第1話 幽霊

「あんたって子はっ!! あんたって子はっ!! もぉっ!!」

「母さん!! もう良い!! ……佳月かづき、こっちへ来なさい」


 帰宅して、玄関のドアを開けた途端、両親の出迎え。イヤな予感がする。そう思った途端、いきなりガツッと殴られた。

 吹っ飛ばされて、ドアノブが後頭部に命中。鈍い痺れるような痛みと、口の中灼熱感。じわりと鉄の味が広がる。

 舌、噛んだ。……痛ェ。目眩がする。吐き気も感じながら、何とか立ち上がる。


「……全くお前って奴は……」


 苦々しげに俺を睨む父親をぼんやり見上げながら、気持ち悪さをこらえ、口の中の血を吐き捨てた。


「玄関を汚すな」


 舌打ちしやがって、このくそ親父。誰のせいだと思ってんだよ。まだ、頭痛が治まらない。……畜生。


「昨夜、何をしていた?」


 詰問口調。これまでずっと放任で、別に出張してるわけでもねぇのに、休日ですらほとんど家に帰って来なかったくせに、今更父親面すんな。反吐が出る。


「言いなさい」


 面倒くせぇ。でも、まあ、言わなきゃもっと面倒くせぇんだろうな。だいたい、言葉の足りないところを拳で補おうってところが一番嫌いだ。

 殴れば、相手が言うことを聞くとでも思ってるんじゃないだろうか、このろくでなしのクソ野郎。ったく、俺は平和主義者だってのによ。


「三時まで適当に時間つぶして、校舎に忍び込んで、朝まで寝てた」


 俺が答えると、親父は眉をピクリと上げた。


「どうして誰にもばれなかった?」


「一コだけ鍵が壊れっぱなしの、ほとんど使われてない部屋があンだよ」


 事実だ。正規の鍵を使っても、ピンが全く動かないためロックされたままだが、コツさえわかっていれば、釘でもヘアピンでも使って開くことができる。


「本当か?」


「本当だよ」


「どうして戻らなかった。連絡もしないで」


「考えたいコトがあったんだよ」


「家でも出来るだろうがっ!!」


「……家には鏡、あるじゃねーか」


「…………」


「もっとも、俺が殴って付けた切り傷は、鏡の中にはないだろうけど」


 俺の弟の葉月はづきの左顎には、俺達が三歳くらいの頃に、玩具の取り合いか何かで口論となった時、俺が積み木を持ったまま殴りつけたために付いた傷跡が残っていた。

 顔面の出血というのは、たとえ小さな傷でも意外と多い。二針縫う怪我だったが、切れた時は派手に出血して、葉月が着ていたTシャツは真っ赤に染まったのを、今でもはっきり覚えている。

