第3話 過去

「う~ん、今日の晩御飯は何にしようかしら? 時雨とセーちゃんの食べたい物にしよっかなぁ……。お姉ちゃん特製のオムライスなんて二人とも喜んでくれるかなぁ……」


 太陽が完全に沈んだ時間帯、当番で学園の戸締りを任された美人教師結衣原夏目が夕食のメニューに悩みながら校内を歩いていた。一通り見回りを終え、戸締りもした。あと残すは学園の一番端にある第二体育館だけだ。


「冷蔵庫になにか材料あったかなぁ? う~ん、どうだっっけ……。一応買い物して帰ろうかな、何もなかったら困るし。セーちゃんなんて飢えて死んじゃうかもしれないもんね」


夏目は、食いしん坊の大精霊が、駄々をこねる姿を想像しながら第二体育館に到着、扉を開ける。


 そして、言葉を失った。


「………なんで?」


 夏目が扉を開けるとそこには、ついさっきまで自分の想像の中で駄々をこねていたセルルとその宿主である時雨、そして今朝自分のクラスに転入した花恋の三人が倒れていた。三人とも気を失っており、安らかな寝息を立てている。


 夏目はまず、一番近くにいた時雨に声をかける。


「ちょと、時雨ッ! どうしたのその顔! 起きて、ねぇ時雨ってば!」


 時雨は見るからにボロボロだった。いたるところに青アザがあり、腫れ上がっている。


 夏目が肩を揺さぶると、眉間にしわを寄せながら時雨が目を覚ました。


「ん? ああ、おはよう夏目……痛たた」


 時雨が夏目の方を見ながら、体を起こそうとして唸った。身体が痛いのだろう。


「おはようじゃないよッ! 何があったの?」

「………」


 時雨は答えない。


「むぅ、お姉ちゃんにも言えないことなの……?」


 夏目が頬を膨らませながら、言い訳に困っている夏目を睨む。すると、時雨の隣で寝ていたセルルが目を覚ました。


「あれれ? 夏目がいる。おはよう夏目」

「だからおはようじゃないッ! 何があったの?」

「………」

「むむぅ、セーちゃんまでだんまりッ!」


 時雨とセルルは黙り、顔を見合せたまま動かない。


「……もういい。いいから立って! 帰るよ。三咲さんも起こしてッ!」

「……悪い。体中痛くて動けない。ついでに言うと、右手が折れてるっぽいから、病院いきたいかも………なんて」

「わたしは平気だけど、三咲って子もまずいんじゃない? 骨の一本や二本ぐらい折れてるかもよ?」

「????」


 夏目は訳がわからない。


(なぜこんなことになっているの? わたしはただ見周りに来ただけなのに……) 


 とりあえず、夏目は携帯電話を取り出して、ダイヤルを回す。


 119。


「救急車を二台お願いします」


 こうして時雨と花恋は入院することにあいなった




     †     †




 時雨は気付くと病院のベッドの上にいた。目を開けると、カーテンの隙間から暮れかかった太陽の光が差し込んできた。光の差し込み具合から考えると、時刻は夕方くらいだろうか。


 横に顔を向けると、セルルが心配そうに手を握りながら居眠りをしていた。


(この寝顔が見れるってことは、天国じゃないな)


 病室から見える景色を一通り眺め、あのくらいのことで死ぬわけもないか、と思い直してセルルの頭を軽く叩く。


 コツン、と。


 するとセルルは目を覚まし、


「ん~、おはよう。朝ごはんまだ?」


 寝ぼけていた。


 時雨はもう一度、今度は少し強めに頭を叩いた。


 今度は、ゴンッ、と。


 セルルは、「痛っ」と反射的に声をあげて目を覚ます。そしてそれと同時に両頬を膨らませている。どうやら頭を叩かれたことで怒ったようだ。


「ねぇ、ひどいよ! あれからずっと眠りっぱなしだったんだよ! ずっ

と看病してあげてたわたしに対してその態度はないんじゃないかな? ばーかばーか」


 時雨は、「悪い、悪い」と適当にセルルをなだめる。


「どれくらい寝てた?」

「ん~どうだろ。確か病院に運ばれたのが昨日の夕方くらいだったから……丸一日ってところかな」


 丸一日も眠っていたことに時雨が自分で感心していると、セルルが再び頬を膨らませて睨んでいることに気付いた。


 時雨はおそるおそるセルルにその顔の理由を問う。


「……どうかしたか?」

「……どうかしたか? じゃないよ! 何あの最後のは。なんであんな無理したのッ!」


 時雨は何も言えない。セルルの言うことは最もだった。時雨たちが体育館で倒れる前に、時雨と花恋はお互いかなり無茶をした。


 花恋は、自分の霊力を使い果たして、体力も限界なのに決して軽くはないであろう剣を振り回した。対する時雨は自分の霊力には余裕があるにもかかわらず、花恋に合わせて精霊術を一切使わずに剣を持っている花恋と争ったのだ。丸腰で。


