第3話

 テレビのニュースは避難警報をくり返し流していた。報道には、敗戦濃厚な戦力分析ばかりがならんでいる。勝てるわけがない。話にならない。技術の水準が違いすぎる。人類はすでに戦力の半分を失った。ロキシーの侵略は確実だ。

 虐殺される。誰もがそう思った。もうすぐ死ぬ。最後の時を迎える。ついに、恐れていたエイリアンの地球征服が始まったのだ。勝てるわけがない。

「わたしに金をくれ。八億円だ。八億円くれれば、宇宙人に勝ってみせる」

 木島博士は叫んでいた。怒鳴るような大声だった。隣には男がいて、わりと冷静に声をあげていた。

「七億だ、おれなら七億で勝つよ」

 やはり、その隣にも男がいて、こちらも冷静に声をあげていた。

「しょうがない。おれが二億でなんとかしよう」

 ひとり木島博士だけが声がデカかった。

「大丈夫だ。わたしがなんとかする。だから、八億を。頼むから八億をくれ。頼む。それで宇宙人に勝てるんだ」

 それを聞いている人は大勢いたが、誰も何も答えなかった。

「おれは三百万でもいいかなっと思ってるけど、どうよ」

 隣の男が冷静に喋る。

「まあ、ぶっちゃけ、おれは二百万までならマケてあげれるんだけども、どうかなあ。今だけだよ。今だけなら二百万」

 さらに隣の男が冷静に喋る。

「八億だ。絶対に八億でなければダメだ。だが、わたしに任せるんだ。八億をくれ」

 木島博士はひたすら叫びつづける。

 木島博士も、隣の男も、さらに隣の男も、それからもずっと喋ってはいたけれど、誰も一円も手に入れることはできなかった。木島博士はとりわけ理解されにくい人物だった。


 その次は、木島博士は内閣総理府に電話をかけていた。

「宇宙人の侵略にお悩みではありませんか。もし、お悩みでしたら、わたしによい案がありますので、どうぞご相談ください。わたしが自信をもって解決してみせます」

 博士は電話が通じるなり、できるかぎりのことばを使って自分を売りこもうと必死だった。

 電話に出た女は博士のまくしたてる内容をじっくりと聞き、おおむね的確にその内容を要約してメモにまとめた。それから、杓子定規にこう答えたのだった。

「本日は貴重なご意見をありがとうございます。承ったご意見は今後の政策の参考にさせていただきます。それでは失礼いたします」

 それで、電話は博士の方から切ったのだ。たぶん、いいたいことは伝わったと思って。

 確かに女のメモは上司に提出され、今後の政策の参考として検討の対象にはなった。つまりは、上司はそれを二秒でざっと目を通したまま、ふうん、てな感じで読み流した。ちなみに、そのメモには次のように書いてあった。“すごい兵器をもっているので、それで宇宙人をやっつけれます。080-****-****”。ものすごい重大事だった。しかし、そのメモは普段の雑事にまぎれてそれ以上、とりあげられることはなかった。その上司は、そういう市民もいるんだな、ぐらいにしかそのメモに対しては思わなかったのだ。それが内閣総理府における今後の政策の参考というものだった。

 博士はこの次にするべきことを必死になって考え、八億円以上を持っている資産家に資金提供者になってもらう可能性を推進することにした。お金を持ってそうな資産家のリストを手に入れ、手当たり次第に電話をしたり、訪問したりしまくったのだ。結果は散々だった。誰一人まともに相手をしてくれず、貶され罵倒されほうほうのていで帰ってきたのだ。

 誰も、誰も博士を理解してはくれなかった。エイリアンを前にして、たった一人だ。ただの一人の理解者も得ることができなかった。

 博士は内閣総理府からの連絡を真剣に待っていたが、いっこうにかかってくる気配がなかった。

 わたしが悪いのだ。何かわたしのやり方が間違っていたのだ。それさえなおせば、きっとうまくいく。きっとうまくいくんだ。

 博士は今まで充分に頑張ってきた。苦しいこと、耐えられないことがいっぱいあった。だが、博士はまだもうひと頑張りしなければ、人並みの幸せを手に入れることはできないのだった。

