第2話 新学期

「……というわけなのだよ美咲君! どうどう? 面白そうでしょ?」


 そう言って、目の前で本日4回目となる都市伝説談義を繰り広げるのは、長い黒髪に真っ赤な眼鏡がトレードマークの幼馴染み、安藤凛子だった。

 凛子とは実家が近いこともあり、幼稚園の頃からの付き合いがある。小学校、中学校と地元の学校を出て、高校は寮のある遠方の私立高校に進学した美咲にとって、凜子は同じ地元出身の数少ない友人の一人だ。


 入学式が終わって早一か月。何もかもが新しい環境の中、工藤美咲はある悩み事に直面していた。


「ミッキーまだ部活決めてないんでしょう? ねぇねぇお願いミッキー! 絶対楽しいって! オカルト研究同好会!」


 部活動選択。

 美咲だけではない。新一年生としてこの学園に入学した生徒達は今、もれなく一つの山場を迎えている。

 国内有数の進学校である私立高美濃学園であるが、この学園は勉学だけでなく部活動にも力を注いでいる。その種類は多岐に渡り、同好会まで含めるとその数はなんと百種類にも及ぶ。この学校がマンモス校であることを差し置いたとしても、高校としては異例の数だ。

 「教師は生徒達の自主性を尊重し、生徒の諸君は将来に向けて様々な経験を積むべし」との校訓の元、この学園では部活動の多様化を積極的に推進している。砕けた形で言えば、生徒個々人に合わせたマニアックな部活が多いのだ。

 そのためこのシーズン、生徒達は中々所属する部活動を決められず、大いに迷ってしまうのである。

 幼い頃から無類のオカルト好きだった凜子は、入学してから3日後にはオカ研の入部届にサインをしていたが、美咲の場合そうはいかない。


 夢中になれる何かを探す。

 それこそが3年間の高校生活における美咲の抱負であり、数多の推薦を断り、わざわざ遠く離れたこの学校に進学した理由なのだから。

 したがって、そうそう簡単には決められない。


「うぅっ……美咲サマがオカ研に入ってくれないと、心労のあまり凜子はノイローゼになってしまうかもしれぬ……。うっ! 頭が!」


 あれよこれよと口調を変え、強引に勧誘する凜子。

 しかし中々なびかない美咲を見て作戦を切り替えたのか、凜子が目薬を差し始めたのを見て、美咲はハァと溜息をついた。


「な〜にが美咲サマよ。大体、そんなの作り話に決まってるじゃない。それにその話はさっきも聞いた」


 毅然とした態度で言い放った美咲を見て、凜子はフッと勝ち誇ったように笑った。馬鹿にされたみたいで少しだけ頭に来るが、美咲は努めて平静を装う。

 昔から凜子は人を煽ったり、都合のいいよう誘導するのが上手い。乗せられてしまっては彼女の思うつぼなのだ。


「フッフッフ。わかってないなぁ~ミッキーは」

「何がよ」

「人智の及ばぬ超常現象! 心揺さぶる神秘の数々! 偉大なる超自然! 滾るロマン! 背筋も凍る怪奇現象!オカルトとはまさに。究極の学問なのだぁ!! ……ってあれ? 美咲ィ!?」


 後ろの方で自分を探す凜子の声を背に、美咲はそっと教室の扉を閉めた。凜子の話は熱が入ると止まらなくなる。

 今までも、


『……というわけなの(2時間経過)』

『さ、左様ですか(ゲッソリ)』


 という展開は多々あった。こういう時は、早めに退散するのが吉なのだ。

 ロビーで上履きから靴に履き替え、これからの予定について思いを馳せる。僅かな思考の後、美咲はゴルフ部を見学することにした。バスケや吹奏楽などの主な部活は大方回ったし、それに高校でゴルフ部なんてあるのは、きっとこの学校くらいのものだろう。いずれにせよ、珍しい物には一通り手を付けておきたい。

