第6話『暇』

 翌日。今を生きる俺にとっては今日。

 昨日の謎の現象を未だに引きずりながら俺は教室でひたすら時計とにらめっこをしていた。授業中だろうと休み時間中だろうと、だ。

 昨日、鶴ヶ谷と音楽室を抜け出した時、時計は確かに五時限目の時間、午後一時五十分を指していた筈だ。ずっと時計とにらめっこをしていたのだから間違える筈がない。そこからこの教室までは一分程度でつく。五分すらかからない。俺と鶴ヶ谷が話していた時間はそんなに長くなかっただろう。体感で二十分ほど。一時間以上も話していたなんてことはないはずだ。

 それに、昨日の時間割は六時限目が英語だった。英語の授業はここ、教室でやる授業で、昨日だけ場所が違ったなんてことはない。そんな連絡はなかった。それなのにどうして誰も教室に戻ってこなかったのだろうか。六時限目はどこに消えてしまったのだろうか。

 しかしそんなことを考えているのは俺だけのようで、他の奴らはいつも通り退屈そうに授業を受けている。そう、いつも通りに。鶴ヶ谷もいつも通りいつものノートに何かを書き込んでいる。

 こうなると、昨日の出来事は俺の夢の中での話だったのではないかと思えてくる。実は、あの俺以外の全員が睡魔に負けた音楽の授業は俺だけが睡魔に負けていて、鶴ヶ谷に腕を引かれて歩いたのは授業後も爆睡していた俺を鶴ヶ谷が教室まで連れていかれただけで、記憶にない六時限目の英語はまた俺が爆睡してしまっただけなのではないか。昨日の俺が、記憶が無くなってしまうほどの眠気に襲われるほど寝不足だったとは思えないが、『時間が飛んでしまった』と考えるよりはよっぽどこっちの方が現実味がある。

 いい加減頭が痛くなってきそうだ。昨日の出来事は俺の夢だった。それで無理矢理納得してしまうのが得策だろう。

 半ば諦めるようにそう結論付けると、俺はようやく時計から目を離した。朝っぱらから俺ににらまれ続けて、あの時計もさぞ迷惑だったことだろう。

 開いただけで手をつけていないノートと教科書を閉じる。それから出しただけのシャーペンと消ゴムを筆箱に仕舞うと、タイミングよく授業終了を告げるチャイムがなった。

 起立、気を付け、ありがとうございました。ろくに話なんて聞いていなかったけれど周りに合わせて声を出す。

 さて、昼休みだ。


 そして昼休みに事件は起きた。

 とても些細なことで、事件と言って良いのか分からないレベルの小ささではあったが、俺にとっては事件だった。

 鶴ヶ谷が話し掛けてこないのだ。

 いつもなら昼休みに入ると直ぐに弁当を持って俺の前の席に座ってこちらを向いて食べ始め、そしてクイズを出してくると言うのに、今日は弁当を食べ終わっても鶴ヶ谷がこちらに来る気配がない。それどころか、昼休みに入ってから鶴ヶ谷は一歩も自分の席から動いていない。一人で黙々と弁当を食べ、一心不乱にノートに向かっている。一体何があったのだろうか。

 別に、毎日のクイズが楽しみだとかそういうわけではないのだが、ずっと続いていたものがある日突然無くなると、言い様のない不安を覚える。何かあったのだろうかと変にソワソワしてしまう。そして、なによりも暇だ。鶴ヶ谷と適当に話していた時間が無くなると、俺のスケジュールはここまでポッカリと空いてしまうのかというほどに暇だ。生憎、俺は読書用の本を携帯していない。故に、暇を潰す方法がない。さて、困った。

 まったく、我ながらなんと情けないことだろう。と、後から思った。俺はどれだけ鶴ヶ谷に依存しているのだろうか。そう考えると、俺は段々恥ずかしくなってきた。自分の動作、一つ一つが鶴ヶ谷を意識しているようにさえ思えてきて恥ずかしい。おいおい、どんだけ女々しいんだよ。と、心のなかで毒づいてみたけれど、何も変わりそうになかった。


 結局俺は昼休みをこのまま過ごし、鶴ヶ谷が話し掛けてくることは無かった。

 昼休みの間、ずっとノートに向かっていた鶴ヶ谷は、授業が始まってもその姿勢を一切崩すことなく、一心不乱にノートに向かっていた。

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