 博士は自宅に帰ってくると、様子がおかしいことに気づいた。部屋のなかの物の配置が少し変わっている。どこかしらに気配を感じる。何者か侵入者がいるのだ。

「くそっ……まさか、地球人よりもおまえたちの方が先にわたしの元を訪れるとは思わなかった」

 博士の声が一人、虚空のなかを横ぎった。

 侵入者はなかなか姿をみせない。

 だが、博士は見抜いていた。

「そこにいるのは分かっている。そんなことで、わたしを殺せはせんぞ」

 博士は誰もいない部屋に向かって強がってみせた。

 凍りついたような時間。物音ひとつしない無音の時間。迫りくる緊張感に耐えきれなくなって、博士の顔にひとすじの汗が流れる。

 博士はそうっと音を立てないようにゆっくりと、部屋の隅においてある機械に近づいた。この機械は特殊な弾丸兵器だ。ロキシーとだって戦えるだろう。

 博士がテーブルの上にあったコップを部屋の隅に投げると、透明なぶよぶよしたものに当たってガシャンと割れた。それは宇宙服を着たロキシーだった。ロキシーは長さ三百メートルを越える糸のような白い生命体だが、糸くずのように絡まることで、人類とたいして変わらない大きさにまとまることができる。その宇宙服は粘着性のアメーバーのようだった。

「ぶわははははははは。あきらめろ。我々がおまえを見逃すと思ったのか。ぶわははははははは。我々がおまえを見逃すわけがない。」

 ロキシーが轟音のような合成音で話しかけてくる。地球のことばを使って。

「ぶわははははははは。降参しろ。お前たちに勝ち目はない。従え」

 部屋の別の隅にもう一体いた。

「ぶわははははははは。我々はこの惑星にある脅威をくまなく分析してみせた。まったく正確に的確にな。その我々がおまえを見逃すわけがないのだ。ぶわははははははは」

 後ろにも一体。

「ぶわははははははは。おまえは面白い小動物だ。生物サンプルとして保存しておいてやろう。大人しく我々の保存瓶に入れ」

「断る」

「ぶわははははははは。おまえは我々の命令を拒否した。これは死に値する。もう生かしてはおけん」

 部屋の中にも外にも、ロキシーは何体も隠れているらしかった。囲まれている。

 地球人がだれひとり博士の重要さを認識できなかったのに、ロキシーだけが正確に博士の重要さを認識して襲ってくるとは。

 ロキシーは網のようなものを射出してくる。それが、博士の腹を撃ちぬいた。博士は窓を突き破って外に飛び出る。血が、腹からどばっと流れる。致命傷だ。もう長くはない。もう、助かりはしないだろう。このままでは死んでしまう。なんとかしなければ。逃げろ。逃げろ。博士はふらついたまま、道路を一歩進み、それから、よろけて、崩れ落ちそうになり、なんとか耐えて立ち止まった。もう歩けない。こんなところで死んでしまうのか。博士には力があった。宇宙人にも勝てるだけの力が。その力を誰かに伝えなければ。

 ああ、この地球にいて、誰一人として力を貸してくれるものはいなかった。この何十年、誰一人として力を貸してくれるものはいなかった。見捨てられ、見放され、放逐されていた。世間を敵にまわし、異端となり、さまよい、力尽き、それでもあきらめず。働き、あぶく銭を稼ぎ、余った時間で研究し。やっと完成したと思っても、誰にも注目されず、見捨てられ、見放され、放逐され。しかし、それでも、わたしは頑張らなければ。

 たまたま偶然通りかかった者が世界を救ってくれるだろうか。つまるところ、単にこれはそういう話だ。この物語のすべての話が、この一点に凝縮される。たまたま偶然通りかかった者が世界を救ってくれるだろうかである。

