第2話 ねこ

 これはどういうことだろう。

 

「はい、それじゃあはじめるよー」


 相変わらずの電子音。この軽いノリ。信じられない。


「ん?どうしたの?ちょっと動かしてくれればいいんだよ」


 こうさあ、ぴこぴこって、分かるでしょ?と、バクの両蹄が彼の頭の上で動かされる。


「違うよ。ぷるぷる震わせるんじゃなくて、もっとこう、動かしてほしいんだってば」


 さらにしつこく動かされる獏のひづめ

 そう。もうお分かりだろう。それはよくある『猫の耳』を表すジェスチャー。

 私は羞恥のあまりぶるぶると身体を震わせていた。ついでに本物さながらに頭から『猫耳』も一緒にプルプルしている。


「こんなの……こんなの、恥ずかしくってできるかあーーーーーっ!!!」


「あ。ブラシっぽ。先にこっちのデータ取っとこうかな」


 これは毛が爆発したを確認した獏の言。

 ぬいぐるみのような白黒のマレーバクが、眼鏡姿でカタカタと冷静にパソコンをいじっている(それも蹄で)。その姿は何度見ても見慣れない、実に可笑おかしな光景だった。



 ここはに支配されてしまった、私の夢の中。哀しきワンダーランドだ。


 電磁波によって脳波をコントロールし、『明晰夢めいせきむ』のなかでさまざまな疑似体験をする。


 これがバク、いや佐伯さえきようという、私の元同級生の男の目的だ。

 普段から明晰夢でファンタジーまがいの体験を楽しんでいた私に目を付けた彼は、私が同窓会で酔いつぶれてしまったのをいいことに勝手にホテルに連れ込み研究の餌食にした。


 それから、三ヶ月。痩せぎすだった私――宮部みやべ有栖ありすへの食事提供を条件に、佐伯くんはこうしてどきどき個人的な実験に私を付き合わせるようになっていた。

 まあ脳波に干渉するのは色々と倫理的な問題もあるらしく(『可能性は限りなくゼロに近いけれども夢から覚めず植物状態になることもある』とか何とか不穏な言葉が盛りだくさんの契約書を交わしたりして結構面倒なんだなと思った)、私も嫌なら断ればいいのに、ちょっと彼に対して後ろめたい過去があるので……断りきれず、忙しい仕事を調整してまで会うということを繰り返している。


 ……ほんとうは憧れだった佐伯くんに会いたいだけじゃないの、といった指摘は受け付けないのであしからず。

 だって、中身がこんな容赦の無いしかも変人だと知ってしまえば、どうあってもそういう対象にはなり得ないと思うのだ。うん。


 今日だって。

 約束に従って部屋のドアを開けた私を待っていたのは、真っ白な造り物の猫耳猫尻尾をつけた佐伯くんだった。

 もちろん、見なかったことにしていったん扉を閉めたのは言うまでもない。これは自分の見たものを取り消したい欲求に駆られての行動だ。

 似合うけど。いや、眉目秀麗な黒髪の彼には怖いくらいに似合うけれども、そういう問題じゃない。


「なんで閉めるの」


 そう言って不機嫌そうに私を室内に引っ張り込んだ佐伯くんは、露ほども恥ずかしいと思っていないようだった。二十代半ばの男が猫のコスプレして照れないなんておかし過ぎる。絶対変だ。私だったら即お断りだ。


「ちょっとしたバイトなんだけど、実入りが良いから先にやっちゃいたいんだよね」


 そう言った彼が装着していたのは二十一世紀初頭に玩具として発売されたという、脳波を読み取って感情を表現する猫耳猫尻尾グッズだった。着けている人が嬉しければ尻尾をゆらゆらさせ、怒っていれば耳を伏せる、という程度のぎこちないものだったが、発売された当初は相当売れたらしい。


「これを、今風にもっと感情表現を豊かにするんだよ」


 大学時代の知り合いから得た仕事らしいそれは、「一部の人間には必ずヒットするから」とかなりの高額報酬が提示されているようだ。本来の研究目的からは少し外れるが、脳波は彼の専門分野なので副業としては問題ないらしい。


 だからと言って私が付き合わなければならない義理はないのだが、しかし、「じゃあよろしく」と言われて「嫌だ」と突っぱねられるほど立場は強くなかった。



「ねえ、これいつまで続けるの……」


「データが集まるまで。有栖も美味しいもの食べたいでしょ?」


 美味しいもの、と聞いて自分が期待してしまったのが分かる。喜ぶように尻尾がふりんふりんと揺れてしまい、慌てて隠すように押さえつけた。


 尻尾振って、耳動かして、爪出して、四つん這いで歩いて、と漠からの要望は実に際限が無い。最初は恥ずかしくて(特に四つん這いとか)言うとおりにするのを渋っていたものの、彼は自分に投影されている獏やイケメンの姿を認識できていないのだから、こちらの映像は見えていないはずだ。


 そういうわけで、漠=佐伯くんが直接見ているのは脳波だし、と早々に抵抗を諦めた。それに、彼が満足するまで夢から解放してもらえないのはこの三ヶ月でよく理解していたから。すっかり調教されてしまった自分が不甲斐ない。


 あとは、もろ自分好みの『イケメン佐伯くん』の姿を持ち込まれるとまともに文句が言えなくなるのは分かっているので、「あいつは獏、あいつは獏」と何度もぶつぶつ繰り返し夢の中では意識して白黒漠の姿を投影、かつ彼には電子声を貫いてもらっているのが私なりの抵抗だったりする。


「あとは、実際の猫のデータと照らし合わせれば終わりかな……?」


 終わり、という言葉に思わず猫耳がぴんと立つ。

 ぬいぐるみ姿の漠は眼鏡をくいと押し上げると、いつも通り「お疲れ様」と言って蹄を叩いた。


 やったあ。やっと終わった。そう思った私の意識はすでにご馳走に飛んでいる。

 佐伯くんのお店のチョイスはいつも的確で、少し前まで食欲の無かった私がこうして食事を楽しみにするほどだ。加えて無料タダという事実がさらに食事を美味しくする。


 「じゃあまた後で」と言った漠にるんるん気分で手を振り、夢から抜け出すために私は目を閉じた。


 ……ん?


