帰りの電車と奇妙な乗客

ハル

帰りの電車と奇妙な乗客

 夜はまだ風が冷たい。

 シャツと、薄手のカーディガンだけでは、どうにも肌寒い。

 なぜこう、駅のホームは吹きさらしの中にあるのだろう。

 ……ホームだからか。わたしが生まれるより前から、駅とはそういうものである。

 勝手に自己解決をし、あたりを見回してくるとにわかに人が増えてきた。中には厚手のジャケットを羽織り、背中を丸めている人もいる。

 風が鳴り、わたしのパソコンリュックの「尻尾」が揺れた。背後に電車が滑りこんでくる。無数の硬い靴音が流れ、あっという間に静けさが戻ってきた。

 わたしの実家の最寄り駅には、電光の時刻案内板がない。音声アナウンスと、設置型の時刻表があるが、正直それもイマイチどこにあるのかもわからない。地元の駅なんて案外そんなものだ。

 連休最後の夜。

 一人寂しくアパートに戻るために電車を待つわたし。

 いくつかロマンティックな出会いが起こってもバチが当たらないと思うのだが、生憎神様はそんな都合のよいわたしの下心には応えてはくれないらしく、やはり今日も何も起こったりはしないようだ。

 まあそういう出会いはきっと長くは続かないものだ。ということで、今日もわたしの人生は平和である。平和が一番。 

 それにしても、未だにわたしが乗るべき電車がやってこない。身をすくめて、じっと待っている。

 ホームの向こうを眺めているのにも飽きてしまい、わたしは同期の方から借りた読みかけの小説を取り出した。

 本の名は、「夜は短し歩けよ乙女」という。

 なかなかにこれが難しい言葉というか、おしゃれな言い回しが多く、じんわりと蜂蜜が染み込んだパンケーキのような甘さのある物語である。ぼちぼち難しい言葉を知っているという自覚があったのだが、この本に至ってはわたしが読めない熟語も散見した。稀有な本に出会ったと、妙な感動を覚えていた。

 いざ読もう、というところで空気は読まずに電車到着のアナウンスが入る。

 わたしは一度開いた文庫本を閉じて、黄色のライトを照らして迫り来る四角い物体を見つめた。

 電車の乗車時間は三十分弱。

 乗り込んですぐに座席を確保したものの、寝るには短く、ぼんやりとするには長い微妙な時間だ。

 背中にしょっていたパソコンリュックを下ろし、その上に三角形の小さなバッグを載せて、ふうと息をつく。

 そこで何気なく向けた視線が、予想外の乗客にとまった。なんという奇妙な動きをしているのだろう、こいつは。一体どこからやってきたのか。

 いろいろな疑問がわたしの頭の中をぐるりと巡ったが、いずれにせよ、目があってしまったその瞬間には、乗車時間ほぼすべてを、奇妙な乗客と共に過ごす運命が確定したのである。


 はて、どうしたものか。

 わたしがまず抱いた感情は、困惑である。

 突然出会った奇妙な乗客は、さきほどからわたしに向かって猛烈なアピールを仕掛けてきている。具体的に言えば、さっきからひっきりなしにわたしの体をよじ登ろうと試みてくるのだ。

「あなたは一体、どこからやってきたんですか?」

 そう精一杯声を和らげて尋ねてみても返答はない。ひたすら一生懸命に、わたしの腕から頭部へ向けて駆け抜けようとせこせこするのみだ。

 やれ、どうしたものか。

 別にわたしの体をよじ登ったところで、体という山のてっぺんは頭頂部であり、そこを超えればただ単に足へ向かって一直線。どう考えても人という登山をしに来たわけでないことは明確であるし、山の天気が変わりやすいことは自明であるので、それに倣って「わたしの体」の登山者に対して試練を与えねばなるまい。

 右手の人差し指を、すっ、と出してみると、戸惑ったような仕草を見せつつも乗り、再び腕を駆け上がってくる。一体何がこの子にここまでさせるのか。

 果たしてわたしの着ていたカーディガンが若葉色であったからか、顔の方に何か餌でもついていたのかは不明だが、しばらく左右の手を差し出す度に乗り換えをするこの乗客は、少なくとも今は「飛び回る」という選択肢は考えていないようだった。

