第6話 大切なもの

 花恋はどこに行けばネフリーに会えるのか、はっきりとはわからなかった。しかし、当てはある。ネフリーは突如として花恋の前に姿を現した。それも時雨があんなことになるのとほぼ同時期に。そして、また会いに来るとそう言ったのだ。ならば花恋の居場所を当然ながら把握しているはずだ。


(……監視、されているでしょうね)


 冷静に花恋は自分の状況を分析する。


 間違いなく花恋は監視されている。そして、ネフリーは遊園地でわざわざ花恋に姿をさらし、人気のない場所まで誘導した。おそらくはあまり人に見られたくないのだろう。


 ならば、人気のない場所まで移動すれば必然的に向こうから近付いてくるはず。花恋はそう考えた。


 花恋は病院から出て大通りを歩く、人気のない場所を探すが周りには多くの人がおり、とてもネフリーが姿を見せるとは思えない。


 そこでふと見なれたビルが目に入った。最近のデパート同士の客寄せ戦争に敗れ閉店したばかりというの場所だ。ここならばと思いつき、花恋が元デパートの地下駐車場へと向かうと、そこには案の定周りには誰もいなかった。花恋が息をする音でさえも響き渡りそうなほどに静まり返っている。


「ふぅ……ネフリーいるのでしょう? 姿を見せて頂戴」


 花恋が少し大きな声で言うと、柱の陰から銀髪の女性が現れた。


「……質問の答えは決まった?」


 今更顔を見る必要もない。現れたのはネフリーだ。


 ネフリーがした質問。それは花恋の持つ人工精霊を渡すか否か。ネフリーは渡さなければ花恋にも危害が及ぶ。そう言っていた。


 心臓を抉り取られ、意識すらもない。セルルとも離れ離れになった時雨。犯人は時雨の父親だと、冬霞は言っていた。おそらくネフリーも繋がっているのだろう。時雨をあそこまで追い込んだのだ、花恋相手でも同じことをするだろう。


 でも、それでも、


「決まっているわ。答えはノーよ」

「……そう言うと思っていたわ」


 ネフリーは悲しげな表情を浮かべて言った。


「そんなことより、あなたには聞きたいことがあるわ。時雨とセルルを傷つけたのは誰? あなたも関わっているのでしょう、ネフリー」


「……その二人になら以前あったわ」


 ネフリーは軽い口調で言った。


「……答えになってないわね。……また適当なこと言ってはぐらかすのね」


 花恋は力強い視線でネフリーを見据える。


「わたしは今でもネフリーが大好き。それは変わらない。でもこの街に来て、わたしは少しだけ変わったみたい。よくわからないけど、今はもう、あなたと戦う覚悟だって出来た」

「……そう。ならわたしも、わたしの大切なものを守るために戦うよ」

 ネフリーは胸にあるペンダントを掴むと、それを剣へと変化させる。

「ごめんね。花恋」

 花恋が準備をする暇もなく、ネフリーは一瞬にして間合いを詰める。

「くッ!」


 花恋も咄嗟にペンダントを変換して応じるものの、今のままでは精霊と人間の差、感覚の違いによって後手に回るのは見えている。前回は花恋自身が疑似的に精霊になることで対抗したが、いかんせん今回はそのスキがない。


 ネフリーは容赦なく、花恋へと攻撃を仕掛ける。しかし、その攻撃はすべて峰打ちであり、花恋を打ち負かす気はあっても傷つける気はないらしい。

だからといって安心していられるわけではない。一撃避ければその次が、それを避ければまたその次が、すさまじいほどの連撃が花恋を追い詰めていく。


(このままじゃ……やられる!)


 花恋は精霊化する時間さえ稼げれば、ネフリーへと対抗できる。しかし、おそらくはネフリーもそれをわかっているはずだ。だからこそ、そのスキを与えないようにしているのだろう。


 花恋は剣のすべてを防御に回すことで、一応は凌いでいるがそれも限界に近い。それを悟った花恋は後手に回っている現状を打破すべく、ネフリーの剣が花恋の左肩向けて振り下ろされると同時に、下から精一杯の力で切り上げた。


 ガキンッ! という剣同士のぶつかる音が響き、衝撃波がネフリーの頬を裂いた。突然の衝撃に一瞬ネフリーがよろめく。当然花恋にも衝撃は及んだが、それを予想していた分だけ反応は早い。咄嗟に後ろへと飛んで距離をとる。


 この距離を詰められる前に精霊化することが出来れば互角に戦える。花恋は血液の中を流れる霊力を集め、人工精霊へと送る。そして人工精霊の霊力を自分へ。


 しかし、あと少しというところでネフリーが花恋の目の前へと迫った。


 精霊化に集中していた花恋は、ネフリーの素早い攻撃に対応できない。容赦なく、花恋の脇腹をネフリーの剣が襲った。


「げほっ!」


 花恋は体内にあった酸素を強制的に吐き出させられ、一瞬視界が滲む。地面を転がりながら、呼吸を整え何とか立ちあがるものの、その頃には再び目の前にネフリーが迫っている。ネフリーは剣の峰で花恋の足を払うと、倒れる直前のところで胸を蹴り飛ばした。


 花恋は吹き飛び、壁際へと追い詰められる。立ちあがろうとするものの、体が言うことを聞かない。その様子を見るネフリーは花恋へとゆっくりと近づきながら言った。


「もういいでしょう? これ以上あなたを傷つけたくない。だから渡して。これはあなたのためなの。あなたを守るためなのよ……」


 ネフリーが花恋へと右手を差し出す。


 人工精霊を渡せ、ということだろう。


 花恋は、人工精霊をペンダントの形へと戻し、それを右手に持ったままネフリーの頬へと触れる。そして、


「人工精霊を渡せ……? 冗談じゃない。そんな要求、却下よッ!」


 叫ぶと同時に先ほど人工精霊へと流し込んだ自分の霊力をまとめてネフリーの頬の傷口へと流し込む。


「きゃあああああああああああ!」


 他人の霊力を体内へと入れることは激痛を伴う。花恋は身をもってそれを体験していた。比較的人間に近い存在である人工精霊の霊力を体内に流し込んだだけでも激痛なのだ。ましてや、まったく別の存在である人間の霊力を精霊の体内へと流し込むのだから痛みは尋常ではないはずだ。


 花恋はそのスキを逃さず、再びペンダントを剣へと変化させ、その霊力を自らに流し込む。当然花恋の体を激痛が襲う。しかし以前に一度やっている分融通は利く。


 まだ痛みから回復しきれていないネフリーへと花恋は向かう。実力は明らかにネフリーの方が上なのだ。ならばどんなスキでも逃すわけにはいかない。


 花恋は人工精霊の力を使った加速から、一気に横薙ぎを放った。ネフリー同様に峰打ちで。花恋だって出来るのならばネフリーを傷つけたくはない。


 花恋は当たるのを確信したが、相手はそんなに甘くなかった。なんとか回復したネフリーはギリギリのところで攻撃を受け止める。しかしその顔色は悪く、ダメージを受けているのが目に見えるほどだ。


 花恋は攻撃の手を緩めない。横薙ぎ、切り下ろし、切り上げ、先ほどネフリーが花恋に行ったのと同様の連撃で、相手にスキを与えない。


(これなら勝てるッ!)


 今では完全に形勢は逆転していた。花恋が押し込み、ネフリーが防御に回っている。花恋の攻撃はすべて受け止められてはいるものの、ネフリーの体力は限界に近い。ならばこのまま押し込めば勝機は見えてくる。


 すると、ずっと黙っていたネフリーが花恋の攻撃を受けながら不意に言葉を放った。



「……なんで、そんなに頑張れるの?」



 ネフリーの言葉に一瞬、花恋の心が動揺する。


 なぜこんなにも自分は頑張っているのか、こんなにもボロボロになりながら立ち向かうのは何故か。しかも相手は自分の大好だった、いや今でも大好きな精霊だ。


 なんとなく、理由はわかっている。でもはっきりとはわからない。いやわかってはいけないようなそんな気がする。


「知らないわよッ! なんでこんなに頑張っているのかなんてわからないわよッ!」


 花恋が叫ぶと、まるですべてを見透かしているかの様な優しい笑顔で、子供の頃花恋が大好きだった笑顔で、ネフリーは言った。


「花恋にとって大切なものは、何?」

「わたしにとっての大切な、もの……?」


 花恋の攻撃の手が止む。


 花恋にとっての大切なもの、そんなこと決まっている。両親を殺されたあの日に花恋の運命は決まったのだ。精霊を憎み、たとえそれが誰であろうと精霊と関わる

ものそのすべてに負けない、叩きのめす……その、はずだった。


 でも、


(……そっか。もう、以前とは違うのね……)


 花恋の心はいつの間にかすべて変わってしまっていた。自分の中で何かが変わった自覚はあった。でもそれが何なのか深くは考えなかった。いや、考えようとしなかった。もし考えてしまえば自分の今までの人生を否定してしまうことになるから。


(わたし、ここにいたいんだ。この場所が好きなんだ……)


 時雨やセルル、秀、涼、夏目に冬霞。事件以来、初めて自分のすべてをさらけ出して、自分が自分でいられた場所。


 ここで過ごした時間は幸せだった。


 それは自分の心の奥に深く刻まれた決意をも忘れさせてしまうほどに。

 

 毎朝学校に行き、行けば時雨や秀、涼たちが迎えてくれる。お互い軽口や皮肉を言い合いながらもいつも一緒にいる。お昼になれば屋上に集まって昼食を食べる。特に約束をしているわけでもない、でも必ずそこに集まる。帰りになればいつの間にか再び集まり一緒に下校をする。そんな、どこにでもあるであろう日常。