 しばらくして、目を開けた。いや、目覚めた訳ではなく、まだ夢の中だった。だって、頭とお尻に猫の象徴がくっついたままだし。


 自分ひとりが立っている世界は真っ白で、音ひとつしない。天井も床もなく、空間の何処に自分が立っているのか、いや寝ているのか、それすらも分からないような白一色。

 黙っていると耳鳴りがしてくるような、自分以外の気配が一切ない状況に身震いする。


「……漠、いないの?」


 小さな呟きが、やけに響く。


「ねぇ、漠ってば!どこかで見てるんでしょ!」


 返事は無く、すぐにしんと静まり返ってしまった。

 ……これって、あの契約書に書かれていた『夢から覚めない状況』というやつなのだろうか。


 一度嫌な想像をしてしまえば、不安はどんどん大きくなる。頭の猫耳は緊張からへたりと後ろに伏せられ、尻尾は怯えたように足の間に挟まってしまう有様。

 可能性はほとんどないって書いてたくせに!とか、ちゃんと助けようとしてるんでしょうね!とか、気を紛らすために悪態をつけていたのも最初のうちだけで、どれくらい時間が経ったのか分からなくなった頃には耳はすっかりへたり込み、尻尾はだらんと力なく垂れてしまっていた。


「漠の……佐伯くんの、バカぁ」


 弱々しく口にすると、涙腺が緩んでくるのがわかる。あ、決壊すると思ってあわてて上を向けば。予想外の状況にぽかんとする。


「ん?呼んだ?」


 薄茶の、少し目にかかる前髪の隙間からにやにやした目付きでこちらを見ている『佐伯くん』。足を組み、優雅にたて肘をついて、遥か上空から私を見下ろしていた。さっきまで存在しなかったはずのその姿は、すでに白黒のぬいぐるみではなく人の姿だ。

 しまった、からかわれた、と気が緩んでしまったことを悔しく思うが、時すでに遅し。


「寂しかったのかな?どうなの?」


 あっと言う間に捕まり、面白がる彼の餌食になる。

 私が逆らわなくなるのは彼の姿がイケメンに変わった時だと気づいているのだ。

 もちろんそれが佐伯くん本人の姿だとは口が裂けても言えない。というか、そんなことになったら憤死する。


 ぎりぎりと歯を食いしばる私の頭を撫でくりまわし、一通り満足したのか佐伯くんはにまりと笑う。


「うーん。この姿、いいよね。有栖がだんまりになっても気持ちがよく分かるから、すごくいい」


 何のことだ、と思ったがすぐに分かって赤面する。

 そう、猫耳と尻尾だ。いくら隠そうと思っても、私の感情を勝手に表現してしまう。

 本物さながらのフワフワ毛の耳は撫でられてぴるぴる複雑に動いているし、尻尾はぱしんぱしんと佐伯くんの足を打っていた。


「恥ずかしいし腹が立つ。けど、嬉しいが勝ってる……ってとこかな。合ってる?」


 顔から火が出そうだ。

 私は答えず、代わりに「さっさとここから出して!」と叫んだ。



* * * *



「商品が出来たら、最初に有栖にあげるね。一番の立役者だし」


「……いりません!」


 ぷりぷり怒りながらメインのお肉を口に運ぶ。今日はちまたで人気のフレンチフルコースだ。腹が立つからデザートお代わりしてやる、と意気込んでいると、正面に座る佐伯くんがくすりと笑う。


 ……この人、夢の中だと意地の悪い顔もするのに、現実だとけっこう表情が薄いんだよな。あっちの彼に私の勝手なイメージが投影されているだけかも知れないけれど。


 だからこそなんだか現実こっちだと別の人を相手にしているようでギクシャクしてしまうし、思った通りに文句を言うこともできないでいる。敬語を使ってしまうのもそのせいだ。

 漠も、夢の中の佐伯くんも、今目の前にいる佐伯くんも、全て同じ人のはずなのに。どうしても頭がついていかない。


「今日も似合ってたし、ぜひ着けてよ。楽しみにしてるから」


 涼しい顔でそんなことをさらりと言うから、どぎまぎするのだ……とかなんとか思って。ふと気づく。


 『今日も似合ってた』だと?

 私はあの白い造りものの玩具、身に付けた覚えはないぞ。


「まさか……私が寝ている間に着けたんですか!」


「ん?んー……まぁ、そうだね。可愛かったし、いいんじゃない」


「そういう問題じゃありません!人権侵害です!そう……言うなれば、うさ耳バニーちゃんの服を勝手に着せるようなものなんですから!そんなの恥ずかしいじゃないですか!ああ、この歳で猫耳とか痛すぎる……」


 私がわあわあ喚くのを、楽しそうに見ている佐伯くん。大人な態度を崩していないけれど、鳶色の目はいたずらっぽく輝いていて。

 何だか夢の中の彼を見ているようで、くすぐったいやら、腹立たしいやら、私はめまぐるしく変わる気持ちに翻弄される。


 本当の意味での問題はもっと他にあったのだが、動揺する私がそのことに気づくのはもう少し後になってしまうのだった。

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ワンダーランドNTR! 日炭ぽこ @pocote

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