第3話 与えられた人生
「この社会に不要な人間は存在しない。いや、存在しなくなった」
全ての人は特別な役割を持って生まれてくる。自らの役割は物心ついたときに自然と自覚する。いつだったか忘れたけれど、ぼくにだってその瞬間は確かに存在していた。
「すべての人間が各々の役割、与えられた人生をまっとうすることでこの社会は円滑に回っている。これはわかるね」
「与えられた人生によって形成された社会に人間性なんて一片も残っていません」
「たとえ与えられた人生だとしても、そこにはきっと君にしか描けない軌跡が残ると私は思うがね」
遠い昔の話だけれどね。前置くと彼はつづけた。
「まだ人間が自分たちの生きる意味や目的をしっかりと認識できなかった時代があるらしい。その時代を生きた人々の悩みにこんなものがあったそうだよ」
――私たちは何のために生まれたんだろうか
――自分がするべき仕事はこれで正しいのだろうか、もっと自分に合った仕事があるんじゃないだろうか
「何世紀前の話ですか。そんなオカルト信じられません」
「でも今の君が置かれている状況はその時代に人間にまるでそっくりだと思うけれど」
たしかに、自分たちの生きる意味を確立しておらず、その生き方に確固たる自信を持てていなかった古代人たちは今のぼくの状況に非常に似てる。
「では、過去の人間たちはどうやってその悩みを克服していたのですか」
その方法を知れば今のぼくが置かれている状況を打破できる手段を見つけられるかもしれない。
「想像もつかないね」
悪びれる様子もなく彼は言い放った。
「目が見えない人間は名画の何たるかを語ることが出来ると思うかい。耳が聞こえない人間はオーケストラの壮大さを余すところなく原稿用紙に表現できると思うかい」
「思いませんね」
でも。一言、今のぼくにはなんとなく、わかることがある。
「ですが、目が見えなくとも耳が聞こえなくとも、知ろうとすることはできるはずです。自分が感じたことを伝えようと試みることはできるはずです」
言葉を選びながらつづける。
「たとえ、生きる意味が分からなくなっても、自分の人生に意味を見いだろうとすることはできるはずです」
なるほど。と一息ついて彼はコーヒーカップを手に取った。カチャリという耳に心地よい陶器の擦れる音が響いた。
「君は――狂っているね。いや、君以外の全員が狂っているのかもしれないな」
「ぼくに言わせていただければ、この社会が狂っています」
個人を押しつぶし、役割という名の枷で人間を歯車に仕立て上げ、ぶくぶくと醜く膨らんでゆくその姿をぼくは、社会などと、認めたくなかった。
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