 もし、救ってくれるのであれば、人類はそういうものなのだろうし、英雄とは運任せで決まってもよいほどありふれたものなのだろう。みんながみんな英雄になる資質をもっている、そんな世の中も悪くはない。だが、もし、救ってくれないのであれば、人類の大半などとるにたらないくだらない存在であって、人とは、世界の命運を背負って博士が死にかけたときに、そこを通りかかる価値もない凡弱なものなのだろう。

 博士が死にかけたその時に、一人の人間が通りかかる。博士とは縁もゆかりもない人間で、どんな優れた力や意志をもっているかは分からなかった。本当にたまたま偶然通りかかったのだ。天下の公道である。いくら突然だったからといって、それぐらいの偶然は起こりえるだろう。つまりは、博士が道路に飛び出して死にかけた時、一人ぐらいの通行人がいても、特別都合がよすぎるというわけではないだろう。ようは、この人間が世界を救ってくれればいいわけである。ヒトというものは、たまたま偶然通りかかったものであれば、それが誰であろうと、まずたいてい、世界を救ってくれる能力をもっているのだと証明されればいいのだ。

 つまりは、これはそういう話である。人類というものは、たまたま通りがかるものに世界を救う能力があるだろうかと。

「待て。待ってくれ。ちょっと話を聞いてくれ」

 死にそうな博士は道路に腰を下ろした。

「わたしは、わたしは信用できる人間を探している。きみは、信用できるかね」

「ああ、おれは信用できるぞ」

 男は気軽にそう答えた。

「いい、いいんだ。それでいいんだ。これを持っていけ。これを使えば、ロキシーに勝てる。頼んだぞ。まかせた。行け。逃げろ。そして、やっつけろ」

 博士は持っていた機械を男に渡した。男は素直にそれを受けとった。

こうして博士は死んだ。人並みの幸せを手に入れる前に死んでしまった。だが、ロキシーに勝てると、男は確かにそう聞いたのであり、その意味に呆然とした。手渡された機械は光速砲といい、背中に背負うほど大きかった。


 男の名はヨシヒサといった。ヨシヒサは博士の死体を前にして、手渡された光速砲にまだ戸惑っていた。

 ヨシヒサは試しに威力を最小にして、光速砲を地面に向けて一発撃ってみた。ぐおうんと重い音がした。地面が波のように揺れた気がした。

地震だ。地震が起きた。ヨシヒサは今までに体験したことがないような立っていられない縦ゆれを経験し、体がよろめいた。

実はこのヨシヒサの試し撃ちの時、地球はとんでもない危機に陥っていたのである。それは、もしヨシヒサが光速砲を最小ではなく、もっと高い目盛りで地面に向けて撃っていたら、地球はその衝撃に耐えれずに、ふっとんでいたかもしれないのだ。光速砲のプラスチックの丸い弾は光速の九十九%にまで加速されて撃ちだされた。その軌道は目ではまったく見えず、地面に開いた深い小さな穴がその痕跡を残すだけだが、それはとてつもない質量と地球の質量との衝突だったのである。

 光速砲は、百グラムのプラスチックの弾丸を限りなく光速に近い速度で撃ちだす機械だ。光速近くまで加速されたプラスチックの弾丸は、相対性効果によって質量が増大して、星よりも重い重さを得ることができる。事実、光速砲の弾は簡単に地球よりも重たい重さになるのだ。

 この手ごたえならロキシーに勝てる。ヨシヒサの頭をそんな思いが横ぎる。

「ぶわはははははは。死んだ。死んだのか。あの面白い小動物は」

 機械の合成音で笑いながら、ロキシーが現われた。

「死んだのなら、もう笑わん。面白くもない。あれは我々から見ても、実に奇妙な小動物だった。保存瓶に入れておきたかったのに」

「もう一人いるぞ。例の道具を持っている」

「なんだ。こんな生き物は面白くないぞ。たまたま道具を持っているだけだ。自分で作りだしたりはしないのだ」

 ヨシヒサは、背中の光速砲でロキシーを撃ち消しながら、走って家まで帰った。

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