 花恋は思う、その『日常』という名の『特別』を失いたくないと。たとえそれが自分の過去、今まで生きてきた人生を否定してしまうとしても。自分自身の暗い決意を忘れさせてくれたこの優しい場所を、守りたい。ただそう思った。


(そうか……だからわたしは今、こんなにも頑張れるんだ)


 花恋は自分が頑張れる理由に至る。


 以前ネフリーと戦ったときは両親の復讐のために戦った。


 でも、相手がネフリーだった。


 今でも好きな気持ちは変わらなかった。だから簡単に心が折れてしまった。


 でも今は相手がネフリーでも戦える。


 それは、守りたいから。助けたいから。



 守るものがあれば闘える。



「ふふっ……認めたくないけど、そろそろ認めなくちゃいけないかもね。……わたしはここが好きなのよ。ここにいるみんなが好きなのよ。だから、守りたい。たとえそれが今までの自分の生き方を否定することになっても、それで構わない。過去のわたしが今のわたしを見たらただの腑抜けだって笑うかもしれないけど、それでもいい。わたしは、わたしがわたしでいられる『今』を守りたいんだ」


 すると、ネフリーは優しい笑顔は崩さずに、


「……そっか。大切なものをみつけられたんだ。よかった、嬉しいよ。でもね、わたしにも誰にも譲れないものがある。わたしはわたしの何より大切なものを、花恋、あなたを守りたいんだ。だから……ここは退けない」


 花恋を守りたいから花恋と争う。花恋はその言葉の意味がわからなかったが、今更それを聞いたところでネフリーは答えてくれないだろう。ネフリーはきっと心の中で決意を固めている。ならばきっともう何を言っても聞かない。


「わたしを守りたい、か。きっとわたしの知らない何かがあるんだと思う。きっと聞いても話してくれないんだよね? わかってるよ、昔から頑固なところあったもん。でもね、わたしは自分が傷ついたっていい。自分が自分でいられる場所を作ってくれた人を助けたいんだ。だから、守る力を、この人工精霊を手放すわけにはいかない」

「わかってる。ごめんね、花恋。……次で決めよう。次で終わりにしよう。これ以上花恋とは戦えない。心が……痛いよ」


 それは花恋とて同じこと。出来ることならばネフリーと争いたくなんてない。


「いくよ、花恋」


 言葉とともにネフリーの人工精霊に風が集束していく。


 花恋はこの技を知っている。


 風の衝撃波。花恋が最も得意とする人工精霊術だ。ならば、と花恋も同じく人工精霊に風を集束させる。


 目には目を、刃には刃を。


 技が同じ、人工精霊も同じ、となれば勝負を決するのは互いの霊力の高さ。今のネフリーは体力がかなり落ちている。ゆえに花恋と同様か少し上程度。


「はああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」


 先に放ったのはネフリーだった。すさまじいほどの衝撃波。


 花恋はそれを見て、勝てるとは思わなかった。でも負けるとも思わなかった。

ネフリーは強い、それは嫌というほどわかっている。でもどんなに勝てない相手であっても負けない覚悟があった。


 負ければ大切なものが手のひらからこぼれ落ちてしまうから。


「やああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 花恋の衝撃波が叫び声とともに加速する。


 バチバチッ! と凄まじい音が響き渡り二つの衝撃波がぶつかり合った。


 音は止まない。ひたすらに激しい音を巻き散らし、世界からそれ以外の音を奪い去る。


(負けたくない、負けたくない、負けられないッ!)


 衝撃波は、花恋の決意に呼応するかのように勢いを増し、ネフリーのそれを押し返す。そしてそのままの勢いでネフリーの元へ。


「強く、なったんだね。花恋。……わたしなんかが守らなくても大丈夫、かな?」


 ドゴォン! という爆発音に巻き込まれたネフリーは、爆風とともに宙を舞った。そのまま地面へと落下、もう激突を回避する力すらも残っていなかっただろう。しかし、ネフリーがゆっくりと目を開けると、


「大丈夫? ネフリー」


 花恋がネフリーを抱きかかえていたのだ。花恋はネフリーへと衝撃波がぶつかる寸前に走り出し、地面へと激突する寸前のところで抱き止めたのだった。


「ふふっ、本当に強くなったんだね。もうわたしなんか必要ないかな……」


 ペチッ! 花恋が軽くネフリーの頬を叩いた。


「そういうことは言わない。わたしは今でもネフリーが大好きなんだから。たとえどんなことがあってもネフリーはネフリー、でしょう?」


 ネフリーはうつむいて問う。


「花恋、結局峰しか使わなかったよね? なんで? わたしはあなたの両親を……」

「……知らない! 今も言ったでしょ? 確かにネフリーはパパやママを殺したかもしれない。でもわたしを守りたい、そう言ってくれた。じゃあきっとそうなのよ。何があるのかは知らないけど、ネフリーを信じたい、そう思ったの」


 花恋はにっこりと笑って続ける。


「……きっと以前までのわたしじゃこうはいかなかったと思う。きっと表面的な事実だけに踊らされて、何も見えなかったかもしれない。もちろん今でもパパやママがいないのを寂しく思うことはある。……けどね、わたしは変わったんだ。この街に来て、心優しい人に出会って。だから、すべてを知りたいの。すべてをちゃんと理解してから自分の答えを出したい。だから教えてネフリー、あなたは何を隠しているの?」

「……」


 ネフリーは顔をしかめてうつむく。


 どうして教えてくれないのか、花恋はもどかしかった。たとえどんな真実が待っていようとも今の花恋はそのすべてを受け止める覚悟があった。そしてそれがなんであろうと今の自分にはそれ以上に大切なものがある、だから何も迷うことなんてない。そう思っていた。


 花恋は真剣な瞳で見つめる。


「花恋、世の中には知らない方がいいことがある。だから――」


 ――ドスッ! と、ネフリーが話始めたと同時に、鈍い音とともに花恋の肩に熱い痛みが走った。


「あら、ネフリー何をさぼっているのかしら? 早くこの娘の人工精霊を奪いなさい」


 冷酷なオーラを纏った声が響いた。




          †     †




 橘霊歌。鋭い刃物まるでその物かのような人物がそこにいた。


 ネフリーは、咄嗟に花恋を抱き寄せる。幸い傷は深くない。急所も外れているし、出血も少ない。


「なぜ、言うことが聞けないのかしら? 奪えるなら殺したっていいのよ? ま、あなたにはそんなことできないでしょうけれど……。ならおしえてあげなさいな。大事に大事にしている宝物がいったいどんな代物なのか、そうすれば手放す気にもなるでしょう」


 霊歌は人工精霊を指さしながら言った。


「久しぶりの家族の再会だからと思って、好きにさせていたのに……。これじゃあ落第よ? ネフリー」

「やめろッ! それ以上言うなッ! 言ったらわたしはお前を――」

「――許さない、って? 結構よ、あなたなんかに許して頂かなくても。そんなことより……三咲花恋さんだったかしら? はじめまして、私は橘霊歌、先程橘時雨を半殺しにした時雨の母親よ」


 飄々と、さも自分がしたことが正しいことかのように、霊歌は言った。だが確かに言った。この目の前の女は、自分が時雨を半殺しにしたと、そう言ったのだ。花恋は身構える。この女が主犯格ならば、セルルの居場所も知っているはずだ。だが、


「あら、そんなに緊張しなくていいのよ。今はあの愚息の話をしに来たんじゃないの。あなたのその宝物のこと、この精霊が何を隠しているか知りたくない?」

 花恋は息を飲んだ。知りたかった真実が目の前にある。ネフリーも教えてくれなかった真実がすぐそばにある。しかし、隣で必死にそれを話させまいとしているネフリーの様子は尋常ではない。

「黙れッ!」


 ネフリーが傷ついた体を押して、霊歌へと切りかかる。


「消えろよ、虫けら」


 霊歌が右手を横に薙ぐと、ネフリーの体が壁へと叩きつけられた。ネフリーはそのまま地面へ倒れこむ。咄嗟に花恋はネフリーの元へと走ろうとしたが、間に立った霊歌がそれを許さない。


「ダメよ、今は私とお話してるんだから、人と話すときは相手の目を見て話すって両親に習わなかったかしら? あら、ごめんなさい。あなたの両親はもう何も喋れないわよね――」

「――人工精霊だものね」

「なん、ですって……?」


 花恋は霊歌の言っていることの意味がわからなかった。自分の両親が突然人工精霊などと言われて、納得できるわけがない。


「何を……あなたは何を言っているのッ!?」

「ほんと、何も知らないのね……滑稽だわ。ここまで滑稽だと逆に面白いわね」

 呆れたように肩をすくめ花恋へと視線を向ける霊歌。その視線には敵意ではなく、憐れみや嘲笑といった感情が込められているような気がした。

「……一体何よ!? 何なのよ!? 答えて!」


 花恋は声を上げ、人工精霊の切っ先を霊歌へと向けた。対する霊歌は花恋の行動にまったく臆することなく、むしろその視線には憐みの色が濃くなったようにすら感じられる。


「……はいはい、言われなくても語ってあげますとも」


 霊歌は小さく笑い、話を続ける。


「あなたが今手に持っているのがあなたの母親、三咲真里亜。そこで寝ている精霊が持っているのがあなたの父親、三咲真一郎。よかったわね、大好きなパパとママに会えて」


 霊歌が笑う。その表情はとても人間のものとは思えない邪悪なものだった。


 花恋は今の話を聞いてもなお意味がわからなかった。


(いったい、いったい何の話をしているの……? この人工精霊がママで、パパがネフリーの人工精霊……? いったいなんなのよ……)


