第4話 止まった時間
三丁目の裏通り。
学校から徒歩10分ほどのところにあるこの通りは、この近辺では有名な心霊スポットである。近くに墓地もあるせいか、怪談話や都市伝説の類も後を絶たない。
先程凜子から聞かされた話によれば、つい先日にも不可解な事件が起こったとのことだった。
なんでも、例の通りでトラックに轢かれる夢を見た少女が、気になって現場へ向かってみたところ、夢で見たものと同じトラックが歩道に突っ込み、大破していたそうだ。おまけに少女の体には、夢での出来事を思わせるような身に覚えのない傷跡まであったという。
おそらくはこれは、墓地に住む幽霊の怨念が起こした怪奇現象である、というのが凛子の主張だった。
もちろんそんな話、美咲はこれっぽっちも信じてはいない。何事も理論立てて考える美咲にとって、幽霊などというものは、信じるに値しない空想の産物だった。
凛子やオカ研の先輩達には悪いが、そもそも、そう言ったものを信じている人の気が知れないというのが、美咲の考えである。今回の件だって、墓場が近くにあることを利用して、誰かがイタズラ半分に、面白おかしく話をでっち上げたんだろうと思っている。
「そういえば、美咲ちゃんはどうしてこの通りに興味を持ったの?」
二列になって目的地へ向かう途中、先陣を切って歩いていたまゆが、そう尋ねてきた。うっと言葉に詰まる美咲。
流石に、「実は私興味ないんです。さっきのは凛子がでっち上げた話で(笑)」などと言えるはずもなく、必死になって理由を考える。
「そ、その。凛子から例の都市伝説を聞いて、面白そうだなーって思ったんです。ホラ! いつものパッとしない噂話とは違って、なんだかリアルっていうか……」
「おやおや。ミッキーったら、だんだんと分かってきたみたいだねぇ」
「……(絶対後でシめる)」
横から茶々を入れる凛子を視線で遮ると、美咲はハァと溜息をついた。脳内では、如何にして凛子に、中学三年間の血と汗と涙の詰まった空手パンチを炸裂させるかをシミュレートしているところだ。
既に件の裏路地に差し掛かっていた一行であるが、今の所、特に何も起きてはいない。強いて言うならば、美咲のストレスボルテージが最大値になりつつあることだろうか。いずれにせよ大した問題ではない。
チラリと腕時計に視線を落とす。現在、時刻は午後4時20分。どうやらゴルフ部の見学には、間に合いそうにないようだ。
立ち並ぶ廃屋を通り過ぎ、一行はずんずんと前に進んでいく。あと1分もあればこの路地を抜け、少女が事故に遭ったという大通りに出るだろう。
「ふふふ。確かにあの話は今までの、出所不明の都市伝説とは訳が違うもんね」
ふいにそう言ったまゆに、美咲は首をかしげる。
「あれ? さっきの話って、噂の出所が分かってるんですか?」
「うん。だって、お話のモデルになってる女子高生は、うちの生徒会長だもん」
と、まゆが衝撃の一言を言い放った、その時だった。
「&$(%&$#!?」
ズンと、何か悪寒のようなものが美咲の全身を駆け巡った。指先から足元までびっしりと鳥肌が立ち、得体のしれない恐怖に身を包まれる。何が起こったのかもわからぬままに、全身がガタガタと震え出した。
極寒の地に生身で足を踏み入れたかのような、おぞましい寒気が美咲を襲う。まるで、猛獣の檻にでも入れられた気分だ。いや、それならまだマシかも知れない。例えるなら四肢を切り落とされ、肉ダルマになった状態で餌として檻の中に放り投げられたような、そんな気分だった。
いつの間にかすぐ傍から「オオォォォ」という、この世の物とは思えないようなおぞましい叫び声が聞こえた。スゥッと耳元から体内へ侵入したその音は、鉄のハンマーで殴ったかのように美咲の脳天を揺さぶると、瞬く間に平衡感覚を失わせる。立っていることさえできなくなった美咲は、その場で膝から崩れ落ちた。
その咆哮は溢れんばかりの怨念のようなものを孕んでいて、恐怖のあまり、心臓を鷲掴みにされた気分になる。
「……ぅあ、あぁ……」
ガチガチと、奥歯が小刻みにぶつかる音がした。全身から脂汗がだらだらと絶え間なく流れ、息もどんどん荒くなっていく。
三秒と経たないうちに、美咲はその場にへたり込んで一歩も動けなくなった。頭の中では、繰り返し何者かの声が流れている。
『殺シテヤル。ミンナ殺シテヤル!』
「美咲! 大丈夫! どうしたの美咲!」
ふいに、背後から美咲に駆け寄る人影があった。動かない体を無理矢理起こして、美咲はその人物を見る。すると、さっきまで隣を歩いていた凛子が、慌てふためいた様子でこちらを見ていた。
「とりあえず救急車呼ばなきゃ! だれかスマホで……」
「ちが……う。はやく、ここから……離れ……」
直後、突然、目の前の景色が移り変わった。薄暗く、じめじめとした裏通りの姿はどこにも無く、周囲からは重厚なエンジン音、そして排気ガスの音が鳴り響き、バイクや自動車が猛スピードで走っている。
「え……」
隣から間の抜けた声が漏れる。
五人まとめて、大通りのど真ん中に飛ばされたのだと美咲が理解するまで、そう長い時間はかからなかった。
脳内では、今朝凛子から聞いた話が繰り返し流れている。
ピイィィィィーーー!!
