第3話 Wizard and the fairy.
その店は中心街であった露店から離れた位置にあった。
周りには草原があり、植物がたくさんある。僕は心躍らせた。薬草作りを所業とする魔法使いにはうってつけの場所だったからだ。右手に見ると常闇の森と呼ばれる、日の光一つ届かない鬱蒼とした森があるのは気になったが、それ以外はとてもいい場所だった。
海が遥か遠くに見える。僕がいた街より人は少ないけれど、内陸というよりは海岸沿いなのだろう。
赤い煉瓦造りの小さな店。
煙突からはもくもくと煙が立っていて、美味しそうな匂いもする。
だが、僕は首を傾げた。
「お邪魔します」
ノックをすると、煙突からの煙が止まった。家の中で物音がしないから声をかけたのに、それに対する返事がない。だから僕は相手の声を聞かずに家に入っていった。
物音一つしない家。
さっきまでコトコトと煮込む音がしていたのに不思議なことだ。なにかアクションがあってもいいはずだし、誰か居るはずなのに音が何もしない。
「……誰もいないんですかぁ?」
家の中ほどを通って辺りを見回した。やっぱり誰もいない。僕はもう一歩踏み出そうとしてやめた。ダメだ。これ以上入るとさすがに不審者と間違えられてもおかしくない。
僕はため息一つ吐いて踵を返す。
仕方ない。出直そう。
そう思った時だった。
「ダレ?」
小さな、とっても小さな声がした。僕はその声に驚いて勢いよく振り返る。
だが、後ろには誰もいないのだ。
「……何処にいる? ……僕は旅のものだ。怪しいものじゃない。それは保証する」
声質からして幼い子供。
僕がどこにいるのかも分からない声に告げると、その声はしばらくしてから答えた。
「キミは何処から来たの? 何歳なの? 趣味は? 好きな食べ物は? なんで旅をしているの? 名前は?」
……質問攻めだ。僕は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、丁寧に答えていく。
「隣国、帝都から来ました。歳は……十六。趣味は読書かな。好きな食べ物はブリオッシュ」
ここまで答えて口籠った。
声はしばらく聴こえなかったが、小さな、小さな、ため息とそしてまた声。
「キミの名前は?」
「僕の名前は……思い出せないんです。だから、自分の名前を思い出すために旅をしているのです」
僕がそう答えると声がどこから発せられているのか段々分かってきた。正面にある桐のタンスの上。そこにカーテンが引かれており、そこに小さな影が時折見えるのだった。
声の主は小さな声の小さな身体の生物。
普通はここで驚くんだろうが、僕の所業はさっき言ったと思うけれど魔法使いだから。
「キミの御主人様に用がある。ここに魔法使いがいるのは分かっている」
使い魔と魔法使い。使い魔がいるなら御主人様とは魔法使いのことだ。
僕が威勢を張って声に問う。
すると、声はまた小さな声で、か細く、か細く言った。
「私〝達〟を捕まえる野蛮な奴らではないの?」
「……どういうことだい」
何かそぐわない事でも言っただろうか。
声に動揺が移ったのか、それとも僕の動揺を肯定としたのかは定かではない。
僕は声に向かって問う。もう一度。
「ここにも異端審問は来たのか。キミの御主人様は何処にいる。僕は不審人物じゃない。僕も魔法使いだ」
「……ならどうして私が視えないの」
その声にハッとして僕は目を見開いた。
「何処にいる」
「ココだよ」
僕はタンスの上のカーテンを見たが、そこには誰もいない。天井は? 床は? それとも窓か。首が回る限り見渡すも人影なんて見えやしない。ふくろうにでもなりそうだ。
「アレ? 本当に視えないんだ」
からかうような、嘲笑うかのような小さな、小さな声。
「……昔は視えたんだけど」
「だろうね。私達が視えなかったら魔法使いとして致命的だもの。ふぅん。名前を思い出せないのとなにか意味がありそう」
声はそう答えて何処かに飛んで行った。
「何処にいる?」
「キミの肩の上。あいにく私の御主人様はここには居ないの」
肩に感触はなかったが、声がそう言うならそうなのだろう。肩の上から声が聞こえるのも理由だ。
僕には視えなかったが。
僕は肩を落とした。アノ魔法使いなら、僕が名前を亡くした理由も妖精が視えなくなったのも分かるかもしれないと思っていたからだ。
他を探そう、そう思った時声は告げた。
とっても楽しそうに。
「なんか面白そう。イイわ。助けてあげる。私の御主人が帰ってくるまでここに泊めてあげてもいい」
「本当かい!?」
「その代わりにここの家事とかやってくれる?」
「……家事?」
泊めてくれるのもありがたいが、家事とはどういうことだろう。
「妖精のこんな身体で家事は大変なの」
「はぁ」
じゃあ、さっきの何かを煮込むような音はなんだったんだろう。
「料理は出来るようだが?」
「出来ても大変なものは大変なのよ!」
怒ったようだ。意外と気が短い。怒声の後に声はまた違うところから聞こえた。
「ご飯と一通りやってくれればいいわ。私のご飯はスープだけでいい。後は勝手にお願い」
声は小さいが、今度ははっきりどこから発しているのか聞こえた。
「……あれ?」
僕の質問に答えるかのように、
「私の姿が視えないのは、私にとっても不便だから。声だけで場所を特定できるようにしてあげる」
肩の上にキラッと光る鱗粉。
「どうも」
「構わないわ。あ、そうだ」
声はまさに今思い出したかのようにこう言った。
「私の名前伝え忘れたわね」
「……僕には質問攻めにしたくせに?」
僕は腑に落ちない顔をする。
「ごめん、ごめん。ただ単に忘れてたの。名乗る機会なんてここ数百年なかったんだから」
数百年、と言うのが気にかかった。
だが僕はすぐさまそれを問うことはしない。質問攻めが気に食わなくとも僕は紳士だ。ここは大人な対応をする。
それに妖精の数百年。いちいち咎める必要もない。
「私の名前はケイティ」
「ケイティか。よろしく」
「貴方のことはどう呼べばいい?」
「……適当に呼んでくれよ」
「じゃあ、キミと呼ぶ」
この日から名なしの魔法使いと視えない妖精の奇妙な生活が始まった。
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