 混乱する花恋の傍で霊歌はにやにやと不敵な笑みを崩さない、その様子ははまるでおもちゃを目の前にした子供のようだった。


「いいかしら? 人工精霊はねぇ、作るために絶対に不可欠なものがあるのよ……それはね、人間と精霊の心臓なのよ」


 その言葉を聞いた瞬間、花恋は身体中を電流が駆け巡るような、そんな錯覚を覚えた。


 理解したのだ。いや、理解してしまったのだ。霊歌の言いたいことはなんなのか。真実とはなんなのか。点と点が繋がった、一切の矛盾もなく。


 花恋は今、真里亜の心臓を握っているのだ。


 花恋の両親が今この場にある人工精霊であるということ、人工精霊の材料の一つが人間の心臓だということ、これら霊歌の言葉が指し示す答えは一つしかない。


 花恋の両親の心臓がこの場にある人工精霊の材料になった、ということ。


「何よ、それ……。いったい何なのよ……」

「あなたの父親と母親は人工精霊の材料になったのよ。ここまではわかったかしら?」


 花恋の両親は人工精霊の材料にされた。ならそれをやったのは誰か? 花恋の両親を殺したのはネフリーだ。ならば犯人はネフリーなのか? しかし、ネフリーは「花恋を守りたい」そう言ってくれた。


 花恋の頭の中で様々な考えが浮かんでは消えていく。


「くくっ……悩んでるみたいねぇ。そうよね、あなたににとっては両親の仇ってことになるのかしら? ああ、でも実際の父親の仇はすぐそこの精霊か」


 霊歌は地面に倒れこんでいるネフリーを見ながら言った。ネフリーが睨みつけるが霊歌はその視線を涼しい顔で受け流す。。

 

 そんな中、花恋は霊歌の言葉に違和感を覚えていた。今、霊歌は『父親の仇』はネフリーそう言ったのだ。今まで、花恋は真一郎、真里亜、共にネフリーが殺したものだと思っていた。霊歌の言い方では母親の仇は別にいるかのように聞こえる。


(……いったいどういうことなの?)


 そんな花恋の様子をみた霊歌はにこりと笑って、


「悩まなくていいのよ。全部教えてあげるから。あなたの父親を殺したのはネフリー。それは正解。でもあなたの母親を殺したのは違う。あなたは知らないかもしれないけれど。きっと周りの人は必死に隠したのでしょうねぇ……ひどい結末だもの。あなたの母親を殺したのがまさか――」



「――あなたのパパ、なんてね」



 愕然とした。


(……嘘…だよ、ね?)


 ただ目の前に提示された言葉を信じたくない。自分の大好きな父親を信じたい。いや信じている。じゃあ何故ネフリーは真一郎を殺したのか。悪いのは真一郎なのか、それともネフリーなのか。たとえ真実がどちらであろうと花恋は大切な人を必ず失ってしまう。


 もう何が何だかわからなかった。逃げたかった、逃げてしまいたかった。しかし目の前に立つ、死神のような女がそれを許さない。


 決して逃げることのできない現実が花恋を苛んでいく。


「あらら、かわいそうに。混乱しちゃったかしら? でもまあ、いいわ。あなたの母親を殺したのはあなたの父親。ここまでは解ったかしら?」


 霊歌は饒舌に語り続ける。


 真一郎はある日、人工精霊の作成方法や必要な材料についての情報を手に入れた。その情報は偶然にも真一郎の研究所を訪ねてきた日本人の男からもたらされたものであり、素性も定かではなく、情報も信じられる確証など何もなかった。だが研究に行き詰っていた真一郎にとってそれはまるで一筋の光のように思えたのだろう。何の躊躇もなく、研究者としての欲望が赴くままにその男からまたらされた情報をもとに研究を再開した。


 そしてその研究意欲と言う名の強大な欲望が、狂気へと変化するのにさして時間は掛らなかった。


「でも、人間の心臓なんて簡単に手に入らないわよね?」


 精霊の心臓ならどうにでもなった。研究所に捉えてある精霊を使えばいい。しかし、人間の心臓は簡単に手に入らなかった。人体実験に志願者などそう簡単に集まるはずもない。まして国が人体実験などと言う非道を認めないだろう。国から補助を受けている立場上、逆らうわけにはいかない。ならば身近なところで調達するしかない。


「……聞きたくない、聞きたくない」

「もうわかったかしらァ? あなたの御想像の通りよ」


 真一郎は妻真里亜を殺し、実験の材料にしたのだ。


「もう、やめて……」


 花恋はもう何も聞きたくなかった。今の花恋にはどんな音も声も、そのすべてが絶望を与えるだけだった。


「そして完成したのがあなたのそれ。クククっ……でもね、人間ってやつは愚かな生き物なんだよなァ……」


 人間の欲望は止まらない。もし何かを手に入れてしまえばもっと欲しくなる。そしてさらに良いものが欲しくなる。


 その欲によって人間は発展し、現在の文明を築いた。人間の欲望、それは向上心であり、なくてはならない必要不可欠のものだ。しかし、強すぎる欲望は人を狂わせる。そう、



 自分の娘ですらその手にかけようとするほどに。



「そうだよ。あなたよ、三咲花恋。あなたが次の材料だった」


 その言葉を聞いた瞬間花恋は自分でも訳がわからずネフリーへと駆け寄っていた。


「ねぇ、ネフリー……。 嘘、だよね? あいつの言っていることは嘘だよね? 嘘に決まっているよね?」


 霊歌の言葉には何の矛盾もない。それが真実なのだと花恋も心のどこかでわかっていた。それでも信じたくなかった。自分の両親が研究のための材料にされたなんてことを受け入れたくはなかった。まして母親が父親に殺され、挙句自分も殺されるところだったなんて受け入れられるはずがなかった。

ただ否定してほしい。


 目の前に広がった真実を否定してほしかった。


 一縷の望みをかけ、花恋は必死にネフリーに問いかける。しかし、

「……ゴメン」


 うつむいて、花恋から目をそらすネフリー。


 その行動が示す答えは一つ。


 すべてが真実なのだ。


 花恋は納得する。これが自分の追い求めていた真実なのだ、と。


 ネフリーは言っていた。「花恋を守りたい」と。この言葉の示す意味がようやく理解できた。



 そう、ネフリーは花恋を守るために真一郎を殺した。




          †     †




「ははッ、滑稽だよねぇ。ネフリー? 真実を伝えたいのに、傷つけたくないから何も言えない。傍にいられないから守れない」

「やめろ! やめろッ!」


 ネフリーが叫ぶ。


 ネフリーはずっと花恋を守りたかった。だから花恋を殺そうとした真一郎を殺した。そしてもし自分の父親に殺されかけた、などという事実を花恋が知ればどうなるか。そんなことは考えるまでもなかった。だから自分が恨まれることで、花恋の心にある優しい父親を、優しい家族の思い出を守ろうとした。


 しかし、それだけでは花恋を守れなかった。花恋の手には人工精霊があった。多くの国々が欲しているそれは花恋自身が狙われるという危険を孕んでもいた。だから本当なら真一郎を手にかけた時に花恋から人工精霊を奪ってしまうはずだった。

だが、ネフリーは出来なかった。


 花恋の生きる希望、それは父親の形見、父親が残した人工精霊だったからだ。もしこれを奪ってしまえば花恋は自ら命を絶ってしまうかもしれない。そう思ったのだ。


「とはいっても、あなたの父親に人工精霊の情報を教えたのは私の夫、橘日嗣なのだけれどね? 全部私達の手のひらで踊ってんのよねぇ。滑稽だったらありゃしない。挙句、あなたを守るために、バカみたいな条件を飲んでくれるし、助かったよ、ねぇ、ネフリー」


 ネフリーが飲んだ三つの条件。


 一つ目。

「あなたの人工精霊を数年後に引き渡すこと」


 二つ目。

「真一郎の心臓で人工精霊を作ること」



 三つ目。

「人工精霊を引き渡したのち、ネフリーの心臓を引き渡すこと」



「くくッ……優しいよねぇ、ネフリーは。まさに体を張ってあなたをことを守ろうとしていたってわけだ、お涙頂戴ってのはまさにこのことだなァ」

「くっ……」


 ネフリーは俯きながら拳を握る。決して知られたくなかった。花恋だけには平穏に暮らしてほしかった。だから、ネフリーはそのために出来る限りのことをした。そのためならたとえ自分を犠牲にしようと構わなかった。


 だが、もうそれは叶わない。


 花恋が真実を知ってしまった以上、ネフリーが死ぬことを認めないだろう。だから、花恋の知らないところでいなくなりたかった。


「ごめん、花恋……」




          †     †




 花恋は再び耳を疑った。


 心臓を引き渡す、その言葉が意味するところは一つ――すなわち『死』。


 ネフリーは自らの命と引き換えに花恋を守ろうとしてくれていたのだ。それなのに花恋はずっとずっとネフリーを恨み続けて生きてきた。


 花恋はネフリーを見つめ、ゆっくりと問いかける。


「……ねぇ、ネフリー。本当なの?」


 ネフリーは答えない、うつむいたまま何も言わない。


 でもそれだけで十分だった。それだけで真実なのだとわかった。


 絶望の淵で立ちすくむ花恋へと降り注ぐ、たった一つの光。


 こんなにつらい真実の中で、ネフリーは、ネフリーだけが自分を守ろうとしてくれていた。自分を犠牲にしてまでも花恋を守ろうとしてくれていた。


(わたし……何やっているのかしら……)


 花恋は心の中で呟く。そして、目の前のネフリーを抱きしめた。


「……ゴメンね。ゴメンね、ネフリー。全部、全部あなたに背負わせて。これからはずっと一緒よ。……もう一人で背負わないで、ネフリーがわたしを守ってくれるなら、わたしがネフリーを守るから」


