第4話 新校舎を作るなら、まず旧校舎の取り壊しが必要ですね
「これかなぁ?それともこっち?」
「まだ読んでるから。そこ、置いといて」
山のようにテーブル積まれた分厚い植物図鑑に、私はゲンナリした。図書委員の職責からか好奇心からか(多分後者だろう)。私以上に真剣に取り組んでくれている。
……せっかく積んでくれた所で本当に申し訳ないんだけど、私は既に興味を失っていた。彼女に半ば引きずられるように図書室まで来たものの、花にそこまで興味があるわけでもなかったし。
そもそも興味を引かれたのは赤毛の方だし。
―――本当に、誰なんだろう。
必死に走ってたどりついた中庭には、誰もいなかった。花壇すら無かった。
もしかして、夢でも見ていたのだろうか。それにしてはリアルだった。
寝ぼけて夢と現実を混同したのか?それって、傍から見たらちょっと危ない感じだが……
いや、夢なんかじゃない。あの特徴的な、毒々しいまでに真っ赤な頭髪が想像の産物?ありえない。
でも、誰もいなくて、花壇すらなくて―――
あーもう、意味分からない。
私は机に頭を横たえた。思考がループして熱暴走しかけた頭に、ひんやりした感触が心地良い。
熱くなった両掌もぺたりとテーブルに載せる。熱がゆっくりと奪われていく心地よさに身を任せていると、睡魔がまぶたをくすぐるのを感じた。
そういえば、新校舎が建ってから初めてだったかも。この図書室に来たのは。
良い昼寝スポットになりそう。また来よう……
「おーい。目ぼしい植物図鑑はあらかた運んできたから、次は花言葉の本でも探してくるねー」
彼女はそう告げると、テーブル向こうの本棚の陰に消えた。
私の周りにいくつ本の山を築くつもりだ?
植物図鑑は元より、薬草を使った家庭の医学から野草を使ったレシピ集まで網羅されている。
私は彼女の押し付けがましい好意に、ちょっとだけだが報いようと、テーブルにもたれた姿勢のまま、本に手を伸ばそうとする、が。
……テーブルが私を優しく抱きとめて離さないのだから仕方ない。読む気がおきないのではない、断じて。
彼女が視界から消えると、図書室は通常あるべき静寂を取り戻した。私のほかに人影はない。
眠りを妨げるものは何も無い。
私は、睡魔に抗うのを止めた。
抵抗は無意味だからおとなしく投降した。
寝オチする刹那、私は何かの香りを嗅いだ。
嗅いだことのない匂いだったが、これは多分……
「……花?なんで?」
寝ぼけ目を開けると、眼前に鉢植えが置かれていた。植物図鑑の写真ではなく本物の花だ。しかも見覚えのある青紫の小さな花。
「これって、あの花壇の」
「花がお好きなんですか」
急に耳元で声がしたものだから、私のオシリは座席から数センチ浮いた。
好奇心旺盛な、隣席の彼女の声ではない。
男の声だ。
慌てて振り返って身構える。と、私は目を疑った。
「どうも。起こしちゃったみたいですみません」
真っ先に目に飛び込んできたのは、真っ赤な髪色。次にはにかんだ笑顔。
花壇の前の少年が、私の背後、数十センチの所に立っていた。
目にも鮮やかな赤い髪は、近くで見るといっそう目を引いた。
「……あなた、誰?」
「誰って。生徒ですが?」
「この学校の?」
「そうですよ。いけませんか?」
「だって校則違反じゃない、それ」
私は赤毛を指した。少年は困ったように腕を組む。
「そんな校則、ありましたっけ」
「あるわよ。ほら、ここ」
私は胸ポケットから生徒手帳を取り出すと、校則のページを―――「あれ?」
そんな校則は、載っていなかった。
いや違う、生徒手帳は全ページ真っ白になっていた。寝ぼけて無地のメモ帳を間違って取り出したのかと思ったが、違った。表紙には確かに「生徒手帳」の言葉が踊っている。
私は呆然としながら、目をこすって何度も手帳をめくる。
頬を指で摘んでみる。
生徒帳は白紙のままだ。夢ではない。
頭上で切れ掛かった照明がチラチラと明滅した。そちらに意識をやって、私はハッとした。
「……ここ、どこ?」
「図書室ですけど」
「違う……こんな場所、知らないよ」
私は無意識に喉を鳴らした。
天井から下がる白熱球の電灯。
ところどころヒビが入って、テープで補修された窓ガラス。
朽ちかけた本棚。
さっきまで頬をつけていたツルツルで冷え冷えのテーブルも、埃をかぶった傷だらけの年代物になっていた。
あれ?ここって……
ちょっとだけ冷静になった。知らない場所じゃない。ここ、知ってる。来たことがある。
そうだ、ここは確かに図書室だ。
でも、あり得ない。
「ここって、旧図書室、よね?」
「新図書室がどこかにあるなら、そう呼べるかもしれませんね。僕は知りませんけど」
「でも旧図書室は、旧校舎ごと取り壊されたはずよね?」
「さぁ?でも新校舎を作るなら、まず旧校舎の取り壊しが必要ですね」
「そんなバカな」
私はクラクラした。一年生の頃の冬に旧校舎は取り壊された。一年近くもずっと工事していて、二年生の終わりにやっと新校舎が完成したのだ。
「どうしたんですか。気分でも悪いんですか?」
少年が困ったような笑顔で私の顔を覗き込む。
