺達は早々にその場を後にして、栄一丁目の児童公園まで移動した。


「……次の目的地はここのゲームセンターだ」


 レナは言い放った。


「だが、あんたは帰った方がいいね」


 レナは河村有希を見つめて、唇を笑みの形に歪めた。……たぶん、本人は笑ったつもり、だろう。


「……ごめんなさい。……その……」


 河村有希は俯いた。俺は躊躇いながら、口を開いた。


「……詳しいことは知らない。ただ、葉月が……気にしてたんだ。君を守って欲しいって」


「それは!?」


 河村有希が顔を上げた。


「……一種の遺言だな」


 それ以上は言わない。言っても、信じられるはずなかった。幽霊、なんて。


「そう言えば、夢に出てきたよ」


 ふと、思い出して言った。


「葉月が、俺の夢の中で『有希だけは、絶対に』って……そう言って……」


 そう言って、死んだ……。


「それが遺言か?」


 レナが言った。


「……現場と同じ場面だったよ。俺は一度も行ったコトなかったけど」


「……そういうコト……あるんだ……」


 天野がそう言って、目を見開く。


「ただの、気のせいかもしれない。夢なんて、そんなモンだろ」


「でも、各務。お前、弟は殺されたって思ってたろ?」


「……ただの思い込みだよ」


 首を振る。


「そんなコトより、送るぞ。何処なんだ、家。こっから近い?」


 河村有希は真っ赤な顔で俺を見る。


「……あのっ……本当にっ……そのっ……」


 まるで、恋人を見るような目で。一瞬、どきりとする。


「……ありがとうっ……ございます……っ!!」


 レナはふん、と鼻を鳴らす。


「言っとくけど、まだ、終わってないよ? あんた、自分の立場判ってないんじゃない? そんなんだから、イイように利用されるんだよ?

 悔しくないの? あんた、泣き寝入りするの好きなの?」


「……えっ……そのっ……」


「やめろよ、レナ。誰しも、お前のようにやれる訳じゃない。お前はやりすぎだ」


「お二人は、恋人同士なんですか?」


 河村有希が尋ねた。


「え!?」


 思い切り動揺して、後ずさった。レナは能面のような顔で、ほんの少し目を見開いた。


「そッ……そんな事ある訳ないだろッ!! こんな……ッオッソロシイ女ッ!! 殺されるじゃないかッ!!」


「……お前がどういう目で私を見てるか、良く判ったよ、佳月」


 白い目でレナは言った。


「あッ!! すまんッ!! お前を誹謗したつもりは全くッ!!」


「……別に気にしないがな」


 レナは肩をすくめた。……その仕草が、妙にキマっていてカッコ良かった。絶対、コイツ、女にしとくの勿体ない。

 だが、こんな凶暴な男、絶対関わり合いになりたくないが。


「……そう、ですか」


 何故か、河村有希は寂しそうに笑った。


「本当にありがとうございました。私の家は、この近くです」


 三人で河村有希を自宅まで送り、決して呼び出されても外に出ないよう言い含めて、ゲームセンターへ向かった。

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