 花恋、ネフリー、二人の目から涙が落ちる。


「それから……ありがとう、ネフリー」


 花恋は様々なものを失った。


 花恋は今まで真一郎を信じ、彼が残した人工精霊を信じて来た。


 だが、真一郎が家族を崩壊へと導いたという真実を知った時、花恋の今までの人生は何の意味も持たなくなってしまった。


 それは今までの自分を否定されることに他ならない。


 でも今の花恋は揺るがない。


 花恋はネフリーに問われた『あなたの大切なものは何か』と。


 そして気付いた。今の自分が過去の自分とは違うということに。


 だから揺るがない。


 自分の信じていたものはすべて崩れ去った。


 でも、守りたいと言ってくれる人がいる。守りたい人がいる。守りたい場所がある。


 ならば、悩む必要なんてない。



 大切なものは、すでにこの胸にある。



「ほら、もういいでしょう? それをよこしな。お涙頂戴の大根役者ども」


 霊歌がゆっくりと花恋へと歩み寄る。そして地面に落ちているネフリーの人工精霊を拾い上げようと手を伸ばした。その時、


 ぐしゃり、と花恋が思い切り霊歌の手を踏みつけた。


「……どういうつもり?」


 霊歌は声のトーンこそ先ほどと同じものの、その表情は怒りに満ちている。


「誰がとっていいと言ったかしら? それはネフリーの物であり、わたしのパパでもあるの。あんたが触っていいものじゃないわ」


 花恋は、まるで王女が下々の者たちに言って聞かせるように強い口調で霊歌へと言葉を放つ。その様子は先ほどまで俯いて目の前の真実に絶望していた者の顔ではない。


「手をどけなさい。蛆虫が」

(あら、やだやだ。蛆虫なんて汚い言葉……どっかの毒舌女の影響かしらね)


 花恋は不意にどこぞの双子の妹の顔を思い浮かべた。ケンカばかりしていたけれど、今思えばそれも悪くない。


(……そういえば、今度あいつの家に招待してくれるのだったかしら。ふふっ、不本意だけれどちょっと楽しみだわ)


 花恋は霊歌の手を蹴り上げ、地面にある人工精霊を拾い上げる。そして、自分の胸にあるペンダントを剣へと変化させる。


 右手に母親を、左手には父親を。


 なぜだろうか、二つの人工精霊に触れた時、あんな残酷な真実を知った後だというのに、とても心が温かくなったのは。


 もしかしたら気のせいなのかもしれない。でも一つだけわかることがある。花恋は父親と母親が大好きだった。たとえ二人がどんなことをしていても、どんな形になったとしてもそれだけは、変わらない。


(大好きだよ、パパ、ママ。だからさようなら、二人の思い出にすがったままじゃ前に進めないから。わたしは今を、自分の大切な人たちを守りたいから……)


 花恋はその手に持つ人工精霊を見ながら言う。


「これをよこせって? 冗談じゃない。そんな意見認めない、却下。てゆーか、それ以前に、あんたっていう存在自体……却下よッ!」


 花恋は目の前に立つ死神のごとき女へと突き進む。



 自分の大切なものを守るために。

 


 花恋はこの日、一番大切なものを失った。


 そして花恋はこの日、それ以上に大切なものを手に入れた。

 



     †     †



 

 花恋がネフリーや霊歌と争っているのと同時刻、冬霞は病院の手術室の中にいた。目の前には自分の息子同然であり、冬霞が学園長を務める学園の生徒でもある橘時雨が横たわっている。


 時雨は精霊を宿す人間の証ともいえる精霊石を奪われた。精霊石は心臓の役割もはたしており、それを失った今、時雨が生き残るすべは精霊石が生み出す霊力と似た物質である魔力を永久的に供給できる、魔石を移植するしかない。


 これをすることで時雨を人間という存在から遠ざけてしまうことは解っていた。だが、冬霞は娘である夏目と話し合って決めた。


 ただでさえあまり自分を好きではなかった時雨は、自分という存在をさらに嫌いになってしまうかもしれない。でもそれでもいい。冬霞や夏目はただ時雨に生きてほしかった。ただそれだけなのだ。


(ごめんね、時雨……。これからあなたはつらい思いをするかもしれない。でも、絶対にわたしたちはあなたの味方だから)


 冬霞は心に誓う。どんなことがあっても、たとえ世界中が時雨の敵になったとしても、絶対に時雨の味方であり続けようと。


 それは冬霞なりのけじめだった。これは時雨が選んだ道ではない。冬霞や夏目が勝手に時雨を生かすのだ。もしかしたら時雨があの時死んだ方がよかった、そう思う日が来るかもしれない。それでも生かすのだ。


 もう一度時雨に笑ってほしいから。


 もう一度時雨と話したいから。


 冬霞は手を胸の前で組み、祈る。


 冬霞は神様なんてものは信じていない。だが今日ばかりは信じたかった。今から自分が行う手術で自分の大切な人の命運が決まるのだ。


 もちろん成功させる自信はあった。でも、それでも祈っておきたかった。


 冬霞はメスを握り、周りの部下に合図をする。


 手術開始だ。


(絶対、助けるからね。時雨!)




     †    †




 時雨の着替えなどを用意するために、一度マンションに戻った夏目が病院に再び到着すると、すでに手術は始まっていた。


 目の前の手術室のランプが灯り、どれだけの時間が立ったのだろうか。周りに時計はなく詳細な時間はわからない。だが夏目にとっては人生で最も長く感じる時間だった。


 手術室の前の椅子に腰かけ、じっとランプを見つめる夏目。


(……お母さんなら大丈夫)


 夏目は自分の母親である冬霞の医師としての腕を信頼していたし、なにより今までどんな困難なことでも簡単にやり遂げて来た冬霞のことだから、きっと今回だって大丈夫。そう思っていた。


 それに時雨のことは心配だが、そればかり心配しているわけにはいかない。セルルのことが心配だ。何者かが時雨の精霊石を奪っていった以上、その精霊石に手荒なまねはしないだろうが、だからといって大丈夫という保証はない。


 とはいっても、実際何の手がかりもないのが現状だった。どこをどう探していいのか、さっぱりわからない。


(セーちゃん……。大丈夫だよね?)


 グッと両手を握りしめて己の無力さをかみしめる夏目。


 出来ることならば今すぐにでもセルルのもとへ飛んで行き、助けたい。それなのにどこへ行けばいいのかわからない。さらには居場所の手掛かりを掴むことさえできない。これを無力と言わず何と言うのか。


 夏目は歯がみをする思いで手術室のランプを見つめる。


(お願い、時雨。酷かもしれないけど、早く目を覚まして……)


 夏目が知る以上、精霊石――セルル――を奪っていった連中の手掛かりを持っているのは時雨だけだ。


 このままでは一番後悔するのは時雨だ。もし時雨が目を覚ましてもセルルを助けることが出来なければ時雨は失望するだろう。セルルが時雨にとってそれほどまでに大切な存在であるということを夏目はとてもよく理解していた。だから、時雨のためにも、セルルのためにも時雨には一刻もはやく目を覚ましてほしかった。


 夏目は落ち着かず、手術室の前のベンチで立ったり座ったりを繰り返す、頭の中では手掛かりはないのかと一生懸命に頭を巡らせているのだが、そう簡単に見つかるわけもない。もしこの程度で見つかっているのならば、とっくにセルルを助け出しているだろう。


 どんなに考えを巡らせようとも、まったく手がかりらしきものは思いつかず、夏目が大きな溜め息を吐く。


(今のわたしには何もできない……。お願い時雨、セーちゃんを助け出せるのはあなただけなのよ……)


 夏目がまるで願うように発した心の声と共鳴するように手術室のランプが消え、扉が開いた。


 手術終了だ。


 中から出て来た冬霞に近づく。


 それが現状を打破する突破口となるように祈りながら。



     †     †



「はあぁぁぁぁぁ!」


 花恋は思い切り両手の剣を振った。


 花恋と対峙する女、橘霊歌は笑いながらそれを避け、右に持つ刃物で反撃をする。


 それを右手の剣で受け止めた花恋は、その状態のまま体を前へと加速させる。人工精霊を使った高速移動だ。花恋の前には霊歌の体があり、そこめがけて思い切り体当たりをくらわせる。高速の体当たりによって、霊歌の体は吹き飛ばされ、近くにあった柱へと激突する。


 ドゴンッ! 誰もいない地下駐車場で、爆音が響き渡った。


 花恋はこの程度で相手が倒れてくれるはずもないと思いながらも、わずかな希望を抱きながら久井奈が激突した柱を見る。


 柱が少し砕けたことによって舞い上がる粉塵を纏いながら、ゆらりと霊歌は起き上った。


「やってくれるじゃないの、小娘。あんまり調子に乗るんじゃないよ」


 自分の肩を払いながら続ける霊歌。


「そうだ、小娘、面白いものを見せてやるよ」


 そういって霊歌は顔に笑顔を浮かべ、ウエストポーチへと手を突っ込んだ。


 そして次の瞬間、花恋は目を疑った。


 霊歌がウエストポーチから淡い緑色の石を取り出したのだ。


「これが欲しいんだろ? 返してほしいんだろ? あのゴミ息子を助けるためによォ」


 花恋は理解した。実際に見たことなんてない。時雨の事件現場に居合わせたわけでもない。


 だが、唐突に理解した。


 霊歌の持つそれが精霊石であると。


 理解した瞬間、花恋の体は勝手に動いた。


「それを、離しなさいっ!」


 霊歌が時雨の事件に関与しているのはわかっていたが、精霊石を見た瞬間に繋がった。


 目の前の女が時雨をあんな目にあわせたのだ、と。


 花恋の勢いをつけた切り降しに対して、霊歌はギリギリで反応し回避する。


「うるせえなぁ、小娘、ほしけりゃ力ずくで奪ってみせな!」


 武器を弾き、距離を取る二人。お互いの間合いに入るか入らないかのギリギリの距離。いつでもこちらから仕掛けることができ、なおかつ仕掛けられる可能性もある。


 良く見ると、霊歌が持つ精霊石には黒い鎖が絡まっており、花恋はそれがセルルの力を抑えつけているのだと理解する。


(あれを外せば……)