 通学バッグから部活動紹介のパンフレットを取り出し、ゴルフ部の活動時刻を見る。現在時刻は午後3時40分。部活動がはじまるのが4時20分だから、まだ40分も時間がある。


「ほうほう、ゴルフ部ですか。でも開始までまだまだ時間がありますな」

「そうなの。何して暇潰そっかな♪」

「そんなあなたに朗報です! 我が部では今から、期間限定の新入生体験イベントを実施いたします! 今日だけです。今日しかありません! とっても貴重です! しかもかかる時間はたったの30分! どうです?ぜひ参加してみませんか!!」

「うーん。そうね。丁度時間も空いてたし。じゃあ私もそれに参加してみようかな……って」


 なんだか聞き慣れた声がした気がして、美咲はとっさに振り返った。にっこりと笑う凜子。トレードマークの赤いメガネが良く似合っている。

 ビキリと、美咲の額に青色の血管が浮かび上がった。


「なんでアンタがここにいるんじゃあああっ!!」

「ごぶはっ!」


 勢いよく振り下ろされた美咲の右ストレートが、凜子の眉間に直撃した。



△△△△△△



「はぁ……。結局乗せられちゃったのね、私」


 現在、美咲はオカルト研究同好会の部室へと向かうべく、学校のロビーを歩いている。隣では、上機嫌に鼻歌を唄う凜子の姿もあった。


「ふと思ったんだけど、凜子はさ。なんでそんなに私を勧誘するの? 私、別にオカルトとか詳しいわけじゃないのに」

「部員が足りないの。このままじゃ廃部みたいだし」

「……あっそ」


 単位制を採用しているこの学園では、生徒によって空きコマの数に大きな差が生じることがある。したがってまだ午後4時前にも関わらず、ロビーは大勢の生徒達でにぎわっていた。

 特に今、美咲達がいるC棟には授業に使われる教室はほとんどなく、部活動に使われる部屋が主なため、授業中の先生にうるさいと怒られることもない。そのことが、ロビーを覆う喧噪にますますの拍車をかけていた。

 部活動の勧誘に励む2年生に、磨き上げた演技でパフォーマンスをする3年生。その様子を興味深そうに観察する新1年生。紹介パンフレットを配布する部員たち。この風景は、新年度が始まったばかりの今しか見ることができない。

 二人がにぎやかな人ごみの中を歩いていると、ロビーの傍らでパフォーマンスをする空手部の姿が目に入った。

 とその時。


「おい! あれ! 赤い眼鏡の隣にいる子! 工藤美咲じゃないか!? 全国ベスト2の!! この学校に来てるって話だぜ!」

「えぇっ!? ウソ!? 工藤ってあの、天才中学生の!?」

「俺知ってる! 確か楽器も上手いんだよな! テレビで見た!」

「うわぁ、本物だ! すげぇっ!」


 空手部員の誰かの声を発端として、あちらこちらでざわめきが起きる。そのざわめきは瞬く間にロビー全体に広がり、一瞬にして辺りが静まり返った。


「……げ」


 その様子に、美咲は内心でしかめ面をする。

 しかし静まり返ったのも束の間、今度は上級生たちの熱烈な勧誘合戦が始まった。


「美咲さん! ぜひうちの空手部に入ってください!」

「いや、うちの軽音部に!」

「うちの……」

 

 あまりに猛烈な勧誘に、頬をひきつらせつつ愛想笑いを浮かべる美咲。

 昔から美咲は、こんな風に注目を浴びるのが苦手だった。幸か不幸か、そういった機会には多く恵まれていたのだが、何度経験してもやはり慣れない。


「今はまだ悩んでいるので、その、すみません。えへへへ……」


 工藤美咲は、世間一般でいうところの天才だった。

 持ち前の負けん気と溢れんばかりの才能によって、武道や音楽、勉強など多方面で成果を挙げてきた美咲だったが、どれもこれも美咲を熱中させるには至らなかった。

 才能など無くてもいいから、心から没頭できるような何かに出会いたい。それが今の美咲の願いである。贅沢な願いだと思う人も多いだろう。しかし今の美咲にとっては、とても大切なことなのだ。