 そのせいでお互い、体中アザだらけ。時雨は右腕を骨折、左足の骨にヒビを。花恋は時雨の武器が素手だったせいか、骨折はないものの、霊力を限界まで使ったせいで衰弱しており、医学的に言えば時雨よりも重症だった。


 セルルの目を見た時雨は本気でセルルが怒っているのだと理解する。


「……悪かった。でも俺は後悔してないぞ」

「……ばーか」


 セルルは、どうにも納得できないようで怪訝な表情をしているが、時雨は見て見ぬふりでやり過ごす。


 時雨がどうやってセルルのご機嫌を取ろうか考えていると、病室の扉が開き、一人の少女が入って来た。


 三咲花恋。


 花恋は病室に入ってくるなり、何も言わずに時雨とセルルのそばへ。


 そして、


「わたしは精霊が嫌い」


 高らかに宣言した。


 それを聞いていた時雨とセルルは、特にどうと言うこともなく、自分たちの前に立つ花恋を見ている。花恋が精霊に両親を殺されたことで精霊を憎んでいることはすでに知っている。それは簡単に変えられるものでもないと納得していたので、今更それを言われたところで、どうしようもない。時雨はもちろんのこと、精霊であるセルルも同様だった。


 少しの間流れた沈黙のあと、花恋が少しだけ俯いて言葉を続けた。


「でも……」


 顔を伏せていたので、時雨とセルルからは見えなかったが、三咲の顔は真っ赤だった。


「……あんたたちは悪くない、かも………。それから……ごめん」


 花恋はそれだけ言うと、走って病室から出て行った。


 おそらくは体がまだ本調子ではないのだろう。病室の扉を開けたところで盛大に転んで、看護師さんに心配されていた。


 そんな花恋の様子を見て時雨とセルルは笑いながら、


「きっと、わたしたちのこと認めてくれたんだよね?」

「……だといいけどな」


 時雨は肩をすくめながら、大して興味のない様子で言った。


 それからしばらくして、病室のドアがノックされた。セルルが「どうぞ」と時雨の代わりに返事をすると、ドアが開いた。


「おやおやぁ~、今度は病室でマニアックプレイってやつですかぁ~?」

「わたしの時雨は無事?」


 ドアの外にはうるさい双子が立っていた。


 秀は、「大丈夫かよ」と言いながら心配する様子はなく、傷を見せろとかくだらないことを言っている。涼は涼で、時雨の手に頬ずりしている。


(………ウザい)


 だが変に気を使われるのも嫌なので、ウザいくらいが丁度いいのかもしれないと思ったりもした。そんなこんなで、一通り騒ぎ終わったところで、秀が口を開いた。


「つか、なっちゃん今日は来れないってよ」

(ん? 今日?)


 入院してから今日が一日目だ。今日も何もないのではないか? 時雨がそう思ってセルルにそのことを尋ねると、


「あ~時雨は知らないんだね? 昨日入院することになってから、朝のギリギリの時間まで時雨に付き添ってくれてたんだよ?」


 時雨が寝ていたとはいえ、夏目に悪いことをしたな、と思っていると、横から双子の兄が言った。


「恩知らずめ」


 時雨は秀の方を一瞬睨んだが、確かにその通りだし、何より反論するのが面倒なのでやめた。


 すると、涼が腕を振り上げ、ゴンッ! と涼が秀の頭をグーで殴った。


「あんた、バッカじゃないの? 入院して時雨は寝てたんだよ? それで気付けるはずないでしょ? いっぺん死んで人生やりなおせよ、マジで」

「お前はいつも言ってるけどなぁ………俺を何だと思ってるんだッ!」

「え? ゴミじゃないの?」


 双子がいつも通りの言い争いを始める。


 病室に来てもまったく普段と変わらない二人の様子に時雨とセルルは苦笑した。


 いつものことなので双子のケンカを仲裁するでもなく眺めていると、


「あ、そうだ。病院のことは気にしなくていいって。ここの病院、学園長の経営してる病院なんだって」


 涼が言った。


 学園長、結衣原冬霞。時雨たちの通う学園の学園長にして、町で一番大きな病院の院長。


(冬霞さんのことだから、もっと他にいろんなことしてそうだよな……)


 時雨は結衣原冬霞の底知れなさに感嘆した。


(そういえば、冬霞さん今どこにいるんだ? この病院にいるんだろうか……?)


