第3話

 夢の話をします。



 自動車教習所にいた。

 教官が狸だった。シートベルトが締められてないけどいいのかなあと思いながら路上教習に出た。路上は大体水没してた。


「大丈夫なんですかこれ?」


 と聞いたら教官は


「ノアのときとかのためにこういう練習も必要だから」


 と言った。はあそうですか、としか言えなかった。

 次の交差点右と言われて曲がったら、120km/hくらい出てたから教官が窓(なぜかガラスが張ってなかった)から吹っ飛んで行った。急ブレーキをかけて声をかけようとしたけれどそんな暇もなく野生に帰った。


 どうしようかな、と思ったら車が水没し始めて動かなくなってたので窓から降りた。近くのコンビニに入ったら中学校の教室で、みんな合唱祭の準備をしていて机と椅子が前の方にまとめられてた。黒板には『ドーナツ風船』って書かれてた。

 俺も端の方に立って合唱に混ざろうとしたんだけどみんないつの間にかギターとか色々楽器を持って演奏してて、近くのトライアングルとか取って適当に合わせようとしたんだけど全然知らない音楽でダメだった。ダメだったから外に出た。通学路だった。


 通学路は何か黒い人がいた。夏だったから日焼けかなと思った。魚がコンクリートの上で干からびてて干物の作り方を知った。汗がだらだら流れてきて、教室に鞄を忘れたことに気が付いて、何も言わずに学校をサボってしまったことも気になって、でもたぶんこれは夢だから大丈夫だろうと思った。サラリーマンが駄菓子屋で電話に怒鳴ってて、やだなあ帰りたいなあと思ったら俺もスーツを着ててしかも電話が鳴ったから叫んで逃げた。


 叫んで逃げても蜃気楼だから絶対辿り着かないよって留守番電話が言うから最悪だなって思って、仕方ないから噴水に飛び込んだ。飛び込んだら虹ができたんだけど排水口がものすごい勢いで吸い込んでくるもんだから怖くなってすぐに出て、家に帰ることにした。


 家に帰る途中でものすごい勢いで濡れた服が乾いてじゅーじゅー音を立て始めて、空に蒸気が上っていくのを見上げたら空から女の子が降ってきてた。コンクリ―トの上に倒れ込んだ。銀髪。可愛かった。好き。


「あなたは選ばれし勇者。世界を救って」


 横にはいつの間にか緑と銀のカラーリングの剣が落ちていて、アレじゃんって思った。


「あなたは選ばれし勇者。世界を救って」


 女の子は剣を指さした。


「あれはあなたの剣。あなたの剣」


 空からひらひら手紙が落ちてきて、女の子の髪の上に落ちた。


「勇者の証。あなたは勇者。世界を救って。剣を振るって世界を救って」


 すっげー暑くてものすごい勢いで汗が出てきてそれもすぐに蒸発するんだけど服は重いまんまでどんどん気持ち悪くなってきて、小学生のときに朝会で貧血でぶっ倒れたときのことを思い出した。ゲロ吐きそうだった。


「それより俺を助けてよ。世界の前に俺を救ってくれ」


 そう言ったら女の子はふらふら立ち上がって、虚ろな目で俺を見て、


「無理」


 泣いた。蒸発した。



 以上、今日の夢終わり。



*



「BLとGLどっちが好き?」

「絵柄が好みの方です」

「身も蓋もない」


 今日は社交が発生した。

 一限終わって部室に来たら眼鏡をかけたまま川染先輩が床で寝てて、それを放置してアニメを見てたら姫一行がやって来た。姫は川染先輩を起こしてアニメコラボカフェに行こうと言った。川染先輩は寝起きの年老いた犬のような顔をしながら、うん、と酒焼けした声で呟いた。へえ意外だなそういうの行くんだと思いながらアニメ見てたら「お前も行くんだよ」と言われて俺も連れ出されることになった。


 複数人のオタクがカフェに乗り込んで思い思いに注文してアニメの話をし始めた。俺は六百円くらいするドリンクを、これあんまり早く飲みすぎてもアレだよなあと思いながらちびちび啜っていた。結構おいしいと思った。