 なまじ人よりもできてしまうせいで、幼い頃から妬みや恨みを買うことが多かった彼女は、地元でも多くの友人に恵まれなかった。まるで違う世界の人間のように扱われていたことも原因の一つかもしれない。

 皆、仲が悪いというわけではなかったのだが、美咲との間に見えない壁のようなものを張っていて、それ以上先へ進むことができなかったのだ。


 しかし、今ではそれも納得できる。冷静になって考えてみれば、何かに没頭しているわけでもないのに、熱中して一生懸命頑張っている人よりも良くできてしまうというのは、周りから見ればとても腹の立つことだと思う。妬むのも当たり前だ。

 とはいえ、美咲が全く努力をしていなかったというわけではないのだが、やはり彼らに比べれば、少ない労力で成果を挙げていたことは間違いない。

 だからこそ美咲は、他の人達のように夢中になって没頭できる何かが欲しかったのだろう。


 ……とまぁ、色々理屈をこねてはいるが、結局のところ、彼女は退屈していたのだと筆者は考える。

 それはもう、刺激のない平坦で平和な毎日に。


「流石はミッキー。なんか凄かったね」


 ロビーを抜けた二人は、現在C棟4階の廊下を歩いている。文科系のマイナーな部室が点在しているこのフロアは人通りも少なく、全体的に閑散としている。


「うん。まぁでも、今までもこんな感じ……アテッ!」


 突然、向こう側からやってきた誰かとぶつかった美咲が、ドスンと尻餅をついた。話に夢中になる余り、前方注意を怠ってしまったようだ。どうやら尻餅をついてしまったのは美咲だけで、相手側はビクともしていないようだが、今回に関しては前を見ずに歩いていた自分達が悪い。

 そう思い、素直に謝ろうと美咲は顔を上げ……あんぐりと口を開けた。


 身長190センチはあるだろうか。大柄でガタイの良い男子生徒が、鬼のような形相でこちらを見下ろしていた。小さい子が見れば泣き出してしまうかもしれない。しかし注目すべきはそこではない。

 隣では、凜子が目の端に涙を溜めてガタガタと震えていた。それはもう見事な怯えっぷりだ。確かに怖い顔だとは思うが、そこまで怯えるほどのものだろうか。凜子とは幼い頃からの付き合いだが、ここまで怯える彼女の姿は見たことがない。

 しかし、なぜそんなに怯えているのかを凜子に聞く間もなく、美咲の後頭部は凜子の手によって地面に叩き伏せられた。正真正銘の土下座である。そして……


「ご、ごめんなさい! 話に夢中で前を見てなくて!」


 凜子も土下座した。その声色からは、とてつもなく必死な何かを感じ取ることができた。何が何やらわからない美咲であったが、隣で震えながら許しを請う凜子の姿から、目の前の男がとてつもなくヤバイ人物であるという事だけは分かった。


(ホラ! 美咲も早く謝って!)

(え、でも肩が当たっただけ……)

(いいから! 謝るの!)


 小声で凜子に急かされて、美咲も謝罪する。


「その、ごめんなさい。前見てなくて。次からは気を付けます」

「…………」


 閑散とした廊下の中、大柄の男子生徒の前で土下座する二人の女子生徒。それは傍から見れば、とても奇異なものに移ったことだろう。

 しばらくして、男は二人の謝罪に満足したのか、やがてくるりと背を向けると一言も言葉を発することなくスタスタと廊下を歩いて行った。



 ◇ ◇ ◇



 美咲はまだ知らない。

 この出会いこそが、モノクロだった美咲の毎日を鮮やかに彩ることになることを。

 そしてなにより。

 今日こんにちまでの、退屈で平和な毎日との分かれ道になることを。


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