 花恋がそんなことを考えていると、霊歌は何を思ったのか自ら精霊石に絡まった鎖を外し始めた。ジャラジャラ、という鎖を擦り合せた時独特の音が鳴り、そのすべてが外れる。すると、その場に病弱ともとれるほど色の白い少女が現れた。


「セルルッ!」


 セルルを目にした花恋が咄嗟に叫ぶ。


「か、花恋……?」


 花恋の目にはセルルが多少衰弱しているように映ったが、目の焦点はしっかりと合っており、大きな外傷は見られない。とりあえず花恋はほっと息を吐く。


「ねぇ、時雨は!? 時雨は無事なの? 大丈夫だよね? 大丈夫なんだよね?」


 セルルは花恋を認識するや否や、まるで問いただすように聞いた。


「ええ、大丈夫よ」

「本当?」

「絶対大丈夫。だから心配しなくていいわ」


 実際は絶対などではなく、今頃失った精霊石の代わりに魔石を体内の埋め込むという大手術を行っているはずなのだが、それはあえて言わなかった。もし言えば心配するのは目に見えていたからだ。今ここで変な心配をさせるのは得策ではない。まずは目の前の状況をどうにかするのが先決だろう。


「よかった。本当に良かった。会いたいよ……時雨」


 セルルはよほど安心したのか、大きく息を吐き、顔を真っ赤にしてその目には大粒の涙を溜めている。


 花恋がセルルの無事を確認し、ほっとしていると次の瞬間、セルルの瞬間が一瞬にして消えてしまった。


「はーい、感動の再会終了。クククっ、よかったなぁ、お話出来て」


 霊歌が再び鎖を精霊石に巻き付けていた。


「それを渡しなさい。その子は時雨にとって大切な子なのよ。あんたなんかに傷付けていい権利なんてないわ」


 花恋が右手を前に出し、霊歌を睨みつける。


「はァ? おまえバカじゃねぇの? こいつと時雨はなあたしの子供なんだよォ。子供を親のいいように扱って何が悪い。大切な存在? 反吐が出るねぇ、ただの実験動物の癖によォ!」


 狂っている。


 花恋の身体が震える。指の骨が軋むほどに、大剣を持つ両手のこぶしを強く握った。


「ああ、そういえばさ、この精霊石を奪った時の時雨の顔ったらなかったなァ、絶望に染まったいい顔だったよ」


 腐っている。


 限界だった。霊歌の言葉が、仕草が、存在が、花恋の大切な存在を冒涜し、汚していく。 


 気付くと花恋は走り出していた。両手に携えた大剣で霊歌へと突進、思い切り切り上げた。


 しかし、大剣は空を切る。


「悪いわね、小娘。時間だわ。なに心配しなくても、あなたが人工精霊を持っている限り、またすぐ会えるわ。どこまででも追いかけてあげるから」


 そう言って、霊歌は姿を消した。


 あまりの逃げ足の速さに追いかけることも出来ず、花恋は思わず側の柱を殴り付けた。


「くそっ!」


 こぶしが赤く染まっていた。だがこんな痛み、時雨とセルルに比べればあまりに小さな痛み。そう思い、花恋は気を引き締める。逃げられてしまった。だが、手掛かりは掴んだ。ネフリーだっている。


 まだ、負けていない。




     †     †




 手術室のランプが消え、冬霞が姿を現した。


「大丈夫、成功よ。もう心配ないわ」


 その言葉を聞いた夏目の表情は一瞬にして明るくなり、嬉しさで泣きそうな顔になる。


「やれやれ、夏目は泣き虫だね」

「仕方ないよ。これでもう一度時雨の声が聞けると思ったら……嬉しくて」


 そう言って笑う夏目だが、まだこれで終ったわけではないことは理解していた。時雨だけではない。セルルが帰ってきてこそ、いつも通りの生活が送れるのだ。


 夏目はハンカチで涙を拭きながら、冬霞と二人で時雨の病室へと向かう。時雨はすでに病室へと運ばれて来ていた。


 病室に着き、夏目は特に意識をせずに時計に目をやった。すると時計は時雨の手術が始まる前からあまり進んでおらず、夏目が人生の中で最も長く感じた時間は現実ではそれほどではなかったことを理解する。


(……大変な手術だったはずだよね。なんでこんなに早く終わるんだろう……?)


 夏目は少し不思議に思う。手術前の話では、冬霞自身もまったく経験をしたことのない手術であり、魔石を体内に移植するという大がかりのものであるため、時間はどれだけかかるかわからない。冬霞はそう言っていた。


 しかし実際には二時間程度しかかかっていない。手術の中でも短い部類に入るのではないだろうか。


 そんな夏目の疑問を表情から感じ取ったのか、冬霞が口を開いた。


「予定ではこんなに早く終わるはずじゃなかったのよ」

「うん。わたしもちょっと驚いてる。お母さん何時間かかるかわからないって、そう言ってたよね?」

「ええ。そのつもりだったんだけど……。これは奇跡ね、セルルが起こした奇跡。いつも驚かされてばかりだわ。まったく」

「いったいどういうこと?」


 怪訝な表情で聞く夏目。


「時雨は――」


 ――コンコンッ!


 冬霞が続きを語ろうとした時、病室の扉が乱暴にノックされた。夏目が何事かと思い、急いでドアを開けると、そこには銀髪の女性を背中に背負った花恋の姿があった。


「花恋ッ! どうしたのあなた……。その怪我、大丈夫なの!?」


 夏目の声に中にいた冬霞も咄嗟に病室から顔を出した。


「平気。もう慣れた。そんなことよりもこっちをお願い」


 花恋がそう言って、病室の中に入ると、背負っていた女性をソファに寝かせる。


「この子、精霊ね?」

「ええ、ネフリーよ」


 ネフリーと言う言葉に対し、質問を投げかけた冬霞も、そしてその近くにいた夏目も驚きを隠せない。ネフリーが両親の仇であることを花恋本人から聞いていたからだ。


「ネフリーって……まぁいいわ。大丈夫、軽い脳心頭で意識を失っているだけ。じきに目を覚ますわ。でもとりあえず検査が必要でしょうから人を呼んでくる」


 冬霞がネフリーを軽く診察し、念のために病院の職員を呼びに行こうとすると、スッと冬霞の動きを花恋の手が制した。


「その必要はないわ」


 冬霞、夏目の表情が歪む。二人は花恋の過去を知っているだけに余計に怪訝に思ってしまった。二人の脳裏に『復讐』の二文字が咄嗟によぎる。


「あぁ、なんか変なこと考えないでよ? 復讐なんてしないから。つーかあれはわたしの勘違いっていうか……。詳しいことは今から話すけど、とりあえずネフリーは唯一の手掛かりなのよ。だから今はネフリーにそばにいてもらわないと」


 そう言って花恋は先ほどまで自分に起こっていたことを語り始めた。




          †     †



「そんなことがあったのね……」


 冬霞は花恋の話を聞いて驚いた。ただ驚いた、というよりもむしろ信じることが難しかった。夏目も同様だろう。花恋とネフリーの人工精霊の材料に花恋の両親の心臓が使われているということ、真一郎が真里亜を殺し、花恋を守るためにネフリーが真一郎を殺したこと。さらにはネフリーが霊歌の両親と交わしたという三つの約束。


 すべてのことが花恋にとっては辛いこと、むしろ辛すぎることであるにも関わらず、花恋は淡々とはっきりとすべてを口にしたのだった。


「わたしのことはいいの。セルルのことが先決よ」


 そう言う花恋を心配そうに見つめる夏目。


「そうだけど……でも…」

「わたしなら大丈夫よ。大好きなネフリーがそばにいてくれるし……今のわたしにはみんながいるでしょう? 何も心配いらないわ。そんなことより今はあの二人組を元に戻してあげないとね」


 花恋はニコリと笑い、真剣なまなざしを夏目へと向ける。


 そんな様子を見ていた冬霞が、


「わかった。でももし辛かったら言うのよ? あなたはもうわたしにとって娘の一人なんだから」


 花恋が頷く。


「それにしても、橘霊歌ね……」


 冬霞の表情が険しくなる。頬に手を当てて考え込む。するとそこに不意に声が掛った。


「あなた知っているのね?」

「ネフリー! もう大丈夫なの?」


 花恋が近寄ると、ネフリーが花恋の手を取り、起き上る。その視線はまっすぐに冬霞に注がれている。


「ありがとう花恋。大丈夫よ。それよりも、あなた女を知っているの?」

「あったことはないわ。だがその夫、橘日嗣のことならよく知っている。今回の事件の首謀者」


 ネフリーが頷く。


「今回の剣の首謀者は橘日嗣、実行犯は橘霊歌よ。遊園地で襲撃をかける計画はかなり前から決まっていた。チケットだってあの男が用意したもの。ごめんなさい、わたしは計画の全てを知っていながら止めようとしなかった」

「過去を悔むことはいつでも出来るわ、ネフリー。わたしたちが今やるべきことは、精霊石を取り戻し、セルルを助けること。ごちゃごちゃめんどくさいこと考えるのは後回し!」