 双子のケンカも収まり、四人でのんびりと過ごしていると、面会時間の終了を告げるアナウンスが病室に流れた。二人が来てからあまり時間がたっていないようにも思えたが、時雨が目を覚ました時間がそもそも夕方だったのだから、もういい時間なのだろう。


 アナウンスを聞いても二人は全く帰る様子を見せなかったが、しばらくして見回りにきた看護師さんに見つかり、アナウンスのちょうど一時間後くらいに帰って行った。


 その後、時雨はすぐに眠った。


 また体調が万全ではなかったのか、次の日の昼まで時雨は起きなかった。




     †     †




 次の日、時雨が起きて少し経つと花恋が時雨の病室にやって来た。


 時雨も、花恋には聞きたいことがあったので、自分から出向く手間が省けてちょうど良かった。


「あんた、そんな重症じゃないんでしょ?」


 シャリシャリと音を立て、花恋がリンゴの皮を剥きながら言った。


「ん? まぁ、お前よりは」

「じゃあいつ頃退院なわけ?」

「さぁな、結構すぐじゃないか? 今だって松葉杖があれば問題なく生活できるからな」

「そう」


 時雨と花恋は、普通に会話を交わしていた。少なくとも、花恋に敵意はなく、昨日言っていた言葉は嘘ではないようだった。時雨にしてみれば、厄介事が一つ片付いたので、なによりと言ったところだ。


「つか、俺はお前に聞きたいことが結構あるんだけどな」

「でしょうね」

「聞いていいか?」

「いいわよ」


 花恋はあっさりと許可を出した。


 時雨は、多少渋られると思っていたので逆に拍子ぬけしてしまう。そんな時雨の隣では、セルルがリンゴをモシャモシャと食べている。


「何で――」


 時雨が花恋に声をかけようとした瞬間、病室の扉が開いた。


「時雨、セーちゃん、おねぇちゃんだよ? いい子にしてた~?」


 病室に、少し間の抜けたような、癒されるような優しい声が響く。夏目だ。


「夏目? なんで?」

「夏目? どーして?」


 時雨とセルルは驚いた様子で聞いた。時刻は昼前だ。普段なら間違いなく夏目は学校にいる時間だし、いなくてはいけない時間だ。


 すると夏目は、二人に見つめられて少し後ずさり、照れた様子で言った。


「……えへへ、休んじゃった」

(……おいおい)


 時雨は心の中で呆れた。


 時雨とセルル、それに花恋まで加わり、六つの目玉から打ち出される怪訝な眼差しに夏目はさらに一歩後ずさり、言った。


「心配だったんだからしょうがないじゃないッ! 心配させる二人が悪いんだからねッ! わたしが休まなきゃいけなくなったのは二人のせいなの! いい?」


 真剣な表情でそう言われては、時雨とセルルは何も言うことができない。こんなにも自分たちを心配してくれた人に対して文句など言えるはずもない。


「ありがとう。夏目」


 時雨は真面目な表情で夏目に言った。


 セルルは、何を言う訳でもなく、夏目に抱きついた。


「どういたしまして」


 夏目は優しい笑顔を浮かべながら、セルルを抱きしめる。


「で、この前はなんであんなことになってたの?」


 夏目は顔に浮かべた笑みはそのままに三人に言った。昨日、秀と涼の二人が全く聞いてこなかったのもあって忘れていたが、何故こんなことになったのか話さない訳にはいかないだろう。


 時雨とセルルにしてみれば、いくら売られた側だとしても転校生相手にケンカをしたということは夏目にあまり知られたくなかった。いつもいろんな人間にケンカを売られるたびに心配をかけているのだ。これ以上心配はかけたくなかった。


