第12話
第十一章
1
明子は回復が早く、十日後に退院した。久子はまだしばらく自宅での静養が必要な明子をセントラル・パーク・ウェストの家で休ませた。
「ママと一緒に倉庫に来た男の人は一体誰なの?」
久子は、いずれ来るであろう明子の疑問に答える日が来たことを悟った。
「明子、驚かないで聞いてね。あの人があなたの本当の父親なの」
明子は驚きを隠さなかった。
「わたしのお父さん? だってニューヨークで亡くなったって・・・・・・」
「ごめんなさい。ママ、嘘をついていたの。これから事情を話すわ」
久子は明子をソファーに座らせて、これまでの顛末を事細かく明子に聞かせた。明子は目を丸くして耳を傾けていた。
「じゃ、ママはわたしの本当のママじゃないっていう訳?」
久子は下を向き、黙って頷いた。
「そうだったの。本当に人生ってわからないものなのね。でもママ、よくわたしを育ててくれたわね。光代さんって言ったっけ、わたしの本当のママは」
久子は明子の眼を見つめながら頷いた。
「お墓は何処にあるの?」
「京都の東山よ」
明子は考えをまとめようと必死に自分と戦っているように見えた。
「わたし日本に帰って、本当のママのお墓に参るわ。ママも一緒に来てね」
明子は溢れ出てくる涙を必死に堪えながら、明るく言った。
「明子!」
久子は明子を抱きしめて、わっと泣いた。
「ママを許してくれるの?」
「許すも許さないも、ママはわたしのママよ。わたしを助けに来てくれたじゃない。わたしはこうやって生きている。ママのお陰よ。ありがとう」
久子は明子の膝に泣き崩れていた。
「パパは危険な仕事をしていたのね。テロ組織に入っているなんて思いもしなかったわ」
「それが彼の昔からの考え方だったの。生き方だったと言ってもいい。ママは彼と死別するかも知れないといつも思いながら暮して来たわ。ただ運が良かっただけなのかも知れない。身の危険をいつも感じて来たし」
「でも、それでもパパを愛して来たのね」
「そういうことかな」
娘の前ではやはり本当のことは話せなかった。国吉との愛が冷えて来ていることは。
「これからパパはどうなるの?」
「難しいことはママにはわからない。でもこれでFBIが彼のことを守ってくれるでしょう。彼が乗り越えなくてはならないことは山ほどあるわ。FBIでの聴取、裁判所での組織についての証言、事件の容疑者としての裁判所への出廷、その他ね」
「パパは人を殺したことがあるの?」
「それは彼しか知らないわ。何故?」
「人を殺したら死刑になるんじゃないかと思って」
明子が不安そうな眼差しで言った。久子は眼をそらせた。
2
国吉は集中治療室から厳重な警戒のもとで個室に移され、臨床尋問が始まったという噂が届いた。シュンタローは一度国吉に会ってみるのも悪くないと思った。久子のことや心境の変化ともとれる娘に対する態度の変化について尋ねてみたい気がしていた。
ある日、担当官に国吉と会うことが可能かどうか聞いた。一連の尋問が終わってからなら、機会を作りましょうという返事だった。
北村のお父さんも国吉に会いたがっている。どうしよう。ややこしいことになるかも知れない。しかし、お父さんはそのためにわざわざ今回ニューヨークに来たのだった。やはり声を掛けてみよう。
機会は予想外に早く訪れた。シュンタローは光太郎とフェッドの護衛付きで病院を訪れた。病院の正面玄関には両側に張り番の警官が立っていた。命が助かった国吉を狙う組織のヒット・マンを警戒してのことだった。病室の前にも警官が居た。部屋に入ると、国吉はベッドに横たわり、眼を閉じていた。シーツのめくれから白い胸の包帯が覗いていた。国吉はドアの開く音に気付いて、眼を開いた。
「久しぶりだな」
「おう、小暮じゃないか」
国吉はシュンタローの隣に立っている男に眼を転じた。
「国吉、北村さんのお父さんだ」
国吉は一瞬驚いた様子だった。
「何か御用ですか?」
国吉が光太郎に訊ねた。光太郎は硬い表情で国吉を見つめていた。
「君が光一を殺したのか? 正直に答えてくれ」
国吉は当惑した表情を見せた。
「失礼ですが、俺は病人です。席をはずして貰えませんか。小暮と話がしたい」
光太郎は顔をゆがめた。
「お前は息子をたぶらかし、我が家をめちゃくちゃにした。挙句の果てに、息子は殺されてしまった。お前のエセ革命が息子を殺したんだぞ!」
「お父さん、興奮しないで。お願いします」
国吉は硬い表情で光太郎を見つめていた。
「北村は自らの意志で戦線に参加したんだ。俺に文句を言われても困る。早く出て行ってくれ。看護師を呼ぶぞ!」
入り口を警備している警官が声高な会話を耳にしてドア越しに中の様子を窺っていた。シュンタローは何でもないと警官に合図を送った。
「お前は革命家なんかじゃない。人間の心を忘れた者に本当の革命なんか起こせるものか!」
そう言い放つと、光太郎はドアを開いて出て行った。
シュンタローは光太郎の後を追った。
「小暮さん、申しわけありませんでした。あいつの顔を見ると、無性に腹が立ってしまいまして。わたしは外で待っていますから、どうぞごゆっくり」
光太郎は廊下を歩いて行った。シュンタローは部屋に戻り、国吉と対面した。
「傷の具合はどうだ?」
「なかなか痛みは完全には取れない。夜なんかシクシク痛みやがる」
「お前、久子さんと結婚したんだってね」
「結婚というよりはずっと内縁関係のままだ。同居もせず離れたままだから、まあそれも怪しいもんだがね」
国吉が微笑んだ。