 花恋が真っ直ぐな瞳でネフリーへと言った。


 その様子を見ていた、冬霞は少し驚いていた。


「ふふっ、過去を悔むことはいつでも出来る、か。成長したのね、花恋」


 『復讐』という過去に囚われていた以前の花恋であれば絶対に言わなかったであろう言葉。その言葉に花恋の変化が現れていた。


「やめてよ、恥ずかしい。で、結局今大事なのはこれからどうするかって話なのよ。今、セルルは今どこにいるのかしら?」

「精霊石は日嗣か、霊歌が持っているのは間違いないわね。でも居場所がわからない。私が以前、橘日嗣と会ったホテルの一室はすでに空室になっていたわ。この近辺にいるのは間違いないのでしょうけれど……」

「アジトの一つなら知っている。日嗣はともかく、霊歌はそこにいるはず」


 ネフリーの言葉に周りで聞いていた三人が一斉に視線を向けた。


「エデンの第二体育館。あそこに霊歌はいるはず」

「第二体育館!?」


 思わず花恋は聞き返してしまった。なぜならそこは通い慣れた学園の中というだけでなく、以前花恋と時雨が争った場所だったからだ。


 一見すると有り得ないように思えるが、よく考えればつじつまが合う。精霊術を無効化するフィールドを展開することのできる最新設備があるため、時雨や花恋が学園の授業で精霊術を使うときは学園の第二体育館が多いのだ。つまり、


(あの頃から監視されていたってわけね……)


「つじつまは合うわね……」


 花恋と同じことを考えていたのだろう。複雑な表情の冬霞だが、一応は納得したようだった。


「よかった。これであの憎たらしい女をぶっ飛ばせるわね。まったく、こんなめんどくさいこと早く終わらせたいものだわ」


 そう言って花恋は拳を握る。


 そんな様子を見た夏目が、花恋へと詰め寄る。


「ちょっと待って、あなたまさかまた戦うつもりでいるの!?」


 夏目の問いに花恋はしれっとした様子で答えた。「もちろん」と。


「何言ってるのよ! そんなの許せるわけ――」

「――許してよ。……わたしは闘いたいのよ。今まで誰かのために何かをしたことなんてなかった。だから誰かのために何かが出来るのであればそれをしたい。そう思うの」


 ゆっくりと息を吐いて花恋は続ける。


「それに……夏目、すべて終わった時に優しく笑顔で迎えてほしい、そう思う。きっと、時雨やセルルにとってあなたの存在は『帰る場所』なのよ。……たぶん、わたしにとっても、ね」


 冬霞は笑って花恋を見つめる。


 花恋の言う『帰る場所』それは時雨やセルル、秀や涼、などのみんなで過ごす『日常』のことなのだろう。きっと、その象徴が夏目の優しさであり、笑顔なのだろう。自分の娘ながら頼りにされているものだ、と冬霞は感心する。


「……わかった。まだわたしの料理、花恋ちゃんは食べてないもんね。終わったら好きなもの作ってあげるから、何がいいか考えておきなさい!」

「べ、別に……興味ないけど…」


 そう言ってそっぽを向く花恋。


「……まったく、いったい何なのよ、もう。今は料理とかそんなことはどうでもいいのよッ! まぁ、いいわ。じゃあ、適当に準備をしてわたしは行くわ。必ずセルルを連れて帰ってくるから安心して待ってなさい。わたしにかかれば不可能なんて有り得ないわ」


 ニヤッと不敵な笑みを浮かべて病室から出ていく花恋。


 花恋が出ていき、ネフリーも検査のためにこの部屋から出て行った。


 残された二人のうち夏目が初めに口を開いた。


「大丈夫かな……花恋ちゃん」

「たぶん大丈夫なんじゃない?」

「たぶんって……お母さんッ!」

「心配いらないわよ。あの子は強い、とても強いわ。純粋な強さだけでなく、心がね。だから大丈夫。それにすぐに心強い助っ人が行くんじゃないかしら?」

「助っ人?」

「さーてと、いろいろ調べなきゃいけないことがあるわね」


 そう言って冬霞はポケットから小型のノートパソコンを取り出し調べ物を始める。


「あ、夏目。ちょっとネフリーに付き添っておいてもらえないかしら? きっと大丈夫だと思うけど、一応ね。息抜きがてら、って言ったら失礼でしょうけど、あなたの顔色ひどいわよ」


 言われてすぐに部屋の鏡で自分を見てあたふたする夏目。


「だから、行ってらっしゃい」

「うん、わかった。時雨のことお願いね」


 夏目が病室を出て行き、残されたのはベッドに横たわる時雨とその横の椅子に座る冬霞。


「さてと、もういいかしら――」



「――起きているんでしょう、時雨?」



 

     †     †




 花恋は学園の第二体育館にいた。


 そこは以前、時雨やセルルと争った場所で、あり『以前の花恋』が存在した最後の場所そう言ってもいいかもしれない。あれからそれほど時間が経ったわけではない、だが花恋は変わった。


(人ってこんなに簡単に変われるものなのねぇ……)


 花恋は溜め息を吐きつつ、自分自身に感心する。


 人間はきっかけさえあれば、いくらでも変わることが出来る。自分に絶望していた人物が、誰かに愛されただけで一転して希望に満ちあふれた人生を送ったり、殺人犯が小さな子供の一言で聖人のような人物に変わったり、そんな些細な、だが奇跡とも呼べるような変化が花恋に起こったのだ。


「……バカバカしいわね」


 そう呟きながら、自分の頬が緩んでいることに気付く花恋。


 今のこの気持ちがとても大切なものなのだと改めて実感する。初めはうまく認めることが出来なかった。でも一度認めてしまえばあとは簡単だった。


 みんながいるこの場所を守りたい。


 時雨を守りたい。


 答えは簡単で、それだけだった。


 だから花恋は闘う。


 花恋は胸に下げた二つのペンダントを握りしめ、大剣へと変化させる。大剣を強く握り締め、切っ先を視線の先へと向けた。


 視線の先には、赤い影があった。




     †     †




「……なんで気付いたんだ?」

「誰が手術したと思っているの? 当然よ」


 驚いた様子で時雨が目を開けると、冬霞が涼しい顔で答えた。

「で、行くつもりなんでしょう?」


 冬霞がまっすぐな瞳で時雨へと聞く。


「どこにだ?」

「別にいいわよ。とぼけなくても。全部聞いていたんでしょ?」

「……ああ。止めないのか?」


 時雨の言葉に対し、冬霞は左手を口に当てからかうように唸る。そして一通り唸った後、


「医者としては止めるべきだし、止めたいところだけど……。あなたのことだからどうせ止めてもきかないでしょう?」

「……悪いな」

「いいわ、あなたが無茶するの大好きだってことくらい、とうの昔から知っているから」

「別に、大好きってわけじゃ……」


 時雨の焦ったような反論に、冬霞は笑う。


「知っているわよ。あなたは無茶したくてしているんじゃないってことぐらい。冗談よ、冗談」


 冬霞が話していると、時雨がベッドから起き上がる。体にはまだまだ痛みが残っており、その痛みを抑えるための麻酔も抜けきっていないはずだ。満身創痍、この言葉が最もしっくりくる状態だろう。


 時雨がベッドの横に置いてある夏目が用意した服に着替える。さすがに病院服のままでは戦いづらいだろうと思い冬霞が用意したものだ。黒いズボンに、ファーの付いた黒いジャケット。時雨のお気に入りの組み合わせだ。


「さて、それじゃあ行ってくるよ。どうやら、あいつのもとに行くにはもう一手間かかりそうだ」


 呆れたように肩をすくめて呟く時雨。


「一手間ですむかしらね?」

「さぁな、無理なら二手間かけるだけさ」

「そう。まぁ、いいわ。それとこれ、行きながら読みなさい。あまり時間がないだろうと思って、あなたの体内に起きたことすべてを記しておいたわ」


 冬霞が大型電気店のチラシを時雨に手渡す。その裏にはびっしりとボールペンで文字が書かれていた。


「悪いな、冬霞さん。何から何まで頼りっぱなしで」

「いいわよ、別に。子供の面倒を見るのが親の務めよ。そんなことより時雨、あなたはあなたの大切な人のことだけを考えなさい。もし連れて帰ってこなかったら承知しないからね?」


 冬霞は優しく、そして力強い眼差しで時雨を見据える。


 時雨は冬霞の眼差しをしっかりと受け止め、深く頷いた。


「……迎えに行ってくる」


 時雨は小さく息を吐くと病室の扉を開けた。



 自分の大切なものを守るために。



     †     †




「くそッ!」


花恋は必死に霊歌の攻撃を受け流すが、霊歌の両手に握られた拳銃が花恋を徐々に追い詰めて行く。なんとか壁際に追い詰められないようにはしているものの、反撃なしでは限界がある。


「さっきまでの威勢はどうしたんだよ、小娘ぇ! 調子に乗ってんじゃねーよ!!」


 霊歌が口元に笑みを浮かべながら激しい口調を花恋へとぶつける。


 ついに花恋は両手に持つ人工精霊で防ぎきれず、霊歌が放った銃弾が花恋の頬をかすめた。花恋の頬から一筋の真っ赤な雫が落ちる。何とか間合いをとり、口の方に垂れて来たそれをペロリと舐めとる。


 まっすぐに花恋と霊歌の視線がぶつかる。


(わたしはいったい何をやっているんだ……ッ!)


