第8話 信じる人は救ってあげよう
祇居が日向の肩に手を掛ける。
日向は、意外と大きいな、と感じた。
「さっきのバス追えばいいの?」
日向は頭の中でルートを組み立てながら訊く。
「はい! おねがいします」
「おっけ!」
自転車は、二人乗りでありながら全く危なげなく、どんどんスピードを上げていった。これなら、僅かずつだがバスに接近しているだろう。
(すごいな。)
祇居はここにきてやっと、気づけるだけの冷静さを取り戻した。
自分は、何故か恐らく、いま必要な助けに最も適した人間を味方に付けたのだ。
風を駆るランドナーの上で、祇居は声を大きめにした。
「あの、ご迷惑かけます!」
両手の下で、微笑む気配がした。
「いいよ、家族なんでしょ?!」
「――、妹です! 病気で! 傍にいてやらないと」
「そうなんだ! あなたも、新入生?」
「え? はい!」
「そうなんだ…」
日向は、何だか楽しくなってきた。
校門で出会った美人の同級生。
初日のハプニング。
(もしも、もしも、かっこよく助けることが出来たら?)
ともだち、できちゃうかも!
「よぉし、飛ばすよー!」
「はい!」
祇居の手に力がこもった。
「あは!」
日向は、期待と興奮に我を忘れた。
少しだけ心臓から血を強く送り出すように、全身の力を解放する。
一瞬目の奥に紅い光が点る。
この時、時速は四十キロに達していた。
山道は傾斜を付けて蛇行する。
両側に立ち並ぶ林が視界を狭くする。
だが、祇居のバランスと日向のハンドリングで、テオドール二世は爽快に道路を滑って行く。
やがて道路の両側を覆っていた林が途切れて、やや広い直線の道になる。そしてその先で左右二本に別れた。
右側へ下っていく一本はそのまま田園地帯と街へと繋がって行くのだろう。
もう一本は直線に伸び、学園のある小山とつながっている。その向こうには、丘に面した住宅街に繋がるはずだった。
(どうしよう?)
日向は一瞬迷った。
(もし自分で言った通り駅前に行くんなら、右に曲がって駅前に行ってもいい。)
(でもそんな方法で、そのバスと巡り合えるかな?)
(ううん、バスを特定するためには街中に入られる前に、一度追いつかなきゃ。)
(そのためには、ルートがわからないと…)
「あの、どうしました?」
日向が明らかにスピードを落としたのを感じて、祇居が訊いた。
「あの、ええと――」
あんなにも張り切って任せられておいて、こんなところで。
こんなにもきれいでいい人そうな子と、ともだちになれるかもしれないのに。
(どうしようどうしようどうしよう――)
その時、空から二つの影が舞い降りて来た。
見上げれば、どこかで見慣れた黒い鳥。
内一羽は十メートル上で滞空し、もう一羽が日向の顔のすぐ横にまで来て鳴いた。
「!」
日向は青ざめた顔で何かを叫び掛けたが、すぐに胸の前で小さく指で×印をつくってみせ、ぶんぶんぶん、と首を振った。
祇居は鳥自体に気を取られて、日向の反応の奇妙さに気付いていない。
アア、と黒い鳥が鳴いた。
カラスにしては、とても優しい声音だった。
アア、アア、とせき立てるように鳴く。
「ああ、もうわかったよ…はやくして…」
小さな声で、日向が言った。
瞬間、鳥は跳ね上がる様に上昇した。
それを見るや上空に居た鳥が、いきなり高く、強い鳴き声を上げた。
「!」
祇居は思わず耳に手をやる。
音波が放射状に広がり、数秒後、ある一つの方角からの何かの鳴き声が、上空の鳥の耳に返って来た。
上空の鳥がアア、と鳴いた。
日向の前にもう一羽の鳥が戻ってきて、またアア、と鳴いた。
「ああ」
と日向はため息を吐いた。
そして鳥は、テオドール二世の鼻先二メートルほどで翼をひろげ、滑空を始めた。
何故かそれは自慢げであるように、祇居には見えた。
「あの…この鳥…」
祇居がやっと口に出しかけた時、
「わかった」
ぼそりと日向が呟いた。
「は」
そして殆どやけになって伝える。
「あのネ! バスがね! いまね! どこにいるかわかったよー!?」
絶叫の棒読み。
棒読みの絶叫。
(おわった…ッ! 確実にヘンな子だと思われた…! そして、さよならSEISHUN…!)
日向ががっくりとうなだれた時、
「ほんとですかッ!」
だが、祇居は跳び付いた。
「へ」
(しんじてくれるの?)
なんと袴娘は、根っからの善人だったのだ。
(変だって思わないの? うたがわないの?)
恐る恐る日向はまた口を開く。
「ほんと、だよ…」
「ありがとう!」
うしろから降って来たこの答えに、日向は息を呑んだ。
立ちこめていた雲が割れた空のように、日向の胸の中にまた光が差し込んでくる。
(バレてないっ!)
日向はそうと分かると背筋を伸ばし、顔を上げ、胸を張った。
「飛ばすよ!」
「はい!」
テオドール二世は、丘の住宅地に繋がる直線の道を採った。
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