 いや懸命。今そんなことをされては、電車の車内がぱにっくになること請け合い。

 一歩間違ったら、他人であるわたしも巻き添えをくってしまいそうだ。


 読者の方々はそろそろお気づきかと思うが、少なくともわたしの出会った乗客は「人間」ではない。だから彼とか彼女という表現を用いることもなんだか憚られたし、なんとなく相応しくないようにも感じられた。

 はっきり言おう。

 一体何者なのかは、正確にはわたしにも分からない。

 どこからやってきたか、というのはなんとなく検討が付いている。実家の玄関先に茂る、花壇の植物か、背の低い木についていたものが、わたしの溢れんばかりの魅力に引き寄せられたのだろう。

 年頃の女性に好かれるということはなくとも、我ながら、犬と猫とインコと、魚と虫には好かれてしまう体質らしい。やれやれ。

 ここだけの話、午前中にも先の三角バッグに毛虫が付いているというハプニングが起こった。もちろん、その子には外の世界へお帰り頂いたが、今回もまさに同じような状況からスタートしたのである。

 幸いというべきか、今まさにわたしに熱烈な愛を語りかけてくる奇妙な乗客は、毛虫ではない。おそらくは、カミキリムシのような類のものであろう。

 カミキリムシと言ってもピンと来ない人が多いだろうから、簡単にその容姿の説明を・・・・・・え? しなくていい? ああそうですかじゃあやめときます。

 ともかく五、六センチくらいある、なかなかたくましい体をしたカミキリムシの進路をひたすら妨害し続け、すでに十分が経過しようとしていた。

 目の前に座っている中年の男性が、わたしとカミキリムシとの乳繰り合いに気づいたらしく、眉をひそめ、難しい顔をしてらっしゃる。わたしの視線に気づくと、ふっと視線を逸らすのだから間違いない。

 ぜひあの方に「ぶーんっ!」とこの子を嫁か、あるいは婿にやりたいところだったが、わたし一筋であるようなので文句は言うまい。

 だからそんなに嫌な顔をせんでもよいじゃないか。取って食うわけでもあるまいし。

 人というのはとても不思議で、幼少期はあんなに嬉々としてセミやらバッタやらを追い掛け回していたのに、なぜ大人になるにつれて、「キモチワルイ」と感じるようになるのだろうか。

 フォルムそのものがダメなのか、色合いがだめなのか、あの節くれた足がわちゃわちゃしているからか、長い触覚がもりもりしているからなのか、死んだ時になぜか足を折り曲げるからなのか、羽音がぷーんやらブーンやらするからなのか、両手をすり合わせるからなのか。

 考え得る要因はおそらくたくさんあるからなのだろうが、おそらくは「得体のしれないもの」に対する恐怖なのではないかと、わたしは思うのだ。

 逆に言えば、子どもと大人の差も、実は恐怖とするか、好奇心とするか、という越えられない壁によって分け隔てられている面が多々あるのではないかと。

 何がいいたいかというと。

 すでにわたしはこの奇妙な乗客、カミキリムシにわずかばかりの親近感と、愛らしさを感じ始めていたということだ。


  わたしが奇妙な乗客と息もつかせぬ攻防戦を繰り広げていて気づいたことがある。

 このカミキリムシが、背中の甲殻の下に収まっている羽で、飛ぶ意思を見せ始めているということだ。

『さあどうした、私を止めてみろ。さもなくばこの羽根をもって、大空へと飛び立ってやるぞ』

 飛び立ったところであるのは大空ではなく、電車の低い天井である。

 その時わたしが最も危惧していたのは、向かいに座り、わたしのことを睨ねめつけている彼のところへ「やあ」と許可無く挨拶しに行ってしまうことである。

 見知らぬ男性に、「どうも、カミキリムシですこんばんは」なんて言った日には、どう考えても怒られるのわたしである。

 あえて言おう、好きで連れてきたのではない。

「やれやれ、お客さん、車内での飛行はご遠慮ください」

 言った側から、カミキリムシは右腕から左腕へ十数センチ飛んでみせる。手がかかる子ほど可愛いというのはあながち嘘でもないみたいで、わたしはポケットからスマホを取り出すと、カメラを起動した。記念写真でも撮っておこうという気が起こっていた。