「久子さんは元気になったか?」
「ああ」
「明子さんは?」
「名前の通り、明るい娘だ。この前久子と一緒に見舞いに来てくれて、やっぱり俺の娘だという実感がした」
「お前はそれを確認したいがために、身代金受け渡しの時に敢えて危険を冒したんじゃないのか? 勿論俺の単なる推測だが」
「その通りだ。お前に娘のことで頼みごとをしに行った頃、すなわち明子が誘拐された当初は、まだ娘という実感がなかった。だからこそ、組織の脅しで俺は娘を放り出して逃げてしまった。しかし後でじっくり考えてみて、娘を危険な状態に置いたまま逃げたことは、俺にはたまらなく辛かった。実の娘なのに、何もしてやれなかった。だが今回久子に脅迫状が来た時は、父親としてそれを乗り越えようと思った。父親として娘と向き合おうとした。その証を作るため、俺は命を賭けたんだ。昨日までの敵、フェッドに守られながらね」
「明子さんの誘拐には、俺にも間接的な責任がある。正体を知らなかったとは言え、リサに明子さんのことを教えてしまったからな」
「お前は何故リサを知っていたんだ?」
「ニューヨークに来て間もない頃、俺の前に突然現れたんだ。リサに惚れ込んでしまって、すっかり騙されてしまった」
「あいつの狙いは何だったんだ? 何か目的があってお前に近付いたんだろうが」
「特殊半導体の機密データさ。恐ろしい武器が作れるらしい。おっと、こんなことをお前に言ってよかったのかな?」
「もう俺は闇の世界から足を洗ったんだ。余計な心配をするな」
「明子さんは久子さんとお前との娘かい?」
「いや、光代との間の娘だ」
「光代って、お前が同棲していたあの女か?」
「そうだ。明子を産んですぐに病気で亡くなっていた」
「明子さんは久子さんに育てられたのか?」
「うん。育ての親という奴だ」
「色々とあったんだな」
「人間、五十年も生きているとね。お前も同じだろう?」
「そうだな。色々あった。ニューヨークに来てからは特に目まぐるしかった」
「お前も俺みたいに組織に追われる身だったのか。大丈夫なのか?」
「フェッドの世話になっているよ」
「何だよ。俺と同じじゃないか」
二人は大声で笑った。
「あっ、痛い!」
国吉が胸を押さえた。
「笑うと傷が痛むぜ」
「すまん、つい調子に乗った」
シュンタローは二人の大学時代を思い出していた。
「われわれはー、大学当局のー、自主規制路線をー、粉砕するぞ!」
「機動隊は帰れ! マル機粉砕! 闘争勝利!」
ヘルメットを被った活動家の学生がシュプレヒコールを繰り返しながら当局の要請で導入された機動隊と対峙し、鉄パイプや投石で機動隊に襲いかかった。機動隊は放水車で応戦し、激しい攻撃を受けた時には催涙弾を撃った。
活動家が数人連行され、機動隊が撤収した後も、キャンパスの一角ではしばらく催涙弾の鋭い刺激臭が漂っていた。騒乱の現場から一時姿を隠していた国吉は、何処からともなく現れ、シュンタローのそばに立っていた。二人とも刺激臭に鼻を押さえ、目に涙を溜めていた。
「お前の仲間が連行されていったぞ。一体今まで何処にいたんだ?」
シュンタローが尋ねた。
「幹部が全員パクられてしまったら、闘争が続けられない。これも組織を守るための手段だ」
「都合のよい理屈だな」
「小暮、お前らみたいなノンポリが大勢いるから体制側が付け上がるんだ。俺たちと一緒にデモのひとつでもやったらどうなんだ」
「俺は授業を受けに大学に来たんだ。お前らみたいに授業をボイコットして、建物を封鎖するような奴は、さっさと大学を去れ!」
シュンタローが反論した。
「ナンセンス!」
「国吉、バカのひとつ覚えみたいな言葉を使うな。世の中のこと、社会のことをもっとよく勉強してから行動したらどうなんだ。一体お前はどれだけのことがわかっていると言うんだよ」
「お前らノンポリは、高度経済成長の中で平和ボケした体制野郎だ。お前らこそ何も世の中が見えていない。搾取の策動を続ける体制をぶっ壊すこと以外に我々の進む道はない!」
「体制とは何だ?」
「世界の反動勢力と結託し、日本人民を搾取する資本家を後押しする日本の反動勢力のことだ。そんなこともわからないのか」
「ああ、わからないね。お前らの主張や行動はわからないことだらけだ。何が性革命の実践だ。フリーセックスだ。色んな女と寝たいだけの方便だろうが」
「そういう考え自体が帝国主義の思う壷だ」
「久子を性の奴隷から解放しろ」
「お前はリンカーンか。俺はとことんアメリカ帝国主義と戦うぞ! 米帝打倒! 帝国主義は張子の虎だ!」
「毛沢東の真似をするな!」
シュンタローは国吉を睨みつけて、叫んだ。
「大学の頃はよく口論をしたもんだな」
シュンタローがベッドに横たわる国吉を見つめた。
「そうだったな。それでいつも俺が勝った」
「冗談じゃない。五分の戦いさ」
「あれから三十年。時代は大きく変ったな」
「そうだな」
「お前、舞というスナックで日本の若者をいじめたそうだな」
「何だ。知っていたのか」
「お前らしい言い草だ。若者の腐った根性を叩き直してやるなんてね。北村さんもそうして鍛えたのか?」
「北村の話はやめろ!」
突然、国吉が怒鳴った。
「どうしたんだ。何か俺が気に障ることでも言ったか?」
国吉はシーツを被り、横を向いてしまった。
「俺そろそろ帰るよ。邪魔したな」
国吉は横を向いたままだった。
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