「……はぁ」


 時雨は大きな溜息をついて話し始めた。花恋の方を見ると、無言で頷いた。花恋も話すことに同意してくれたようだ。セルルは時雨が話すと言うなら、何も反対はしないだろう。


 ………。


 ………。


 ………。


「大変だったんじゃないッ! もうッ! 普段から危ないことはしちゃダメって言っているのに……何回言ったらわかるのかなぁ、おねえちゃんの言うこと聞けない悪い子にはたっぷりお説教が必要かな?」


 時雨とセルルは顔をしかめ、長いお説教が始まることを覚悟した。しかしそんな覚悟とは裏腹に夏目は時雨とセルルから視線を外す。


「とりあえず、今はそれよりも……」


 そう言って花恋の前に立ち視線を向けた。


 花恋が、その視線に身構える。


 しかし、次の瞬間、花恋の顔が驚きに溢れた。


 夏目が花恋のことを抱きしめたのだ。


「いろいろ聞きたいこととかあるけど……」


 夏目はそう言って、腕に力を込め、一層強く花恋を抱きしめた。


「辛かったね。よく頑張ったね」


 夏目の言葉に、花恋は何かに射ぬかれたかのように、表情を燻らせた。


「そんな、ことッ……な、い」


 花恋はそれでも強がりを言う。しかしその言葉には、強がりであることがはっきりと表れている世界中の誰がみても強がりだとわかったかもしれない。


「じゃあなんで泣いてんだよ?」

「そうだよ、泣きたいなら泣いちゃいなよ。今日だけ夏目の胸を貸してあげる」


 花恋は、驚いたように自分の目に手を当てた。


「う、そ………そんなわけ………」


 自分でも何故涙が流れているのかわからない。そんな表情で、自分の手についた雫を見つめる花恋。その間も溢れる涙は止まらない。


「う、うぅ………」


 花恋は、泣いていた。


 その様子が、時雨の目には、今まで溜め込んだ感情を吐き出すかのように見えた。




          †          † 




「むぅ~………」


 花恋は思いっきり顔をしかめている。


 時雨が、花恋の方を笑いながら見ると、


「こっち見んなッ! ……くそッ、一生の不覚」


 どうやら、時雨たちに泣き顔を見せてしまったことが何よりも悔しいらしい。


 花恋はあれから夏目の腕に抱かれて、しばらくの間泣き続けた。泣き止んだ頃にはすでにお昼を過ぎており、夏目が来たのが昼前だったことを考えれば、がどれだけ長い間泣いていたのかわかる。


(こいつにも、可愛いところはあるんだな)


 時雨がそんなことを考えながら花恋を見ていると、


 ギュッ!


「痛ぇな、なにするんだよ」


 セルルに耳を抓られた。


「ふんだッ」


 セルルは、何も言わずにそっぽを向いた。


(何なんだよ……)


 夏目がそんなセルルの様子を見て笑い、話を進める。


 時雨、セルル、夏目の三人は、花恋にどうしても聞いておかなくてはならないことがあるのだ。なんだかんだで、聞くのが遅くなったが、今ならタイミング的にもちょうどいいはずだ。


「ねぇ、そろそろ質問に答えてほしいんだけど、いいかな?」


 夏目の問いに花恋は真剣な表情で頷いた。


「じゃあ――」

「――なんで俺たちのことを知っている?」


 夏目が質問を口にしようとした瞬間、間髪入れずに時雨が聞いた。時雨の表情は、先ほどのような笑みはなく、誰もがこの表情を見れば圧倒されてしまいそうな、そんな表情だった。事実、視線を向けられている花恋は圧倒されていた。


「あ、あぁ。そのことね? 別にたいした秘密はないわよ? ある人に聞いたの」


 花恋の言葉を受けて、時雨は顔をしかめる。


「前置きはいい。誰に聞いた?」


 時雨にとって、セルルとのことは何よりも大切なのだ。

 

 だからこれだけは絶対に答えてもらわなくてはいけなかった。そして時雨は、この問いにだけ答えてもらえれば、それ以外は答えてもらわなくても構わない。そう思ってすらいた。


「学園長よ」

「ああ、学園長か……」


 ………。


 ………。


 ………。


 病室に少しの間沈黙が訪れる。


「今なんて?」

「冬霞ぁ?」

「お母さん?」


 沈黙を破ったのは三人同時だった。


 三人の声があまりにも大きかったせいで、偶然病室のそばを通りかかった看護師さんに注意されたが、三人は一切反応しなかった。


 そのせいで、仕方なく花恋が怪訝な表情をしている看護師さんに謝った。


「なんでわたしが……」


 花恋が悪態をついたが、時雨を含む三人にとって冬霞が大切な人物であることは言うまでもない。


(何で冬霞さんが? 誰よりも俺たちのことを心配してくれていたはずなのに……いったい何で……?)