 ピントを合わせ、ポチリとシャッターを押す。

 ぱしゃしゃしゃしゃしゃ・・・・・・。

 どこか設定が悪かったようで連射で撮影されてしまった。ぶれまくっている。わたしは思わず軽く吹き出したあとで、一度カミキリムシをスタート地点へ戻し、再度カメラを構える。

 設定を確認してから、シャッターを切ったがまたブレた。

 思った以上にカミキリムシの動きが速いのだ。

 何枚か納得がいくまで撮り続け、極めつけは動画まで撮り、満足してわたしはスマホを収めた。まるで子どもの成長を見守る親のような気持ちである。

 わたしの親心などつゆ知らず、カミキリムシは変わらず登ってきていたのでさすがに少しばかり煩わしくなり、手に持って残りの時間をやり過ごそうとわたしは画策した。

 手で掴んで置けば、たとえ足がわちゃわちゃしていようが、飛ばれたり移動されたりする心配もない。

 よしやろう、すぐやろう。

 左手の人差し指、親指で掴んでやると、わたしは再び驚いた。

 「ぢぢぢぢぢ」とカミキリムシは悲鳴を上げたのだ。

「うおっ、君、鳴くのか!?」

 意外なほど可愛らしい声を聞いて、咄嗟にわたしは指を離していた。また腕を登ってくる。掴んでみた。ぢぢぢぢぢ。

 不思議なほど罪悪感を覚えたので、わたしは諦めることにした。

 降車駅までもう二駅ほどであったので、いまさら無理にカミキリムシを把持しておく理由もない。

 もう僅かな時間、カミキリムシと電車の中で戯れることにした。


 地下鉄の駅で降車し、進出していく電車がまるで大きな布を引きずっていくかのように、一方向へとまとまった風が薄暗いホームを流れていく。埃っぽい空気がわたしの背中を押した。

 ホームを歩くわたしは、まだカミキリムシを連れていた。

 どこに逃したらいいのかを考えていたのだ。

 いくつか見当はついているが、どちらかというと駅周辺は背の低い植え込みの木が多いので、そこでお別れをして良いものかと悩んでいた。

 改札を抜け、地上へ出ると足を止めて、周囲をあちこち見回す。

 やはりすれ違う人がわたしを怪訝な目で見たが、カミキリムシの旅立ちを思うわたしにとっては些細なことである。

 わたしの家の最寄り駅には、二十四時間営業のスーパー側と、パチンコ店側(背の低い植え込みがある方)と出口が二つあったので、わたしはパチンコ店側に出ていた。

 小さな白いベンチ、まりものような様相の植え込みを眺めて。

「そこじゃあやっぱりダメだよな」

 ともじゃもじゃの巨大なまりもに向かって呟いた。

 その場で体を一周させると、夏の日の太陽よろしく光を放つパチンコ店の入り口に向かって、幹は細いけれど背の高い木が目に入った。

 わずか、一メートルくらいの距離である。幾度となくこの道は通ったはずだが、わたしはこの木の存在を知らなかった。

 おそらく、この木は今この瞬間しか見えていない木であって、カミキリムシの旅立ちにふさわしい新しいフィールドなのだろうと納得した。

 性懲りもなく、わたしにラブコールを続けるカミキリムシを掴み上げると、悲劇のヒロインのごとく「ぢぢぢぢぢ」とカミキリムシが泣きだしたことによって芽生えた独占欲をグッとこらえ、幻の細い木にそっと近づけた。

 しっかりと幹を掴み、意気揚々と登っていく姿をスマホでまた記念撮影をする。

 数歩歩けば、パチンコ店の逆光で旅立ちの木は真っ黒に染まり。

 さらに数歩歩けば、しっぽりと幻の木は夜の闇に溶けてしまった。

 突如出会った奇妙な乗客との旅がようやく終わり、わたしは明日の昼飯を考えながら、夜の街を歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帰りの電車と奇妙な乗客 ハル @Falcram

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