 花恋は霊歌を見据えながら、唇を噛む。ここで負ければ、せっかくここにいたいと思える場所に出会えたというのに、そのすべてを失うのだ。負けられない。


 だが、ネフリーとの戦いを経て花恋は明らかに体力を消耗していた。思うように体が動かない。頭で考えた動きに体がついて来てくれない。


「もう終わりだよ。とっととそれをよこせよ小娘ぇ!」


 霊歌が花恋の手にある人工精霊を見ながら言う。


 花恋にとって人工精霊はかけがえのない存在だ。絶対渡すことなんてできない。ましてや、逆に霊歌には返してもらわなくてはならないものがあるのだ。


「んなことはどーでもいいのよ。セルルはどこッ! 言いなさい!」

「言うと思ってんのか? ばかじゃねぇのぉ? つーかさァ、もう終わりって言ったよなァ!」


 霊歌の雰囲気が言葉と同時に一変する。先ほどとはその身に纏うオーラそのものが違う。まるで背中に刃を突き付けられているかのような鋭いオーラ。その瞬間、花恋は確かに感じた。本能が「マズい」と言っているのを。


 霊歌の手のひらが光ると、次の瞬間霊歌の両手には二丁のマシンガンが握られていた。


 凶悪な銃口が花恋へと向けられる。


 咄嗟に花恋は二つの人工精霊を重ねて前に構え、防御姿勢に入るものの、


「死ねよ、小娘」


 ガガガガガッ! という轟音と共に、霊歌が操るマシンガンからものすごい量の銃弾が発射される。


 思わず顔を伏せる花恋、手の先の人工精霊に意識を集中し何とかはじき返そうとするものの、まるで星の数のように思えるその銃弾たちは花恋が対応できる範疇を凌駕していた。


「くそ……ッ! このままじゃ……」


 花恋の心が折れ掛ける、その時、



「悪いな、花恋。ちょっと寝坊しちまった」



 聞き覚えのある声が響き渡り、花恋の目の前を氷の壁が覆い尽くした。それによって光弾は停止、花恋が顔を上げる。


 するとそこには、見覚えのある黒い影があった。




     †     †




「あれ? 時雨は……? そっか、行ったんだ」

「なんだ、あなた気付いてたの?」


 病室へと戻ってきた夏目に冬霞が聞いた。


「う~ん、気付いてたってわけじゃないけど、ここにいないのならセーちゃんを助けにいったんだろうなぁって、そう思っただけ」


 冬霞が頷くのを見て、夏目はさらに続ける。


「ねぇ、でもお母さんは行かないの? 時雨がここにいないのなら、もうお母さんがここにいる意味はないよね?」

「言ってくれるわねぇ、こんなところにいないでとっとと働けって?」

「別に、そういうわけじゃないけど……」

「ふふっ、わかってるわよ。もちろんわたしがいけば今より簡単にセルルを助けられるかもしれない、でもね、これには時雨の父親が関わっている。父親のことは時雨にとって大きなトラウマなのよ、だから自分で乗り越えなくちゃならない。時雨が自分で見つけた、自分を助けたいと思ってくれる仲間と一緒にね。まぁ、わたしが手を貸すのはあの子たちに泣き付かれた時だけね」


 そう言って、冬霞は小さく笑う。


「仲間って、花恋ちゃんのこと?」


 冬霞は頷き、


「そう、あの娘は変わったわ。いや元に戻ったの方が正しいかな? きっとあの娘は元から優しい娘なのよ。時雨やセルルに影響を受けて昔の自分、自分のいるべき場所を見つけられたのかもしれない」

「そうだね。もう花恋ちゃんはこの街の一部なんだよ。きっと時雨たちもそう思ってるよ」


 夏目はそう言い終えると、何かを思い出したのか「あ、」と、小さな声を上げた。


「そういえば、花恋ちゃんたちが来る前にお母さん何か言おうとしてなかった? セルルの奇跡がどーちゃら……って」

「ああ、あれね。ホントに驚いたわよ。でもこれで時雨が生きていられた理由がわかったわ」

「生きていた理由? それは時雨自身が、空気中のエレメントを霊力のかわりに体内に循環させたからでしょ? あとはわたしの霊力と……」

「その通り、だけどそこなのよ」


 冬霞は言いながらビシッと人出し指を立てる。


「確かにその通りなのよ。もちろんエレメント、夏目の霊力、この二つがなければ時雨は助からなかったでしょう。でもね? 普通に考えて心臓を失った人間が動くことが出来るかしら?」 


 冬霞が言っているのは当たり前のことだ。人間にとって心臓――時雨の場合は精霊石だが――とは車に例えるならエンジンだ。エンジンのない車などただのガラクタ同然。動くはずもない。それは人間でも同様だろう。


 だが、心臓を失った人間が助けを呼ぶメールを打ち、さらには助けが来るまでの間中体内にエレメントを循環させるなどという繊細な作業までやってのけた。それは何故か。エンジンを失った車が動き続けることが出来たのはどうしてか? もしエンジンのない車が動いていれば誰しもこう思うだろう。


 もうひとつエンジンがあるのでは? と。


「でも……時雨は動いてたからあんなことが出来たんだよね?」

「そう。そうなのよ。これは本当に奇跡としか言えないわ。セルルの時雨を思う気持ちが起こした奇跡、そう言っておくのが正しいかしら……きっとこれには誰も気づいていないでしょうね。もちろんあの男も」


 夏目が不思議そうな表情で冬霞を見つめる。


 冬霞は一呼吸おいて、息を整え、そして、



「時雨の胸にはもう一つ精霊石があったわ」



「もうひとつ!? それって……」

「そうよ。時雨は心臓を二つ持っているのと同じなのよ。きっとセルルが咄嗟に作り出したのね」


 夏目は驚いた表情を浮かべながらも、納得しているようで、顎に手を当ててうんうんと唸っている。


「このこと、時雨知ってるの?」

「さっき手紙に全部書いて渡したから、今頃は全部知ってるんじゃない? ま、なにはともあれ、あとは時雨次第かな。愛しのお姫様を連れて帰ってくるのをのんびり待つとしましょうか」

「のんびりって……」

「ここでジタバタしてもどうにもならないわよ。言ったでしょう? わたしが何かするのはあの子たちが泣きついてきたときだけだって」


 冬霞はそう言って窓へと視線を移す。


 ここからでは乱立するデパートや百貨店のビルに遮られて見えないが、その向こう側には花恋と時雨が向かった場所、エデンの第二体育館がある。


(無事に、帰ってきなさいよ)


 冬霞は心の中で呟くと視線を窓からそっと逸らした。




     †     †




「あんたがなんでここにいるのか知らないけど、あんたに花恋って呼ぶのを許可した覚えはないんだけれど?」


 花恋は言いながら目の前に現れた時雨の背中を睨みつける。


「いいだろ? 別に。お前も俺のこと時雨って呼んでいいぞ?」

「馬鹿じゃないの? とりあえず却下……はしないでおいてあげるわ。名前に関してはまたじっくり考えるとして、目の前のおばさんをどうにかしてくれないかしら? 時雨」


 花恋は時雨の背中から視線を移し、こちらを見つめてる、正確には時雨を見つめている霊歌を見ながら言った。


 時雨が花恋への言葉と同時に霊歌に向かって走る。霊歌はじっと時雨を見つめたまま動かない。しかし、時雨が霊歌の間合い飛びこむと、まるで待っていたかのように反応した


「生きてたのかバカ息子、もう一回殺してやるよ!」

「お前のことなんてどうでもいいんだよ! とっととセルルを返しやがれ!」

「だったら、力ずくで吐かせてみろよ!」


 言い終わるや否や、霊歌はその手に握ったマシンガンを時雨へと向ける。


 時雨は、小さく息を吐くとを澄まし、精霊の声を聞く。そして形をイメージする。時雨愛用の精霊術。『氷の剣』。そしてさらに『氷の盾』を作り出す。


 時雨の左手に構えた盾で霊歌の銃弾を受け止める。一撃では終わらない霊歌の銃弾ををすべて受け止め、霊歌の攻撃が途切れた瞬間、一気に間合いを詰め剣を振るった。霊歌の右肩を掠め、霊歌が時雨から大きく距離を取る。


「ちょっとあんた、なんで精霊術使えるのよ!」


 横まで来ていた花恋が声を出した。


「ん~なんかもう一個精霊石が体の中にあったらしい」

「もう一個って……。あんた、デタラメ星人ね」

「うっさいな。デタラメでも死ぬよりはいいさ」


 時雨の言葉に小さく溜め息を吐く花恋。


「いいねぇ、ほんっとにあんたってやつは、最高のモルモットだよ! 全力でお前がほしくなったねぇ!」


 離れた場所に立つ霊歌の影がゆらりと揺れた。霊歌の手から拳銃ははなくなり、霊歌の両手が光りだした。


「なに、あれ?」

「……魔石だな」

「魔石?」

「ああ、魔石の力だ。冬霞さんの手紙に書いてあったよ」


 光が消えると同時その場に現れたのは大型のガトリングガン。まるで魔法でも使ったかのように、その場に大型のガトリングガンが顕現したのだ。


「属性は『銃』か」


 魔石は精霊に対抗するために人間の科学技術を結集させて作り上げた兵器。それは過去に存在した兵器を、魔石という物体に記憶させた存在であり、いうなればパソコンのハードディスクに兵器のデータを保存したのと同様だ。しかし、魔石とハードディスクでは一つだけ違う点がある。それは、実体化させられるかどうか。


 魔石は記憶したデータを術者の精神力、魔力を消費することでいつでも実体として現実に顕現させることが出来る。


 時雨と花恋の目の前には今まさに、魔石の力によってこの世に顕現したガトリングガンが存在していた。そして、多くの魔石は一つの系統の兵器をすべて記憶している。霊歌の魔石は『銃』に関するデータがすべて詰まっているのだろう。冬霞の手紙には、それを『属性』と書いてあった。


