第3話 Get my brue spling back!

 月待家はえんじ色と白を基調としたドイツ風の小洋館である。

 丘の上、最も近い隣家からも十メートル程坂を上がった所に離れている。背後に竹を主とした雑木林が控え、すぐ脇には無垢の樹が傘を半分貸すように上枝を伸ばして並んでいる。

 日向はその根元に、自転車を止めていた。


「出番だよ。テオ二世」


 青とシルバーのツートンカラーのランドナー。

 志望校合格の懸賞として父親から巻き上げた金で購入した新品である。

 丁度通学かばんが入る程度の小さな前かごと、蜜柑箱が載せられる程度の板状の荷台があり、半日用半レジャーといった風情。


「ふふ…」


 後輪につけられていたロックを外し、鞄をランドセルの様に背負うと颯爽と跨る。

 漕ぎ出す前に、怪しい笑みを漏らした日向は、鞄を前に持ってきて、中にハブステップ(違法)が有る事を確かめる。

 鉄のひやりとした滑り止めの感触を感じた時、日向の脳裏に『TPG』の一ページが甦った。


『二人乗り:女子高生の憧れ☆ はじめての二人乗りは親友or恋人と!』


 姉が見れば、女の方が乗せる事を前提にチャリを買うのはどうなのか、とか、親友を先に書いてあるのは逃げじゃないのか、などのコメントが降って来たであろう。

 だがそれらの言葉の持つ「青春」っぽさだけで、日向は舞い上がった。


(NI・KE・TSU…!)


 まだ世界を知らぬ少女(おとめ)同士の、無垢な友情を乗せて走る車輪。

 或いは、未知の予感に高鳴る幼いカップルの心臓を、寄り添わせる魔法の乗り物――

「う~…!」

 首を回しながら猫の様に唸った後、勢いよく鞄を閉じ、再び背負う。

 前を向き、ドロップハンドルをぎゅっと握った。


「準備万端!」

「細工は流々」

「後は仕上げをごろうじろ、ですわね」


 両肩に、音も無く重ささえ感じさせずに、二羽の黒い鳥が留まっていた。

「何」

 顔は動かさぬまま目を半分伏せ、日向は訊いた。

「何って、入学式ですよ、楽しみですねえ」

「保護者同伴ですわ」

「――」

 日向はなにも言わずに大きく口を開けると、右側に向かって思い切り噛みついた。


 白い光を帯びた健康な歯並びが、鳥の爪先からコンマ一ミリの所で鋭い音をたてる。

「チッ」

「いま本気で足折ろうとしやしたね?!」

「あらまあ、どうしたんですか日向様」

 一メートル上空から話しかけてくる鳥たちに、日向は拳を振り上げた。

「何処の世界に、しゃべるカラス連れて入学式出る高校生がいる!」 


「ここにいるじゃござんせんか。なあ、ヤエ」

「そうですわねえ」

「……」

 日向は、先ほど櫛を通したばかりの髪を掻き毟ろうとして、かろうじて手を止めた。

 この二羽は、こと保護者ヅラが出来る機会となると、昔から譲らないところがある。

 常に離れない黒い鳥の不吉さに、幼いころからどれだけの友達が逃げて行ったことか。

 〈会話〉する所でも見られようものなら、一発アウト。次の日から話しかけてもらえなくなるというのは、最早デフォルトである。

 高校でだけは、そんな訳にはいかない。


(ああ、もう時間ないよ。……よし。)

 日向は発想を切り替える事にした。

「ねえ、ナナエ、ヤエ」

「「何でしょう、お嬢様」」


「二人からも入学祝が欲しいんだけど」

 云うと、二羽共に尋常でなく羽根をばたつかせだした。

「えっ、そりゃもう」

「よろこんで、ですわ」

「一つだけいう事を聴いてくれる?」

「「はい!」」

「なんでも?」

「「もちろん!」」

「今日から、付きまとうの辞めて」


 二羽は、文字通り空中で凍りついた。

「……」

「……」

「よし。出発進行!」


 今度こそハンドルをしっかりと握って、日向は新品のランドナー、名付けて『テオドール二世』を漕ぎだした。 

 二羽の鳥は、暫くぼんやり空中で静止していたが、やがてまた羽根をばたつかせると、主人の後を追った。

    

「わあー!」

 眼下に広がる街並みから、溢れかえる様に、桜の海がきらきらと日向の眼に飛び込んできた。

 風は花弁の飛沫を掬い上げて、空へ舞い散らす。 

 地平を雪冠の山脈に囲まれた平野は、山裾に林と畑を抱き、低地に向かうにつれて淡い草原と、暖色の土のパッチワークをひろげている。


 平野の中心を東西に横切るのは、千本の桜並木を誇る群青一河ぐんじょういちが。その流れの中ほどから、やや南寄りに都市を展開しているのが、桜垣おうがき市の中心部である。

 まだ交通量の少ない朝、景色の遠くからも近くからも鳥の囀りが聞こえた。


 少女は、街の東から中心部へと自転車を下らせる。

 北側――日向から見れば視界の右――一、二キロ先で、進む方向と平行して蒼い河が流れている。堤防の桜並木が、朝風に揺れながら枝に抱えきれぬ花雲を散らしているのが見えた。


「わたしは」


 街の風景に飛び込んでいく少しの間だけ、日向は本気でペダルを踏んだ。

 その加速は、見る者がいれば目を見張っただろう。

「青春をとりもどす!」

 ショートの髪が、小さな翼の様にはためいている。

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