耳をつんざくような甲高いクラクションの音が鳴り響く。自身の頭から、サァッと血の気が引いていくのを感じた。それでも美咲は、勇気を振り絞って恐る恐る、前を見た。
アスファルトの地面を蹴って唸りを上げる、真っ黒なタイヤ。前方に備え付けられた運転席。慌てふためく運転手のおじさんの姿。それでも、一向に減速する気配のない車体。後方の荷台には、大量の物資が積まれている。
猛然と迫ってくる鉄の猪。
そこには、美咲達に向かって真っ直ぐに突っ込んでくる、大型トラックの姿があった。
「あ……」
終わった。
既にトラックは、手を伸ばせば届きそうなくらいまで迫っていた。
死の間際、美咲はゆっくりと目を閉じ、短い人生だったなと、一人思い出の感傷に浸ってみる。走馬灯というやつだろうか。
今思えば、つまらない人生だった。
周囲に流されるがまま楽器に嗜み、努力して賞を取り、疎まれ。部活動では空手部に所属し、努力して全国ベスト2まで登りつめ、疎まれ。勉強でも、同じように努力して、良い成績を取り、同じように疎まれた。
自分が他の人々より、あらゆる方面で才能に秀でている自覚はある。しかし、だったらどうしろというのだろうか。
嫌われたくなかったから、誰に対しても愛想よく振る舞うよう努力した。友達が欲しかったから、嫌な事を言われても笑って我慢するようにした。優しい人だと思われたかったから……
『いいよね美咲は。努力すれば結果が出るんだから。……あんたみたいな完璧人間には、私の気持ちなんて一生分からない! 分かってたまるか!』
かつて、仲の良かった友達に言われた言葉が、胸に突き刺さる。
確かに、同じように努力しても、その結果に天と地ほどの差が出てしまったのなら、自分だって腹が立つだろうと思う。実際、中学の時に所属していた空手部では、美咲以上に努力していた生徒も少なからずいた。
でも、だったら。
一体美咲に、どうしろというのだろうか。
どうすれば良かったのだろうか。
『ミッキーは熱意がないからなぁ。どこか冷めてるっていうか、達観してるっていうか。そういうところが、一生懸命やってる人からすれば、バカにしてるように見えるんじゃないかな』
その昔、凛子に言われた言葉だ。
言われてみれば、そんな気もしてくる。
持ち前の負けん気で、何事も必死になって努力したと自負しているが、そこに疲労感以外の何かを見出した事はない。
冷めていると言われれば、冷めているのだろうと思う。
思えば、仲の良かった友人達がどんどん去っていく中で、残ってくれたのは凛子だけだった。
いつも元気良く笑い、時折美咲を罠にハメてはイタズラっぽく笑う彼女の姿から、一体どれだけの元気を貰ったことだろう。
もし生きて戻れたら、とびっきりのお店で焼肉でも奢ってやろう。そう思った。
悔いがあると言うならば、両親についても一つある。
この高校に来る前、両親と大ゲンカをした。
発端は些細なことだったと思うが、以来、ほとんど口を聞いていない。
今度会ったら、またゆっくりと話し合おう。
そういえば、恋愛についても散々だった。
「あ、この人いいな」と思う人はいても、どうにも敬遠されて、中々近づくことが出来なかった。美咲の理想が高かったことも、大きな要因だったと思う。
もし来世があるのなら、料理でも、恋愛でも、ゲームでもいい。心から熱中できる何かを見つけよう。そして今度こそ、仲の良い友達を沢山作って、親孝行もしよう。
白馬の王子様みたいな人でなくてもいいから、彼氏も作ってみたい。
それから……
つぅーと美咲の頬を、一筋の涙が流れ落ちる。
「いやだ。じにたくないッ……」
言葉に出すと、もう止まらなかった。
閉じた瞼からはポロポロと涙が溢れ、バレないようにこっそりとつけていたメイクが剥がれ落ちる。
喉からはヒックヒックと嗚咽が漏れ、いつもは凛とした表情を意識している顔が、くしゃくしゃに崩れていくのがわかった。
しかしここでふと、美咲は何かに違和感を覚えた。
「…………あれ?」
いつまで経ってもトラックはやってこず、体に痛みが走ることもない。それどころか、先ほどまで辺りを覆い尽くしていた喧騒が、一切聞こえなくなったのだ。
まるで、この世から音という概念が根こそぎ失われてしまったかのように。
辺りは静寂に包まれていた。
もしかして、これが死というものなのだろうか。
恐る恐る、目を開いてみる。
「え……」
真っ先に視界に飛び込んできたのは、美咲の眼前わずか数センチのところで、ピタリと静止したトラックだった。
運転席には、絶望に顔を歪ませたまま硬直しているおじさんの姿もある。
遠くに見えるのは、顔を覆ったまま、ピクリとも動かない通行人の人々だ。
涙を拭って振り返れば、十人十色の表情で硬直する、オカルト研究同好会の面々の姿もある。
駆け抜ける自動車によって舞い上がった砂埃が、形を崩す事無く沈黙している。
見上げれば、暖かい春の風に乗って空を旅した桜の花びらが、重力を忘れてしまったかのように、ピタリと空中で静止していた。
あまりに想定外の光景に、ゴクリと唾を飲む。
時が、止まっていた。
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