第14話 忘れな草

 土砂降りの雨が降りしきる交差点に、いっせいに人並みが溢れた。

 誰もいない筈のこの世界に、黒や白、赤、透明な傘が視界中に溢れ帰る。ゲリラ豪雨だというのに、用意の良い社会人達はそれぞれ自分の傘をさし、点滅を始めた歩行者用信号に急かされるよう、通りを渡りきる。

 私は一人、滝のような雨に打たれながら、その様子を眺めていた。

 こんな光景、前にも見たことがあるような気がする。

 ずっと昔だったような、つい最近だったような。よく思い出せない。

 ふと耳を澄ます。雨音に混ざって、足音が聞こえてくる。

 自分が濡れるのもお構い無しの、全力疾走の足音を。

 その足音は、私のすぐ横で足を止めた。

「ごめん、待った?」

 足音の主は思いっきり叫んだ。聞き覚えのある声、この声は。

「―――っ」

「遅いよ!」

 私が返事をする前に、交差点の向こうから誰かの声がした。怒っているようで、わずかに弾んでいる嬉しそうな思いの篭った声。

 そこには私がいた。

 それは土砂降りの雨にかき消されないよう、大きな声で。

 それは土砂降りの雨に邪魔されないよう、大きく手を振って。

 横にいた人物は、応えるように負けじと両手で何かを掲げて見せた。

 それは青い花の咲き乱れる鉢植え。

 忘れな草の鉢植え。

 彼がプレゼントしてくれると約束してくれていたもの。

 私にプレゼントしてくれると約束してくれていたもの。

 横にいた少年の髪の毛は赤くない。ごくふつう、ありふれた真っ黒で、でもその顔には見覚えがあって。

 いや違う。ずっと前から知っていた。なぜ忘れてしまっていたのだろう。

 大好きだった彼の事を。


 手を振っていた彼女の姿が、前方向にブレた。

 ――ダメだ、いま渡って来ては。

 少しは周りを見て。

 何でこの少年が鉢植えを掲げているだけで、近寄ろうとしないと思う?

 赤信号だからだろ?

 なぜそれを忘れた?

 待ちぼうけを食らっていたから?

 彼の姿が見えて、そんなに嬉しかったのか?

 それは赤信号だって事も頭の中から吹っ飛ぶほど?


 ―――嬉しかったんだよ。

 あの時、涙が出るくらい嬉しかった。


 何もかもがスローモーションのように、ゆっくりとした動きになる。雨粒の動きさえ、しっかりと目で追えるほどに。

 対面の少女が、びしょぬれになりながらこちらに駆け寄ってくる。

 横から、一台の車が交差点にすべりこんでくる。

 少年が、私の横をすりぬけて、交差点に駆け込んでいく。

 待って。

 ダメだって。

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