「下がってろッ!」


 容赦なくガトリングガンの引き金を引く霊歌、時雨は花恋をその場から離れるように指示し、目の前に氷の壁を出現させる。先程のマシンガンとは比べ物にならないほどの銃弾の雨が時雨へと襲い掛かる。以前であれば――セルルと一緒だったときは間違いなくこの程度の攻撃、簡単に氷の壁であしらうことが出来ただろう。ガトリングガンそのものの攻撃力は花恋の衝撃波の足元にも及ばない。


 しかし、今はそうはいかない。核となっていた精霊石を奪われてしまっているのだ。当然そこに宿っていたセルルはいない。もちろん、もう一つ体に精霊石があるとはいえ、その精霊石の力はセルルが宿っていた精霊石とは比べ物にならないほど弱い。ゆえに精霊術の強度が以前に比べ、格段に落ちてしまっている。


(……くそッ、まさかここまで強度が落ちているとはな)


 時雨が考えるのと同時に先ほど精霊術で作り出した氷の盾は、パキッ、ときれいな音を立てて粉々になってしまった。


 それを見て時雨は確信する。


(やっぱり、精霊術じゃ対抗できないか……)


 以前戦った時でさえ対抗出来なかったのだ。今の状態ではひとたまりもないだろう。


(……使うしかないか)


 時雨は決意を固め、自らの体に埋め込まれた物体『魔石』の力を意識する。


 精神を左胸に集中。体内に流れる魔力を感じる。以前は霊力が流れていた血管には今ではそのほとんどが魔力と化している。ゆえに、大きな違和感があり、その違和感のお陰で魔力の流れを把握するのは簡単だった。怪我の功名と言うやつだ。


(来い、来いッ!)


 目の前に作り出した氷の壁は霊歌のマシンガンによって削られ、長くは持たないだろう。時雨はイメージする。自分が知りうる兵器のなかで最も扱いやすく、そして強力なものを。  


 魔石の属性は解っている。イメージも出来た。


 後は顕現させるだけ。


 時雨が自分の左胸の前、何もない空間を掴む。確かにそこには何もない。しかし時雨は確かに何かを掴んでいた。そうそれはまるで、『剣』の柄を掴んでいるかのような動作。


 そして時雨は一気にそれを引き抜いた。


 その刹那、霊歌のガトリングガンが氷の壁を打ち破り、凶弾が容赦なく時雨へとおそいかかる。


 しかし、時雨が手に構えた『何か』を振り下ろすと同時に、そのすべてが空中で停止し地面へと落下した。辺りには白い色をしたひんやりとした空気が充満している。


 白い空気が開け、時雨がその姿を現す。


 一太刀の青い刀身を持つ剣を携えて。


 魔石の属性は『剣』


 魔剣アイスコフィン。


 精霊との戦争の間に生み出された氷の剣。時雨が精霊術で生み出す氷の剣のモチーフになったものだ。


「なんとかうまくいった……か?」


 辺りに充満する白い空気、それは『冷気』。時雨の一振りでここ第二体育館が冷気で覆われてしまったのだ。


 時雨は弾丸が飛んでくると同時に魔剣を大きく振り下ろした。そして一気に自分の中にある魔力を、媒介となる魔剣を通じて放出した。それによりすべての弾丸、ガトリングガンそのものも凍ったのだった。どんな凶悪な兵器であっても動作しなければ何も怖くはない。


「悪いな、お姫様が待っているんだ。長々と遊んでいる時間はない」


 時雨は剣を構え、霊歌へと一直線に走る。


「調子に乗るんじゃないよ! モルモットがァ!」


 霊歌もそれに応戦すべく、新たな武器を生成する。


 ガンブレード。本来剣の柄である部分が銃の引き金になっており、弾薬を込め、引き金を引くことで弾薬がガンブレード自身の中で爆発、刃を振動させて致命傷を与える最新型の兵器。


 ガキンッ! という刃同士がぶつかる音が響き、時雨の魔剣が氷の破片をまき散らす。


 霊歌が一歩後ろへと下がり、ガンブレードを勢いよく時雨へと切り上げた。時雨がそれに反応し、魔剣で応戦、だが時雨はすぐにその判断が間違いだったことを思い知らされた。


 刃がぶつかる瞬間、霊歌がガンブレードのトリガーを引いたのだ。それにより、刀身に振動が伝わり、威力が爆発的に向上する。


 ドガンッ! という爆発音とともに、時雨の体が宙を舞う。


「くそッ!」


 なんとか咄嗟に体制を立て直そうとするものの、いかんせん足が地面についていない状態ではどうすることもできない。


 霊歌がそのスキを逃さずに追撃する。


 宙を舞う時雨が着地する直前のところで、再び霊歌がガンブレードの引き金を引き、横薙ぎを放つ。


 時雨はそれを避けることはできず、魔剣で受け止めるのが精いっぱいだった。当然、先ほどと同様にガンブレードの威力によって吹き飛ばされる。


 幸いだったのは、吹き飛ばされたのが空中ではなく、真横だったことだろう。時雨は魔剣を地面へと突き刺し、吹き飛ばされる距離を軽減。体制を立て直す。


 ふと、時雨が足元を見ると、そこには先ほど霊歌が放ったマシンガンの弾が落ちていた。それは氷に覆われており、時雨がやってのけたことだ。あのときは魔剣を振るだけでマシンガンの弾、すべてを凍らせることが出来た。しかし、ガンブレードは一切凍っていない。


 時雨は魔剣の刀身を見ながら考えるが、悠長に考えている場合ではない。すぐそばに霊歌が迫っている。


 霊歌が振り下ろしたガンブレードを横に飛んでギリギリで避ける時雨。避けたその場所が大きく爆ぜ、時雨はぞっとする。


(くそ、なんて威力だ!)


 さらなる追撃に対し、地面を転がり避ける。霊歌の攻撃は激しさを増し、反撃を許さない。


 懸命に攻撃を避けつつ、反撃のスキを探る。そして再び霊歌が大きく剣を振り下ろした。先ほど同様に、地面が大きく爆ぜ、ガンブレードが一瞬地面に埋まる。


(今だッ!)


 時雨は、地面に埋まったガンブレードの上に思い切り魔剣を叩きつけた。


 それはまるでとんかちで釘を打ち付けるかのような動作。少しだけ地面に食い込んだガンブレード、その上から魔剣を叩きつけることで、地面に深く食い込ませ動きを封じたのだ。


「いいかげんにしろよッ!」


 時雨は言いながら、霊歌を思い切り蹴り飛ばした。霊歌が吹き飛び、地面を転がる。


「あんたに構っている暇はないって言ってんだろ! さっさと倒れろよ!」

「モルモットがモルモットを助けたいんですものねぇ、面白いわァ……。あんたに私達を倒せるかしら? あんたの脳裏には焼き付いているはずよ、私達の恐怖が」


 霊歌の言うとおりだった。確かに時雨の脳裏には日嗣と霊歌への恐怖心が根付いている。いまだに子供の頃の夢を見てしまうほどに。普段は気にしているつもりなんてない。だが、ふとしたきっかけ幼少期の恐怖が顔をだす。


「怖いわよねえぇ! 怖いわよねえぇ? 諦めちゃえば全部楽になるわよお?」


 まるで子供が大好きなおもちゃで遊んでいるかのような笑顔で霊歌が言う。時雨を追い詰めているこの状況がこの上なく楽しいのだろう。


 以前、遊園地で霊歌と対峙した時は傍にセルルがいてくれた。セルルのおかげで恐怖心をぬぐうことが出来た。だが今ここにセルルはいない。セルルを取り戻すために戦っているのだから。


 確かに恐怖心はある。


 だがその恐怖心に屈して手に入れられるものはあるか?


 だがその恐怖心に屈して失うものはなんだ?


 時雨は強く拳を握る。そして小さく息を吐いた。


 そして、覚悟を決める。



 セルルを失うくらいなら、どんな恐怖であっても振り払ってやる。



「確かにあんたたちのことは怖いさ。でもな、今はそんなことどーでもいいんだよ。俺を揺さぶろうったってそうはいかないぞ。今の俺にあんたたちの言葉は届かない。俺は覚悟を決めてるんだよ。絶対にセルルを取り戻すって覚悟をな!」

「つまんねぇなァ……。もっと絶望した表情を見せてくれよ……。もうういいわ、結局モルモットはモルモットなのねぇ……。そろそろおしまいにしましょうか」


 霊歌が時雨へと走り、思い切りガンブレードを振り下ろすと同時、その引き金を引いた。


 ドゴォン! という爆音とともに、時雨が吹き飛ぶ……はずだった。

だが、時雨は吹き飛ばない。時雨は霊歌のガンブレードを手に持つ魔剣、アイスコフィンでしっかりと受け止めていた。


「言ったろ? 覚悟を決めたって」


 魔剣は一振りでガトリングガンの弾を凍らせた。それは直接触れもせず、ただ思い切り魔剣を振っただけで起きた現象だ。それほどまでの力を持つ魔剣、にもかかわらず何故ガンブレードは凍らないのか。


 答えは簡単、『熱』。


 ガンブレード自体が持つ熱。これによって時雨の魔剣はその力を存分に発揮することができなかったのだ。ガンブレードは構造上、その刀身の内部に多大な熱を有している。いくら氷の魔剣とはいえ、氷である以上、熱は大敵だ。


 氷は熱で溶ける。だがもしその熱を上回るほどの冷気があればどうなるか、考えるまでもない。熱は冷気によって冷やされ、消滅する。


 ピキッ、ピキピキッ! 霊歌のガンブレードに亀裂が走る。刀身に有していた熱が急激に冷やされ、温度の変化に耐えきれなくなったのだ。


 バリンッ! という音とともにガンブレードの刀身が崩れ地面へと落下する。

時雨は魔剣の切っ先を霊歌へと向ける。


「チェックメイトだ」

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