 時雨とセルルの頭に、嫌な言葉がよぎる。


(裏切られた……? まさか……)


 時雨の眉間にしわが寄る。


 セルルはそんな時雨を心配そうに見つめる。


 夏目は一人冷静に、花恋に問いかける。


「どういうこと?」

「別にどうってこともない。あんた変なこと考えてそうだけど、あんたが考えてるようなことは一切ないから心配すんな」


 花恋は時雨の方を向きながら淡々と言った。


 時雨が花恋の方を見ると、花恋は続ける。


「わたしの義理の両親が学園長と知り合いで、ここを紹介してもらったの。それで今までのわたしのことを話したら、あんたらのことを話してきたの」


 花恋は大きな息を吐いて続ける。


「あの人は言っていたわ。自分は、時雨たちに優しくしてあげることはできても、本当の意味で理解してあげることはできないって。自分や夏目じゃ、二人の気持ちを想像することしかできない、想像だけじゃ理解できないことが世の中にはあるって。だからあんたたちと似た境遇のわたしならあんたたちを理解できるからって。あんたたちなら私のことを理解できるはずだからって」

「………」


 時雨は何も言うことが出来なかった。


 冬霞は、時雨やセルルのことを心配してくれていた。とても大切に思っていてくれていた。しかし、時雨はそんな冬霞を信じきることが出来なかった。


 今までだってそうだった。普段は信頼しているつもりなのに、ほんの些細なことでぶれてしまう。誰に対してもそうだ。本当に大切なことはセルルにしか話さない。他の誰かに話せば、自分が自分でなくなってしまうような感覚。誰かを信頼することへの恐怖。信頼しているはずの人間を疑ってしまうことへの恐怖。その二つの恐怖が時雨の根本に根付いている。


(冬霞……)


 セルルも時雨と同様で、時雨以外の人物を信頼することには抵抗があった。ましてセルルは人間ではない、精霊なのだ。精霊が多くの人間に混ざって暮らしているのだから、その気持ちは当然なのかもしれない。


 二人が考え込んでいると、雰囲気を察したのか花恋が悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。


「ま、その話を聞いた時、真っ先にケンカを売ってやるって思った訳だけれど」

「こらッ、もうそんなことしちゃダメよ? 次やったら許さないからね」


 夏目が花恋を見る視線には力がこもっていた。花恋が無言で二、三回頷き了承する。いくら花恋と言えども、夏目の持つ雰囲気には勝てないようだ。


 すると、セルルが話を戻すようにつぶやいた。


「ねぇ夏目。今冬霞はどこにいるの? 出張だっけ?」

「うん。一か月くらい前にちょっと出かけてくるって出て行ったきり連絡がつかないのよ。お母さんのことだから、心配はいらないと思うけど………」


 夏目が言い終えると、その場に沈黙が訪れた。


 時雨は、冬霞が突然いなくなるのはよくあることなので心配はしていなかったのだが、なんとなく違和感を感じていた。


「ま、ここで話してても始まらないだろう。他にもいろいろ聞きたいことはあるんだ。夏目、冬霞さんから連絡があったら教えてくれ」


 夏目が頷き、話題は次に移る。


「次は、お前のペンダントのことだ。人工精霊ってホントか?」


 時雨の表情に、「疑っています」という言葉を貼り付けて聞いた。


 そんな時雨の表情に一切気を取られずに、さも当然であるかのように花恋が言う。


「本物よ」

「じゃあ、お前の持っているのが世界中で血眼になって研究しているってやつか?」

「そうなるんじゃないかしら?」

「………」


 花恋を除く三人が顔を見合わせる。


 世界中で研究が続けられながらもなかなか完全な形にはならず、非常に強い力を持つそれは国家間の取引にも大きな影響を与えているのだ。それが今いきなり目の前にあると言われ、信じろと言われても難しい。


「ま、信じろってのが無理かもね? なにしろ国家単位で欲しがっているものをこんな小娘が持っているんだから。ま、これにはいろいろと事情があってね………。ま、わたしだけがあなたたちのことを知ってるのはフェアじゃないものね。いいわ、話してあげる」