 あの時、俺は葉月を殺してしまったと思って泣いた。葉月はビックリした顔をしていたが、泣かなかった。

 だが、俺の泣き声に気付いた母が駆け寄って来ると、俺以上の大声で泣きわめいた。


「……お前って奴は……」


 疲れたような顔で言う父親は、呻くように呟いた。


「ねぇ佳月、ご飯食べたの?」


「食べてきた」


 母の質問に答えると、厳しい顔つきに戻った父親が俺を睨み付けた。


「佳月」


「……ハイ」


「遅くなる時は、きちんと連絡しろ」


「……ハイ」


 気が向いたら、な。


「佳月、お風呂入る?」


「……イラナイ」


「入りなさい」


 父親が睨み付けて言う。


「……ハイ」


「今日は早めに寝るのよ?」


「……ハイ」


 ……今まで放任だったくせに。いつだって悪いのは佳月で、良いのは葉月で。つい、半年ほど前までそうだった。

 バカ野郎。葉月の大バカ野郎。お前のせいで。お前の……せいで。ギリッと唇を噛む。顔を伏せて部屋へ行く。


 何か、余計なモノを見そうで。幽霊なんて信じてない。……だけど。

 死んだ葉月の姿は、あまりにも現実味がなくて……葉月に見えなかった。

 俺、各務佳月かがみかづきは一応高校二年生。その双子の弟・葉月はづきは先月、自動二輪の運転中に事故で死んだ。


 その日、優等生だった葉月にしては珍しく、夜遅くに出掛けた。

 事故が起こったのは午前三時前後。商店街、町内で一番の大通り、見晴らしの良い一直線の緩い坂道のほぼど真ん中。片側二車線で両側に歩道・街路樹付き。

 坂を下りる中程から電柱にまで続くブレーキ痕。目撃者は今のところ見つからない。

 悪夢はまだ、醒めない。


   ◇◇◇◇◇



「……頭が痛い」


 殴られた顔は運良く腫れずに済んだが、ぶつけた後頭部は当日よりも痛みが酷い。触るとたんこぶが出来ている。

 しまった、こちらも冷やしておくべきだったか。


「二日酔いか?」


 ボケ天野、こと腐れ縁の友人ツレ天野司あまのつかさが脳天気そうな顔で、ふざけたことを言いやがる。


「んなわけねぇだろ、ボケッ! 殴られたんだよ!!」


「頭を?」


「いや顔、しいて言えば左頬だ」


「それで青アザ作ったのか。でも、それならどうして頭が痛むんだよ?」


 不思議そうに尋ねる天野に、舌打ちしながら答えた。


「殴られて吹っ飛んだ先に、ドアノブがあったんだよ」


「なるほど。俺も股間にドアノブぶつけたことあってタマちゃんとかはギリギリセーフだったけど、あれは超絶痛いよな! 三十分ほど悶絶してたら、妹に白い目で見られた」


「……そうか」


 どうやったら股間をドアノブにぶつけられるのか。疑問に思うが、どうでも良い。たぶん俺が普通に暮らしていて、同じようにぶつける機会はないだろうし。


「お前のとこのオヤジさん、見た目はエリート真面目系なのにやること豪快だよな。うちはダジャレと下ネタはひどいけど、殴られたことはないなぁ」


 天野の父親は自営業で建築屋だ。母親もその手伝いをしており、自宅の方にもしょっちゅう従業員が出入りしていて賑やかだ。

 天野の話じゃ、週に一度は宴会らしいけど。


「……だからさ、心配してんだって。オヤジさん達。ほら、葉月君があんなことになったから」


「葉月は殴られなかったぞ」


「必ずしも息子二人共に同じ態度取るのがイイとは限らないよ。教育論の本でそういうの書いてあった」


「ンなもん読んでんのかよ?」


「たまにね。俺、教師になろうかと思って」


「わざわざなりたいか? あんなもの」


「いや、俺、ちょっといろいろ思うトコあって」


「言っとくけど、アレ、四大出なきゃダメなんだぜ? しかも国家試験だろ。俺と同じくらいの成績取ってるお前には、絶対無理だろ?」


「しつれーだなっ!! それくらい判ってるってーのっ!!」


「何で?」


「何でって……」


 天野は頭を掻く。


「俺なら、わかるんじゃないかなって」


「何を?」


「いじめられる奴とか疎外される奴の気持ち。それに……各務みたいな奴、とかさ」


「バーカッ。お前なんか何も判っちゃねーよッ」


 天野は肩をすくめる。


「そうかもな。けど、中三の時の担任よりは上手くやれると思う」


「…………」


 呆れた、というか。


「どっから出てくんだよ?そーゆー根拠のねェ自信」


「……だって各務がいるから」


「…………」


「各務、ずっと嘘ついてんだよ。何が本当なんて俺には言えないけど。お前、何か逃げてんだよ。

 弱気になってもいい。けどさ、お前、もっと他人頼れよ? 何のために俺いるんだよ。嘘ばっかつくなよ?」


「……たとえ、仮にそうだとして、お前にそれをどうにか出来んのかよ?」


「モノによる」


「バッカじゃねェの?お前、やっぱバカだわ」


「バカでいいよ。各務がそれで俺を頼ってくれるなら、さ」


「この俺様がお前ごときに何の世話になるよ?」


「言ってみなきゃ判んないだろ?」


 真顔で天野が言う。俺は嘆息した。


「……じゃあ、葉月の亡霊をどうにかしてくれ」


「…………え?」


 天野がポカンとした顔になった。


「あいつがいるんだ」


「…………」


「鏡とかガラスとかの中にさ、葉月がいるんだ。こう、恨めしそうな顔で」


「……何を言ってるんだ?」


 天野は目を丸くして、やっと、という感じで声を絞り出した。


「だから、どうにも出来ないっつってんだろう。気のせいでも気の迷いでも何でもいいよ。アイツが見てるんだ。アレは、俺の顔じゃない」


「……お前の顔じゃないってそれ……」


「いいよ。どーせとち狂ったとしか思えねーだろってコトくらい判ってんだ」


「…………」