 川染先輩は姫の隣でコミュニケーションしていた。「うん」「わかる」「わからない」「死」の四語しか喋っていないのにやけに堂々とした態度で社交をやり過ごしててちょっと感動を覚えた。別に覚えない。珍獣みたいな扱いで接されていた。


 俺は端の方で姫騎士のひとりとアニメの話をしてたけど、姫騎士はやけにそわそわしながら姫をチラ見していて、結局川染先輩がトイレに行った隙にそのポジションに割り込んだ。よって俺の対面には川染先輩がやって来た。以上。現在状況説明終わり。


「瀬長くんって白い子好きなの?」


 と川染先輩の視線は俺のドリンクに向けられていた。もう半分の半分くらいしか残っていない。


「そうですね。このアニメじゃ白い子が一番好きっす」

「百合だから?」

「いや、人間じゃないからです」


 特に意識することもなく出た言葉だったけど、それに先輩はにやっと笑ってやけに嬉しそうな顔で「わかる」と言った。どうでもいいが俺はアニメキャラの男女の区別がよくわかっていない。


「わかるなあ~」

「わかられましたか」


 ちなみに先輩のは青い。もうほとんど残ってない。


「人生だなあ……」


 先輩はしみじみと呟いた。何が人生なのかはよくわからなかったけど「人生ですね」と頷いておいた。


「そういえば最近私も夢見たよ。見ようと思えば見れるもんだね」

「へえ、どんな夢見たんですか」

「うがいしたら歯が全部抜けて血まみれの排水口に流れて慌てる夢」

「大丈夫ですか」

「ダメだよ」


 夢の内容に隣に座る姫騎士のひとりがギョッとして先輩を見た。先輩が「ダメだあ~」とものすごい溜息をついたので周囲の人がみんな先輩を見た。先輩は気にしていなかった。みんなは話に戻った。


「そういえば先輩今日なんで部室で寝てたんですか?」

「レポート提出した開放感で部室で酒飲んで焼きそば食ってずっとひとりでアニメ見てたらいつの間にか寝てた」

「自由ですね」

「屋内だから全然問題ない。今度やってみるといいよ。めっちゃ楽しいけどめっちゃむなしいから」

「えぇ……、むなしいならやりませんよ」

「むなしいだけの人生よりずっといいんじゃないか?」


 人生がむなしいだけなのは一般的な前提なんだろうか。部室に入ったときやけに酒臭いと思った理由がわかった。


「ていうか俺未成年ですし。酒飲みませんよ」


 そう言うと、先輩は不可解極まりないという表情で首を傾げ、眼鏡の奥で神経質そうに眉根を寄せた。


「みせいねん……? それはつまり、君は十代ってこと……?」

「そう言ってるんですけど」

「今すぐ死のう。今なら間に合うぞ」


 いきなり命を絶つことを勧められた。しかも善意百パーセントの先輩からのアドバイスみたいな調子で。姫騎士たちは何か不穏なものを感じているのか先輩と俺に背を向けるようにして姫を囲んでワイワイしている。


「大人になることに何の価値があるんだ? 十代ならまだギリギリ少年で通せる、今死のう。それが最善だよ」

「嫌ですけど」

「二十代になるってことはな、私みたいになるってことだぞ」


 先輩は深刻な表情でそう言ったけど、人類が全員二十代になって先輩みたいな人になったらこの世は存続してないと思う。


「世界征服できなかったオタクはね、死ぬしかないんだよ。可能性に賭けて今のうちに死のう」

「嫌なポジティブっていうか結局死んでるじゃないですか」

「来世でチャレンジしていこうという前向きな気持ち」


 先輩はそんな適当なことを言いながら、「でもどっちかっていうとうんざりするし死んだら魂ごと消滅してほしいわ。無になりたい」と付け足した。姫たちは人間関係していた。一方俺たちはどうだ。見えない壁が同じテーブルの中にすら。


 先輩はずこーっと勢いよく残りのドリンクを啜った後、眉間に指を当てて呟いた。


「あったま痛え……。帰るわ……」


 自由だなあ。たぶん二日酔いだろうと思った。

 先輩は自分の分の代金だけ置いて帰ろうとぺらっぺらの財布をポケットから取り出したけれど、それを契機に全員カフェを出ることになった。


 帰り道、俺は川染先輩の横を歩いていたけれど姫たちは姫たちで人間関係をしていて、一緒に歩いているのに何か断絶してる感じがした。ゲーセンに行こうだとかなんだとか言う声が聞こえてきたけれど、絶対俺がついていっても曖昧な感じで時間を持て余すだろうし、全然聞こえてなかったわーという体で離脱しようと思った。幽体離脱?