 花恋は少し自傷気味に呟いたあと、七年前の出来事を語り出した。




          †          †




「わたしの両親はね、人工精霊の研究者だったのよ」


 花恋の父親。三咲真一郎。彼は無名の精霊学研究者だった。何度も何度も挫折を繰り返しながらも花恋の母親、真里亜と共に研究を続けた。


「あの頃は幸せだったな。お母さんとお父さんがいてわたしがいて……たぶんあの頃がわたしの人生で一番輝いていたかもしれないな……」


 花恋の視線はどこを見るわけでもない。その視線は、過ぎ去った自分の過去に向けられていた。


「研究のせいであまり会えなかったけど、研究所にはものすごく仲良しのネフリーって言う精霊がいてね、両親が構ってくれないときでもあまり寂しさは感じなかったわ。でもね、ある時から両親に全く会えなくなったの」


 話を聞いていた三人の顔が険しくなる。


 花恋は初め、いつもよりも会えない時間が少し長いだけ、そう思っていた。しかし、どんなに待っても両親には会えず、研究所の人間も研究室に籠っていることしか知らないらしく詳細を知ることは出来なかった。


「それからもしばらく両親に会えない日々が続いて……それでもいつもネフリーが一緒にいてくれた。だから、寂しかったけど、それでも大丈夫だったの」


 そして花恋の運命を狂わせる日がやってきた。


「突然、メールが来たの、父さんから。『ついに研究が成功した』って。わたしは喜んだわ。父さんの研究が成功したのも嬉しかったけど、これでまた両親に会える。また一緒に遊べるってね………でも……」


 幼い花恋は喜んで父親の研究室に向かった。久しぶりに両親に会える、それが何よりも嬉しかった。あったらまずお母さんに抱きつこう、ちょっとお父さんが悔しがるかもしれない。花恋がそんなことを考えながら研究室の扉を開け、目を疑った。



「………殺されてたわ、父さんと母さんが……ネフリーに」



 大好きな両親が血だらけになり、床に倒れたまま動かない。そして研究室の真ん中には身体中に返り血を浴びたネフリーが立っていた。


 ネフリーはその後、「ごめん」と一言謝り、花恋を抱き上げ研究所の外に出ると、研究所に火を点けた。それは花恋にとって両親との思い出の場所がなくなった瞬間であり、最後に感じたネフリーの温もりだった。




          †          †




「信じたくなかったけどね………それでも信じるしかなかったのよ。両親はいなくなって、ネフリーもいない。一人になると今でも実感するわ、あぁ、あれは現実なんだってね。そのあと今の義理の両親に引き取られて今まで育ったってわけ。まぁ……こんな感じ、わたしが話せるのは」


 花恋の言葉に他の三人は何も言うことが出来なかった。


 花恋の過去は、他人がやすやすと踏み言っていいものではなかった。大好きな両親を失い、挙句、信頼していた精霊に裏切られた。これらの出来事が幼い花恋にとってつらくないはずがない。


 そんな雰囲気を察したのか、花恋は声を上げた。


「しんみりするのはやめてよ。別に悲しんで欲しくて話した訳じゃない。それに、あんたたちの過去も全部学園長から聞いているからこれでおあいこね?」


 花恋は、学園長から時雨たちの過去を聞いていたようだ。これでお互い一番他人に知られたくないことを知っている。だから、互いに変な遠慮をする必要なんてない、花恋はそう言っているのだ。


 時雨は頷いた。


「これで、お前が俺たちにケンカを売った理由が改めて理解できた。精霊には負けられないか……大した覚悟だよ」


 そして時雨は、少し笑いながら、


「でも、だからって闇打ちはやりすぎじゃないか?」

「……はぁ? 闇打ち? あんた何言ってんの?」


 時雨の顔が険しくなる。


「は? それはこっちのセリフだろ。だってお前が転校してくる前の日……」

「そう言えば、前にも言っていたわね、そんなこと。転校前日はこの街にいなかったけど? そもそも日本にいないわ」

「うん。花恋ちゃんはこっちに来るのギリギリだったんだよね。確かこっちに来たのは転校の日の朝だよね」

「……?」


 時雨とセルルは顔を見合せて考える。花恋が転校してくる前日、時雨たちは黒いマントを着た人物に襲われている。しかもその人物は花恋が持っているペンダント――人工精霊――とまったく同じものを持っていた。使っていた術までも一緒だった。


「なぁ、人工精霊ってそんなにやすやすと手に入るものじゃないよな?」


 時雨は花恋ではなく、夏目に向けて言った。人工精霊そのものの知識は花恋の方が詳しいだろうが、世間一般の情報量では花恋よりも夏目の方が詳しいと思ったからだ。


「うん。それをめぐって国同士があれこれ言い合ってるくらいだからね。そもそも、現代の科学力じゃそんなに何本も作れないと思うよ」

「そうか………」


 時雨は、顎に手を当てて、考える。


(一体どういうことだ? 黒いマントの奴はこいつじゃなかったのか? でもあのペンダントは………俺の見間違いか?)