「だから、そいつが消えるまで見ないコトにしたんだ」


「……それっていつまでだよ?」


「さあな。知るかよ」


 溜息つく。……どーせこんなの、本気で聞く奴いない。当の本人ですら半信半疑だってのに。……でも。


「……長年、見てきたんだ。俺は自分とアイツの顔の区別くらい、つくつもりだ」


 一度だけ、見間違えたけど。


「本気?」


「何だと思ってんだよ?」


「……各務、オカルトとか嫌いだったよな?」


「今更何聞いてんだ、ボケ」


「そうだけど……」


「……いいよ。俺、アイツの死体なんか見て、気ィ狂ったんだ。それでイイよ」


「各務」


「……悪夢みたいだよ。けど、かえって現実味ない。実は目が醒めてコレは全部夢だった、てな感じになるんじゃないかって……。

 何が何だかさっぱり判んねーよ」


「そっか」


「そっか、ってお前、判ってんのかよ?」


「だって、各務、理由もなく嘘つかないだろ?」


「……お前」


「じゃあさ、悪いんだけどさ、イヤだと思うけど……実際、見せてくれる?」


「…………」


「……いや、気持ちは判るけど。言ってるコトは信じた。信じたから、実際確認させてくれよ。じゃなきゃどうしようもないだろ?」


「…………」


「あのな、お前、俺のコト信用しろよ」


 ……くそっ。舌打ち。


「……来いよ」


 トイレへ向かう。……気持ち悪ィ。二度と、見たくないのに。

 鏡の前に立つ。鏡の向こうに、青白い憂鬱な顔。俺に良く似た顔の別人が、何か言いたげにこちらを見ている。

 ぞっとする。身震いした。けれど、鏡の向こうの奴はずっと同じ顔で。何か言いたそうなのに、口を開かない。天野は鏡と俺を見比べる。


「どうだ?」


 天野の顔色は悪かった。


「……目で見ても……あんまり信じたくない光景だな」


「俺の気持ちが判ったろ」


「もし、中にいるのが葉月君だとして、お前は……彼に話しかけたのか?」


「バカ。そんな気色の悪いコトするかよ」


「でも、何か話したさそうだよ」


「……お前は話したいと思うのかよ?」


「気持ちはわからないでもないけど、たった一人の兄弟だろ?話しかけてやれよ」


「……他人事だと思って何でも言いやがって」


「じゃあ、俺が聞いてみるよ。……何か話したいコトがあるんだろ?」


 鏡の中の奴はぶるりと身体を震わせる。口を開閉させて、でもためらうように閉じる。


「……もしかして喋れないのかな?」


「やめろよ。取り憑かれたりすんの、俺ヤだぜ」


「取り憑かれてるとしたら、たぶんもう取り憑かれてるんだと思うけど」


「不吉な事言うなッ!!」


「とりあえず、本人に聞くのが妥当じゃないか?」


「お前、本気でそう思うのか?俺のコトなんか考えてないだろう? 俺がッ……!!」

「バカ言うなよ!! お前が大切じゃなかったら、こんなコト信じるかよ!! とっくに救急車呼んでるって!! ……あ、筆談にしようぜ。これ、紙と鉛筆」


 そう言って、天野は紙と鉛筆を鏡の前に差し出した。


「!?」


 心臓が、つぶれるかと思った。奴は、天野の出した鉛筆を持ち上げて、何か書き出した。


「!!」


 はっきり言って心臓に悪い。動悸がする。血の気が引いていくのが判る。俺自身は、紙にも鉛筆にも手を触れてないのに。

 さすがの天野も息を呑む。……ここで平然とされたら後で絞め殺してやるところだが。

 奴は書いた紙をこちらに見せる。


『有希を助けてくれ』


「……有希?何だ、それ」


 思わず、呟いた。すると、奴は悲しそうな顔をする。


『あいつらは有希を狙っている。俺がいなくなった今、あいつらを止めることが出来ない』


「あの、葉月君、その……有希って誰?」


『河村有希。クラスメート。女友達』


「それが、君の心残りなんだ?」


『有希を助けて。お願い』


 天野が俺の顔を見る。


「各務」


「イヤだ」


「そんな事言ってる場合かよ!! お前の弟だろ!? お前自身のコトだろ!? 逃げ腰になってるんじゃないよ!!」


「だったらお前、ガマン出来るのかよ!!」


「我慢とかそーゆーレベルじゃねぇよ!! こいつはもう、どうにかするっきゃないだろ!!」


「だァッ!! もうッ!! 何でお前、そうムダに熱血なんだよッ!!」


「各務のコトだからだろっ!!」


「…………ッ!!」


「お前このまま放っておいていいのかよ!! イヤだから俺に言ったんだろ!? コレが各務のコトじゃなかったら、どうして俺がそこまでするよ!!」


「…………」


「お前のためじゃなかったら、俺、幽霊に話しかけたりなんかしないぞ!! 俺、本当はそういうのすっげー苦手なんだからなっ!!」


 ……すっげー恥ずかしい奴。


「……判った。俺が……俺が悪かった」


 まだ、ホント覚悟決まってないけど。


「……行こう。アイツの学校。神楽坂高校だ」


「えぇっ!? あの私立名門!?」


「だから前に言ったろ、俺とはデキが違うって」


「……双子って全く同じ遺伝子なんだろ?」


「知らねェよ。イデンシなんか見たコトねーもん」


「……各務。遺伝子は目で見えるモンじゃ……」


「俺、頭悪ィんだよ。判ってっだろッ!!」


「遺伝子も知らないのかよ?」


「あァン!?じゃあ、お前ソレ何か俺に説明できんのかよッ!!」


「……悪かった。俺がホントに悪かった」


「判りゃいいんだ。行くぞ」


「……おい、授業は?」


「言い出しっぺは誰だよ」


「判ったよ」


 諦めたように天野はそう言って、肩をすくめた。

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