 川染先輩は顔面蒼白で見るからに体調不良を起こしていて、今ここの道端でノーモーションでゲロを吐きはじめてもそこまで衝撃を受けないようなふらふら具合で歩いていた。この人がぶっ倒れたら俺が介抱するんだろうか。ほっといて帰ったらさすがに死ぬかな。


「ゲロ吐きそう」


 見ればわかります。

 先輩はとうとうその場にうずくまってしまった。何人かの姫騎士が気付いてこっちを心配そうに見たけど、先輩がひらひらと平手を振って送り出す仕草をしたので、みんな俺を見て「頼んだぞ」みたいなアイコンタクトをして去って行った。薄情では? でも人間関係は過酷だし仕方ないのかなと思いました。関係ない俺がやっとくのが機会平等に繋がるからね。


「大丈夫すか」

「もうダメだ……。私の人生は……」


 そっちかよ。この人人生の話好きすぎだろうと思った。アニメか人生の話しかしてない気がする。


「一歩も動きたくない……。ここで死にたい……」

「帰ってアニメ見ましょうよ」

「長時間アニメ見てると頭痛くなってゲロ吐きそうになる……」

「かわいそう」


 うずくまる先輩の視線に合わせて俺もその場にうずくまって声掛けしていたけど、全然回復する気配がない。というか先輩ちょっと泣いてる。通行人が珍妙なものを見る目ですれ違いざまに先輩を見ていた。俺も同じ目で見られた。


「担いでいきましょうか」

「わっしょい」

「それだと先輩吐いちゃうでしょ」

「すっげえ吐くよ。歯が全部溶けるくらい」


 胃に何が入ってるんだ。でも先輩はどんどんろうそくみたいな顔色になっていくしいつ気絶してもおかしくなさそうな様子だった。受け答えは結構余裕ありそうだったけど。と、そこで。


「きゃあ!」


 前方の方から姫っぽい声がして、後何かかなり重い肉っぽいものが地面に叩きつけられた音。

 先輩はそれを聞いていきなり「行かねば!」と言って勢いよく立ち上がって、すぐに「うぷ」と口元を押さえて倒れ込みそうになる。慌てて支えたら遠慮なく寄りかかられた。酒臭い。


「よし、瀬長くんゴー」

「大丈夫なんですか?」

「全然大丈夫じゃないし正直目が回ってほとんど視界ブラックアウトしてるけど気になるから頼むよ」


 はあ、と答えて先輩を引きずりながら前に進む。この人喋ったときが一番酒臭い。言ってることが結構ヤバイし、本当にダメそうだったら救急車を呼ぼうと思った。というかレポート一本でどんだけ羽目外したんだろう。


 騎士が陣を組んでいたのですぐに場所はわかった。姫は一番後ろで一番がっしりした体格の騎士の背中にしがみついている。


「何か面白いことあったの」


 と川染先輩が声をかけると、姫が「沙月ちゃん~」と言いながら涙目で近付いてきた。両手を少し畳んで胸の前で振りながら。あの動作よく見るけどどういう意味があるジェスチャーなんだろう。


「なんかあ、飛び降りがあってえ」


 ちょっと間延びした感じの喋り方で伝えられるのは物騒な内容で、ふと周りを見回すと確かにこのあたりはビル街で、飛び降りもあることにはあるのかななんてことを考えた。というか野次馬は趣味が悪いしここで止まってるのもなんだかなあ。


「うわっ」


 突然陣の前の方の騎士が声を上げた。それに呼応するように陣が崩れ始めて、中心から割れていく。俺は咄嗟にそっちから目を逸らそうとしたけれど、ばっちり見てしまって。



 銀髪の女の子が、虚ろな目で立ち上がって、ふらふらとこっちに近付いてきていた。



 誰も止めなかった。女の子は頼りない足取りで俺のところまで辿り着いて、まっすぐに俺の瞳を見つめてこう言った。



「剣を振るって、世界を救って」



 そんな感じで今日も終わる。

 終わりです。

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