派手な赤髪とは正反対の、邪気の無い顔立ちだ。柔和な優男のようにも見える。だけど笑顔にわざとらしさは無く、女性にアピールするための手段ではないように思えた。というか、思いたい。
私は席から立って、数歩後ずさりすると、彼のつま先から頭髪までじっと見渡した。
年齢は私と同じくらいだろうか、制服に身を包み、学校指定のシューズを履いている。
私と同じ色のシューズ。つまり三年生か。でも見覚えの無い顔だ。
ひときわ目を引く赤い髪。近くで見れば見るほど濡れたように真っ赤で。まるで壁にペイントアートしている最中に、脚立の上から落ちてきた赤ペンキの缶をかぶってしまった、でも残量が少なかったので顔や衣服に飛び散らなかったのが不幸中の幸いでしたね、みたいな趣き。
「そんなに見つめないで下さいよ」
彼は照れたように顔を背けると、テーブルに置かれた鉢植えを思い出したように手に取った。
「それって、何ていう花なの?」
思い出したかのように、私は聞いた。
「忘れな草ですよ」
「忘れな草?」
名前には聞き覚えはあるけど、実物を見るのはたぶん初めてだ。
「僕が丹精したんです。綺麗でしょう」
彼はそう言って自慢げに鉢植えを差し出した。青紫の小さな花は、野草のように地味ではあるものの、素朴で自然な美しさを持っていた。
これまで花といえば朝顔とひまわりくらいしか育てたことが無い、夏休みの自由研究レベルの園芸初心者の私でも、鉢植えの花がどんなに愛情込めて育てられたのかが見て取れた。
「花、好きなんだ?」
「チューリップ、ホウセンカ、たんぽぽ、グラジオラス……花ならなんでも、季節も和洋も問わずにね」
彼は鉢植えに微笑みかけた。なんとなく、私に向けられた笑顔よりも自然な気がする。なんだか悔しい、物言わぬ花に負けるなんて。
「忘れな草は好き?」
「いちばん好きな花です」
「なぜ?」
少年はニッコリ笑って、おもむろに口を開いた。
「忘れな草の名前の由来をご存知ですか?」
花の名前すらうろ覚えだったわたしが由来など知る由も無く。
黙って首を横に振ると、少年はフッとため息一つ。
「……昔、ローランという名の勇敢な若い騎士がいました。彼には、それはそれは美しい『ベルタ』という許婚がいました」
おごそかな口調で語り始める。
「ある日、ローランとベルタはドナウ川のほとりを散歩中に、中州の小島に美しい青い花を見つけます。まるでベルタの瞳のような澄んだ青。『あの花をベルタにプレゼントしよう』そう考えたローランは、川を泳いで小島に渡ると花を摘みました」
「ふーん」
「……しかし、戻ってくる途中に深みに足を取られ、急流に押し流されてしまいます。必死にもがきながらベルタに向かって花を投げ渡すと『私を忘れないで』……そう叫びながら、川底に沈んでいったのです」
「あーあ」
「ベルタはローランを偲び、生涯その青い花束を身につけていたとのことです。以来、その青い花は『忘れな草』と呼ばれるようになりました」
「へぇ」
「僕はこの話が大好きでして」
「なんでよ!」
「え…?」
私のツッコミに面食らったように、口ごもる。「……何か、変ですか?」
「だって!無茶して花を取りに行った挙句、溺れて死んだとか……超格好悪いし」
「そう……ですか?好きな子の為に無理して、失敗して死ぬって悲恋だと……」
「残される方の身にもなってよ。ベルタが可哀相だって。一生想いを引きずったんだよ?人生台無しだよ!」
「そうかな……言われてみれば、そうかも」
「せめて忘れてしまって、他の男の人と幸せになれれば良かったんだけど」
「えぇー!それはローランが可哀相ですって!」
今度は少年が反論する番だった。
……それから約五分程度。白熱した議論は「お互い不幸な人生だった」という結論に落ち着いた。
「……なんか、忘れな草の伝説が一気に俗っぽくなった気がします」
「うん、なんかゴメン。熱くなりすぎた」
私の謝罪に、少年は苦笑した。その笑いには自嘲の意味が込められているように見えた。
それにしても。
議論が終わる頃には、私は彼とすっかり打ち解けていた。
外見からは想像もつかない、すごく「普通」の少年だった。
私は思い切って切り出してみる。
「何で赤毛なの?もしかして、地毛とか?」
「さぁ?」
「さぁ、って。生まれつきそんな真っ赤な人間っているものかな」
「さぁ……気づいたら僕はここにいて、髪もこんな色でしたけど」
「ここ?」
「図書室です」
「え、でもこの図書室って」
そうだった。すっかり馴染んでしまっていて忘れていた。私は最初の疑問を思い出した。
「ここってどこ?旧校舎?」
「さぁ……多分そうなんじゃないですか?よく知りませんけど」
「でも旧校舎は壊されたハズだよね」
「僕は新校舎とやらを知らないので分かりません。でもたぶん、あなたの言う通りなんだと思います」
「どういう事?」
彼は忘れな草の鉢植えを抱えると、儚げに微笑んだ。
ふいに、図書室に鳩時計の午後四時をつげる音が響き渡った。
同時に、急激に視界がぼやけていく。
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