「どうかした?」


 真剣な表情で考え込む時雨に夏目が言った。その隣では、怪しげな表情で花恋が時雨を見ている。


 時雨は、少し間を置いたあと、


「いや、なんでもない」


 時雨は、言った瞬間に横からセルルの視線を感じたが無視した。

セルルは少しの間、時雨の方を見ていたが、時雨の意図をくみ取ったのか自分から黒いマントの人物について夏目たちに話すことはなかった。


 それからしばらく人工精霊のことや、冬霞の行方ついて話し合ったものの結局何も核心には至らず、日が暮れてきた頃にその日はお開きとなった。




          †          †




病室に二人だけになって、セルルが口を開いた。


「ねぇ、なんで黙ってたの?」


 セルルが言っているのは黒いマントの人物のことだ。花恋と同じペンダントを持ち、剣に変化するという点までそっくりだった。


「………」


 時雨は何も答えずに、扉の方を確認する。


 すると、セルルが時雨に一言、誰もいないよ、と。


 精霊の感覚は人間の三倍だ。生き物の気配などを察知することにも長けている。時雨はセルルの言葉で納得し、視線をセルルに向ける。


「あの黒いマントの奴が持ってたペンダントって――」

「「――人工精霊」」


 時雨とセルルの声が重なる。やはり二人が考えていたことは同じだったようだ。


「……やっぱりお前もそう思っていたか……。見間違いじゃないよな?」

「見間違いの可能性は……ない、とは言えないけど……特徴は完全に一緒だったと思う」


 人工精霊は世界的に見ても貴重な代物。特徴は完全に一致。


「同じ人工精霊が二つ……?」


 時雨が言うと、セルルも真剣な表情で視線を受け止める。セルルも当然その可能性は考慮していただろう。花恋が嘘を吐いている可能性も零ではないが、その可能性はほぼ零に近いだろう。花恋の態度はとても演技できるようなものではない。


「でも、そう簡単に作れるのかな……人工精霊って……」

「わからない。まだ定かなことは何もないからな。けど、もしあれが人工精霊なのだとしたら、何か問題が起こってもおかしくはない」

「……ふ~ん。だからか」


 セルルが意地悪な笑みを浮かべて、時雨の顔をジロジロと見る。


「……なんだよ」

「優しいね、時雨は」

「何がだ?」

「だって、夏目や花恋たちを危険に巻き込まないために今回のこと話さなかったんだよね? 時雨は優しいねぇ」

「別にそう言う訳じゃ……」


 時雨が言いかけて、セルルの視線に力がこもる。

こんな時、時雨はやっぱりセルルには敵わないと思う。そして、そんな自分が嫌いではなかったりもしてしまう。


「……そうだよ。あの黒いマントの奴は俺たちを狙って来た。だったら、夏目たちには関係ない。自分の荷物は自分で持つべきだろう。誰だって他人の荷物は持ちたくないさ」

「ばーか。でも時雨がそういうならわたしは何も言わないよ」


 この時セルルは時雨のその決断を心配に思いながらも、時雨と二人だけの秘密を持つことが少しだけ嬉しいような気がしていた。不謹慎なことはわかっていたが、そう思う気持ちを止められなかった。


「あ、わたしは時雨の荷物なら持ってあげてもいいよ?」


 セルルの言葉に今度は時雨が意地悪な笑みを浮かべて、


「どーも。つか、俺らに持つ持たないは関係ないだろ。持たざるを得ないんだ。仕方ないから、俺もお前の荷物を持ってやるよ」

「ふふっ、素直じゃないなぁ……。わたしも仕方ないから持ってあげる。まぁわたしたちは――」


 セルルがそこまで言うと、二人が声を揃えて、


「「――離れられないだけだけどな(ね)」」


 そう言ったあと二人はお互いを見ながら笑い合った。




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